03-2 セレブタス侯爵夫人を救出せよ(後編)Ⅱ(2/5)
出発を待ちきれないコトリンティータは、前日から周りを急かして日の出と共にリベルタスを出発。運ぶ荷物は最低限で兵士のみの移動ということもあり、エルフの許可を得て森を突っ切ったことで9時過ぎにはセベク近くまで来ていた。
「直行は早いな」
特に俺に限って言えばマウッチュに乗っていることで、平地ならともかく森の中はラプダトールより高速で移動することができた。……まぁ、最速は森の上空を飛んでいるカナリアリートなんだけど。
「タイガ君、アレ」
森を抜けたばかりの地点でユインシアに声を掛けられて、彼女が指している方向を反射的に目視する。
「……なんかある?」
「【魔晄眼】使って」
そう言われて、何かあるんだと察して即詠唱する。
「巫術詠唱開始 狂星の一滴にして愚鈍なる雌牛 脱出不可なる迷宮の魔霊よ 我が目となりて 不可視なる理を捉えよ……【魔晄眼】」
極力小さな声で呪文を詠唱する。すると、森の端、木の上辺りに小さな光が見えた。
「なんだ、それ? マウッチュ、止まって」
隊列から外れるとマウッチュから降りて、光る何かに近づいてみる。何か攻撃されることがあったとしても千寿が守ってくれる……してくれなければ死ぬだけなんだが……。
「……これって……鳥の人形?」
「多分、ワイヤレスカメラ系の術だよ、それ」
ユインシアに言われ、ファンタジー世界にワイヤレスカメラは無いだろって内心ツッコミを入れつつ、【複製眼】のような千里眼系の術……これって拙くないか?
急いで隊列に戻るべくマウッチュに乗るとコトリンティータを追いかける。
「コトリン、拙い。多分伯爵に進軍見つかった」
「え? 判った。急ぎましょう」
戦闘の準備を整えられたら、マユマリンさんを救出する時間が掛かってしまう。そう思ってスピードを上げてセベクまで向かう。
「あれ?」
セベク前まで来たものの迎撃準備も整っていないことに内心拍子抜けしていたら、ブルームレーン伯爵夫人と伯爵令息が郊外の門まで慌てて駆けつけた。
「これは何事ですか! 誰の許可を得て……」
令息が大声で問いかけ……途中で動きが止まった。
「お久しぶりです、コトリンティータ様。これはいったい何事でしょう?」
「ユークオルハ伯爵夫人、リオウタッドさん。伯爵の所業は全て存じております。母を早く出して下さい」
そう話した彼女の表情は冷たく凍り付いていた。声もまるで機械音声のように人の温もりを感じられず、俺にはまるで、内に秘めた激しい怒りを一生懸命抑えて冷静に振舞っているように見えた。
「は?」
「……失礼します」
コトリンティータはそう告げると彼の横を素通りし、ブルームレーン邸へと進む。それに続いて残りのメンバーも後に続く。その迫力に彼は何も言えず、伯爵夫人も怯えていた。まぁ、兵を背負っての彼女の圧である。何の後ろ盾もなければ死を意識しないわけがない。
何も知らなければ、姉弟のように見える夫人と息子。しかし、ユークオルハさんは第四夫人であり、リオウタッドさんは令息とは表示されていたものの、第一夫人との子で27歳。そう考えると、あの頭上表示は紛らわしいと言わざるを得ない。
セベクはアルタイル領で一番小さい街である。すぐ西側が山なので、鉱石商や職人が他の街に比べると多い。そんな商人や職人が不安そうにこちらを見ている。そりゃそうだろうなとは思いつつも、タリマインとの差に士気も下がらないか不安にはなる。
「あの……タイガ様、街の様子、変じゃないですか?」
マオリスが俺に尋ねる。彼女としては元々アルタイル領生まれではなく、知っているのは俺達と回ったところだけ。この異様な雰囲気に怯んでいるのかもしれない。
「仕方ないことでしょ。だって、若い女性とはいえ、武装した兵士達が伯爵の家族が動揺する中、押し入って来たのだから」
「いえ、そうではなくて。男性の比率が多くありません?」
そう問われて、指摘されるまで気付かなかった辺り、余裕は俺にもないのだと自覚した。……少し冷静になった方が良いか?
「言われてみれば……」
伯爵邸へと向かうメインストリート。お洒落な店が並ぶ綺麗な道である。突然の来訪ということで、住民を誘導したなんてことも無いだろう。それなのに、女性の姿が全く無い。厳密に言うと幼い子供や高齢のお婆さん……間違いなく平均寿命より上の方は見かけるが、成人に近い少女から働き盛りと思われる女性も見られない。
「うーん。推測はできるが、今は後回しだ」
「了解しました」
気にはなる。しかし、子供の存在を確認している以上、女性が居ない訳がない。そうなると、自分の家に引き籠っているのか、活動する場所がメインストリートではない場所なのか。実際、リベルタスも外から来た客が利用するだろうメインストリートと、住民が利用する生活路は別にしている。そういう政策をしていたとしても不思議ではない。
まぁ、悪い予測もできなくもないが、それこそキリがない。可能性が高いという理由だけで断言するわけにはいかないんだよなぁ。
「タイガ様」
前を進んでいたキヨノアが戻る形で近づいてきた。
「もうすぐブルームレーン伯爵邸に着きます。ですから、前の方を歩いて下さい。わたし達ではコトリンティータ様を御することは難しいです」
「……そうだね。わかった」
キヨノアと共に最前列へと向かって早歩きで向かう。
ブルームレーン伯爵邸はセベクの中央に位置している。大きさはセレブタス邸と同じくらいだが、こっちの方が新しいようだ。……やっぱり先に建てられたからか、セレブタス邸って侯爵の屋敷にしては小さいんだよな。
許可を得ずに屋敷に入る。しかし、コトリンティータの迫力に使用人達も硬直する。
「わたしはアルタイル領領主、セレブタス侯爵家のコトリンティータ。動かずに抵抗しなければ乱暴なことはしません。くれぐれも無謀なことはせぬよう」
客観的に見れば強盗の類と変わらんな……と内心思いつつ、悠長なことを言っていると逃げられるから、相手にとっては気の毒としか言えない。
「やめて下さい! いくら侯爵令嬢といえども、そんな権限はありませんよ?」
同行しながら止めるユークオルハ伯爵夫人が悲痛に訴えるが、コトリンティータはそれをガン無視。一方、リオウタッドさんは後を付いて来るものの、何も抵抗することなく、顔色を青くしている。ただ、意外なことに【審判眼】には、ユークオルハ伯爵夫人には悪意や敵意は無く、むしろリオウタッドさんこそ、微弱ながら反応があるんだよな。
「トールディックの私室は? 彼が人を寄せ付けない部屋は何処?」
「落ち着け、コトリン。みんな戸惑っている」
本当に切羽詰まっているなら放置するところだが、現状は出入口を封鎖して敷地内から誰も逃げることはできない状態。しかも、使用人達も姿を見せているが、全員に敵意や悪意など無く、術を使わなくても判るほどの戸惑いの色が表情から見て取れる。
「……そうですね。タイガさんの目には何か映っていますか?」
「まず、伯爵の家族の残りは全て2階に居るようだ。ただ、俺達の存在に気づいているはずなのに敵意がない。なので、一番怪しいのは全てを知っているとは思えないけれど、彼だね」
そう言って、リオウタッドさんに視線を送る。
「あと、地下に人がいる。敵意もない。まず、向かうなら地下からが良いと思う」
「わかりました。地下室への入り口は?」
「こちらです」
使用人の男が慌てて案内する。コトリンティータが地下へ向かうようなので、俺は2階へ行こうとしたところ、彼女に手を掴まれた。
「……お願い、今日は一緒にいて。わたしの気が触れないように支えてほしい」
彼女の鬼気迫る感じは最悪の事態を覚悟してのことなのだろう。
「わかった。2階に行こうと思ったけど、一緒に地下へ行こう」
あえて行き先を言葉にしてから彼女の手を握り返し、そのまま地下へと向かおうとするが、ユークオルハ伯爵夫人が先を塞ぐ。
「お待ちなさい。何の説明もなく行った狼藉、例え侯爵令嬢と言えど許されるとお思いですか? 出直しなさい!」
怒りで頭に血が上っているのが明らかな夫人にコトリンティータは冷たく告げる。
「トールディック伯爵には女性拉致、暴行、殺人未遂の疑いがある。更に、わたしの母も伯爵に監禁されているという疑惑すらある。しかも、被害者をリベルタスにて保護して証言を得ている。強制捜索を受けるには充分だと思いますが?」
「本当ですか?!」
多分、彼女は本当に知らないのだろう。
「……だとしても、侯爵本人ならまだしも、他の者にここまでの権限はありません」
「そうですね。わたしだけでは越権行為と言われても仕方ないです。ですが、彼……タイガ様が一緒です。それだけで権限は充分です」
「何を言っているのですか? たかが平民に何を……」
「こんな黒い髪と黒い瞳のヒュームがこの世界に居ると思いますか? 彼はわたしが召喚した勇者です」
伯爵夫人だというのに、勇者の存在に気づいていなかったのは、これまでの貴族の奥様方と比較しても情弱なのではないだろうか?
「し、失礼致しました」
深々と頭を下げる彼女を一瞥しつつ、彼女の横を素通りして先に進む。
「案内を」
先程の使用人に声をかけ、地下へと向かうコトリンティータに付いて行く。
一緒についてきた怪異達にアイコンタクトをすると、心得たと言わんばかりに動き出す。千寿だけは今回も鎧役をお願いしているので、他の連中は庭で見かけた倉庫を調べてくれるはずである。
地下は予想と違い、ただの狭い倉庫だった。広さは6畳くらいで木箱や古い調度品が置かれている。使用人が紋章術で灯りを付けたことで、この部屋が暗かったのだと気づいた。俺は一番奥の壁を見つめ、尋ねる。
「あの、この壁の先にはどうやって行くんですか?」
「そこは突き当りで何も……」
「嘘は無駄です。行き方知っていますよね?」
使用人の男性に詰めるように尋ねる。
「それは……」
「言うな!」
止めたのはリオウタッドだった。ただ、それは行き方があると証言したのも同じ。コトリンティータが無言で刃を彼に喉元へ突きつける。
「教えて下さい」
「……ご案内致します」
使用人は多分覚悟を決めたのだと思う。素直に従い細工を操作すると、壁が動き1人がギリギリ通れる程度の通路が現れる。
「これは……」
通路を進み、突き当りの扉を開くと明るく、凄く臭い匂いで満たされていた部屋に出る。汗とお香と何かの匂い。換気したくとも地下で窓が無く、一応通気口と思われる穴が天井にあるが、人が通れないくらいに小さいため、換気機能としては役不足なようだ。
部屋はさっきの倉庫より広めの8畳くらい。そして、大きなベッドが置かれていた。
中に入って来た扉とは別の扉が存在し、その先へと単身で向かう。千寿がいるから厳密には1人ではないのだが。ちなみにコトリンティータ達はベッドのある部屋の外で待たせている。理由は、どうやら女性があの部屋に入ると個人差はあるものの思考が停滞するようで、気分が悪くなるのだという。……きっとお香の成分にでも秘密があるのだろう。
一方、俺と案内していた男性の使用人に変化はない。だから、女性にしか作用しないと断定できたというわけだ。
きっと扉の外側ではお香と部屋の使用目的についてリオウタッドが尋問されているはず。嘘をついても俺が部屋から戻ればバレるわけだから、迂闊な嘘は吐けないだろう。
扉の奥は牢屋になっていて、独房のような3畳程度の牢屋が6部屋。その内、半分は空っぽ。残りの牢屋にはそれぞれ女の子が入っていた。あ、この世界では成人しているかもしれないが、15歳前後といったところだろう。その内の1人は赤ちゃんを抱いている。まだ小さく、生まれて間もないのかもしれない。赤ちゃんを除く3人の女の子に共通しているのは、全員が汚れた丈が短すぎるワンピースのような布を素肌の上に唯一着ていた事。全身が痣だらけで紫色に皮膚が変色している部分があること。新しい痕は赤く腫れていること。……ただし、四肢を切断してあったり、目を義眼に替えたりといったことはないので、伯爵がやったということではないのかもしれない。
3人の女の子は全員髪色が違って、金、赤、茶。髪は伸び放題で、皮脂なのか別の何かなのか、油でギトギトになって固まってゴミを吸着させていた。表示された名前は性虐待者。一応全員レベル表示があり、立ち上がれるくらいには元気なようだが……。
「助けに来た。俺達に保護されてくれるか?」
念のため尋ねる。万が一、牢屋から出ると死ぬような細工がされていないか確認するためだが、弱々しくも各々意思を示す。
「お願いします。この街の外へ……ここでない何処かへ……」
言葉だけでは意味のわからない発言だけど、状況から察して、連れ出してほしいと言っていることくらいは理解できた。
「わかった。でも、もう少し辛抱してね」
「……ありがとうございます」
千寿に言って鉄格子を切断すると、赤ちゃんを含めた4人を牢の外へと連れ出す。
「あとで色々尋ねることになるけど、今は1つだけ。君等をこんな目に合わせたのは誰?」
そう3人に訊ねると、金髪の子が答えた。
「ブルームレーン家の子息、リオウタッドです」
「わかった。とりあえず、移動しよう」
牢屋の部屋から出てベッドの部屋に入ると、女の子達が糸の切れた人形のように倒れそうになるのを千寿が支える。
「どうやら、この部屋に入ると意識を失う……違うな……身体が動かないようになっているみたいだ」
千寿に状況を説明しつつ、支えられている少女達に意識があることが判る。これが出られない仕組みかと理解しつつ、ベッドの部屋から出ると再び彼女達が自力で動けるようになる。
「彼女達をミッドフランネル班に保護させて。俺は次に向かう」
「何処に?」
「庭の倉庫。もう2人、囚われているみたい」
人の目もあってノーリアクションだったが、マリアリスがさっき戻ってきて教えてくれた。
「もし、何なら、先に……」
伯爵家の事情聴取を……と言いかけたが、コトリンティータが再び俺の手を握ってきた。
「ダメ。貴方はわたしの側にいるの。今日だけはお願い」
一応、マユマリンさんと対面した時のショックを緩和するための思いやりだったが、覚悟は既に決まっているのか不要だったようだ。
「……わかった。一緒に行こう」
使用人に先を歩かせ、その後ろをついて来た道を戻る。尚、リオウタッドは犯罪者確定のため、移動する前に捕らえている。ユークオルハさんは同行を続けているが、無言のまま庭の倉庫まで来た。一見この世界にある普通の倉庫には見えた。
「これか」
床に扉。掃除の行き届いた倉庫だなとは思っていたが、普段から使っているのであれば掃除も行き届いていて不思議ではない。しかも隠し扉ではなく、良く見れば気付く程度の枠であり、蓋がはまっているだけの扉。持ち上げて貰うとその下には階段が続いている。
多分、この家では地下が女性陣には見つからない隠し場所なんだろうな……と思いつつ、降りた先には扉。屋敷の地下とは違い、階段と扉を繋ぐ短い廊下しかない。明らかに何かの目的をもって作られた部屋だと思うのだが、それに興味はない。
「……お母様?」
「いや、違う」
部屋の中央にテーブルが置かれていて、その奥に女性が椅子に腰かけているように見えた。少し黄色味を帯びた長い銀髪。紫色の瞳。しかし、それは精巧に作られた木製の人形。腕は球体間接になっていて、ピクリとも動かない。
薄暗い部屋で、直ぐに人形だと看破できた理由は、頭上に名前が表示されなかったからだ。そうでなければ、俺も人だと思ったに違いない。よく見ると、他にも人形が飾られていて、どれもがリアルに作られていた。人形技師の加工技術レベルに驚きを隠せない。だが正直、今は気持ち悪いだけだ。
「……人形……?」
そう言いながらコトリンティータが母親と間違った人形へ近づく。そしてハッとする。
「これ、お母様の服です。それにこれ……人毛では?」
「え?」
人形に近づき、髪に触れる。少なくとも糸ではない。この世界にナイロンは存在しない。そして、キューティクルの向きを触れて感じた。これが人工物ならば大したテクノロジーではあるが、コトリンティータの推察が正しいと思った。
「……うん。高確率でそうだね。つまり……」
彼女の真剣な表情が悲しみで少しずつ歪んでいく……涙が零れそうに思えたその時、部屋の奥からゴトッと小さな音がした。
「コトリン」
先行するのを呼び止めつつ、マユマリン人形の背後にある奥の部屋へ向かう彼女を追う。そこは人目で見てわかる人形用の工房だった。腕や足のパーツが何種類も整理して飾られている。道具もいろいろあって、どう使うのか想像が難しい道具が結構あった。
何処から音が……そう思った時、再びゴトッと音がした。こんな時に術を唱えておけばと後悔したが、そんなことは言っていられない。観音開きタイプの収納家具からだと判断した俺は何も考えずに、その扉をあける。
「ひっ!」
コトリンティータが思わず悲鳴をあげそうになるのを自ら堪える。
そこから出てきたのは、予想通り、マユユンと同じ状態で処置済みの女性だった。
「お母様は? ……そもそもトールディック伯爵は何処にいるのですか?」
マユマリンさんは居なかった。そして、伯爵は1時間も前に屋敷を出て、ルシャインに向かったことを知る……俺は怒りで震えるコトリンティータに声を掛けることが出来なかった。




