02-5 セレブタス侯爵夫人を救出せよ(前編)Ⅴ(3/5)
翌日の夜。事前に判っていたことの1つとして、1人分の従属契約が可能なくらいのMPの余裕を残していた。……とは言っても、現在のMPの話ではなく、毎夜日付が変わるタイミングで支払われる従者に支払われる消費MPを差し引いた余剰MPのことである。
昨日、リリィフィールド卿爵の長女、アリサリアとハッカディア騎士爵の長女、ムッツミーアと従属契約を行い、これで各班長とフォックスベル班の全員と従属契約が完了したことになる。そうなると、次はヴァレンシュタイン班になるわけだが、現在班員は6名。あと3名加える予定で、その内の1人は既に決まっていた。
「入る前に警告しておく。彼女へ直接話しかけるのは禁止する。理由は今、歯が復元しかけている。うっかり興奮状態で話すと歯が折れて完治が遅くなる。同じ理由で彼女に触れるのも禁止。再生箇所に障るからね。俺と話すことで彼女が反応するだろうけど、自制してほしい」
「わかりました」
現在この場には、俺と千寿、カナリアリートと、特別に招いたマナティルの4名がいる。
マナティルの返事を確認した後、扉をそっと開ける。
何も無い部屋の中央にベッドが1つ。明り取りと換気のためにある木製の窓は閉じられ、部屋の中は真っ暗。普段であれば、俺1人で入るので何の問題もないのだが、今日は特別に灯りを用意してある。
ベッドの上には女性が1人横になっている。寝ているか起きているかは現在不明。彼女の名はマユユン。目玉を抜かれ、四肢切断され、身体中の皮膚や髪ごと頭皮を剥ぎ取られ、大量出血のまま森に放置されていたらしい女性である。……それは伝聞であり、彼女の母親が必死に看病した結果、辛うじて生き残ることに成功した女性であり、現在は治療を第一目的とした俺の従者の1人である。
そんな彼女だが、現在は少しだけ再生が開始されており、全体の25%くらい再生された状態である。少なくとも歯と皮膚は完全ではないものの、ほぼ再生済み。目や四肢はまだ再生途中。食べ物も液状やペースト状の物しか摂取できない状態である。
「マユユン……ですか?」
「うん。とはいえ、確かに見て判らないだろうけど、四肢の無い人はそう居ないのだから、推測はできると思う」
ここはセレブタス邸の空き部屋の1つ。今はマユユンの再生の経過観察をする場所でもある。普段は俺以外立ち入り禁止だが、今回は目的のために特別である。
見て判らないのは、彼女が現在口と鼻以外の全てが包帯に包まれている状態だから。理由は再生途中の場所を本人がうっかり触れないため。視力が回復したタイミングで自分の身体にショックを受けないため。そして、第三者に再生途中の状態を見せないためでもあった。
「何故、包帯を全身に?」
「ショックを受けないためかな」
マナティルが抱く当然の疑問に簡潔に答える。もちろん、説明不足であることは承知だが。
「ちょっと想像すれば判る。人の身体が再生される過程を見るという事を。ましてや、それを自身が見てしまったら……」
「……」
そう答え続けると彼女は何も言わなくなった。そもそも、その疑問が重要でないことも承知している。彼女が本当に知りたいことは別のことのはずだ。
「しかし、それでは……あたしがこの人をマユユンと認識する術がない」
「つまり顔を見て確認したいってことだよね? 当然の要求だとは思うけれど、それはできない。顔の包帯を取るということは、再生途中の目を見るということ。もちろん、彼女は瞼を閉じているとは思う。ただし、包帯を取るリスクに対し、俺は何も保証できんし、責任もとれない。君の保証と責任で包帯を取る?」
「……わかった。取らなくて良いから」
多分、普段であれば包帯を取るくらい可能で、実際包帯を何度か交換しているので、不可能ではない。ただ、今はマユユン自身が一番接したい相手が傍にいるということが、どういった無理をさせるか判らない。……何もないから平気と根拠なく思うより、何かあったら拙いと用心した方が良い場面だと思う。
「それで順調に治っているの?」
「うん。それくらいの証拠であれば……」
そういって、彼女の頭部の包帯の隙間に指を入れる。そして、指を引き抜くと、その指に赤味を帯びた茶色の髪が指に巻き付いていた。
「この通り。これで本人と断定できないかな?」
マナティルは、彼女の髪をジッと見る。
「……確かにマユユンの髪と同じ色だけど……」
当然ながら、それだけで本人と断定する……なんてことは難しいわけで。かなり疑り深い……いや、当然か。この世界の普通である紋章術による治療で、あの状態から再生完治なんてするはずがないのだから。
少しだけ出してしまった髪を包帯の中に再び押し込む。
「わかった。確かに顔を見るまでは本人かどうかなんて判らないよね? でも、俺が保証するので、ここはマユユンであると仮定してほしい。マナティルがここに運ばれる前は髪どころか皮膚も剥がされていた。でも、施療院での紋章術による治療で不完全ながらも皮膚の再生と止血はできていた。でも、今は髪も生えている状態にまで回復している。1週間なら回復具合はそんなもんだと思う。替え玉のために四肢を切断するような真似を俺はしないよ」
多分、マナティルもそこまでは思っていないと思う。それでも安心したい材料が欲しいところなのだろう。時間的に余裕さえあれば、もっと治ってから会わせた方が良いのだろうが。
「それでも疑うなら、顔を見るかい? 当然リスクはあるけれど」
「いや、いい。だけど、口が動かせるのであれば、声が聴きたい」
なるほど、話はダメだろうが、声で本人確認くらいさせろってことか。
「うーん」
結論から言えば、それならば可能である。本当に声を出すだけならば。ただ、心配なのはマユユンの方が声を出して良いという許可を得れば、何かしら話したくなるのではないかという問題があるんだよな。
現状だと、例えば「い」とか「き」のように歯同士が接触しないと出ない音を発した場合、その衝撃で歯が変形する可能性もある。当然治るのだが、再生速度が落ちる可能性は充分にあるわけで。
「多分ね、声を出すと話したくなると思うんだよ。マユユンにも話さないように言ってある。もう少しで普通にしゃべれるようになって、食事もできるようになる手前だからね。今が大事な時期だからこそ、やっぱり声を出させることに賛成しにくいな」
それでも声を聞くくらいであれば、やむを得ない場合に限り了承せざるを得ないかな。
「あたしは話せなくても構わない。彼女がマユユンであると確信を得たいだけなんだよ」
「うーん」
……ですよねぇ……。
「声、出させることは可能なんでしょ? 話できなくても良いって言っているのに聞かせないってことは、もしかして……あたしを従者にさせるための工作なんじゃ?」
「それはないよ」
限界かな。
「わかった。マユユンが何か話そうとしたら、君が全力で阻止するってことで良いんだね? 彼女の治りかけの歯が当然故意では無いにしろ、事故により変形し回復に時間が掛かる……その際の責任も君が負うということでいいね?」
「そ、それは……」
「これは間違いのない事実だが、マユユンだって話がしたいに決まっている。それでも、治療のために俺からお願いして歯を噛み合わせないようにして貰っている。つまり、言葉がつかえない状態だ。彼女は初めから耳に異常はない。だから、ここでの会話は全部聞いている。これだけ会話を聞いていて話したくないと思っているわけがないんだよ?」
「……」
割と意地悪なことを言っている自覚はある。今話して歯が歪んでも、いずれは本来の形に戻る。それは間違いない。ただ完治に掛かる時間が多少遅くなるだけの話。でも、限界が近いからこそ、最後のあがきのようなものを告げる。
「わかりました。なら、やっぱりさっきの案……顔を見る方向でお願いして良いですか?」
まぁ、そっちの方がマシか……そう思って俺は首を縦に振った。
「カナ、手伝って貰って良いかな?」
「畏まりました」
顔の包帯を外す時に気を付けなければいけないこと。それは、目の包帯を間違って外さないこと。……多分、回復途中の眼球を見たらトラウマになるかもしれん。俺は義眼を無理やり取り除いた時に、真剣に外科医を尊敬したくらいだ。
「そういうわけだから、マユユン。顔の包帯だけ取ろうと思うのだけど、取っていいかな?」
今までの俺達の会話は聞こえていたから、何故外そうとしているのかは判っているはず。だが、彼女は首を横に振った。
「何故?」
それを尋ねたのはマナティルだったが、その問いに対して答えることはできない。
「彼女は答えることができない。とはいえ、俺には強引にその包帯を取る権利を持っている。ただ……もう一度尋ねるが、本当に彼女の素顔を確認したい?」
これはただの推測。これが俺とマナティルだけであれば、彼女ももしかしたら了承したかもしれない。しかし、他に千寿とカナリアリートが存在し、現状を確認できない自分の顔を見られる羞恥心のようなものが働いているのかもしれない。……もちろん、真相は知らん。
「それは……」
「その必要はないわ」
ゆっくりと、しかし活舌が悪い状態で彼女が言葉を発した。おそらく歯同士がぶつからないように最新の注意を払いながら、声を出したに違いない。
「マユ……ユン?」
マナティルの問いにマユユンはゆっくりと頷く。
「活舌、悪くて、ゴメンね。聞き取りにくいかもだけど……」
「ううん。確認できて嬉しい」
それでも、歯が全くなかった時に比べれば音は正確に発せられていた。
「タイガ様、歯同士がぶつからないように、最新の注意を払って、話します。どうか、マナちゃんと、話させて、下さい」
そこまで言われたら、俺も断ることはできない。お互いが話したいと言っている。そしてリスクを承知で気を付けて喋るというのだから、渋々ではあるが許可することにした。
「しょうがない。心配だけど、短時間で喉に負担が掛からないように小さい声であれば、特別に……」
「「ありがとうございます」」
マナティルは勢いよく、マユユンはゆっくりと小さな声で礼を言う。
「本当に歯が生えたんだ……それに髪も……本当に良かった」
「心配かけて、ゴメンね」
本当は抱きしめたいだろうけれど、流石に触れることまでは許可できない。
「ううん。早く元の姿に戻れることを祈ってる」
「3週間は直ぐだよ。予定通りに回復すればね」
マナティルの一番知りたいことを教えてあげると、彼女は一瞬黙る。
「憶えているなら、教えてほしい。兄や両親を殺し、マユユンをそんな姿にした奴の正体を」
なるほど、一瞬黙ったのは知りたかったコレを直ぐ聞くか、3週間待つか悩んだのか。それにマユユンにどれ程のトラウマになったかもわからないし。
「……」
1分ほど待ったが、マユユンからの返答はない。
「無理しなくていい。完治して、心の傷が癒えてからでも……」
「ゴメン。嫌なこと思い出させて……でも……」
俺がフォローに入ったが、それでもマナティルは確認したかったのだろう。それに、死ぬ覚悟をしている彼女には聞く権利があると個人的には思っている。
「ううん、言う事で、巻き込んでしまうことが、怖かっただけ……でも、話すよ」
表情はわからなくとも、マユユンの緊張感は伝わっていた。
「犯人は、ブルームレーン伯爵。もちろん、直接攫った人と、こんな身体にした人、それぞれ別々の人、だけど……」
「!!」
やっぱりマグルーシュ卿爵では無かったか。
「マグルーシュ卿爵じゃ……なかった?」
「未遂で良かった……マジで」
それを聞いたマナティルは茫然とし、無実の人を殺める罪を犯さず済んだことに安堵していた。流石に、マナティルも自身の思い込みの激しさに反省したのではないだろうか?
「……タイガ様の言う通りでした。そして、約束を守って頂きありがとうございました」
そして、今度は自分が守る番だと、予定通りにマナティルと従属契約を結ぶことができた。




