02-3 セレブタス侯爵夫人を救出せよ(前編)Ⅲ(2/5)
リベルタスを出発して、もうすぐ10時間になろうとしていた。ラプダトールによる高速移動だが、やはり遠方なだけあって時間が掛かる。今でも移動手段が徒歩しかなかったらと思うとゾッとするものがある。
「ご主人様、人の巣が見えてきたっちゅ」
「マウッチュ、巣じゃなくて町な。タラセドっていうんだ」
タラセドとは、アルタイル領の北西に存在する町で、そのすぐ北はポルクス領との領境になっている。つまり、ポルクス領から来た人にとっては最寄りの行商町である。それは同時にアルタイル領側からすれば、いろんな意味での防衛線である。他の領から逃亡してきた犯罪者を取り締まったり、密偵の侵入を阻止したり……まぁ、色々だ。
街道沿いに南下するとオカブがあり、丁度その中間でタラセドの南西にはセベクの街がある。今回はそのセベクをスルーして先に卿爵家が預かる町を全て攻略するという作戦だ。
同行する兵士を更に10名増やしたことにより、結構目立つ団体になったことで、街道の移動は安全になった。少なくとも野盗の類が襲ってくることはなく、野虫が襲ってくる程度だ。虫は知能が低く、俺の自動翻訳をもってしても会話が聞こえてこない。多分言葉以外の信号のようなものでコミュニケーションをとっているのだろう。
大所帯で移動し、雑魚相手に派手に戦って見せれば、リベルタスの状況が好転していることは噂になるだろう。……これも目的の1つである。
「ご主人、誰か来るっちゅ」
町は見えているとはいえ、まだ距離がある。見えるのは見渡す限りの大自然と町へと至る街道だけなのだが、その街道の上をこちらに向かってくる人の姿が小さく見えた。その姿はどんどんと大きくなり、やがてその正体がタラセドの自警団の1人だと気づいた。
自警団の男は隊列を見回し、俺と目が合うと声を掛けてきた。
「失礼ですが、フランベル騎士爵夫人のご一行で間違いありませんか?」
美少女揃いの隊列で、ちゃんと名目があるのに男が声を掛けない理由……多分、気後れだろうな……なんて想像しつつ、丁寧に訂正する。
「確かにフランベル騎士爵夫人とはご一緒していますが、我々はセレブタス侯爵令嬢の一行ですよ。お気をつけ下さい」
……この返しで良かったのだろうか? まぁ、俺は黒髪だし、1人だけメローリンに乗っていることで格下だと思ったのだろう……。
「そっか、助かった。危うく貴族様に失礼を働くところだったよ」
その男は笑顔でそう答えると、改めて言い直す。……それにしても、美少女を前に気後れしたのかと思いきや、貴族へ声を掛けることにビビっていただけか。
「セレブタス侯爵令嬢ご一行様。私はタラセドの警備を担当する者です。卿爵の命を受け、お迎えに上がりました」
しっかりと声を張って、周りに聞こえるように言ったことで進行が止まる。
「お迎え頂きありがとうございます。……先導をお願いして宜しいですか?」
俺の隣を走るコトリンティータがそう言うと、彼は頷いて前を走っていく。……多分、彼女が侯爵令嬢であることすら知らんのだろう。そして、コトリンティータもそれを承知の上で気にしていないように見える。
移動すること10分くらい。町へと到着。全員が騎乗動物から降りてゲートを通る。この世界では集落内の騎乗は基本非推奨らしく、荷台や屋形でも安全のために超低速で走らせるのが常識となっている。
「ようこそ、タラセドへ」
先程の警備兵が別の男性に報告し、その男性の第一声がコレだった。
「シーゲルアッド卿爵様。お久しぶりです」
ユッキーナさんは屋形から降りるとお辞儀で挨拶。どうしても、貴族の挨拶はスカートを摘まんで少し屈む的な挨拶をイメージしてしまうが、この世界では公式の挨拶以外は全てお辞儀である。
「ユッキーナ夫人もお変わりなく。それに、コトリンティータ様もお久しぶりです。随分お綺麗になられましたね」
「シーゲルアッド卿爵様、お久しぶりです」
そう答えたことで、例の警備兵が驚いた顔をしていたのが印象的だった。やっぱり、コトリンティータと認識せずに話していたか。まぁ、ドレスじゃなくて、軽鎧で武装した姿だったからなぁ。
「……それで、こちらがわたしの召喚した勇者様です」
そう言って、俺を紹介する。その瞬間、例の警備兵が腰を抜かして座り込んでしまったので、吹き出しそうになるのを堪える。……まぁ、仕方ないことかな。むしろ、俺の意地が悪い。
「初めまして。タイガ=サゼです」
もう『鎖是大牙』と名乗らなくなって、どのくらい経ったか。むしろ、慣れてしまったまである。
「貴方が……。お初にお目に掛かります、勇者様。私がこのタラセドを治める卿爵、シーゲルアッド=R=エルネウストと申します。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
2人に倣って、軽くお辞儀をする。
「さぁ、屋敷にご案内します。どうぞ、こちらです」
タラセドの町並みは、オカブとは全然違っていた。人口には差がないはずだが、タラセドはゲームやアニメなどのフィクションで見るファンタジー世界の町というイメージそのままでかなり安心した。
武器屋や防具屋、道具屋はもちろん、紋章屋に鍛冶屋、酒場に宿屋。あらゆる店が揃っていて、街歩く人々も町民というより、冒険者って感じの人達ばかりだ。……まぁ、遅めの時間だからというのもあるだろうけれど。15時過ぎということは、もう夜に備えての仕込みを行っている頃だろう。買い物をする時間帯ではないのかもしれない。
「リベルタスでの生活は慣れましたか? 異国どころか異世界での新生活。苦労も多かったのでは?」
物珍しさから他とは違う普通の町の雰囲気を楽しんでいると、シーゲルアッド卿爵に話しかけられた。
「いえ、コトリンが世話をしてくれたので、快適に過ごさせて貰っています。少なくとも、彼女から頂いたものと同等以上の成果を返せればと思っています」
「なるほど。素晴らしいですね」
多少の違和感はあるものの、彼の言葉に偽りはない。が、彼の言葉が足りていない印象を受けた。嘘が無いのは【審判眼】で確定なのだが。とはいえ、彼に対し嫌な感じはしない。誠実そうにも見える。……前情報通り……多分、俺という人間を観察して見極めようと色々探っているのかもしれない。
卿爵邸へと向かう途中にあった町一番の大きい宿屋を貸し切って貰ってあり、兵士たちはそこで休息をとって貰う。俺とコトリンティータ、ユッキーナの3人はシーゲルアッド卿爵と共に卿爵邸へ向かった。
「おっ、ユッキーナ! よく来たね!」
屋敷の中に入ると、一目見て圧を感じる迫力のある女性が出迎えてくれていた。
「アイナミス! 久しぶりね!」
そう言って近づくとお互い頭を下げる。……てっきり握手なりハグなりするタイミングだと思ったんだけど、やっぱりそういった文化はなく、あくまでお辞儀なのね。
そして、彼女の返しによって、その女性の正体が確定した。
「ユッキーナは変わらない……いや、変わらなすぎじゃないか? 歳相応に見えないぞ?!」
「でしょう? これも勇者様の従者になった効果なのよ」
「……マジか……」
ご婦人同士会話が弾んでいて、どうしたものかと思ったら、シーゲルアッド卿爵が咳払いをする。
「こらこら。久しぶりの再会で盛り上がる気持ちもわかるけれど、コトリンティータ様が戸惑っているよ。一応、公式訪問なのだから、礼儀は正そうね?」
シーゲルアッド卿爵、優しく注意しているけれど、この人も圧が強い。
「わりぃな。つい……久しいな、コトリンティータ嬢。無事で良かったと本気で思っているよ」
「はい、タイガさんのおかげで状況が随分と回復できました」
これはまた、マンビッシャー卿爵の時と比べたら随分とフレンドリーというか、近所の家に遊びに来たくらいの気さくな対応だな。話には聞いていたけれど実際に見ると、わかっていても驚くのを止められない。
「……で、彼がそのタイガ様かい?」
ユッキーナさんが頷くと、アイナミスさんはその場で俺に対して跪く。それに倣ってシーゲルアッド卿爵も一緒に跪いた。当然ながら、跪かれる経験なんて無いものだから、思考が一瞬にして停止し、戸惑っているという自覚しかなかった。
「初めまして。わたしはそこのシーゲルアットの妻でアイナミスと申します」
対応に困った俺はユッキーナさんを見ると、彼女は苦笑いしながら頷く。……頷く? その意味は何? 好きにして良いってことか? ……あ。
「頭を上げて下さい。俺は敬語や堅苦しい形式的なものが苦手なので、楽にして下さい」
……テンパっていたが、多分俺は試されているということに気づけた。
「俺はタイガ=サゼ。異世界から来たので勇者という称号を頂いていますが、この世界基準だとかなり非力な男です。それだけに気をつけて頂ければ、あとは気遣い無用です」
そう告げると、2人は立ち上がってくれる。……一応、だいぶ前に跪くという行為自体はこの世界にも存在することは聞いていた。公式の儀礼的な作法であり、普段目にすることはないと聞いている。……つまり、卿爵達は公式の場として礼儀を示した。この時の俺の対応次第で卿爵達の対応は決まっていたと思う。
「なるほど。今までに現れた勇者とは違うタイプらしいね」
「え? 俺以外の勇者に会ったことがあるんですか?」
「流石にないさ。生まれてすらいない。でも、歴代の勇者の話は何処の国でも記した書物が存在しているよ」
……俺はまだ読んでいない。書斎にまだ埋もれているのだろうか?
何も知らないと察したアイナミスさんは話を続けてくれる。
「これまでの勇者のタイプは主に3種類。1つは王族に利用され、トラブルの渦中に放り込まれて武勇において賞賛されるタイプ。もう1つは自分の強すぎる能力を自覚し、誰にも利用されぬよう、協力者と逃げてスローライフを送りつつ、幸せな生涯を送るタイプ。最後が勇者という名の権力と精霊王から賜った能力を利用し、使命を無視して好き勝手にやりたい放題するタイプ。……そう、我々も勇者と呼ばれる全ての人が我々を救ってくれる善人とは考えてはいない」
……ですよね。やっぱりコトリンティータが異常なんだわ。それにしても、やっぱりろくでもない勇者も存在したんだな。
「うーん。確かに俺はこの世界では非力過ぎて武勇で無双できないだろし、スローライフは興味あるけれど状況的に許されない。何より、精霊王からの使命を無視できる立場にない。何故なら一時的でも構わないから、一度は元の世界に帰らなければならないから。むしろ、一度帰るために頑張っているまである」
そういうと、卿爵達は不思議そうに尋ねる。
「これまでの勇者の記録には帰りたいと考えている者は居なかった。タイガ様は自分のいた世界に大切な人を残してきたのですか?」
「いや。人間関係に関して未練はない。ただ、絶対に他人に見られては困るデータ……書類のようなものがあって、こっちで暮らすとしても、その書類だけは処分しなければ……」
そこまで話すと、俺は口をつぐんだ。……余計なことを言った……今、俺は必死にどう誤魔化すかを考える。どうせ言及される……うっかり興味を持たせてしまった。
「そこまでの書類なのですか? いったいどのような……」
「言えない。言えるようなものなら、そんな書類、俺が行方不明と気づかれた時点で処分して貰えば良い。……だが、アレは誰にも見られるわけにいかない。つまり、あんな物をこちらの世界に開示することは許されない」
「……わかりました。聞かなかったことにしましょう」
シーゲルアッド卿爵が退いてくれた……危ない……助かった……。
「助かります。世の中、知らない方が良いことは沢山あります。アレは俺がいた世界ではそういう類の禁忌です。こちらの世界にもあるでしょう? 俺はあえてそういったことを聞かないようにしています」
「……確かに。知って人生を狂わされるのは御免です」
……おし、誤魔化した!
「ですよね。……ということで、俺は帰ることが目的で精霊王の指示を今のところ聞いています。コトリンにも聞きましたが、帰る手段は今のところ無いそうです」
必死になってまで帰る理由は、PC内に眠る秘蔵のコレクションを削除することなのだから。
「なぁ、タイガ様。もしも、元の世界に戻った後、こっちに帰ってくることも可能だとしたら、タイガ様はどっちの世界で生きていく?」
アイナミスさんが唐突に聞いてきた。
「処分が済み次第戻って来たいですね。元の世界で暮らしたいとは思ってないし、一時帰宅だとわかっているのなら、俺の世界を見たいと思っている人を連れて戻っても良いと思うくらいです。……まぁ、精霊王が許すとは思えないけれど」
下手したら、一時帰宅も無理かもしれん。戻ったが最後、帰って来られない……これが普通だと思うんだよな。
「なら良い。この世界に愛着がないヤツが勇者業なんて、やってられんさ」
そう言って、彼女はケラケラと笑う。
「どうやら合格?」
「あぁ、気に入った」
今まで黙っていたユッキーナさんが尋ねる。やっぱり俺が試されていたって気づいていたか。
「試すような真似、悪かったね。実はタイガ様には個人的にお願いしたいことがあったのさ。だから、それを頼むに値する人物かどうか見定めたかったってわけだ」
そう言って、ようやく立ち話が終わった。アイナミスさんが席を勧め、ソファーのような長椅子に3人で腰を下ろすと、アイナミスさんは対面の大きな椅子にドカッと腰を下ろす。
一方、シーゲルアッド卿爵は彼女の斜め後ろに立っている。
「あの、卿爵は座らないのでしょうか?」
「えぇ、お構いなく」
コトリンティータが気にして尋ねたが、どうやら彼は座る気がない。これではまるで卿爵本人より夫人であるアイナミスさんの方が主人のように見える。
アイナミス=L=エルネウスト。身長は武人にしては低い。しかし、彼女は武人以外の何者でも無かった。頭上で編み込まれた淡い金髪に赤味を少し帯びた青の瞳。これだけ見ると精霊に愛されていそうだが、彼女の近くに精霊は居ない。頬にある大きな傷が目立つが、よく見ると身体中傷だらけ。そして、その腕も脚も女性のモノとは思えない程に太く逞しい。
「まずは、コトリンティータ様。申し訳なかったね……動くことができず……」
あっ……やっぱりアイナミスさんが主導で話を進めるのか。
「いえ、アイナミス様はリベルタスの状況をご存じでしたか?」
「まぁ、それなりにはね」
そう言って、コトリンティータから彼女は視線を反らす。
「アーキローズ様が、しばらくタラセドに留まっていた。状況は彼女からも聞いている。そういう理由から我々はポルクス領の動きを探っていた。だが、表立って彼らは動いていない」
「では、裏で?」
「……かもしれない。が、証拠も無く騒ぎ立てるような真似は許されない」
アイナミスさんは苦々しそうに吐き捨てる。
つまるところ、卿爵夫妻は高確率でポルクス領が何らかの攻撃をしたと考えている。しかし、証拠が無い。言い掛かりを付けた場合卿爵夫妻だけでなく、アルタイル領の貴族全てが国王からの印象を悪くしてしまう。だから、証拠が見つかるまで動けない……と言っていた。




