02-2 セレブタス侯爵夫人を救出せよ(前編)Ⅱ(2/5)
テンプイツから帰ってきた日、2人目の従属契約を行っていた。
1人はテンプイツを出る日の早朝、クミクオナ卿爵代行の娘、カオルーンに対して。これまで1日に1人までしか行っていなかった従属契約。しかし、帰る日に逸材を発見して、返ってきた直後に急遽実験も兼ねて2人目の契約を行った。
ユリザリナ=アスピルキン。テンプイツで紋章屋を営んでいる店主の娘。成人し自分の店を持とうと旅立つ準備中で俺からのスカウトを受け、決断した16歳の少女である。膝丈まで伸ばした暗い茶色の髪に暗い灰色の瞳。この世界でもかなり俺に近い印象を与え、日本にもこんな感じの子はいると思うような容姿。……まぁ、日本でこんな髪の長い子はレアなのだが。
「話を聞いちゃったんだけど……良かったら、勇者の従者の1人として、リベルタスに新しい店を構えない? 君に協力して欲しい事が沢山あるんだ」
彼女に声を掛けた第一声がコレだった。
「あの、どうしてわたしを?」
露骨に戸惑う彼女。当時はまだ頭上には新人紋章師と表示されていた。
「これから町を出て自分の店を構える話を聞いてしまったのもあるんだけど、俺達も紋章師が必要だったんだ。今ならリベルタスに新築の君の店を用意できると思う。どう?」
「詳しく話を聞かせて下さい。わたしはユリザリナ。この紋章術屋の娘です」
「俺はタイガ。今来ているリベルタスからの一行の1人。一応勇者と呼ばれている」
傍に居る店主である彼女の父親にも聞こえるようにそう伝えた。
「勇者様?!」
「……まぁ、その辺は置いといて。今、リベルタスに紋章師がいないんだ。そして、兵士に紋章を普及したいこともあって、かなり早急に必要なんだ」
誰かに聞かれても構わない最小限の詳細。それを聞いた彼女は少しだけ黙考した後、思ったより早く頷いた。
「わたしで良ければ、是非従者にして下さい」
「いいの?」
「新築の店を貰えるというのは大きいですから」
……なんてやり取りがあって、彼女がリベルタスへ来て、従属契約する運びになった。
帰ってきた日に彼女にはコトリンティータの許可の元、セレブタス家の屋敷に住んで貰い、俺の都合で主に夜間、打ち合わせを重ねている。
結論から言うと、紋章術の普及はかなり難しい。不可能ではないことが救いである。
移住希望者面接と同時進行で進められている紋章術の普及に関する打ち合わせ。紋章術に関する知識はあっても普及手段に関して全くの基本知識も無かったので、主に紋章師の仕事と販売方法、必要なモノについてというのが内容である。
「紋章術の普及における最大のリスクは、悪用されることです。そのため値段は高価にせざるを得ず、結果普及が進まないのです」
……一理あるか。確かに誰でも簡単に殺傷能力のある武器を購入できたら殺人が簡単に発生する。少なくとも武器を管理できるくらいの能力がないと。
「全部高いの?」
「いえ、悪用の難しい安全性の高い紋章は一般の人々が買い求められる値段で販売しています。リストを見ますか?」
彼女が紙……違う。多分羊皮紙? 何らかの革を加工した物だと思うが、それを広げて見せると紋章のリストが値段と一緒に書かれていた。
「……なるほどな。そういう感じで管理されているんだ……」
彼女が見せてきたリストは2枚。一般販売用のリストは確かに手頃の価格なのだろう。
「全部日常生活で使う紋章術だね。戦闘用として使えなくもないけど、工夫が必要か」
「元々戦闘用ではないですし、そういった使い方をする人はいませんね」
もう1枚の方には戦闘用の精霊術がいくつか。戦闘用は廃れるのか、それとも秘密にされているのか……。値段も桁が違う。確かに一般人には購入が難しい値段のようだ。
「これで全部?」
「そうです。割と揃っている方だと思うのですが……」
そのリストには火水風土金光の6属性しか無い。しかし、この世界にいる精霊は見た限りでも6種類では収まらないほど沢山の種類がいる。
「精霊術ってもっと属性の数あると思っていたけれど……」
「紋章が無いんですよ」
あぁ、対応した紋章がロストしているってことか。
「そういうことか。なら復活させて販売すること自体は問題ないと……逆に問題は何故廃れたのかってところだな」
何事にも偶発的な原因や意図的な理由はある。精霊文字が廃れたのは遥か昔と聞いているので、もしかしたら判らないかもしれないが……。
「復活させて販売?」
「あぁ、できるよ。実験も結構前だけど成功したし」
まだ、俺の眷属がマリアリスと千寿だけの時、紋章術の自作を試みたことがある。結果は思った以上に簡単に作成できた。理由は問題の精霊文字が漢字に似ているから。漢字を規則的にイラストチックに描く……そんなイメージでやると成功する。けれど、問題点が2つあった。
1つは魔属性……要は無詠唱精霊術を試みようと作成しようとしていたら、それを見ていたマリアリスが「とても不快。二度と描かないで」と怒り出してしまった。どうやら、かなり嫌な気分にさせるらしく、挫折した経緯があったこと。
もう1つがテストは地面に紋章を描いていたのだが、実用的にするなら、どう印字すれば良いのかという問題にぶち当たったから。
「ぜ、是非……」
「うん、廃れた原因や理由がわかってからね。事情によっては気をつけないといけないし」
「事情?」
「例えば、品揃えの良い紋章師が敵に狙われるとか」
「……」
多分、気づいていなかったんだろうな。
「でも、今まで襲われたこと……」
「うん。それは多分、他所と同じくらいの紋章を販売していたからじゃないかな? 明らかに他より沢山紋章の種類を抱えていれば殺害動機なんて、色々あるよ? 紋章の略奪、敵兵力の弱体、金品強奪……」
そう言いかけて、気づいた。
「そうか。いろんな種類の紋章を売り出さなきゃ良いってわけか」
「え?」
「……まぁ、単純にこれで万全というわけではないんだけど、非売品を設定する」
今、ユリザリナが提示したリストは2種類。1つは低額一般用。もう1つが高額戦闘用。そこに基本的に販売しない特別な紋章術リストを用意する。
「販売しない紋章はどう扱うんですか?」
「うーん……例えば、アルタイル領の兵団員にのみ販売可能にするとかね。あ、もちろん例外としてユリザリナは全て憶えて良いよ~。護身のためにね」
「いいんですか?!」
まぁ、狙われる可能性が高いことくらいは察していた。だから即従属契約したわけで。
「うん。あ、俺も聞きたいことがあるんだ。紋章術って販売する際にどうするの?」
紋章術は巫術と違い、紋章に触れて術名を唱えれば術は発動する。触れるのは手ではなくとも身体の一部が直接触れていれば部位は何処でも構わない。ただ、布越しとかはNGのようだ。でも、そういったものを持ち歩けば術の発動は遅くなり、戦闘に支障が出るのではないだろうか?
「アミュレットにして販売します」
「どういうこと?」
アミュレット……たしか『御守り』的な意味だったか?
「ご存じの通り、紋章は黒銀鉱の粉を使って描きます。従属契約の紋章はタイガさんの血を使って溶いていましたが、普通の紋章術は粉で直接描きます。ですから、そのままでは大量に粉が必要な上、ちょっとした風で散ってしまう可能性があります。ですので、糊を使って紋章を模写して、粉を定着させます。そして、霊石を融解、再結晶化をして中に紋章を取り込むと、下地にしていた薄木は熱で燃えて紋章だけが残る……その現象を利用してアミュレットを作成します。アミュレットを例えば武器や鎧、アクセサリーに宿らせます」
「そうなんだ。じゃあ、直接身体に刻印する方法はないの?」
「昔はそうした技法があったらしいのですが、身体ごと紋章を奪う輩もいるので、狙われないように見えないところへ紋章を隠し持つのが普通ですね」
……やべ、てっきりゲームみたいに身体に刻印するのかと思った……。
「な、なるほど? まぁ、そうだよね……うん……そうなると大量の霊石が必要になるのか……あれ? 融解と再結晶化って言った? 具体的にどうやるの?」
「えっと、【霊石の融解】という紋章術と【霊石の結晶化】という紋章術を使います」
「あぁ、そういう術があるんだ?」
「紋章師必須の紋章術ですね」
そう言って、アミュレット化した2つの紋章を見せてくれる。アミュレットは直径1センチくらいの綺麗な球形で中に紋章のマークが浮き出ているのが見える。どういった仕組みなのかはわからないが、どういう紋章かは理解した。自分で描ける……しかし、俺ができるということは隠した方が良いかもしれない。
「このアミュレットの穴は?」
中心にかなり細い穴が開いているのを見つける。あまりにも小さいので直ぐには気づかなかった。
「ここによく糸を通して服に縫い付けたりするんですよ。わたしの場合は耳の裏あたりの髪を通して使っています」
「なるほどねぇ……」
確かに耳の後ろなら注意しないと見えないわ。
「理解した。じゃあ、俺の仕事はまずは紋章を用意するところからか」
そう言って、その日は解散。翌日は紋章をデザインした。
「1つの販売アイデアと、いくつか紋章を作ってきた」
「作ったって……え?」
紋章をデザインした次の日の夜。夕飯後に2人で集まって会議。
「紋章の話は長くなるから、先に販売のアイデアについて話して良い?」
「は、はい」
まぁ、作るという発想は普通無いよなぁ。でも、作る能力は別にチートでも何でも無くて、元々あった技術が廃れただけだから、ぶっちゃけ俺じゃなくても可能なんだよね。
「販売する紋章って、今2種類に分けているよね? 一般販売用と兵士・冒険者用と。それを7種類に分ける」
「どういうことですか?」
「一昨日の話から、数多い種類の紋章を取り扱うリスクを減らす手段として、販売リストを2つに分けて販売していたと思うんだけど、それを一般販売用、下級戦闘用、上級戦闘用と通常販売用を3種類に分ける。そして、条件付き販売用として、契約者共通用、班長以上専用、隊長以上専用、団長専用の計7種類に分ける。これなら外部への紋章露出が減ってユリザリナの安全が保障できると思うんだけど」
それを聞いたユリザリナは少し考える。数秒の沈黙の後、
「えっと、そこまで細分化しなくても……」
「ちなみに、契約者共通用以上の紋章術は、全て新作になるよ」
そう告げると、彼女が驚いて硬直する。
「明るくする術、火を付ける術、水を出す術、穴を掘る術、物を斬る術、ガラスを作る術だったよね? 全6種類の一般販売用の紋章。それとは違う一般販売用の紋章を紹介するね」
ユリザリナは期待に目を輝かせて首を縦に振る。
「【植成の宝実】。これは、植物の成長を早めて実を収穫できるサイズまで育てる一般販売用の紋章」
そう言って、1つの紋章を見せる。もちろん、黒銀鉱で描いたものではなく、羊皮紙のような物にインクで描いたもの。
これは俺がコトリンティータと出会った頃に彼女が食料調達で使っていた術……まぁ、彼女はそれをエイロにやらせていたわけだけど。
「デメリットは植物の生長を早めるわけだから、使い過ぎると直ぐ枯れる」
「……なるほど」
この紋章術の使いどころとしては、種の収穫くらいだろうか? あとは緊急で実の生産を早める時とか?
「それと、他にあった紋章術を参考にして作った下級戦闘用紋章術で【薬矢の行射】。これは視界範囲の目標に木属性の矢を放つ。当たった対象は威力が小さいながらもHPを回復させる。そして、抵抗に失敗した目標は眠ってしまう。回復魔法というより、生け捕り用の魔法なんだよね」
……とは言ったものの、実際は回復魔法でもある。ただ、その使い方は一部の仲間にしか使えないだろう。
「あとは上級戦闘用紋章術で【薬球の放撃】。これも視界範囲の目標を中心に行う範囲版【薬矢の行射】。ただし、【薬矢の行射】よりは威力がある。敵味方関係なく範囲内を巻き込むから使いどころが難しいかもだけど、その辺は他の紋章術と一緒だしね」
リストを見た時に【〇矢の行射】と【〇球の放撃】というのを見つけて、それを木属性で構成しなおした紋章術。多分、アストラガルドではオーソドックスな攻撃用精霊術なのかと思って作成した2品だ。
「【薬矢の行射】は普通1本しか放てないけれど、適性があると単体連撃できる。あと【薬球の放撃】は攻撃範囲が広がる。……という要素があるみたい。とりあえずは3つで」
多分アイデアさえあれば凶器にしにくい紋章術は思いついたかもしれない。でも、忙しすぎて思い浮かばないのが現状である。
ただでさえ、怪異達のレベルが上がり、巫術が全部で19個になったので呪文の暗記が大変なんだよ。呪文は決めてしまえば、リストに表示されるが、いちいち確認してから唱えていたら間に合わないことも絶対ある。……公表しているのは6個だけ。残りはいまだ秘密にしている。
「デザイン、写しますね」
そう言って、ユリザリナは俺がデザインした紋章を複写する。
「……それでその……これの発動確認が済みましたら、お代の話になるのですが……おいくらになりますか?」
こちらの顔を見ず、デザインを凝視して写しながら尋ねられる。
「今回のも含め、今後も無料で構わない。その代わり、一部無料労働を承諾してほしい」
しばしの沈黙。
「あのぉ……一部無料とは?」
「従属契約者の兵士には1つだけ無償で提供したい」
彼女はまた少し考えこむ。
「畏まりました。自分も勇者様の従者の1人。タイガ様に奉仕したいと存じます」
「……ありがと。でも、そんな仰々しい言い回しは勘弁してくれ」
「えーっと……では、わかりました。それでタイガ様、この術はどの霊石に対応しているのでしょうか?」
「ん?」
「え?」
ユリザリナの問いの意味がわからず聞き返すが、彼女も俺の問いを理解できないような問い返しをしてくる。……まぁ、試しに……。
「どの霊石も一緒じゃないの?」
「違います!」
……おぅ、知らなかったよ。
「どういう理屈か判明していないんですが、アミュレット化する際に使う霊石は種類が違うと効果が弱かったり発動しなかったりするから、組み合わせは大事ですよ」
「理屈わからないの?」
彼女は首を縦に振る。……まずくない?
「まぁ、概ね推測はできるけれど……」
ユリザリナが持っていた紋章のアミュレットの色を見て、何となく想像はできた。
基本知識として、霊石とはこの世界では宝石的ポジションの高価な石。ただし、装飾品としての価値ではなく、主に電池としての価値として認知されている。だからアミュレットの材料としての価値があることを知ったのも今である。
霊石の正体は精霊の化石のようなもの。ただ、その詳細に関しては明らかになっていないとのこと。霊石はエネルギーが蓄積されていて、主に霊導器と呼ばれるマジックアイテムに使われている。まぁ、ファンタジーのマジックアイテムというよりは電池的な印象の方が強いんだよなぁ。実際見たのは自動で水の溜まる水瓶とか、火の要らないランタンとか。
思えば、そういった道具は霊石と紋章をセットで設置されていることから、同じ原理なのかもしれない。
「推測できるんですか?」
「まぁね。……多分、霊石って色で属性分けされていて、その紋章術に対応した色の霊石を使えば動くと思うよ。例えば、今回の紋章は全て緑色の霊石で動くと思う。実験は必要だけどね」
何故緑色かというと、木の精霊の色が緑色だから。エイロに関してはコトリンティータがレベル4になったこともあり、4頭身の幼女姿になって髪色と瞳色くらいしか緑っぽいところは無いが、クリオネ姿の時は全身緑だったから、木属性は緑色なのだろう。
「なるほど。要実験ということですね……手元に在庫無いですし、まずは霊石の仕入れですね」
通じたっぽい。
「この辺だと何処で仕入れることになる?」
「そうですね……可能であればポルクス領にあるドワーフの里へ向かいたいところですが、普段使われない色の霊石だし、テンプイツに寄ってみて……無ければオカブやタラセドに行っても良いかもです」
……買い付けか。
「オカブやタラセドへは近々向かうことになるから、その時に同行すると良いよ。霊石の売人に心当たりある?」
「はい、馴染みの商人が店をやっています」
本格的な紋章術の販売は霊石を仕入れた後になりそうだ。
「1つ疑問なんだけど、黒銀鉱って使い切った霊石のことでしょ? アミュレット化したとして、その精霊力っていうのかな? エネルギーは尽きないの?」
「紋章術って、紋章に触れて発動させるじゃないですか? 本来であれば発動している間、紋章に触れ続けなければいけないんですよ。ですけど、霊石を使うと発動する時に触れれば、離した後もずっと動き続けます。その動力が霊石と言われているんですよ。でも、アミュレットは常に身体の一部に触れている状態だから、霊石のエネルギーを消費することがないんです。アミュレットに霊石を使用するのは、精霊力を阻害しない素材として利用しているんですよ」
「あー、なるほど。なら、緑色の霊石を沢山買い込んでおいて。多分、現段階で需要は少ないから大きいモノ以外は格安でしょ?」
「そうですね。需要ないですから」
こうして、紋章術の普及の準備が整いつつあった。あとは店と霊石の仕入れだけだ。




