02-1 セレブタス侯爵夫人を救出せよ(前編)Ⅰ(3/5)
街を訪れたエルフ達は2泊3日で一度帰っていった。
その間にエルフ達の宿泊できる施設を建てて……大使館的な役割が果たせれば……とは思っていたが、最終的に礼拝堂として運営することが決定した。
プティライド王国に限らず、アストラガルドの住人は信仰心の篤さには個人差はあれど、全員が精霊信仰である。だが、ヒューム族というのは他の種族と比べて信仰心が薄い。事実、精霊術の恩恵にはあやかっていても精霊に関する話はあまり伝わっていない。
それどころか歴史にも疎く、エルフとヒューム間の出来事すら覚えていないヒュームは多い。それは寿命がなせる業なのか……ともかく、それに貢献できることはないかと考えたエルフ側の提案で、興味のある人に交流のネタとして語り継いでいこうという話になっている。
数日後には受け入れ準備が完了し、俺とコトリンティータで迎えに行っていた。
「さぁ、タイガ様。こちらへ」
リーナレイアさんに俺だけ呼び出され、書庫へと2人で来ていた。この書庫は以前来た時には入っていない書庫だった。
「チナーシャから話は聞きました。【木精の召喚】を使えるようにしたいと……そういうことであれば、こちらで正しい知識を得るのが宜しいかと。普段であれば族長以外の立ち入りを禁ずる場所ではありますが、勇者様であれば話は別……きっと読むことができるでしょう」
……ん? どういう意味だろう??
「それと、1つお願いがございます。どうか、わたしもタイガ様の従者の末席へと加えて頂けませんか? この知識と技術、次世代へと確かに伝え、タイガ様の力となりましょう」
確かに、ニーナレイアさんもレベル表示はある。だが、しかし。
「恐らく、話をチナーシャさんから聞いているのならご存じだとは思いますが、契約には唇同士を重ねなければなりません。……ニーナレイアさんは、平気でしょうか?」
エルフの夫婦……家庭の在り方は俺の常識からかけ離れ過ぎて、誰が夫なのかすら知らない。多分、子供を作ることが重要なのであって、夫婦でいることに重要性は低い人種……というのが俺の認識ではある。……だが、それは俺の思い込み。エルフ同士の婚姻だって愛はある……ってこともありえる。
「平気ですよ。タイガ様こそ平気ですか? ヒューム族から見れば、わたしはかなりの老人ですよ?」
確かに年齢だけを見れば、老人の域を超えている。でも、見た目は30代後半。そして綺麗な容姿。……俺は問題ない。
「問題ありません。むしろ、お力をお借りできて恐縮ですらある」
「良かった。では、タイガ様の気が変わらぬ内に」
そう言って、ニーナレイアさんと従属契約をした後、俺は1人で本を読み漁る。例によって当然ながら持ち出し不可の……多分、禁書扱い。そんなのばかりが収まっている書庫だから。
チナーシャさんから話は聞いていて知識はあると思っていたが、本を読んだことで正しい知識を得ることができた。
【木精の召喚】とは、巫術士によるただの精霊実体化の術ではない。詠唱巫術の場合、精霊に力を借りて、術者が術を放つ。だが、この術の場合は術者がその術を使った結果をイメージして呪文詠唱を省略して術名を言う。すると、精霊は呪文が無くとも術者がイメージした内容を共有していて、意図通りの術を行使する。逆に精霊がイメージした内容も術者と共有する。
また、実体化した精霊は物理攻撃の影響を受け、そのダメージは術者が受ける。逆に精霊が回復行為を受けると、術者が回復する。また、精霊が術を使った場合、コストは術者が支払う。こういったデメリットも存在する。そこから考えられるのは、精霊が術者の身体の一部として実体化するからなのではないか……という結論に達するが、そこには触れられていなかった。
他にも精霊術に関する情報を得て、俺は新たな悪魔的作戦を思いつく。リバティアから帰った翌日から実行に移すべく、夜遅くに男性用牢屋敷にも出向いた。
とりあえず、今回の対象は命を助けると保証したマオリスの配下7人と、死ぬほどの罪ではないと思える人4名だ。
マオリスの配下ではない4人は、元リベルタスの住民である。そして、彼等は何処からか派遣された密偵でもない。ただ、密偵から金を貰い、扇動に協力した人達である。具体的な内容を言えば、偽情報の流布である。……俺に言わせれば、そんな根拠のない情報に踊らされた方が悪い……とは思うが、少なくとも踊らされた側に罪はない。精々自己都合で損をした程度だろう。
だが、この4人は違う。明らかに利益を出している。俺は彼等をそれぞれ別の部屋に呼び出し、1人ずつ対応していく。
「……ということで、密偵を引き受けてくれるのであれば、牢屋敷から釈放して仕事に支障がない範囲の自由を保障するけど、どうする?」
「や、やります。やらせて下さい」
男性用牢屋敷の取調室にて10代後半の気弱そうな男はそういうと頭を下げ、酷い体臭を撒き散らす。まぁ、不衛生な牢屋に男だらけで閉じ込められているのだから、体臭もきつくなるというもの。
彼は元々リベルタスで暮らしていた新婚の農耕師だった。生活に苦しかった彼は家族を養うために大金の誘惑に負け、扇動活動を行うプロ市民として家族のために暗躍した。
彼が特別に珍しいケースというわけではなく、他の3人も同じ事情を抱えた人だ。そもそも、普通に農耕師を営んでいても生活が厳しいだけのシステムが問題だ。その理由も明確で利益の大半を商人が持って行ってしまうからだ。
これまでは、商人が直接農耕師と交渉。安く仕入れて、別の領まで向かって高値で売る。もちろん、商人も丸儲けといった職業ではなく、命の危険はあるし、護衛用に人を雇えば金もかかる。しかし、それでも利益を上げるには、より安く仕入れて、より高く売るしかない。結果、農耕師は安く商品を買い叩かれるわけだ。
単価が高いなら、大量に生産すればいい。しかし、人手を雇えば利益が減る。だから、子供を作って手伝わせるわけだ。……だが、多くの農耕師が生活するために生産量を増やせば供給過多になって、商品が高く売れなくなる。高く売れないなら商人も量を買い取ってくれなくなるという悪循環が完成するわけだ。
更に言えば、子供が増えれば食費も上がる。確かに食料は自分で生産すれば良いと考えるかもしれないが、子供が労働力になるまでは時間も必要。結局、何の解決にもならない。……まぁ、これは仕方ないことなのだが。何を作れば儲かるかなんて、個人の生産者が情報把握できるわけがない。……それらを解決するための農耕師ギルドなんだけどね。
まぁ、彼等には早く罪を償い終えて貰おう。
「これから、制約に同意して貰う。まず1つ目。我々セレブタス家に組みする者に対し、嘘や偽りを言ってはならない。また、我々の指示があるまで密偵を辞めてはならない」
これが彼等の罪に対する刑罰であり服役代わりである。この仕事が達成すれば無事釈放となり、本当の意味で自由の身である。
「2つ目。密偵としての役割が終わるまでは家族と話してはならない。自身の正体を明かしてはならない。そして、密偵の仕事に関して誰にも一生話してはならない」
密偵の仕事は自分の正体を知られることが一番ダメではあるのだが、素人故に命の危機の際には話してしまうかもしれない。そのための釘刺しである。
「最後に、ここで行われる精霊術に関して、使用者、術の内容を含め、一生他言してはならない。……同意できますか?」
「同意します」
ここまでが術を使用するためのプロセスである。
「同意を確認しました。ということで……『巫術詠唱開始 天より墜ちたる黒翼の歌姫 地の底にて光を放つ不撓不屈の魔霊よ 同意に基づきし 誓約に従え……【制約】』」
この前提条件が面倒な精霊術。しかし、とても強力で対象の行動を制限する術である。術を解除されない限り、対象は制約内容を自分の意思で破ることができない。ただ、この精霊術を使用するためには制約内容を対象に示し、同意を得なければならない。
「……これでよし。次はこっち」
逃亡の恐れが無くなったので、拘束を解いて牢屋敷の隣に設置した簡素な浴室へ連れて行き、彼に自分の身体を洗うように指示する。入浴文化の無かった連中なので、洗い方の指導も忘れない。風呂がないと初めて聞いた時は絶望したものである。
「出ました」
男は用意しておいた服を着ている。所謂古着というやつだ。
「うん、体臭は消えたね。ちゃんと石鹸とシャンプーの匂いだ」
石鹸もシャンプーも俺が試しに作ってから、調香師の人にレシピを譲り生産して貰ったものだ。この世界に来る前、ネットで作り方を調べた記憶があったので作り方はすっかり忘れていたが、【検索】にて詳細に表示されていたため、可能となったのだ。ちなみにそれまでは水浴びと香水による消臭をしていると聞いた。
先に身体を綺麗にさせたのには理由がある。これから行う巫術の後で風呂に入るのは流石に可哀想で良心が痛むからだ。これから行うのはそれだけ惨い事である。
「では、この椅子に座って。それと目隠しをさせて貰う」
目隠しの理由はこれから行う巫術によって見えてしまう怪異達を見せないようにするための手段である。椅子に座って貰ったのは耳を塞ぎやすくするため。
「さて、質問。答えなくて良い。イメージするだけ。嘘はバレるからね。……では、正直に自分が無責任に妊娠させたい理想の女性の外見を思い浮かべて」
それだけ言うと、彼の耳を塞ぐ。
「マリアリス!【透視眼】」
彼女が見た彼の心の中、その姿をしっかりと憶える。
「ユーリボン!【操身眼】」
そう命じると、彼の身体が変化する。髪が伸び、髭が消え、乳房が肥大化して……その姿は彼が思い浮かべた理想の女性の姿となっていた。
俺は【魔精の召喚】を解いてから耳を塞いでいた手と目隠しを外す。身体の大きさや太さも変わったことで流石に彼も自分の身体の異変に気づいた。
「こ、これは……!」
そう発した声も女性のもの。声を発した本人が一番驚いている。
「贖罪義務を果たしている間、その姿で過ごして貰います。今の貴方の姿は先程思い浮かべた理想の女性の外見そのもの。生殖器以外ですが」
そう、性別だけは男性のままである。ただし見えてはいないが、大きさは幼児サイズである。去勢しないだけ優しいだろう……多分。
「そ、そんな……」
「罪を償いきった暁には元の姿に戻れます。頑張ってくださいね」
……これが逃走を防ぐ切り札である。こんなみっともない姿のまま逃げようと思う男……特に軽犯罪者はいないだろう。
これで密偵の完成。似たような境遇の軽犯罪者をあと3人同じように繰り返し、4人の密偵を各町に送る。この方々はしっかり働いて貰ったことを確認した後、ミッションが達成した時にでも元に戻してあげて家族と会わせた後に領外への追放が妥当な処分だろう。……この世界の常識通りに殺処分するほどのことでは絶対ない。
探って貰う内容は、町の様子、噂話、最近の卿爵の行動の最低でも4点だ。もちろん、もっと有益な情報が得られれば評価することもあるが、元々善人で密偵としての訓練も受けていない魔が差してしまっただけの素人。多くを望むのは酷だし、命の危険が全くないわけではない。効率良く動くことも期待していないので、無事に最低4点の情報を得て無事に帰って来てくれれば、それで良いと思っている。
なお、マオリスの配下の男性7人は同じく【制約】の精霊術をかけた上で容姿を変えさせ、地方巡察官として領内を巡回警備して貰うことになった。なお、この7人は密偵の4人より罪が重いので、暫くの間、元の姿に戻れることはない。
これで、密偵と手紙を送り届ける護衛の準備が完了した。11人には騎士爵夫人の手紙を携えて各町へと出発して貰った。返事が届き次第動き始める。日中の面接も残り僅か。その中に求めていた人材を発掘した。
「……簡単な審査を行います。まずはお名前と転入希望の動機を教えてください」
何度も言ってきたお約束の台詞を言う。
「ハルチーヤ=フォーネハレスです。これまで冒険者をしてきたのですが、商人になろうと思って勉強のために来ました」
まぁ、この時点で違和感だらけなのだが、彼女が本心から言っているのは知っていた。
「なるほど。しかし、リベルタスの現状をご存知ですか? 正直、勉強しようにも街に商人はいませんよ?」
「存じています。だから来ました。大商人が幅を利かせている街では商人として大成するのは難しい。商人は人脈が命です。その人脈を既に掌握されている場所では厳しいでしょう。本来であれば、小さな村に商店を開き、街の発展に貢献するのがセオリーです。ですが、噂でこの街のことを聞いて、チャンスだと思ってきた次第です」
……なるほど。商人のことは詳しくわからないが、彼女の言っていることは理解できる。しかも、冒険者経験があるのもポイントが高い。レベル持ちで戦闘向きのステータス。瞬間的に彼女を買い付けや行商を目的とした理想の商人として育成することを決めた。他にも商才のあるレベル持ちを見つけては許可し、彼女に雇わせようと目論んだ。




