04.西の国ガルブからの帰還
ポーン。
到着を知らせる音がして、目を開く。
気が付くと、私はエレベーターの中に立っていた。
階数表示画面は1階。
そして、扉が開いた。
そこは、ただのエレベーターホールだった。
目の前にはサラリーマン風の男性が2人いて、私が降りるのを待っている。
目が合ったので、互いに軽い会釈だけして入れ違う。
ややあって、男性二人を乗せたエレベーターの扉が閉まった。
なんとなく行先階を確認して─ 普通に5階で止まったようだ。
私は無言のままオフィスビルから出た。
天気の良い日曜日の午後。
見慣れたコンビニや行き交う自動車。
コンクリートの道。
信号待ちでスマホを見る女の子の姿。
それを目にして、やっと頭が状況を理解した。
「……ただいま。」
私は、ぼう然とした気持ちで呟いた。
帰り道があっという間すぎて、なかなか思考が追いつかなかった。
ていうか、まだ浮き足立ってる。
このまま家に帰っても落ち着かないと思った私は、とりあえず駅前のカフェに入ることにした。
「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」
こっちの世界では当たり前のカフェの風景が、やけに懐かしい。
そこでコーヒーと、そういえば昼食を食べていないと思って和風ペペロンチーノも頼んだ。
なんか、海外旅行から帰ってきた気分。
運良く空いていた壁際のカウンター席に座って、まずはスマホを確認する。
あっちでは無かった電波が接続されて、日時もちゃんと進んでいた。
私、本当に異世界に行って帰って来たんだ。
あんなに濃厚な旅だったのに、一瞬で遠い思い出みたい。
森の中のロマンチックな宿で過ごしたのも、ゴシックなお城で豪華な料理を食べたのも、嘘のようで。
魔物園での恐怖体験も、それこそ悪い夢を見ていた気分だ。
「あ。」
そう言えば。
宿の奥さんが描いた朝食のお品書きを、記念に持ち帰ってたんだ。
帰り用の羊皮紙をはさんでたクリアファイルに大事にしまってたんだけど⋯何これ。
文字が、四角や三角みたいな記号になってる。
あっちの世界では普通に読めたのに、なんで。
⋯いや、待てよ。
思い返せば、あっちでも文字はこんな形だったかも。
なぜか普通に読めてたからスルーしてたけど。
それで言うと、あっちで話してた言葉って日本語じゃなかったような。
聞いた事もない音で会話してて、なのに全然気にならなかった。
え、それってどういうこと。
スマホのカメラロールを開いて、写真も確認してみる。
旧魔王城の外観や魔物園での写真はちゃんと残っているが、写っている文字はどれも記号みたいだ。
ていうか、魔物園の顔はめパネルの写真おもろすぎる。
やば、お姉ちゃんに送ろ。
─ 帰宅後、文字や言葉の件は「不思議なこともあるもんだ。」で自己完結した。
言葉の壁がないのは普通にありがたいことだし。
メッセージアプリにガルブ旅行の写真を何枚か添付して、『異世界に旅行いってきた。』と姉に送信する。
メッセージはすぐに既読になって、姉から返事が来た。
『童貞同様、処女も30歳まで貫くと魔法使いになれるんですね。おめでとう。』
『添付写真はまっくろで見えん。』
『ふざけとらんで、早く彼氏でも見つけてきな。』
怒涛の嫌味である。
ていうか、写真が見れないとはこれ如何に。
私の方ではちゃんと見られるんだけど、アプリの不調だろうか。
試しにもう一度、写真と、今度はマルチバース.comのURLも送った。
またも即レスしてきた姉は、やっぱり写真はまっくろでサイトも開けないと言う。
『ページが見つかりませんって出るよ。』
『姉ちゃんのスマホ、調子悪い?』
『こっちのせいじゃない。アンタの頭が悪い。』
以上。
姉とのやりとりは、取り付く島がなく終了した。
サイトだって私の方ではちゃんと開くのに、なんで。
姉のスマホが悪い説を唱えて、今度は私の数少ない友人である葉子と優美にもメッセージを送った。
以下、2人からの返信である。
『夢の中ではどこにだって行けるからね。お疲れ。』
『ついに妄想と現実の区別まで失ったんだ。お疲れ。』
やっぱり写真もサイトも2人には見れないようだった。
この体験を誰にも共有できないなんて、もどかしい。
私以外にもマルチバース.comを利用してる人がいたら、話もできるのかな。
だけど、これじゃSNSで発信するのも無理だ。
冷静に考えたら、写真が見れても、今どき加工だとかAI生成だとか言われそうだな。
大真面目に語ったところで、創作か妄言と思われるのがオチだろうし。
私はコーヒーをひと口飲んで、ため息を吐いた。
「まぁ、いっか。」
幸い、ひとりで楽しむ事には慣れてるもんで。
旅の思い出は日記にでも書いて、自分で読み返して楽しもう。
ただ、今後もマルチバース.comを利用するかは少し時間を置いて考えるつもり。
魔物園でビビり散らかした傷が薄れるまでは、とりあえず。
何かあったらマジでやばいし。
しばらくは、こっちの世界で大人しく過ごします。
「お客様、コーヒーのおかわりはよろしいですか?」
気が付けば、結構な時間カフェで考え込んでいたみたい。
おかげで頭の中は落ち着いたけど、体にどっと旅疲れが。
私はおかわりを断って、伝票を手に席を立った。
めちゃくちゃ嫌だが、明日は月曜日。仕事だ。
さっさと帰って、風呂に入って、洗濯機回して。
「あとは⋯⋯ハイボール飲んで、寝よ。」
それじゃ、また縁が繋がる日まで。
お疲れ様でした。
2023.09.17