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01.独身30歳


みなさま、本日もお疲れ様です。

近頃は、川辺の桜並木もすっかり春の粧いですね。


わたくし雨宮 市子は、先日30歳になりました。


とか、時節の挨拶をしている場合ではない。

30歳になったと言うことは、つまり私の彼氏いない歴も30年に更新されたということだ。


「良い縁があれば。」と気取ってきたものの、いま現在マッチングアプリの結果は連敗中。

ここまで守った女の操を無碍に捨てたくはないが、生涯守り通す気もさらさらない。


周りは結婚だ出産だ昇進だってステップアップしていく中で、私はひとり、会社とアパートを往復する日々。


新卒で入った会社にぶら下がって、相も変わらず営業事務をやっている。

給料だって上がんないし、役職も肩書きもない万年平社員だ。


ひとり暮らしのアパートに帰ったって、スーパーの値引き惣菜を食べて、あとは寝るだけ。

趣味らしい趣味もなく、缶チューハイ片手にアプリゲームか動画視聴がせいぜいである。


こんな私を一体どこの神様仏様が憐れんでくれたのか。

転機は突然、私の元に訪れたのだ。



そもそもの始まりは、数ヶ月前の日曜日。

ご多分に漏れず、私はだらだら布団に寝転がって動画投稿サイトを見ていた。

そしたら、トップページのおすすめに『30代独身OL ビジホで酒を飲む』ってサムネが上がってきたの。

その時点でもう「絶対共感しかないわ。」って確信して、迷わず動画を再生した。



『お疲れ様です!やっと仕事が終わりました!』



退勤風景から始まって、映像は駅構内を歩く足元のパンプスが映される。

投稿者の顔出しやナレーションはない。

フリー素材の軽快なBGMと、ひとりごとみたいな字幕がテンポ良く流れていく。


平日の仕事終わり。

夕飯を食べに、チェーンの焼き鳥屋でおひとり様。

そのあとはコンビニで缶チューハイとスナック菓子を買って、予約したビジネスホテルへ直行する。

お部屋の中やアメニティ、ホテルの設備なんかをざっと紹介してから部屋飲みを始める投稿者。

最近の悩みや会社の愚痴なんかを語る字幕と共に、お酒をあおる様子が映される。

そして翌朝。ホテルの朝食を食べて、チェックアウト。

重い腰を上げて出勤して行くところで動画は終わった。



「最高じゃん。」



その一言に尽きる。

その後、私は関連動画を見漁った。


平日は通勤圏内のビジネスホテルで、休日は足を伸ばしてひとり旅。

誰に気兼ねする事もない。

自由で、ちょっと孤独な旅が私に刺さり過ぎる。


そのうちに、自分でもホテルの予約サイトなんて開いたりして。

直近の空室状況とかも見たりして。

最寄り駅からの通勤時間を検索したりなんかして。


翌週には、ビジネスホテルでコンビニ飯と缶ビールを煽る私がいた。



「マジで最高じゃん。」



それからは、仕事と自宅の往復生活に少しだけ光が差し始めた。

はじめのうちは退勤後にビジホ飲みをするだけだったのが、今では休日に特急電車に乗って遠出をするまでに成長した。

まぁ、最終目的はホテルに籠ってひとり呑みをする事だから、陰ではあるんだけど。



で、ここからが本題。



ホテル探しはいつも、ベタに大手の旅行サイトを使ってた。

それでも全然問題はないんだけど、なにぶん薄給OLなもんでね。

他にもっと安く予約できるサイトはないかって探してたんだよね。



それで、見つけた。

『マルチバース.com』って旅行サイト。



トップページは何の変哲もないデザインだった。

旅の日程や目的地を入力すれば宿泊先を検索できる、よくある仕様だ。

ただ、宿泊人数の選択はなく『1名一室』で固定されていた。



「繋がっていないようで、繋がっている⋯?」



サイトの上部分には、そう書かれてあった。

マルチバース.comのコピーなのかな。いやに含みのある文言だけど。


とりあえず検索してみることにして、日程は『未定』を選択。

目的地も適当に選ぼうとプルダウンに出てきた候補を見て、私の目は点になった。


メリーディエース領群島?タナトレー公国?根の国?


どこまでスクロールすれど、聞いた事がない場所のオンパレード。


あれ、これって海外旅行サイトだったかな。


そう思いつつ、一番上に出てきた『西の国 ガルブ』をタップしてみると、検索結果が三件表示された。



『人気観光地 旧魔王城や魔物園から徒歩圏内!』

『死の森からは馬車で一時間!なので、瘴気の心配がありません!』



これは、何かのマンガやアニメの企画サイトなのだろうか。

海外の観光地なんて全く知らないけど、そういう次元じゃない気がする。

だって、魔王だの魔物だのって、まるで異世界系の物話みたいじゃない。


私はトップページに戻って、サイトの隅々まで確認した。

どこかに『なんたら製作委員会』とか『このサイトはフィクションです。』みたいな文言があると思ったのよ。


なのに、ない。


全てが至って大真面目。

まるで当たり前みたいに旅行サイトを気取っている。


私はもう一度、西の国ガルブの検索結果ページに戻った。

とりあえず人気順で評価の高い宿をタップしてみる。



─ 宿屋『夜』

旧魔王城から徒歩5分の好立地。

宿屋のご主人は、魔王討伐隊の元弓兵隊長だから魔物の出現にも安心。

ガルブ産の魔草をふんだんに使った、奥様特製の朝ごはんもお楽しみ下さい。─



宿屋の外観や客室、朝食例の画像を見ると、現実味がぐっと色を帯びてくる。

冗談の通じなさそうな厳つい顔のご主人と、柔らかい笑みを浮かべる奥様が並んでいる画像まであった。


興味本位で詳細情報をタップすると、宿の概要やアメニティ情報の他に『異なるユニバースのお客様』という項目があった。

内容は、アクセス方法と注意事項についての記載だ。


「アクセス方法は⋯お客様の御自宅の最寄り指定ビルにて、エレベーターを手順通りに昇降する?」


なんだそれは。説明になってない。

どこどこ駅の何番出口を出るとか、何か目印になる建物があるとか、そういうのが欲しいんだが。


「注意事項⋯、死の森周辺は強い瘴気が漂っておりますので、立ち入りは御遠慮ください。

旧魔王城周辺にも微量の瘴気が残っておりますので、死にたい気分の方や心が弱っている方は自己責任でお願い致します。」


怖っわ。

瘴気が何かは知らんが、ロクなもんじゃないのは分かる。

魔物の出現の記述もあったし、どうも安全とは言い難い土地だ。

魔草の朝食にしても、画像は美味しそうだけど、異世界人が口にして平気なのか疑問もある。



さて。ここまでで、私は一笑に付してサイトを閉じた。

こんな旅行サイト、真に受ける人なんているわけない。


それは本当に、心の底から思った。


思ったんだけど、何でだろう。


気が付いたら、翌週の土日で宿屋「夜」の宿泊予約をポチッていた。


名前や住所はおろか、クレジットカード情報まで入れちゃって。

悪徳サイトだったら架空請求待ったなしだよね。

いや、でもさ。

犯罪に使うにしては、サイトの作りが凝りすぎてる気もして。

こんなサイト作れるなら、アンタ真っ当な仕事で食っていけるよって言ってあげたい。その犯罪者に。


嗚呼、こんな怪しいサイトに個人情報入れたってバレたら、母さんと姉ちゃんから普通に怒られるんだろうな。

その時は、甘んじて説教を受け入れるしかないか。



「ご予約ありがとうございます。

マルチバース.comより旅のしおりが届きますので、ご確認ください。」



どうか悪徳サイトではありませんように。

そう祈りながら、予約完了の画面へ遷移した瞬間だった。


私の部屋のドアポストから、コトンと乾いた音がしたのは。


時刻は23時。

こんな時間に、誰が、何を、投函したのか。


恐る恐る玄関に近付いた私は、ポストを確認して目を疑った。


中には、象牙色をした封筒があった。

黒の封蝋で閉じられていて、わりと重みがある。


そして、表には()()()()()().()c()o()m()の文字が整然と並んでいた。



「えっ、えっ、はっ?」


封筒を手に右往左往するも、共有できる相手はいない。

早すぎる。いや、早すぎるとかじゃない。常識じゃ考えられないレベルの話だ。


私はリビングに戻って、もう一度スマホの予約完了画面を見て、それから封筒を見た。



「これが、旅のしおりなの⋯?」


恐る恐る封蝋をめくって、中身を検める。

案の定、中には予約内容の詳細を記した紙と周辺観光地の案内。

それと、西の国ガルブへの行き方について書かれた手引書が入っていた。



「3階に昇って、1階に降りる。そのまま8階に昇って、また3階に降りる⋯はぁ?」



指定のビルは、うちから一駅先にあるオフィスビルだった。

そこのエレベーターを何度も昇り降りして、最後に最上階まで昇る。

すると、扉が開いた先に宿屋の入口が見えるらしい。

複雑だし、こんな奇行を繰り返して警備員さんに注意されたら恥ずかしくて心が折れる。

しかし、西の国ガルブへの行き方はこれしかないっぽい。

だって、他に記載がないし。


じゃあ、反対に帰り方はどうなのか。



─ 旅先へは、弊社からお送りした羊皮紙を必ずお持ち下さい。

羊皮紙には六芒星が描かれております。

お帰りの際は、六芒星に手の平をあてて『飽きた。』と唱えますと、元の世界にお帰り頂けます。─



同封されていた厚みのある紙が、羊皮紙らしい。

確かに紙の真ん中には赤黒いインクで、星のマークが描かれている。



「いや、帰り方簡単すぎん?」


ひとり言にしては、でかい声を出してしまった。

でもさ、行き方と帰り方の難易度の格差よ。

行きも紙一枚で済むようにできないもんなのかな。



さぁ、突然ですが質問です。

ここまで理解した上で、皆様ならどうしますか?


普通なら先払いの代金は勉強代と諦めて、旅行を中止します。

その方が、賢明な判断ですよね。


わかります。

わかってるんですよ、本当。


私も30歳なんで、夢と現実の区別はつきますんで。



でもね、どうしてかな。



気が付いたら、私、指定ビルの前まで来てたんですよ。











2023.09.16

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