私を救う……? あなたは何を言っているの?
「これはなんですの?」
私――スザンナ・コール・ジェンキンソンの目の前には、信じられない光景が広がっていた。
場所は、国王主催の社交界。私が服を召し替えている間に、いったい何があったというのか。
「スザンナ! よく来てくれた!」
「えっと……」
会場で唯一明るい顔で私を出迎えたのは、この国の第四王子であるミハイル・アライル・ランフランクである。
そして、その王子の目の前には私の旦那様――ジェファーソン・ライル・ジェンキンソンが膝をついて平伏していた。
ホントどういう事?
「ちょうどよかった。今、この男を断罪していたのだ」
「断罪……」
「そうだ。君を蔑ろにし、およそ紳士にあるまじき行為を行ったとしてな!」
……ホントどういう事?
「あの、仰る意味が……」
「ああ、可哀想なスザンナ。すっかり心を閉ざしてしまったんだね。だが安心してくれ。この私が、君の安全を保障しよう」
「いや説明を……」
周りを見ても、私の欲しい答えは得られなかった。みんな目を逸らすか、自分にも分からないとばかりに首を振るのみだ。
「まあ、皆に聞いてもらうついでに、この男の悪事を明白にしておくのもよかろう」
あ、良かった説明してくれるっぽい。
でも、悪事?
「この男――ジェファーソン・ライル・ジェンキンソンは、そこの妻であるスザンナに酷い暴力行為を働いていたのだ!!」
「はぁ?」
「今更取り繕わなくてもよい、スザンナ。君はこのミハイル・アライル・ランフランクの庇護下にあるのだから」
芝居がかった口調と、大げさな身振り手振り。さらにウインクまでよこす。
正直寒気がした。
「この男は、スザンナに夜会に出る事を禁じ、外出の際は厳しい見張りまでつけていた。さらには交友関係にまで口を出し、なんと手紙まで検閲する徹底ぶりだ。およそ貴族のする事ではない。まるで男に縋りつく娼婦のように意地汚く、おとぎ話に伝えられる魔女のように狡猾だ。その事を知った私は心を痛め、必ずスザンナを救うと約束したのだ!」
高らかに宣言する。きっと、彼自身の中では英雄に他ならない。しかし、自らに酔うあまり、周りの様子にまでは気が付かないようだった。
むけられる目は、一つの例外もなく奇異のものだ。
ああ、また王子の悪い癖が始まった。
全員の感情が、間違いなく一致した。
第四王子は、非常に整った顔立ちをしている。何も言わずにいるだけで腰砕けになる使用人がいるほどであり、その事に異を唱える者はこの国のどこにもいない。
武術も並の兵士では相手にならず、勉学の成績も優秀。特に語学は堪能で、実に五か国の言葉を自らの言語と同等に話す事ができる。
しかし、たった一つだけ大きな問題を抱えていた。
「あなたはアホですか?」
頭が悪いのだ。
決して知力が低いわけでもなく、記憶力も良好。しかし、その言動は致命的にアホだった。
「す、スザンナ?」
「女性の名前を気安く呼ばないでください。私を呼ぶ時は、ジェンキンソン夫人と」
気持ちが悪い。気持ちが悪い。何が一番気持ちが悪いって、別に親しいわけでもないのに馴れ馴れしく話しかけてくるところだ。いったい何が悲しくて、私の愛おしい人を虐げる人間なんかと仲良くならなくてはならないのか。
「夜会への出席を控えたのは私自身の意思ですわ。最近ストーカー行為に悩まされていて、夜会のたびに持ち物がなくなるのです。外出時の人員も見張りではなく護衛。それを悪く言うなんて、この私が許しません」
「な、なに!? ストーカーだって! なぜこの私に相談してくれなかったんだ!!」
「なんで殿下に相談しなくてはならないのですか。私には守ってくれる相手がいるというのに」
自分で言うのもなんだが、私とジェファーソンは結婚してから一年の間、仲睦まじく暮らしている。誰に指図されるいわれもない。
だというのに、最近になってちょっかいを出してくるようになったのがこのアホ王子である。
ジェファーソンに高圧的な態度を取り、対照的に私には過度に甘い言葉を吐く。どれほどおだてられようとも、配偶者を馬鹿にされて喜ぶはずがないというのに。挙句の果てに、この始末である。馬鹿にされているとしか思えない事態に、私のはらわたは沸騰寸前である。
「馬鹿にしていますわ! そもそも、私の物を盗んでいるのは殿下ではありませんか!!」
「ええ!? な、何かの誤解だ!!」
「誤解なものですか! 私の着替えた物から、手袋を持ち去ったでしょう!」
「私へのプレゼントだったのでは!?」
「指輪もなくなった事がありますわ!」
「二人の愛の記念にくれたものかと!」
「ジェファーソンと食べるつもりだった有名店のお菓子とお茶も失くなっていました!」
「私のために用意した物ではないのか!?」
会場がざわめく。
特に女性からは非難の目が向けられている。しかし、殿下はその事に気が付いていないようだった。
「分かった! 脅されておるのだな! この男の事だ、狡猾にも君を……」
「ジェファーソン様!」
もはや話す時間がもったいなく、私はジェファーソンへと走り寄る。もうこれ以上、地に伏せる彼を見ていられなかったのだ。
「なぜこのような事に……」
「分からん。急に殿下に突き飛ばされ、いったい何かと思っているうちに糾弾されたのだ」
分からない。それはそうだろう。殿下の言葉は、曲解に曲解を重ねた上で都合のいい解釈を加えた妄想である。殿下個人の妄想が、私たちに覚えがあるわけがないのだ。
「スザンナ! 君は騙されている!」
「お黙りなさい! 前々から気持ち悪いと思っていても王族だからと黙っていましたが、それ以上何か要らぬ事を言うといよいよもって許しませんよ!」
私とジェファーソンの結婚は、幸せなものだった。政略結婚ではあるものの、彼は私を大切にしてくれたからだ。私の悩みといえば、もっぱら屋敷の外にある。特に、近頃馴れ馴れしく話しかけてくる王子などは最悪である。
とある夜会で初めて顔を合わせてから、不運にも私は気に入られたらしい。何かあるごとに声をかけられ、許可をした覚えもないのに名前で呼ばれる始末。屋敷には連日届け物がされ、それには手紙が添えられていた。下手な詩をいくつも書き連ねた、恐らくは恋文のつもりだろう代物だ。
私が避けようと思っても、それは仕方のない事だろう。なにせ、あまりに気持ちが悪かったのだから。
しかし、その対応はよくなかったのかもしれない。まさかこんな事になるとは思っていなかったとはいえ、頭の悪い王子が逆切れをして直接的な手段に出てくるとは。
「この事は父にも報告させてもらう!」
「すればいいでしょうが!!」
「むしろこちらから報告させていただく」
「貴様は黙っていろ!!」
いやてめえが黙ってろよ!
口には出さない。それは、淑女にあるまじき言葉遣いだからだ。
でも正直言ってしまいたい! 口汚く罵倒してやりたい!
「君を必ず救って見せよう! きっと、その男におかしな魔術をかけられているのだ!」
「何をわけのわからん事を……!!」
「スザンナ、待て」
「でもジェファーソン様!」
「よいのだ。もうよい」
「……?」
ジェファーソン様の視線は、私でもミハイル殿下でもないところに向いていた。
具体的には、ミハイル殿下の背後。つられて、私もその方向を見た。
ああ、なるほど。
「ミハイル! 貴様何をしている!」
「はあ!? に、にいさん!?」
そこにいたのは、第二王子、エリオット・アライル・ランフランクだった。
「お前がおかしな事をしていると聞いてきてみれば……。これはいったいどういう事だ。何故、我が国随一の忠臣がそこに跪いている!!」
「兄さん、これには訳が……」
「兄上と呼べ馬鹿者! いつまで子供のつもりだ!」
先ほどまで横暴な態度を見せていたミハイルは見る影もない。そこには激怒する兄に怯える弟がおり、恐らくその弟が再び先ほどのような態度をとる事はできないだろう。
ミハイルの行動は、誰がどう見ても異様なものだ。王族に話が行くだけでこうなることは明白である。ならば、この場を収める最善の手段は誰の目にも明らかだ。ただ目を配るだけでも、私の意図を察する事は容易かったろう。
エリオット殿下に遅れて夜会の会場に入った使用人が、私の後ろに追従した。この会場に入る時は確かにいた女性であり、ミハイルが話している途中でさりげなくこの場を離れた女性である。
「よくも思い込みだけでここまでの事が出来たものだ! この事は兄上や陛下にも報告させてもらう!」
「ま、待ってくれ、に、兄上! 父さんにだけは……!」
「国王陛下と呼ばないか!!」
この後の始末は、わざわざ私とジェファーソン様が関わるまでもなかった。
陛下は厳しくも寛大な判断をなされ、ミハイルはその地位を剥奪される事となる。その後はどこかの田舎領地で一生を過ごす事となり、子をなす事すら許されない生活を言い渡されたそうだ。
この事件の翌年、私とジェファーソンの間に一つの命を授かる。
もう二度と、私たちの関係にケチをつけるような不埒者が現れなかった事の表れである。