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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
3,孤独な言葉のために
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とまどうペンギン(1)

 春休みのダンス部の合宿から帰ってきて、そのお土産話をしている夕食の席で、柚子は、母と姉から、ちょっとしたお願い事をされた。詩乃のことだった。柚子は、母と姉には、詩乃のことを特別隠してはいなかった。


 柚子は、姉には何度か詩乃のことで相談も持ちかけていた。柚子の十個年上の姉は、柚子にとっては単なる姉というより、もう一人の母親的な存在であり、また、人生の先輩である。姉の助言は、柚子にはいつも役に立っていた。そして姉経由で、詩乃の話は、母にも伝わっていた。


 二人から「会ってみたい」と言われて、柚子は、気恥ずかしくもあったが、しかし、柚子も柚子で、そろそろ水上君を家に招きたいな、と秘かに思っていた。「今度連れてくるね」と、柚子は返事をして、そうして新年度に突入した。





 三年生に上がり、柚子と詩乃は、別々のクラスになった。柚子はA組、詩乃はE組。柚子は三年連続のA組で、しかも紗枝とも三度同じクラスとなった。A組の級長は柚子、副級長は紗枝という盤石な布陣は、まさにこの代のA組の集大成の様だった。A組の生徒たちは、新しいクラスの話題が他の組の生徒との間で上がった時には必ず、新見柚子の名前を出した。「A組いいなぁ、新見さんいるんだろ?」と、男子生徒は露骨にそんなことを言っていた。


 そんな、ちょっとした学内のアイドル新見柚子に彼氏がいることは、案外知られていなかった。一時は学内ゴシップを最も賑わわせたせたカップリングだったが、時間の経過とともに、その話題も皆の口に上らなくなった。というのも、多くの生徒は、「もう別れたでしょ」と思うようになっていたからだった。


 まだ詩乃の短編を載せた本は本屋に並んでいるのだが、文芸部という地味で暗いイメージは、それくらいでは払しょくされず、そのイメージの影響を受けて、新見さんの彼氏は暗くて地味な男子だ、と多くの生徒は相変わらず認識していた。そんなつまらない男とは、さすがにもう別れただろうと、皆勝手に思っていた。おまけに詩乃は友達が少ない――というよりもいないので、詩乃の存在はいつまで経っても薄いままだった。


 ところがE組には、詩乃に一方的に親近感を抱く女子生徒がいた。


「隣座るね」


 三年生になると席は毎日自由席。


 クラスの最初の授業前、詩乃の隣にその生徒はやってきた。


 雨森千代――ダンス部の副部長で、柚子の親友である。詩乃も一度だけ話したことがあったが、詩乃にとっては、別段親しい友人というわけではない。とはいえ、新見さんの親友なので、ぞんざいに扱ってはいけない人間である、ということは詩乃も弁えていた。


「どうぞ」


 詩乃は、千代に返事をした。


「水上君、〈特別選択コース〉なんだって?」


 早速、千代は詩乃に話しかけた。


 千代は、詩乃を赤の他人とは思っていなかった。これまで話したのはたった一度だけだったが、詩乃のことは、柚子から色々と聞いている。何を考えているのかよくわからない男の子だけれど、あの柚子が心を開いている唯一の男子である。そして千代には、何となくその理由がわかるような気がしていた。


「新見さんから聞いたの?」


「うん。――あ、聞いちゃマズかった?」


「いや、全然」


 それならよかった、と千代は詩乃に笑顔を向ける。千代が詩乃と話していると、二人の席の近くにも、千代と仲が良かったり、何となく千代や詩乃に興味のある生徒がやってきて、席に着いた。


 三年生になると、授業自体も大学のような選択制になり、一日六時間の授業のうち、一時間目と六時間目は必修でクラスの教室を使うが、二時間目から五時間目までは、各生徒教室を移動して、自分の選択科目の授業に出る。林間学校もなく、体育祭も文化祭も、クラス単位で動くことが、一、二年生時よりも随分少なくなる。その上、詩乃は〈私立理系入試コース〉だとか、〈国立大入試コース〉だとかの主要コースではなく、一芸入試で入った生徒が主に選べる〈特別選択コース〉をとっているため、クラスメイトと一緒の授業、ということはほとんどなく、従って、教室での必修科目の授業でも、誰かに話しかけられることはないはずだった。詩乃にとっては、かえってそのほうが気が楽で良かった。


 ところが、千代の影響で、詩乃のその目算は大きく外れてしまった。


 詩乃が文芸部であること、懸賞を取って、その本が今出版されているということ、そして、新見柚子の彼氏だということ――詩乃の席の近くに座った生徒に、千代がそんな紹介をした。柚子の彼氏、という情報には、皆が食いついた。


 にんまりと笑う千代の笑顔を、詩乃は、余計なことをと思い、恨めし気に見つめた。

 それでも、詩乃がその場を離れなかったのは、千代のそういう行動が、善意によってなされているような気がしたからだった。





 文芸部にも大きな変化があった。


 新入部員が五人も入ってきたのだ。二年生が二人、一年生が三人。人数が増え、文芸部が予算の面でもしっかり〈部〉として生徒会から活動費を取れるようになった。もちろん、人数が増えただけで無条件にそれがもらえるわけではない。週三回以上の活動と、部誌の刊行のような活動実績を生徒会に約束する必要があった。文芸部の場合は、去年の活動実績もあり、部誌に関しての信用は書面だけで勝ち取れた。


 週三回の活動は、月曜、水曜、金曜と定めた。正直な所詩乃は、文を書くのにわざわざ集まる必要はないだろうと思っていた。活動日程なんていうものを決めること自体、詩乃にとってはナンセンスなことだった。文芸に必要な〈活動〉は、何も既定の曜日に規定の時間だけ部室に籠ることではない。創作活動の必要に迫られて、結果的に、去年は部室に籠ることが多かった、それだけのことである。別にそれが、部室である必要も、昼食時や放課後である必要もない。活動日なんていう考えは、いかにも会社的で、詩乃は嫌いだった。第三者が評価をするためのシステムで、内面のことは考慮しない。その内面こそが、文芸で最も大事なことだというのに。


 しかし、そうは言っても、背に腹は代えられない。詩乃にとっての腹は、実は部費ではなく、神原教諭の面子だった。文芸部が部としてしっかり認められるようになれば、きっと、校内での神原先生の評価も上がることだろう。それくらいの恩返しはしなきゃいけないと、詩乃は思っていた。部費は、そのおまけのようなものだった。


 四月十日に学校が始まり、最初の数日は、多くの生徒にとってはあっという間に過ぎていった。それは、柚子と詩乃も例外ではなかった。文芸部にもダンス部にも新入生が入り、二人はそれぞれ、部の先輩としての仕事に追われた。三年生は授業も、二年生までとは違いコース選択制になるので、教室移動や時間割の把握など、一日の流れを掴むのにも最初は苦労する。


 詩乃と柚子の間でこっそりずっと続いていた、週に二度か三度の昼食会も、その会場である文芸部の部室のリフォームのせいで、その間は中止になっていた。文芸部には新入生が五人も入ってくるので、部員の数だけの机と椅子を確保する必要があった。教室で使っている机と椅子のセットならすぐに用意できたが、そこは詩乃の凝り性が発揮されてしまい、執筆に適した机を学校の中から探してきて、それを文芸部で使わせてもらえるように教師と交渉するのに、時間がかかった。


その傍ら、詩乃は、柚子と二人で、誰にも邪魔されずに昼が食べられる他の場所も一応探していた。しかし意外と人目の全くない場所はなく、詩乃は泣く泣く、柚子との食事を諦めた。柚子の方は、二人でいるところを見られることには何の抵抗もなかったが、詩乃が人目を嫌うのを知っていたので、柚子は詩乃に合わせて、昼食会は部室のリフォームが終わるまでの辛抱と、我慢をすることにしていた。


 そうしてやっと、詩乃による文芸部部室のリフォームが終わり、二人の昼食会が再開されたのは、学校が始まって一週間と一日後の昼休みだった。

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