黒耀石の真実(2)
「同窓会、今日なんだよね」
「う、うん……」
千代が応えると、柚子は、スマホで、件のお好み焼き屋のホームページを開き、その予約状況を確認した。
午後六時から八時で、二階の座敷席の予約が埋まっている。
千代は、柚子のスマホを覗き込んで柚子が何を調べているのか確認した。千代は、まさか、と思って柚子の顔を覗き込んだ。
「え、柚子、行く気?」
「ダメかな?」
千代は首をかしげて考えた。
それはいくらなんでもどうだろうと、最初千代はそう思ったが、少し考えると、それは最高に良いアイデアのような気がしてきた。しかし、それをするには、いくつかの悪い可能性と、それを承知のうえでやる覚悟が必要だ。
「ダメじゃないと思うけど、柚子、いいの?」
「うん」
柚子は頷いた。
「放っておけない。水上君、返してもらう」
柚子の答えに迷いはなかった。
千代は柚子の言葉を聞いた瞬間、柚子のために溜めていた鬱憤が一挙にはじけ飛んでいくような、スカっとした気持ちになった。
同窓会に乗り込み、彼氏を性悪女の手から奪い返す。それは、まさに女の戦いだと千代は思った。しかも柚子が――普段は決して、その「美」を振りかざすことのない柚子が、臨戦態勢に入ろうとしている。
「ちーちゃん、手伝ってもらっていい?」
「もちろん!」
千代は時刻を確認した。
まだ、〈戦闘服〉を選ぶ時間はある。
「紗枝も呼ぼう。えっと、柚子の家で良い?」
「うん」
柚子が頷くと、千代は早速紗枝に電話をかけた。
紗枝も丁度部活が終わったところで、ほどなく二人は、学校の正門前で紗枝と合流した。それから三人は、揃って柚子の家に向かった。ちょうど家には、仕事を終えた柚子の姉――彩芽が帰ってきていた。
彩芽はリビングにいて、黒セーターにデニムパンツという格好で赤ワインを飲んでいた。柚子の「ただいま」と、千代と紗枝の「こんにちは」という挨拶に、彩芽は黒目がちな瞳を向けて、「いらっしゃい」と返事をして、二人を迎えた。
彩芽は、柚子とはまた違った方向性の美人だった。全体にシャープで、鋭い雰囲気を持っている。〈お姉ちゃん〉というよりは、〈お姉様〉という呼び方の方がふさわしい格好良い女性で、千代も紗枝も、彩芽には、これもまた柚子に対してとは少し違う、憧れのような感情を持っていた。
「あ、お姉ちゃん、あの、ちょっとお願いがあるんだけど」
柚子は、ワイングラスを片手に持ったままの彩芽に言った。
あら珍しいわね、と思いなら、彩芽は「どうしたの」と訊ねた。
「服、見せてもらっていい?」
「え、服?」
彩芽は、ちらっと紗枝と千代を見た。
妹が、自分からそういうお願いを言ってくることは珍しいので、何があったのかと思ったのだ。千代と紗枝は顔を見合わせ、それから、千代は、彩芽に敬礼しながら言った。
「あれなんですよ、えっと……彼氏奪還作戦、です!」
「ちょっと!」
柚子は、千代の言葉に顔を赤くした。
しかし千代の答えは、これから何が起こるのかを、見事に端的に表現していた。彩芽はワイングラスをテーブルに置き、ずいっと身を乗り出して、千代に訊ねた。
「え、水上君のこと?」
「ちょっと、お姉ちゃん……!」
柚子が恥じらう様子を見て、けらけらと紗枝は笑った。
千代は、これから柚子が、彼氏の同窓会に突撃するという計画を、彩芽に伝えた。すると彩芽は、そういうことならと、グラスに残ったワインを一気に飲み欲し、先頭を切って二階に上がった。
「恥ずかしがることないよ柚子、仲間は多い方が良いんだから」
紗枝は、階段を上りながら、柚子に言った。
柚子は顔を赤くしながら、頷いた。
そこからは、柚子の戦闘服選びが始まった。場所は、柚子の部屋ではなく、彩芽の部屋である。紗枝は、服の出し入れを彩芽と一緒に手伝い、千代は柚子が服を決めている間、柚子の髪型をどうするか考えた。
そうして一時間後、柚子の〈戦闘準備〉が整った。
髪はティアラのように編み込んだアレンジアップ。服はきゅっと腰の引き締まって見える、ツイードの長袖ワンピ―ス。白地に灰色のウィンドウ・ペンのシンプルな模様が清楚な雰囲気を醸し出している。それに灰色のタイツと、首元には彩芽が、黒翡翠のネックレスを付けさせた。
「この戦い、勝ったわね」
紗枝は、柚子を上から下まで眺めながらつぶやいた。紗枝から見ても、呆れるほど、柚子は完成された美少女だった。千代はと言うと、カシャリ、カシャリと、色々な角度から柚子を写真に収めていた。
最後に柚子は、ベージュのノーカーラーコート羽織り、姉から「これにしなさい」と渡された、底の部分だけが籠編みになった黒いミニバックを手にした。そのバックの逆三角形のブランドロゴは、その方面に特別詳しいわけでもない紗枝も知っていた。
「やるときは徹底してやらないとね」
彩芽は、目を回しそうになっている千代と紗枝にウィンクして見せた。
それから彩芽は、柚子の付き添いで立川駅まで行くことになった千代と紗枝にも服を選んだ。千代には体に張り付くような青の長袖ニットにグレンチェックのスキニー。紗枝はレトロな赤茶の、裾のふわりと広がったワンピース。
「じゃ、二人とも、柚子ちゃんをよろしくね」
玄関で、彩芽は千代と紗枝にそう言って手を振った。
彩芽に「よろしく」と言われた二人は、頬を少し赤らめて顔を見合わせ、笑いながら「はい」と答えた。一方の柚子は、きりっと、すでに戦いに赴く顔つきになっていた。
「あの柚子ちゃんがねぇ」
三人が玄関を出て行った後、彩芽はそう呟き、くすくすと笑いながらリビングに戻った。
立川の駅に着き、そこで柚子は、二人と別れた。
時刻は七時半を過ぎていた。
その頃詩乃は、食べ放題の二時間が早く終わるのを、お好み焼き屋の二階の片隅で、コーヒーを飲みながら、一人待っていた。詩乃も、ずっと一人でいたわけでは無かったが、たまに洋や智美が相席にやってくるのは、ずっと一人でいるよりも辛かった。そしてまた、明香はと言うと、もう詩乃にはひと声もかけてこなかった。
遊び飽きたに違いない――。
詩乃は、遠くのテーブルから明香の楽しそうな話声が聞こえてくるたびに、胸が苦しくなった。
最初から、明香はそういう女の子だった。自分勝手で、薄情で、口先や表層の態度ばかりが巧みだ。それでも詩乃は、明香を嫌いにはなりたくなかった。――もう好きではないけれど、少なくとも、憎しみを抱かせないでほしい。過去を、汚さないでほしい。
しかしそんな詩乃の願いも虚しく、明香が詩乃のテーブルにやってくることはなかった。
一言だけでも、何か本音の言葉が聞ければ、詩乃はそれだけで充分だと思っていた。
やっぱり来るんじゃなかったと、詩乃は思った。自分は今日、明香やこのクラスのかつての同級生たちに、馬鹿な期待を勝手に持ってやってきた。あの中学時代でも、当時は見つけられなかった砂金の一粒くらいはあって、それが今日、発見できるのではないかと思っていた。
でもそれは幻だったと、詩乃は悟った。「きっとあるはずだ」なんていうのは、自分がそう信じたいがために、過去を肯定したいがために作った、希望の幻だった。
「――詩乃っちも作ってあげよっか?」
隣のテーブルから、洋が詩乃に訊ねた。
洋は、得意のクレープ風お好み焼きを作っていた。
「あ、大丈夫、もうお腹いっぱいだよ」
詩乃は応えた。




