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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
2,それでも息はできるから
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カンテラと影絵(4)

 詩乃から電話があった日から一日を挟み、バレンタインデー当日。


 絢は告白相手のためのチョコをスクールバックの中に用意して登校した。絢のその相手は絢の同級生で天文部に入っている。冬のこの時期、天文部は、晴れたら屋上で望遠鏡を使った天体観測をするが、雨や曇りでも、部室で天文学の勉強会を開いている。


 柚子に会うにしろ会わないにしろ、チョコを渡すのは部活の後なので、放課後は、絢は一度学校を出ることに決めていた。


 放課後、下駄箱で靴を履き替え、昇降口を出た絢の表情は、空と同じように曇っていた。

少し後ろから、心愛がついてくる。二人は同じバレーボール部で、クラスも一緒だった。絢は、心愛がこのああと、彼氏とデートのあるのを知っていた。心愛の方でも、今日絢が告白するつもりなのも知っていた。


 互いに秘密を共有し合う幼馴染同士だったが、しかし柚子の事だけは、絢は心愛に話していなかった。昇降口から正門まで続く、背の高い常緑樹の道。絢の歩みがいつもより遅いことや、今にも雪が降ってきそうな灰色空を、絢がしきりに見上げている理由を、心愛は、告白のための緊張のせいだろうと思っていた。


「ちょっとなら付き合うよ」


 心愛が言った。


 絢はこの後、天文部の終わる時間まで、学校近くのコーヒーショップで時間を潰す予定だと、心愛には言っていた。事実、柚子と会う予定が無くなったので、絢はそうするつもりでいた。

心愛も、今日はこの後、彼氏とのデートの約束はあるが、その待ち合わせまでには少し時間の余裕があった。


「うん」


 と、絢は曖昧な返事を返した。


「何絢、緊張してんの?」


 茶目っ気たっぷりに、心愛が言った。


「え?」


 と、絢はきょとんと聞き返した。


 あれ、と絢はあまり予想していなかった絢の反応に意表をつかれた。


 告白の結果を、そんなに心配しているのかと思い、心愛は笑みを消し、今度はからかう調子のない声音で絢に訊ねた。


「心配なの?」


「ううん」


 絢は、微笑を浮かべて小さく首を振った。


「もしかして、チョコ失敗しちゃった?」


「違う違う」


 絢は笑いながら応えた。


「ちょっとね、思い出しちゃって」


「何を?」


 絢は心愛に訊かれて、心愛の目をちらりと見やった。


「――昔の事」


「ふーん」


「……やっぱり私、一回家帰る」


「え?」


 急な予定変更に、今度は心愛が驚いて聞き返した。


「あ、そう?」


「コーヒーはまた今度にしよ」


「うん、まぁ、そうだね。――忘れ物?」


「まぁ、そんな所かな」


 二人はそうして、学校の最寄り駅から東横線に乗った。


心愛は彼氏との待ち合わせのために渋谷駅で降りた。絢はうきうきの笑顔で手を振る心愛に電車の中から手を振り返した。心愛が人混みの中に紛れて消え、絢も、電車に乗り込む人の流れに押されて、車両の中ほどまで押し込められた。


 電車の扉が閉まり、電車が動き出した。


 絢は、スマホを出して電話帳を開いた。


『新見柚子』――名前と電話番号は、まだそのまま残っている。


「今日、今から会えないかな」


 ――そのメッセージを送ろうか、どうしようか、悩んでいるうちに電車は池袋駅に着いた。


 絢は、人の流れに押されるようにして電車を降りた。


 一回家に帰ると絢は心愛に言ったが、それは、嘘だった。


 絢は、茶ノ原高校か、さもなければ、柚子の家に行こうと思っていた。


 どうしてそんな決心をしたのか、絢は自分でもよくわからなかった。下駄箱で靴を履き替えた時には、そんな事は思っていなかった。ただ、重苦しい気持ちを抱えていただけだった。


 メッセージを送ろうか、電話をかけようか、悩んだ挙句、絢は電話帳を閉じた。


 メッセージが帰ってこなければ、それはまた、会えないことの言い訳になる。電話に出てもらえなかったら、それも私はきっと、都合良く会えないことの口実に変えてしまう。だったらもう、連絡なんてしない方が良い。


 柚子の通っている茶ノ原高校に言って、前みたいに、正門で待とうかと絢は考えた。


 しかしそれはきっとダメだと、絢は思い直した。


 この間も結局自分は、茶ノ原高校に行くまでは良かったが、結局会えなかった。


 ――そうじゃない、会わなかったんだ。


 水上君には会えたけれど、思えばあの時水上君は、柚子に用事があるのかと聞いてくれて、案内しようかとまで言ってくれていた。それを断ったのは、私だ。きっとまた、私は、逃げ出してしまう。


 だったらもう、柚子の家に行こうと、絢は決意した。


 今日柚子は、水上君とのデートが中止になったから、学校の後、家に帰っているかもしれない。流石に柚子の家の前まで行けば、あとはインターホンのボタンを押すしかないのだから、逃げてばかりの私でも、逃げ出すことはできない。


 それでもし柚子が家にいなかったら、その時は電話をするか、いっそ柚子の家の間で、柚子の帰って来るのを待とう。そんなことしてたら、もしかすると、彼にチョコを渡す時間が無くなってしまうかもしれないけど、それだって、その気になれば、今日中にはいくらでも時間はある。


 もう、言い訳はたくさんだと、絢は臆病な自分に一喝し、地下鉄に乗り変える長い道を早足で歩き出した。


 そうして地下鉄に乗り、茗荷谷駅までの数駅間、絢は、スマホのアルバムに保存している写真を画面に表示させた。柚子と一緒に映っている、遊園地に遊びに行った時の写真を。


「柚子の事、すごく好きで、たぶん、すごく嫌いだったんだ、私……」


 写真に写る笑顔の柚子に、絢は呟いた。


 柚子と一緒にいると、心が洗われた。でもそれは同時に、自分の汚さを自覚させられるのと同じだった。だから柚子のことは、大好きで、大嫌いだった。私はたぶん、柚子に辛く当たったのは、柚子に彼氏の心を奪われた怒りや、彼が自分を裏切ったことへの失望のせいだけじゃなかった。


 あの時私は、柚子を嫌いだと思う感情に、そう思う正当な理由を見つけたのだ。だからその瞬間私は、柚子への対抗心やら嫉妬やら、そういう感情をぎゅっと丸めて押し込んで、柚子に投げつけたのだ。正当な理由があるから、そうしても自分は汚れない。だって、柚子が悪いのだからと――そんな風に、都合よく思って。


 電車が止まった。


 絢はスマホをしまい、ホームに降りた。


 改札に向かう階段を上りながら、その一歩ごとに、絢は胸が苦しくなった。小学生時代から、絢はよく、柚子の家を訪れていた。駅を降りて階段を上るその時は、一段毎に、気持ちが弾んだ。


 柚子の家には、自分の家にはないものがたくさんあった。


 柚子の部屋の大きなベッドに、大きな風呂。柚子の部屋の隣には広い調理部屋があって、バレンタインデーのようなイベントがあると、そこで一緒にお菓子を作ったものだった。


絢は、涙目になっている自分に気づいた。


 階段を上り終えた絢は、泣いている自分に腹を立てながら改札を通った。


 柚子との関係を放り出したのは、自分だ。一方的に絶交を宣言したのは、自分なのだ。それなのに、何を今更泣くなんて、悲しいなんて、都合が良すぎる。きっと、泣きたかったのは柚子の方だ。


 パチン、と絢は自分の両頬を叩いた。


 じーんと、頬が熱ばむ。


 よし、と絢は顔を上げた。


 そして唐突に、絢の視界の真ん中に、絢が探していた後姿が現れた。駅の出口に向かう、灰色コートの背中。白いマフラーを首に巻き、グレーチェックの手袋をつけている。


 絢は、その背中に小走りで近づいた。


 そして、少しの空間をあけて声をかけた。




「柚子!」


 後ろから呼び止められて、柚子は立ち止まり、振り向いた。


 そこには、柚子が全く会うとは予想もしていなかった人物が立っていた。彼女は、赤茶のコートを着て、真剣な眼差しを自分に向けている。


 困ったような表情と、泣きそうな目。


「絢……」


 柚子は、自分を呼び止めたその彼女の名前を呟いた。


 この場所に絢がいることにも驚いたが、それよりも、どうして自分を呼び止めたのかということのほうが柚子には不思議だった。何かの用事で、たまたまこの駅にいただけなら、私を、こんな風に呼び止めることは無い。それなのにどうして……。


「久し、ぶりだね」


 絢が、柚子に声をかけた。


 うん、と柚子は頬だけでほんの微かな笑みを見せ、頷いた。


「今日、バレンタインデーだね……」


「うん。そうだね」


 絢が言葉を発し、柚子が短く応えた。


 柚子と絢の間には、二人で話すには遠く、しかし、他人と言うには近い、歩数にして三歩ほどの距離があった。二人の作る沈黙は、その場所で、そこだけ時間が止まって、切り取られたかのような空間を作った。


「あの時は、あんまり話せなかったね」


 柚子が言った。


 柚子の言う「あの時」が、映画館で会った時だということは、絢にもわかった。心愛が柚子に突っかかって景子が、柚子に挑発的な目線を向けていた。絢はその時の自分の態度を覚えていた。何も言わず、柚子と目が合うのを怖がっていた。


「そうだね。心愛たち、いたからね……」


 絢がそう言うと、柚子は少しだけ目元に笑みを見せた。


「柚子、学校帰り?」


「うん」


「今日は、部活ないんだ。ダンス部だったよね?」


「うん。絢も?」


「うん私も、今日は部活なし」


 絢は、にこっと笑みを作る。


 そっか、と柚子は小さく相槌を打った。


『顔も見たくない』


 ――その言葉と、そう言った絢の、あの燃えるような目が、柚子の脳裏にフラッシュバックした。

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