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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
2,それでも息はできるから
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カンテラと影絵(3)

 バレンタインデーの日は、朝から雪の降りそうな曇り空だった。


 空気は冷たく、天気予報も、所により雪が降ることを伝えていた。教室はしかし、外の寒さや曇り空の憂鬱さとは裏腹に、朝から賑やかだった。女子生徒同士では友チョコを交換し合い、女子から男子へは義理チョコが渡された。


 柚子も、このイベントには参加していた。男子生徒への義理チョコは持って来ていなかったが、女子生徒へはクラスの全員へ、友チョコを作ってきていた。


 そして本命の、詩乃へのチョコレートも、柚子は作ってきていた。「距離をおきたい」なんて最後通知のような雰囲気で言われたばかりだったが、それでも柚子は、渡せるのではないかという一縷の望みだけで、チョコ作って持ってきてはいた。


 粉砂糖をふりかけた円形、仲直りのための生チョコ。


 ところがその日、詩乃は教室に現れなかった。


 朝一番で望みを絶たれた柚子は、詩乃に電話をすることもできず、一人その悲しみと寂しさを胸に隠して、バレンタインデーというイベントに水を差さないよう、笑顔を作った。詩乃が休んでいることについてクラスの女子生徒から聞かれた柚子は、詩乃の休んだ理由を知らないことの惨めさを覚えながら、困り笑顔で、「わからないんだよね」と答えた。


「何かあった?」


 と、昼休み、紗枝に訊かれた柚子だったが、柚子は、紗枝には放課後、料理部のバレンタインイベントがあるのを知っていたので、変な心配をかけるのを嫌い、「本当に何もないよ」と誤魔化した。紗枝は、柚子の様子に違和感を覚えたが、根掘り葉掘り聞くことはせず、大人しく誤魔化されることにした。


 その日の放課後、料理部は中庭に屋台のようなブースを設けて、そこでチョコを配った。漫画創作部の漫画や、美術部と写真部が共同で作ったイラストはがきなどもそこで販売された。柚子は放課後すぐにその中庭のブースに顔を出したが長居はしなかった。


 ブースにはその後、千代がやってきた。千代はすぐに、紗枝を見つけた。紗枝はピンクのダッフルコートを着、チョコの入った籠を持って、ブース付近を歩きながらチョコを配っていた。


「大盛況だね」


 千代は、紗枝との出会いがしら、そんなことを言った。


 紗枝は、籠の奥から白い箱を掴み出して、それを紗枝に渡した。料理部が配っているチョコレートとは違う、白い箱。


「え、ありがとう! 紗枝の手作り?」


「まぁね」


 うわぁと、千代は思った。


 千代も、紗枝にはチョコを持って来ていたが、手作りではない。私の友達はどうしてこうも女子力が高いのかなと、千代は思った。紗枝は料理部でチョコだけでなく魚も捌ける女で、柚子は、母が趣味でお菓子教室を開いているだけあって、その血をしっかり継いでいる。千代は、柚子からはダンス部の朝練習のあと、チョコを貰っていた。当然のように手作りだった。


「私もお菓子作り、得意だったらなぁ」


 千代は軽く嘆きながら、紗枝に友チョコを渡した。水色の丸い箱。手作りではない。


 紗枝は早速、箱を開けた。


 薔薇の花を模したミルクチョコレートと、ホワイトチョコレート、それにブラックチョコレートがそれぞれ二種類ずつ入っている。


「いやいや、これだって私は嬉しいよ。手作りが一番なんて、私は思ってないし」


 紗枝はそう言って、早速薔薇のチョコレートを食べた。


「可愛いし美味しいよ。やっぱり、プロの仕事よね」


 紗枝はそう言いながら、唇をぺろっと舌で舐める。


「千代も、このあとデートでしょ?」


「まぁねぇ。――柚子は、もう来た?」


「うん。さっき来て、すぐ行っちゃった」


 よっぽど楽しみなんだねと、そういうようなことを千代は言おうとしたが、その言葉は、何か違う気がして、開きかけた口を閉じた。昨日の部活の様子、そして今日の朝練と、千代は、柚子の様子の変化を見逃していなかった。いつも通りを装っていたが、明らかに、元気が無かった。


「柚子、どんな感じだった?」


 千代は、紗枝に訊いた。


 千代のその質問で、紗枝も、教室での柚子の様子がおかしかったのが気のせいではないのを確信した。


「今日水上学校来てなかったんだよ」


「え! そうなの!? なんで?」


「それが、わからないのよ。柚子も知らないみたいだし」


「えー、そんなこと、柚子なんにも言ってなかったな」


 やっぱり不自然だと、千代は思った。普通なら、いつもの柚子だったら、何かあった時には私にも、一言二言くらいのメッセージが来るはずだ。


「いやでも、柚子昨日の部活でも、今日の朝練の時も、元気無かったんだよね」


「ダンス部でも?」


「うん」


「教室でも何か、変だったのよねぇ」


 二人の脳裏には同時に、ある可能性が浮かび上がった。


「――別れてはないと思うけど」


 千代が言った。


「でも柚子から言わないのにさ、あんまり聞けないよね」


 紗枝はそう言い、千代は大きく頷いた。


「うん。でも、どうなんだろう。もしそれで落ち込んでるんだったら、ちょっと放っておけないよね」


 千代の言葉に、今度は紗枝が頷く。それから紗枝は、素朴な疑問を口にした。


「今日本当にデート行ったのかな?」


「あー、そっか……水上君、休んでるんだもんね。え、じゃあ……」


 千代は口元に手をやった。


 今日のデートを、柚子がどれほど楽しみにしていたか、千代は知っていた。水上君から誘われちゃった、と報告してくれた柚子の、心の底から嬉しそうな笑顔を千代は思い出した。


 千代は何とか言葉を探して、紗枝に質問した。


「水上君、どうなの、教室で。今日はいなかったにしても、最近はさ」


「それが全然、わからないのよね……。水上、ほんっと友達いないから、誰とも本当にしゃべらないし、眼鏡もかけてるから表情もよく読み取れないし。いつも通りっちゃあ、ずっといつも通りなんだけど、はぁ、正直、私じゃわからない」


「……一緒にいた女の子ってさ、結局何者なんだろう」


 千代が言った。


「それこそわからないわよ。柚子は、同窓会関係の――要は、水上の中学の同級生じゃないかって言ってるけど、それも怪しいと思う」


「じゃあ……姉とか、妹とか?」


 ええっ! と、紗枝は声を上げた。


 それから紗枝は、詩乃の兄妹のいる可能性を少し考えて、確かにそれは、ありえなくもないかと思った。詩乃の家族のことは、柚子も良く知らないと言っていた。だから、姉や妹が、実はいるのかもしれない。


「いや、でもねぇ……」


 紗枝はしかし、すぐにまた考え直し、首を傾げた。


 そんなに仲の良い兄妹がいるのなら、柚子との会話の中で、一度くらい話題に出てきてもいいものだ。だからやっぱり、その線は薄いのではないかと、紗枝は思った。


「別れて、無いよね……?」


 千代が、恐る恐る言った。


「それは無いと思うけど……」


 二人は互いに、「どう思う?」という問いを乗っけた目で、顔を見合わせた。


「――まぁ、柚子がさ、何か相談してきた時には、たっぷり聞いてあげようよ。ちょっと冷たいかもしれないけど、私たちじゃ、わからないと思う。柚子と、水上の関係はさ」


 紗枝にそう言われて、千代は神妙な顔つきで頷き、それから言った。


「うん、そうだね。ちょっともどか悔しいけど」


「何その〈もどか悔しい〉って」


 紗枝と千代は笑い合った。


 そうして千代は、程なく中庭を離れていった。


 紗枝は、千代の背中を目で見送りながら、ほうっと息をついた。


「もどか悔しい、か……」


 紗枝は、白い息とともに呟いた。




 佐倉絢のもとに詩乃から謝りの電話がかかってきたのは、バレンタインデー二日前の夜だった。バレンタインデー当日、絢は、詩乃と柚子がデートに行く前の待ち合わせ場所、日暮里駅の北改札口前へ、柚子に会いに行くつもりだった。詩乃が作ってくれた十五分で、気持ちを伝えるはずだった。


 二日前にかかってきた詩乃からの電話は、その予定が無くなった、ということを伝えるものだった。


 絢は電話越しに、「本当にごめん」と謝られた。


 その謝意の深さに、絢の方が恐縮してしまった。


 柚子に謝りたいというのが、そもそも自分の我が儘であることは、絢が一番よくわかっていた。本当だったら、彼――水上君からは、怒られても文句は言えない。それなのにあの人は、私を無視することもなく、私の気持ちを汲んでくれて、親身に相談に乗ってくれた。


 それよりも絢は、柚子と詩乃のデートが中止になったことが気になった。喧嘩でもしたのかと絢はその電話で詩乃に訊ねたが、詩乃は、その電話では、予定が合わなくなったとだけ答えて、それ以上のことは言わなかった。


 絢も、おかしいとは思ったが、それ以上は突っ込んでは聞けなかった。


 もう自分と柚子とは、そういう関係ではない。私はもう、柚子の恋愛には、踏み込めないのだ。電話を切った後、そのことを思って、絢は後悔の涙を流した。


 ――割れた鏡は元には戻らない。


 その詩乃の言葉は、絢の心に刻まれていた。


 謝ったら、きっと柚子は許してくれる。あの子は、そういう子だ。自分の執着やプライドのために人を攻撃する子じゃない。自分の心に傷を付けながら、人に優しくできる子だ。本当にそれこそ、〈身代わり地蔵〉のように。


「本当に、このまま会わなくていいの?」


 絢は、自分の心に問いかけた。


 絢は心の中に、会えなくなってほっとしている自分を見つけていた。


 柚子に会う――それは、絢にとってみれば、過去の、未熟な自分と対面するのに等しかった。あの時、醜い感情に任せて柚子との縁を切ってしまった、救いがたい馬鹿な自分に、会わなければならない。そして、そんな馬鹿な自分が傷つけた柚子の心を正面から見ることになる。


 だから、柚子と会うのは怖い。


 絢の脳裏に、自分を見つめる柚子の茫然とした顔と、寂しそうな瞳が思い出される。



『信じてたのに、裏切られた気分!』

『――私、そんな気は全然ないよ。きっと、何かの間違いだったんだよ』

『馬鹿言わないで! もう柚子なんて知らない! 顔も見たくない!』



 中学二年の冬、放課後の体育館裏だった。私の両隣には心愛と景子がいて、柚子に白い目を向けていた。それが、柚子と言葉を交わした最後だった。あの時の柚子の、悲しそうな目――あの柚子の瞳が、忘れられない。


 あの目が追ってくる。


 柚子が、ずっと私を覗き込んでくる。


 楽しい時に、幸せな時に。

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