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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
2,それでも息はできるから
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無名の供養塔(3)

「あっ、待って……!」


 女の子はすぐに立ち止まって振り返った。


「ええと……新見さんの、中学の同級生だよね?」


「うん。映画館で会ったね……」


 そう言って、柚子の元友達は苦笑いを詩乃に見せた。


「――あの時はごめんね、邪魔しちゃって。そんなつもりじゃなかったんだけど……」


 詩乃は、彼女の背負っている暗い気配に覚えがあった。


「あれから心愛たちとダブルデートしたんだってね」


「うん」


「心愛から話聞いたよ。でも途中で解散になっちゃったんだって?」


「あー、そういえばそうだったかな」


「……水上君、だよね?」


「あ、うん。ええと……」


「私、佐倉絢。絢でいいよ」


 詩乃は頷き、それから、絢に訊ねた。


「あの……この後時間ある?」


「え?」


「もし空いてたら、少し話さない?」


 詩乃が言うと、絢は張りのある頬に笑みを浮かべて頷いた。




 その後二人は日暮里駅まで歩き、自転車も通れる細長い歩道橋を上った。


 線路を超える歩道橋からは緑地地帯が見えた。最初はその緑地帯は、公園だろうと絢は思っていたが、だんだんと近づくにつれて、そこが講演ではなく霊園であることに気づいた。時刻はすでに夕方で太陽も傾きかけ、霊園は霊園らしい雰囲気を帯びていた。


 線路を渡り歩道橋を降りた先には、小さな団小屋があった。詩乃はそこで二人分の団子を買うとその袋を自転車の前かごに入れ、当然のように、霊園の中に入って行った。


「え、中入るの!?」


 絢は驚いて声を上げたが、詩乃は、きょとんとした顔で「うん」と頷いた。


 どうしてそんな肝試しみたいなことと絢は思ったが、詩乃が行ってしまうので、絢もそれについていくしかなかった。


 霊園を奥に向かって少し歩くと、年季の入った常葉樹の下に、木製のベンチの置いてある、猫の額ほどの休憩スペースがあった。詩乃がそこで引いてきた自転車を止めたので、絢は、ここが目的地なのを知った。絢は、まさか墓地の中で話すことになるとは、思ってもいなかった。


 夕暮れの淡い残り日が墓の影を作り、影は静かに、地面に佇んでいる。


「こんな所、良く来るの?」


「頻繁には来ないけど――」


 詩乃はそう言って、自転車のカゴから団子の入った茶の紙袋を出し、ベンチに座った。


「たまにね」


「柚子と?」


 絢も、詩乃の隣に腰を下ろした。


 詩乃は少し笑いながら応えた。


「ううん、一人だよ。こんな所、二人じゃ来ないよ」


「え、私はノーカウント!?」


「そういうわけじゃないけど、まぁ、何となく」


 詩乃はそう言うと、袋から磯部団子を出して、絢にやった。ありがとうと言って、絢は団子を受け取り、食べた。


 変わった男の子だなと、絢は思った。


 詩乃も磯部団子を袋から出して、一玉齧った。


「新見さんに、謝りに来たんでしょ?」


 突然、詩乃にそんな確信めいた事を言われて、絢はけほけほと咽た。


「あ、飲み物忘れたね」


 詩乃は団子をもう一玉食べてから言った。


 咳を喉の奥に収めてから、絢は詩乃に聞いた。


「なんでそう思うの?」


 詩乃は笑って答えた。


「顔色見ればわかるよ。違ったら恥ずかしいけど、でも……もしそうだったら、できるだけ力になるよ」


 少し話しただけでも、絢は、この男の子が、自分の知っているどのタイプとも違うのをすぐに悟った。誤魔化しや屁理屈が、全く通じそうのない、そんな雰囲気を持っている。厳格なのとはまた違った、ある種の恐ろしさを、絢は詩乃に感じた。


 絢は、今更誤魔化してもしょうがないと思い、白状した。


「うん……そう、そうなんだ。柚子に謝りに来たの。私の事、柚子から聞いてる?」


 詩乃は首を振った。


「そっか……」


「畑中さんだっけ、ダブルデートした子は」


「そう。畑中心愛。――覚えてあげてよ」


 絢はそう言って笑った。


 詩乃は構わずに続けた。


「あの子は確か、好きだった子が新見さんに告白しちゃったんだよね」


「そうそう」


 絢は笑った。


 心愛のことは、もう絢にとっては、笑い話だった。そして、自分の事も。


 絢は、詩乃に打ち明けることにした。


「私は、その時付き合ってた彼氏が柚子の事好きになっちゃって、それで、別れたの」


「あー……。それはご愁傷様だったね」


 ぶふっと、絢は笑った。


「ここお墓なんだから、縁起でもないよ」


「まぁね。でも、まぁ、わかるけどね」


「わかるって?」


「新見さんに怒るのも」


 え、と絢は詩乃の感想を意外に思った。


 中学時代の事だとしても、彼女の敵のような女に、どうして共感なんてするのだろうか。絢がそんな事を想った瞬間に、詩乃が言った。


「新見さんは、そういう星の元だよ」


「……」


 絢は、言葉を詰まらせた。


 詩乃のその言葉で、絢は、柚子がこの男の子を選んだ理由がよくわかった。きっと、この人ほど自分の事を理解して、受け止めてくれる人はいないと、柚子はそう感じたのだろう。柚子とは小学生来の付き合いである絢には、それがよくわかった。


「言い訳みたくなるけど……その時私、本当に柚子の事、許せなくて」


「うん」


「でも少しして、柚子が他の高校受験するって聞いて、私……」


「同じ高校に行く予定だったの?」


「うち中高一貫校だから。全員が高校に上がれるわけじゃないんだけど、私も、柚子も、内部進学の基準は充分だったし……まぁ、私はちょっと頑張らなきゃだったんだけど。でも……柚子が他の高校行くなんて思ってなかった」


「それを望んでたんじゃないの?」


 詩乃の言葉が、ぐさりと絢の心を刺した。


 確かにそうだったかもしれないと、絢は思った。柚子と絶交した後、私は、柚子の不幸を望んでいた。中学三年になって、別のクラスになった後でも、柚子の笑顔をちらりとでも見ると、はらわたが煮えくり返るような怒りと、薄暗い呪いのような憎しみを心に覚えたものだった。


 絢の凍えるような唇の震えを見て、詩乃は紙袋からきなこ団子を出した。そうしてそれを、絢に渡した。


「え、私まだこっち残ってるよ」


 絢の右手には、まだ磯部団子が串に二玉残っている。それでも渡されたので、絢は左手にきなこ団子を持った。両手に団子を持っている滑稽さを顧みて、絢はふつふつと笑った。


「畑中さんはまだ新見さんの事、嫌いみたいだったな」


「あぁ、うん。心愛は、まだ根に持ってるね。大丈夫だった?」


「うん。かえって畑中さんの方が……たぶん、あんなデートやらなきゃ良かったって思ったんじゃないかな」


 詩乃が言うと、絢は笑った。


「うん確かに、そうかも。あの後心愛から色々言われたよ。水上君がつまらない男だったとか、柚子が、なんにも変わってなかったとか、ムカつくとか、色々。でも、はっきり言って、悔しかったんだと思う。それに――」


「そう、それに、畑中さんの彼氏、ちょっと新見さんの事気になってたみたいだったから」


 あはははと、絢は笑った。


 詩乃も釣られて、声を出して笑った。


「馬鹿だよねぇ、心愛も。柚子の前に、彼氏連れてっちゃダメだよ。私のことから何も学んでないねぇ。まぁ、言わなかったけどさ」


「――でも、新見さんは学んでるよ」


 詩乃は静かに言った。


 絢も、「うん」と頷いて笑いを引っ込めた。そうして、磯部団子の残りの二玉を、一気に口で引き抜いて食べた。顎を大きく動かして、過去の自分を噛み潰すように。


「今更仲直りなんて、ムシが良すぎるんだけどね」


「そういうものなんじゃないかな」


 詩乃は、絢から串を受け取って袋の中に放り込んだ。詩乃も、残りの団子を食べて、その串を袋に放った。


「私バレンタインデーに告白するつもりなの」


「え?」


「チョコ渡して、告白。たぶん、もう両思いだから、成功すると思う」


「おぉ……」


 すごい自信だなと、詩乃は思った。とはいえ、確かにこの子は美人だし、それくらい思っていたとしても、自惚れとは感じない。雰囲気も、ざっくばらんとしていて、話しやすい。この子が新見さんに嫉妬したのかと思うと、その悔しさは相当のものだったのだろうなと、詩乃は思った。


「でも、柚子に謝らないまま付き合うのは、何か、嫌なんだよね」


「あぁ……」


 詩乃は、絢の心の中に文学性を感じて、何とも言えない感動を覚えた。そうしてつくづく、二人がもう友達ではないということが、詩乃には悲しかった。新見さんにとって、彼女は、宝物だったに違いない。絢にとってもそうだったのだろう。


「ホント自分勝手だよね、私。仲直りなんて、自分の都合だしさ。今なら、柚子は悪くなかったって本当に思えるけど、今更ね。あの時にそう言えなくちゃいけなかったのに。――ねぇ、水上君、柚子の彼氏としてさ、怒ってもいいよ」


 詩乃は、袋から蓬団子を引っ張り出し、乱暴に齧った。


 絢と柚子の関係が、詩乃は悔しかった。


 どうして二人は、特別な仲だったのに、他人よりも遠い存在にならなければいけなかったのだろう。


 詩乃は、柚子の心の底にある、絢との関係のためにできた心の傷を想って悲しんだ。そしてその悲しみは、この不条理を与えた運命というものへの怒りへと変わった。


 怒りながら詩乃は団子を咀嚼し、それから言った。


「新見さんは、喜ぶと思うよ」


「喜ぶ?」


「うん。一度壊れた鏡は、たぶん元には戻らないけど、でも、その、壊れたっていう事を二人で確かめ合えるんだった、そうした方が良いよ」


 絢は、詩乃の言葉の意味を考えるのに、少し時間が必要だった。しかし時間をかけても、詩乃の言葉の真意を、絢は明確には掴み切れなかった。


 柚子、こんな人と付き合ってるんだ――そのことを考えて絢は、柚子のことを全部知ったつもりになっていた自分が恥ずかしかった。ずっと柚子と一緒だったのは自分だけれど、幼馴染の私よりたぶん、この人の方が柚子の事を分かっているのだろうなと思った。


「たぶん、柚子は許してくれるんだろうね」


「そうだね」


「いっそ……ものすごく怒って、絶対許さないとか、言われたほうがいいんだけどね」


 詩乃は微笑して頷いた。


 人を傷つけるくらいだったら、我慢して自分が耐えようとする、新見さんはそういう女の子だ。だから新見さんの優しさは、時々痛々しい。


 詩乃は、視界の片隅に地蔵を見つけて、笑いながら言った。


「まるで身代わり地蔵だね」


 絢は、詩乃の視線の先に地蔵を見つけた。


「水上君、それ笑えないよ」


 絢は眉をひそめて詩乃に言った。


「中学の頃も、新見さんは怒らなかった?」


「うん、見たことない。人の悪口も言わないし。もう柚子は、そういう風にできてるんだと思う。今もそう?」


「うん」


「柚子の彼氏って、大変でしょ?」


 詩乃はその問いには答えず、団子を口でちぎって頬張った。


 やっぱりねと、絢は笑った。


「周りが放っておかないからね。中学の時もそうだったけど――あぁ、小学生の頃からもうそうだったかな。なんでもすぐ噂立つでしょ? 一緒に歩いてるだけでジロジロ見られるし」


「うん」


 詩乃は頷いた。


「水上君から告白したの?」


「ええと……」


「あー、柚子から?」


「まぁ……」


 そっかそっかと、絢は笑いながら頷いた。


「なんか、良かった……。良かったなんて言うのも、どの口がって感じだけど、でも、柚子が元気そうで――というか、水上君みたいな男の子を見つけられてて、安心した。もしそっちの学校で上手くいってなかったら、やっぱりさ……」


「寝覚めが悪い?」


「そう」


 絢は団子を頬張り、ため息をついた。


 そうして団子を飲み込むと、絢は言った。


「勝手だねぇ、ホント、私も」


 詩乃も、最後の団子を食べて、串を袋に放った。


「絢さん――」


「絢さんって何! 絢でいいよ絢で」


「十四日、日暮里駅に新見さん呼び出しておくよ」


「え?」


「その日、二人で出かけるんだ。本当は学校から二人で出る予定だったけど、でも、日暮里駅に待ち合わせにするよ。――夕方五時。五時に駅の北改札に待ち合わせるから――」


「ちょ、ちょっと待って――」


 絢はそういうとスマホを取り出して、カレンダーにメモ書きする。


「自分は、十五分くらい遅れて行くから、話すなら、その間に話しなよ」


 メモ書きを終えた絢は、詩乃を見た。


 バレンタインデー。


 私が好きな人に告白をする日。それを知っていながら水上君は、その日を指定した。絢はそこに、詩乃の自分に対するメッセージがある様に思った。

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