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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
2,それでも息はできるから
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西日のナイフ(4)

 上着も着ずに外に出てきてしまった詩乃は、自動ドアを一歩出た先から北風に吹かれ、肩を窄めた。吐く息は煙草の煙のように細長く伸びる。


『水上君、賞取ったって、さっきの本当?』


 電話の奥から、柚子の寂しそうな声が聞こえてくる。


「うん。もう改稿作業も終わって……三月末に売り出される」


 詩乃が応えると、少し間があってから、柚子の明るい声が聞こえて来た。


『良かったね水上君! すごいよ!』


「うーん……」


 どうだろうか、と詩乃は悩んだ。


 確かに賞を取ったのは嬉しかった。小さい賞であっても、誰もがそれを取れるわけでは無い。だけれど、賞をとったからといって、それは、自分が人より優れている証明になるわけでもない。それなのに、賞を取ったあと、自分はそのことを自信にしようとしていた。そんな自分であれば、新見さんの隣にも相応しいのではないか、と。


しかし詩乃は、今となっては、一時でもそう考えていた自分を心底嫌悪していた。柚子に褒められると、その自分の卑しさを余計に自覚させられる。


「別に、すごくはないよ……」


 詩乃は応えた。


『え、すごいよ! やっぱり水上君、才能あるんだよ!』


 詩乃は、柚子の言葉に息苦しさを覚えた。


 じゃあ、受賞できなければ、才能が無いということになるのだろうかと、詩乃は柚子の言葉に反発したかった。柚子には、自分を肩書主義的な目で見てほしくはなかった。そもそもそれを嫌って、賞のことは黙っていたのだ。


「名古屋はどう?」


 詩乃は、これ以上小説の話をしたくなかったので、話題を変えた。


 柚子は、昼のステージの事や水族館のイルカやペンギン、そして大水槽のマンタのことを詩乃に話した。水族館の話を聞いていると、詩乃は胸が痛んだ。新見さんの声が聞きたいと思っていたのに、どうして新見さんと話をしていると、こんなに気が重くなるのだろう。


『――クラゲもいたよ! のんびり漂ってた』


「そっか……」


 そう答えた後、詩乃は、自分の作り出してしまう沈黙に奥歯を噛んだ。新見さんを楽しませられるような、洒落た受け答えができない。自分は何て面白みのない人間なのだろうと、詩乃は思った。


『水上君、あのさ……学校、八日からでしょ? もし空いてたら、七日、会わない? お土産も渡したいし!』


 そう言われて、詩乃は胃の中に鉛を投げ込まれたような気がした。


 デートなら、デートプランを考えないといけない。今度こそは、失敗の無いように。


 詩乃がそんな事を考え始めた時、柚子が言った。


『学校で一緒にお昼食べよ。文芸部の部室、空いてるかな?』


「え?」


 意外な提案をされて、詩乃は聞き返した。


 部室は、閉まっていても合鍵があるから入れる。でも、そんなデートでいいのだろうか。


「学校が空いてれば、部室は、入れるけど……」


『じゃあ、お昼食べよ。私何か作ってくよ!』


「あっ、じゃあ自分も作ってく」


『楽しみ』


 そうして七日の予定が決まった後で、詩乃は柚子との電話を終えた。


 そうして食事会の方も、食べ放題の二時間を終え、程なく解散となった。クラス同窓会の場所もこの店にしようということに決まった。






 一月七日、皆よりも一日早く制服に袖を通し、詩乃は家を出た。


 遅い朝、あるいは早い昼時といった中途半端な昼間。


 空は薄い雲に覆われていた。太陽がはっきり輪郭を現すくらいの薄雲なのに、日の出前のように薄暗い。


 詩乃は手提げを自転車の前かごに入れて出発した。


 手提げには、出発前に作った八宝菜と炒飯が、それぞれ銀の保温容器に入っている。料理を作っている時はうきうきした気分だったが、自転車に乗り、待ち合わせの日暮里駅が近づくと、詩乃の口からは自然とため息が漏れた。


 新見さんに会えるのは嬉しいはずだった。しかしその嬉しさと同じ分だけ、逃げ出したい気持ちも膨らんでくる。


 いつか新見さんを失望させてしまうと思うと、そのことが恐ろしかった。自分の言葉の一つ一つが、別れへのカウントダウンになっているように詩乃は感じていた。やれる限りはそうならないように演じるつもりだったが、付き合い始めてからまだ二か月だというのに、もう限界を感じている。


 いっそ、新見さんに嫌われるくらいだったら、嫌われる前に別れた方が良いのではないか――そんなことを、詩乃はぼんやりと考えていた。自分は決して、人に好かれるような人間ではない。新見さんもそれに、薄々気がついているのではないか。


 新見さんの自分に向ける笑顔や感情が偽物になって、そうしてだんだんと自分に対する好意が苛立ちに変わり、そして最後には無関心へと変わっていく、その過程を見なければならないと想像するだけで、詩乃は息が吸えなくなるほどの苦痛を覚えた。


 詩乃は手提げの中に、弁当だけではなく、新宿のデパートで買った、例のネックレスを入れていた。それは、詩乃にとっては別れる準備だった。もし別れることになったら、その時に、餞別として渡そうと考えていた。餞別としてでなく、プレゼントとしてこのネックレスを送るには、とてもまだ、そんんな段階にまで至っていないと、詩乃は思っていた。




 駅の北口、階段の下。


 詩乃が自転車でやってくるのを、柚子は待っていた。クリスマス日と同じ、赤いコートを着てきている。その下は、詩乃と同じように制服である。肩に、横広の白いトートバックをかけている。


 眼鏡の詩乃がやってくるその姿を確認すると、柚子の少し不安そうだった表情は、ぱっと笑顔に変わった。柚子は思わず、子供の様に詩乃に手を振って、詩乃の自転車に歩き寄った。


「おはよー」


 と言って近づいてくる柚子に、詩乃は頬が緩むのを隠すために「おはよう」と挨拶を返した。


「なんか、すっごく久しぶりな気がするよ。あ、今年もよろしくお願いします」


 そう言って、柚子はぺこりと頭を下げた。


「うん……」


「あ、そうだ――これ」


 と、柚子はコートの内ポケットを探って、詩乃へのお土産を取り出した。


 お土産は、ペンギンのキーホルダーだった。柚子からキーホルダーを受け取った詩乃は、そのキーホルダーが新見さんの内ポケットにあったことを思って、顔を赤らめた。


 柚子は、詩乃から貰ったキーリングを取り出して、詩乃に見せた。


 そこにも、ペンギンのキーホルダーがつけてあった。


 柚子は、自分のペンギンのキーホルダーを、詩乃が手で吊るして持っているペンギンにくっつけた。すると、柚子の方のペンギンが、詩乃のペンギンに嘴をうずめて、寄り添っているような格好になる。


「ペアキーホルダーなんだ」


 柚子はそう言って、にこりと詩乃に笑いかけた。


「ありがとう」


 詩乃はそう言うと、キーホルダーをコートのポケットにしまった。


 柚子は、笑顔のまま詩乃の腕に自分の腕を絡ませた。


 急にそうされて、詩乃は驚いてしまった。


「行こ」


「うん」


 戸惑いながらも、詩乃は柚子と連れだって歩き始めた。すれ違う人の視線がどうしても詩乃は気になったが、だからといって、振りほどくようなことはしたくない。


 柚子の合宿の話や、お互いの年末年始の話などをしながら、柚子は腕だけは、詩乃から解こうとはしなかった。学校の正門を入り、駐輪場に自転車を置き、そこから文芸部の部室があるCL棟に続く道を歩くときも、柚子は詩乃の腕を両手で捕まえていた。


 詩乃は、きょろきょろと、気が気ではなかった。


 三階建ての校舎を両側に歩きながら、誰か上から見ているんじゃないかと思った。幸い、すれ違う生徒や教師は誰もいなかった。CL棟も、入口の鍵は開いていた。CL棟に部室を構える部活が活動をしているらしく、人の気配があった。


 廊下を歩いて一階の一番奥、文芸部の部室の鍵を開け、二人は中に入った。


 詩乃にとっても久しぶりの部室。室内は図書館のような、本の独特の匂いが充満していた。詩乃は窓を開けて換気をしながら、暖房を入れた。


「中はちょっと温かいね」


 そう言いながら、柚子はコートを入口横のハンガーにかけた。そうして、窓を開ける詩乃の元に行き、詩乃のロングコートを脱がせて預かって、それも自分のコートの隣にかける。その時こっそり、柚子は詩乃のコートを抱きしめた。


 詩乃は、体を丸めて椅子に座り、柚子も席に着いた。


 柚子は、バックからみかんを取り出して、ぽんぽんと、机の上に置いた。全部で五つ。みかんのあとにはひざ掛けを出して、それを詩乃に渡した。灰色系のチェック柄、見るからに肌触りの良さそうは生地。


「新見さんが使いなよ」


 詩乃はそう言った。


 柚子は、下も制服のスカートを穿いている。冬服のスカートとはいえ、隠れた膝の下には靴下との隙間から素肌が見えている。


「大丈夫、私そんなに今寒くないから」


 詩乃は、ためらいがちに、柚子からひざ掛けを受け取った。


 それはひざ掛けだったが、詩乃はそれを肩にぐるりと羽織った。そうして、きゅっと、前側を両手で抱え込むように上半身に巻いた。寒さのせいで思わずそうしてしまってから、詩乃は、はっとして、柚子の顔を確認した。


 柚子は、恥ずかしそうに笑った。しかし、恥ずかしいのは詩乃の方だった。まるで、新見さんに後ろから抱きしめられているようだと思った。温もりも、手触りも、そして甘く仄かな柑橘系の香りも、全ての感覚が柚子に支配されている気がした。


「あ、そうだそうだ、忘れてた」


 と、柚子は今度は、ウェットテッシュのパックを取り出した。


「はい」


 と、柚子はパックを詩乃に傾けた。


 柚子もシートで手を拭いた後、早速みかんの皮をむき、その上に、白い繊維皮だけとなったみかんを置いた。皮も身も、見るからに張りがあり、皮をむいただけでも、甘く爽やかな香りが立ち上ってくる。


 まずは一口、柚子はみかんを食べた。


「うん、美味しいよ」


 柚子はそう言うと、今度は二粒目を取って、それを詩乃に差し出した。


 詩乃は、差し出されたみかんの一粒を前にして、固まってしまった。


 手で受け取るか、それともこれは、そのまま口で受け取るべきなのか、判断がつかなかった。手で受け取る不自然さと、口に食べさせてもらう恥ずかしさとが、詩乃の頭の中でぶつかり合った。


 詩乃が固まってしまったのを見て柚子は笑った。

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