Fire-Taps(4)
柚子の誕生日を翌週に控えた十一月最後の週の平日。
詩乃は、学校を休んで、昼前から新宿にやってきていた。柚子の誕生日プレゼントを買うためである。昨晩から今日の朝方にかけて、クリスマスに出す部誌の短編全ての添削改稿作業が終わり、その清々しい気持ちを持て余したまま学校の中に閉じこもっているのは勿体ないと、詩乃は思ったのだ。
新宿は、近頃は良く来るので、街並みにも人混みにも詩乃は慣れてきていた。今までなら、繁華街というだけで、そのチカチカした看板や行き交う人の様子に尻込みをしてしまっていたが、今は、そこまでの気後れは感じなかった。
総合デパートに入り、靴やバックの専門店、ブランドショップを見て回る。
「そちらのお財布、デザインとても可愛いですよね」
丸っこい小銭入れを手に取ってみていた詩乃に、ショップ店員の女性が声をかけた。
詩乃は曖昧な返事を返した。「可愛い」のが本当に良いのかどうか、詩乃にはわからなかった。手に取った財布はちまっとした可愛らしさを持っている。でもそれは、新見さんが好きな可愛さなのだろうか。
散々店を巡った挙句、詩乃は結局目星さえつけられず、安蕎麦屋で遅い昼食をとることにした。大もりのたぬきそばを啜りながら、どうしたものかなと、考える。
詩乃は、情報を集めずに来たわけでもなかった。
むしろ情報は、ネットと雑誌でかき集めていた。彼氏に貰って嬉しいプレゼントベストテン、というようなものをいくつも見比べて、頭の中で検証してきた。
高いものは気を使わせてしまうという。自分たちはまだ高校生で、分相応が良いらしい。
財布、バック、靴、時計――候補は色々あった。価格も、上を見ればキリが無いが、高校生らしい価格帯のものもたくさん売っていた。それでも結局、「これが良い」と思うものは高かった。大人だって、ちょっとためらうくらいに。
そんな高価なものを受けとらせたら、かえって新見さんを困らせてしまうのではないかと、詩乃は集めていた情報の指知識からそう考えて、そのせいで何も決められない。
詩乃自身は本当は、良いと思うものを金額も気にせず買いたかった。
『相手の事を考えて贈り物は選びましょう』
ネットの誕生日特集記事に、そんな文言が載っていたのを詩乃は思い出す。
こんなものはダメ、あんなものはダメ……その大半が、もらって嬉しいプレゼントと種類が被っている。どちらが正しいのか、文章を読んでもわからない。「良い」も「悪い」も、彼女への贈り物どころか、プレゼント自体送ったことの殆どない詩乃には判断がつかなかった。「良い」という方の記事を読めば、「良い」ような気もしてくる。しかし次に「悪い」という方の記事を読むと、「悪い」ような気もしてくる。
どうして贈り物に、こんなにルールが多いのだと、詩乃は一人憤った。あげたいと思うものをあげる、それだけじゃダメなのだろうか。
詩乃は悶々としながら、ずるずると蕎麦を啜った。
そこで詩乃は、スマホに、欠席を心配する柚子からのメッセージが入っているのに気が付いた。
『単なる寝坊です。ごめんなさい』
詩乃は柚子が心配しない様、適当にそんな返事を返した。
するとすぐにメッセージか帰ってきた。
『おはよ。寝すぎると牛になっちゃうよ!』
そのメッセージに加えて、動く牛のスタンプが続く。
さて、と詩乃は立ち上がった。
それから詩乃は、また夕方まで店を渡って見て回った。
そうして、最終的に詩乃は、デパートのコスメの専門店がしのぎを削るフロアにやってきた。客は女性ばかり。美容部員も、目がぎらついている。
ここで果たして自分は、ちゃんと買い物ができるのだろうかと、急に詩乃は心細くなった。
聞き慣れない用語や、不思議なイントネーションの横文字が飛び交い、客の様子も、買い物を楽しむというよりは、武器を調達する傭兵のように詩乃には映った。
詩乃は、リップクリームを買おうと思っていた。消耗品なので残らず、高いものでも一万円以内で、香水や口紅のように、趣味が合わず使いづらいということもない。乾燥しやすい今の時期にも、丁度良いはずだ。
しかし、リップクリーム下さいなんて、とても言えるような現場ではなかった。それは詩乃には、魚市場の競り会場で、鰯一尾下さい、なんてとても言えないのと同じ感覚だった。
詩乃は小バックからメモ帳を取り出し、そこに『美は戦争』と記した。
結局詩乃は、その〈武器庫〉を一時間ほどうろうろ歩き回り、その後でやっと、イヴ・サンローランのリップクリームを購入することができた。単なる乾燥を防ぐためのリップクリームではないらしい。そのあたりの説明を詩乃は美容部員から受けたが、詩乃にはさっぱりわからなかった。
「彼女さんにプレゼントですか」
と、気さくに聞いてくれた店員のおかげでリップの購入にたどり着いた詩乃だったが、彼女の、自分を見る生暖かい視線には参ってしまった。自分がまだ、高校生である、ということを思い知らされるような、大人の眼差しだった。
しかしそれでも、プレゼントは購入した。詩乃は、リップクリームの入った黒い紙袋を持って、美容フロアを後にした。
館と館を繋ぐ連絡通路を歩き、詩乃はほうっとため息をついた。
そうして通路の先、出てきたのは、今度は、ジュエリーフロアだった。
プレゼントも買った後なので、詩乃にはもう、何か買わなければならぬという強迫観念もない。そもそも何十万、何百万とするアクセサリー類は、プレゼントとして現実的ではないので、ウィンドーショッピングに徹することができる。売り場の人も、高校生の自分に何かを勧めようとは考えないだろう。
詩乃は心軽く、創作のアイデア収集も兼ねて、フロアを少し見て回ることにした。
大理石のような白いピカピカした床に太い柱。ガラスケースには指輪やピアスやネックレスや、色々なアクセサリーが展示されている。宝石については、詩乃も小説のために鉱石図鑑や金工細工の歴史というような本を読んだことがあったが、もうすっかりその知識は、脳みその奥の引き出しで埃を被り、取り出せなくなっていた。
「新作なんですよ。――はい、そうなんですよ! 可愛いですよね」
「こちらなんていかがでしょうか。あ、もう一つ大きいサイズもございますよ」
「こちら話題なんですけど、えぇ、そうなんです。特別感ありますよね」
そんな、店員と客のやりとりをそれとなく聞きながら、詩乃はガラスケースからガラスケースへと移り歩いた。
そうしてふと、詩乃はあるアクセサリーの前で足を止めた。
胸部型の黒いネックレススタンドに飾られたネックレス。金のチェーンに、トップにはダイヤモンドと、それを守る様に三つのリングが重なり合っているというデザイン。
そのネックレスに、詩乃はどういうわけか、目が離せなくなってしまった。
真ん中のつぶらなダイヤモンドの輝きを、三つのリングが一生懸命守っている、そんな構図の美しさに惹かれたのかもしれない。
詩乃があまりにも熱心にそのネックレスを見ているので、販売員が詩乃に声をかけた。
「可愛いですよね、このネックレス」
「あ、はい……」
詩乃は、引きつった笑みを浮かべて返事をした。
「とても人気のあるネックレスでして――」
と、店員が説明を始める。ダイヤのカラット数、カットについて、金のリングの三色の色味について。そして、デザインとデザイナーについて。そうして最後に、いかがですかと、曖昧な質問を投げかける。
「すごく、綺麗です」
詩乃は端的にそう答えた。
金額のことが無かったら、このネックレスを、新見さんにプレゼントしたいなと、詩乃は思っていた。ネックレスを見ながら、それを、柚子が首につけたその姿を、頭の中ではずっと想像していた。
似合うだろうな、と詩乃は思った。
しかし、プライスチップは、普通の高校生にとっては冗談のような数字を示している。給料三か月分を地でいくような、そんな値段が示されている。
無い袖は振れない――普通なら、どんなん欲しくても、イチ高校生がそんな貯金を持っているはずがないので、迷いや悩みは生じてこない。
しかし、詩乃の場合は、事情が違っていた。
詩乃は、自分の口座に、当面の生活費と、そして、四年制大学に行くための金が入っていた。詩乃が高校一年生の時までに書いたライトノベル三巻分の印税と、そして母が自分のために残してくれた貯金。その貯金を使えば、ネックレスは充分買える。
使ってしまったら、どこかでそれを補わなければいけないということは、詩乃にもわかっていた。それでも詩乃は、どうしてもこれがほしいと思ってしまった。
詩乃は、自分のこの衝動が、非常識だということはわかっていた。新見さんだって、こんなもの貰ったら、困ってしまうだろう。
しかし詩乃は、やはりどうしても、このネックレスが欲しかった。
ネックレスをつけた柚子の姿はもう、詩乃の中では、現実のものになっていた。
詩乃は、一人心の中で頷いて、店員に言った。
「このネックレス、下さい」
「ご、ご購入ですか!?」
店員の声もさすがに裏返る。
「お金降ろしてくるので、予約っておいてもらっていいですか」
「か、畏まりました」
こうして詩乃は、今までしたこともないような大きい買い物をしたのだった。
十二月三日がやってきた。柚子の誕生日。
柚子は、登校するや朝一番で、クラスの友達からプレゼントを貰った。ちょっと豪華なクッキーやマカロン、スムージーセット。食べ物が多い。柚子のスクールバックは、授業が始まる前にいっぱいになってしまった。
その日の昼は、柚子は紗枝と千代と一緒に、調理室で食べることになっていた。ハッピーバスデーの歌を歌い、千代と紗枝で柚子を祝う。紗枝のプレゼントは、ペティナイフだった。そして千代は、ペンギンのデザインのローブ毛布を手提げ袋から引っ張り出して、柚子に渡した。
「え、可愛い! これ、ペンギン!?」
柚子は受け取ったペンギン毛布を、ひっくり返したり広げたりして確かめた。
紗枝は声を上げて笑った。
「ちょうど古着屋で見つけてさ! 可愛いから一目ぼれで買っちゃった。柚子、ペンギン好きだって言ってたし」
「うん。これ、すごいね」
「じゃ、着てみて」
「今!?」
「うん、今」
千代はそう言うと、スマホのカメラを起動する。紗枝も無言でそれに続く。柚子は、恥ずかしがりながらも、制服の上からペンギン毛布のコートに袖を通した。
これは可愛いなと、紗枝と千代は大興奮で、パシャパシャとシャッターを切った。
「じゃあ今度片足上げて、両手は前でぎゅっと合わせてー」
千代のポージング要求に、柚子は場のノリで応える。
ひとしきり写真を撮った後、千代と紗枝は、二人で今しがた撮った写真ファイルを、スマホ画面に一覧表示させた。
「これは、売れるね」
「一枚千円なら、男子買うんじゃない」
「いや、二千円でいけるでしょ」
「ちょっと!」
紗枝と千代の悪だくみに、ペンギン姿の柚子がストップをかける。
「今日それ着て行ったら? 水上、喜ぶんじゃない?」
「喜ばないよ!」
紗枝が言うのに、柚子は突っ込む。
千代と紗枝は、二人でケラケラ笑いあった。
柚子がこの日、部活の後、詩乃と夕食デートをすることは、千代と紗枝は当然知っている。
全くもうと言いながら、柚子はペンギンの袖を頬につけ、その柔らかさと温もりを感じながら、すうっと息を吸い込んだ。




