Fire-Taps(2)
柚子と心愛が、それぞれ二人分の飲み物を持って帰ってきた。
「メロンソーダなんて、珍しいね」
こそっと、詩乃の前に紙コップのそのジュースを置きながら、柚子が言った。
「たまにはね」
と、詩乃もこそっと、柚子に応えた。
そうして柚子は、ちらりと心愛に視線をやった。心愛は、柚子に注意を払わない。詩乃はそんな二人の様子に、素知らぬ顔をして、メロンソーダのストローを吸った。その後、ボール選びが終わると、ゲームが始まった。
ゲームが始まると、詩乃の胃はずっしり重くなっていった。スコアは四人、追いつつ、追い抜かされつつの丁度良い具合だったが、スペアやストライクを出した時は皆とハイタッチをする約束事や、何かにつけて大袈裟に驚いたり、笑ったりすることを強要されているような雰囲気が、詩乃を苦しめた。
しかし一番辛かったのは、瑛斗が柚子を「新見さん」ではなく「柚子」と呼び始めたことだった。スコアモニターに「ユズ」と表記されている事と、柚子の名前が二文字で、ニックネームのように気安く呼べるということにかこつけて、いつの間にか、柚子はそう呼ばれるようになっていた。
柚子もそれを、嫌とは言わなかった。いつものように笑顔で、不機嫌そうな態度は微塵も見せない。そんな柚子の態度にも、詩乃の心は燻った。
詩乃は、ぼんやりと、心愛がボールを投げる後姿を眺めた。ダッフルコートを脱いだ心愛は、ジーンズに、上はレモンイエローのTシャツ姿。そのTシャツの後ろはレースアップになっていて、背中の肌色が覗いている。
なんだかなぁと、詩乃は頬杖を突きたいのを我慢し、腕を組んだ。
1ピンが残り、心愛は悔しそうに飛び跳ねて、ベンチに戻ってくる。心愛の仕草と表情に、瑛斗が声を上げて笑う。柚子も笑顔を見せている。詩乃は、目を揉み解すふりをして、心愛への反応を逃れた。
「ココちゃん惜しい!」
柚子の言葉に、心愛は笑みを見せる。
「お前ワンピン好きだな!」
「別に好きじゃないし!」
瑛斗は、心愛をからかって笑った。
詩乃はメロンソーダを飲んで、ため息を殺した。
心愛の事をちらちらと覗き見る柚子と、柚子とはあまり目を合わせない心愛。心愛の頬が緊張しているのは、瑛斗のせいだろうと、詩乃は推理していた。瑛斗のきらきらした目が新見さんに向くのを、心愛は見ている。新見さんを呼び捨てで呼んだ時、心愛の笑顔が引きつっている。その彼女の頬の具合を、瑛斗はわかっていなさそうだ。
ボールラックにピンク色のボールがぴょこっと返ってきた。愛理はそれを拾って、絶対スペアを取ると意気込んみ、アプローチに入った。
詩乃は心愛の後姿をぼうっと眺めた。
すると柚子が突然、詩乃から覆いかぶさるようにして、両目を包んだ。
「だーれだ」
突然そんな事をされて、詩乃は驚いた。
「何してるの」
と、詩乃は柚子の手を目から退けた。
――ガタン、とボールがガターにはまる音がした。
「あぁ、もう!」
心愛が声を上げる。
はっはっはと、瑛斗が渇いた笑い声を発した。瑛斗は、心愛の投げる所を見ていなかったのではないかと、詩乃は思った。
「畑中さんの分までピン倒してくるよ」
詩乃は立ち上がりながら、明るい声でそう言った。メタリックブルーのボールを持ち上げ、納豆のようなしがらみから抜け出すように、アプローチエリアに進み出る。
ストライクが取りたいと詩乃は思った。
十個のピンが、あの木琴のような清々しい音を響かせて倒れたら、この場のあらゆる鬱陶しさも、少しは解消するのではないかと思った。
詩乃は、ボールを胸の前で持ち、逆三角に並んだピンを見据えた。
願掛けのような思いで息を整え、そうして詩乃は、一歩、二歩と歩み出た。
振り子のようなバックスウィングから、ボールを投げる。ボールは真っすぐに進んでいき、頂点のピンにぶつかった。そして、詩乃が聞きたかった小気味良い音を立てて、全部のピンが倒れた。
よし、と詩乃はガッツポーズをして振り返った。皆、盛り上がっている。それぞれの笑顔の裏にどんな感情を見つけても、鈍感な振りをしようと詩乃は決めた。ベンチに戻りながら、詩乃は自分から手を出して、三人とハイタッチを交わした。そうして笑って言葉を交わしながら、ボールが戻ってくるのを待った。
ボウリングを3ゲーム遊び、その後は、カラオケに行くことになった。
詩乃は、最後には、他人とボウリングに行くのも悪くないな、と思うようになっていた。しかし、ボウリング場を出た時、詩乃は無意識にため息をつき、もうすっかり暗くなった初冬の空を仰いでいた。眼鏡越しの星は、やけに小さく見える。
「私何歌おっかなー」
「また〈マカえん〉だろ」
「えぇ、いいじゃぁーん。柚子は何歌うの?」
「私は――」
「柚子、洋楽歌ってよ!」
「え、柚子洋楽歌うの?」
「そうなんだよ、柚子の、英語めっちゃうまいんだよ」
三人のそんなやり取りを、詩乃は歩きながら、ぼーっと聞いていた。空気の冷たさのせいか、熱を持った頭がぼんやりする。
歩いて数分で、カラオケ屋に着いた。
地元では人気の店で、柚子と心愛も、まだ仲が良かった頃は、何度も通っていた。三十台ほどが止まれる駐車場に、二階建ての建物。中はエスニック風の内装で、廊下は、二人が悠々とすれ違えるほどに広い。
予約した部屋に入り、上着を脱ぎながら柚子が言った。
「久しぶりだなぁ」
すると、心愛が何気なく応えた。
「私この間来たばっかなんだけどね」
そんな、小さなやり取りに、詩乃はどうにも耳がピリついてしまうのだった。心愛の言葉の一つ一つが、何か柚子に対する攻撃性を持っているような気がし、また、柚子の方も、心愛の言葉の一つに、少しずつ傷ついているような気がした。
しかし、今日は鈍感でいようと決めた詩乃は、眼鏡の奥で、色々なことに、気が付かない振りをすることにして、三人の言葉のやり取りを聞き流し、三人の表情の小さな変化や目配せや、瞳の奥を見ないようにした。
最初は、心愛が歌い、次に瑛斗が歌った。
瑛斗が歌ったのは映画の主題歌にもなったアップテンポのポップだった。軽音楽部のボーカルというだけあって、確かに歌い慣れている。きっと仲間内では、これだけで人気者になれるに違いないと詩乃は思った。瑛斗が歌い終わった後、柚子は瑛斗を褒めた。詩乃も、手を叩いて見せた。
次は詩乃の番だった。
練習をしていたとはいえ、付け焼刃なのは詩乃にもわかっていた。瑛斗のようにうまくは歌えない。本当は詩乃は、歌いたくはなかった。けれど、自分だけ歌わなければ角が立ってしまう。心愛や瑛斗からどう思われようが構わなかったが、柚子の事を考えると、ここは上手くやらないといけないと、詩乃はそう思った。
詩乃は、一昔前にヒットしたバラードを歌った。小学生の時に聞いて、ずっと耳の中に残っていた歌だった。思い出しながら、一人カラオケの練習の中で、ある程度はちゃんと歌えるようにしてきた。当時は、歌詞なんてよくわからなかったので、メロディーの美しさだけで口ずさんでいた、夏の失恋の曲。
得点は、八十三点。
心愛や瑛斗よりは低かったが、詩乃は、ひとまずは八十点以上を取って安心した。柚子は、初めて聞く詩乃の歌に感激して、思わず詩乃の腿を優しくポンポンと、跳ぶように叩いて、詩乃の目を覗き込んだ。
「水上君歌上手いじゃん! その曲、ドラマの主題歌だったよね!?」
心愛が言った。
詩乃は「うん」と小さく応えて頷いた。頷いて心愛から目を逸らし、心愛の言葉が妙に早いのや、その笑みの口元と目元の不均衡には気づかないふりをした。
「いいねぇ、水上クン。――次、柚子だよな」
おちゃらけた口調で、瑛斗が言った。
柚子は恥ずかしそうに笑うと、心愛のリクエスト通り、洋楽の一曲をパネルリモコンに入れた。そうして柚子は、詩乃からマイクを受け取り、先ほど瑛斗がそうして歌ったように、柚子も大モニターの前に立った。
柚子の選んだ曲は、〈Dance Monkey〉だった。
短い前奏のあと、柚子の第一声の歌声に、皆息をのんだ。
普段とは違う、力強い声。
中学二年の冬までは一緒にカラオケでも何でも、一緒に遊びに行く中だった心愛さえ、驚いてしまった。柚子が英語が得意なことも、洋楽を歌えることも知っていた。しかし、柚子の今日のようなパワフルな声は、聞いたことが無かった。
俺より上手いじゃねぇかよと、瑛斗は、柚子の歌を聞くにつれ、最初の驚きは焦りへと変わっていった。心愛から、そんな情報は聞いていなかった。英語の発音がどうとか、音程がどうとか、そういうレベルの上手さではない。リズム感が違う。体ごとリズムに乗って、その体の奥からはじける様に、呼吸と歌声が飛び出してくる。
『――Take my hands, my dear, and look me in my eyes.
Just like a monkey, I've been dancin’ my whole life.
But you just beg to see me dance just one more time――』
三人は柚子に引き込まれていた。三人の注目を一身に浴びて、柚子は踊る様に歌った。
こんなはずじゃなかったと、心愛は奥歯を噛んだ。
この中で、一番歌が上手いのは瑛斗のはずだった。文芸部だか文学部だか知れない、柚子のパっとしない彼氏は、歌なんかもっともっと下手で、ここで恥をかくはずだった。コアなアニソンとかを歌って、笑いものになるはずだった。ボウリングなんて、あのインドアそうな男子が、出来るはずが無い。ストライクなんて、取れるはずがなかったのに。
それなのに、全部が狂った。
瑛斗の方が、全部上なはずだった。今だって、どう見てもそのはずなのに、そうじゃない。
こんなダブルデートするんじゃなかったと、心愛の心に激しい後悔が沸き起こった。
柚子が少しでも、私に悔しがるところを見たかった。あの柚子の彼氏をその気にさせて、二人の仲を揺るがしたかった。壊したかった。
でも今は、それどころじゃない。
瑛斗が、柚子を見ている。
柚子の歌に、その魅力に引き寄せられてしまっている。
どこかの私立高校に逃げて行って、柚子はそこで、惨めな高校生活を送っていると思っていた。中学二年の冬、柚子と絶交して、そのあと柚子にはいろんな噂が立った。そのうちのいくつかは、私が立てたのだ。友達の彼氏を寝取る悪女だと、柚子はそんな女ということになった。その悪評を引きずって、柚子は地味な女子高生なり下がっていると思っていた。
それなのにどうして、柚子はこんなに綺麗になってるの。
どうして、中学の時よりも全然綺麗になってるの。




