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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
後日譚,霧の夜は二人だけ
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エピローグ ~霧の夜は二人だけ~

 月の見えない夜だった。


 夜になるとそのログハウスの別荘は、霧に包まれた。


 デザートのケーキを食べた後、二人はテラスに出た。テーブルのキャンドルライトが、霧の中、ぼんやりと柔らかく灯っている。


 九月二十日、詩乃の誕生日。


 詩乃が柚子にプロポーズをした日から三カ月ほどが経った。


 詩乃はスーツのポケットに、指輪の箱を忍ばせている。


「すごい霧だねぇ!」


 柚子はそう言って笑った。


 確かに、笑ってしまうほどの霧である。ログハウスの窓や、テラス外の外灯の明かりが、暗い夜の中から流れてくる霧を照らしている。


「たぶん、雲の中なんだろうね」


 詩乃はそう言って、照らされた霧の中を楽しそうに眺める柚子の横顔を見つめた。


 本当に綺麗な横顔だなと、詩乃は思った。


 優しげな眼もとが特に、詩乃は好きだった。


「よし、じゃあ詩乃君、プレゼントの時間ね」


 柚子はそう言うと、包装された箱を両手で持って「はい」と詩乃に差し出した。


「誕生日おめでとう」


 にこりと、柚子は詩乃に微笑む。


 その笑顔だけで、詩乃は充分だと思った。


 詩乃は箱を受け取った。大きさの割には軽い。


 詩乃はびりびりと包装紙を破り空けた。


 黒い箱だった。


 何だろうと、詩乃は思った。箱にはアルファベットでブランドの名前が書いてあったが、詩乃にはわからなかった。オルゴールか何かだろうかと、詩乃は思った。しかしその割には軽い。


 柚子は答えを言わず、詩乃が蓋を開けるのをわくわくした表情で待っている。


 詩乃は箱を開けた。


 すると、箱の中にはまた箱が入っていた。しかし今度は、木製の片開きの箱だった。


 木製の箱――その〈宝箱〉の中身は上等なものと相場は決まっている。


 詩乃は妙に緊張して呟いた。


「何か、高そうだね……」


 詩乃のつぶやきには、柚子は微笑を浮かべるだけで、詩乃が〈宝箱〉を開けるのを黙って待っている。詩乃は静かに息を吸って、宝箱を開いた。


 中身は腕時計だった。


 銀色の丸いケースに、シンプルな黒の文字盤、茶のカーフベルト。全体的に丸みを帯びた、可愛らしいデザインの時計。


「時計かぁ!」


 詩乃は感慨深げに声を上げた。


 時計と言えば、詩乃は高校生の時、柚子から懐中時計を貰っていた。それは普段は、詩乃の〈神棚〉に置いてあり、今はスーツのポケットに入れてある。


「ごめんちょっと思いつかなくて、無難に腕時計でした」


 柚子はそんな風に謝りながら、詩乃に言った。


 日頃詩乃は腕時計をしないので、柚子は今回のプレゼントをどうしようか、ずっと悩んでいた。それでもどうしても、一度は腕時計を贈っておきたかった。


 詩乃は早速、その腕時計をつけた。


 そうして時間を確認する動作をした詩乃を、柚子は「似合ってる!」と褒めた。


 詩乃は照れ笑いを浮かべ、右手をカーフベルトに添えた。そうして詩乃は、時計の文字盤や時針や、ブリリアントカットされたような銀色のりゅうずなど、その細部を観察した。


「それ、十気圧防水なんだって」


「え!? これそんな潜るような時計なの!?」


 詩乃は驚いて柚子を見た。


 柚子は「うん」と嬉しそうに頷いた。


「へー」と、詩乃は再び腕時計に視線を落とした。


「あんまり外出ないから、なんだか、勿体ないな」


 詩乃が言うと、柚子は、


「じゃあ色んな所お出かけしようよ」


 そんな事を言った。


 詩乃は笑った。それが狙いだとしたら、可愛すぎる。とはいえ詩乃は今、執筆作業に追われていた。もっと正確に言うなら、改稿作業である。


 六月、プロポーズをして湯河原から帰ってきた数日後、詩乃のもとに、詩乃が応募したファンタジー小説コンテストの主幹の出版社から、詩乃の作品がコンテストの金賞に選ばれたと連絡があった。もちろん詩乃には、寝耳に水のような連絡だった。詩乃は最初から、ファンタジーの方は、絶対に受賞は無いと思っていたのだ。


 慎重になった詩乃は、これは詐欺ではないかと、最初の連絡をメールで受けた後も、そのことは他言しなかった。柚子にも言わなかった。これが実は詐欺や、詐欺まがいの受賞通知――例えば、自費出版会社の営業――だとしたら、このぬか喜びに他人や、特に柚子を、付き合わせたくないと思ったのだ。


 しかし受賞は、本当だった。


 七月に、コンテストの賞金が、詩乃の口座に振り込まれたのだ。


 その後詩乃は、出版社の人間と電話でやりとりもして、千代田区にあるその出版社の本社にも訪れた。今はちょうど、受賞作の来年五月の出版に向けた改稿作業を、担当編集とやり取りをしながら行っている最中だった。


 しかし詩乃は、未だ柚子に、受賞の事を打ち明けていなかった。それはまずひとえに、タイミングを逃したせいだった。金賞を取ったという浮かび上がるような嬉しさは、改稿作業が始まるまでだった。自分の作品が世に出ると思うと、詩乃は、浮かれている場合ではなくなった。


 そしてまた、柚子に受賞の事を告げるなら、それは指輪とセットが良いと詩乃は思っていた。六月に詩乃が見つけた〈一番〉を、懸賞金の手に入った今なら買える。しかしそうすると問題は、日取りだった。プロポーズの一度目は六月の、何でもない日にしてしまったが、今度は、ちゃんと指輪がセットだ。メモ帳の折り紙とはわけが違う。とすると、何かそれにふさわしい日でないといけない気がする。そんな事を考えていて詩乃は、九月の自分の誕生日まで、全くそんな日を探せないままでいたのだ。


 詩乃は暫く腕時計を見つめていたが、いよいよ自分の番だと思い、小さくにやりと笑った。


 三カ月前の、一度目のプロポーズは勢いだったが、今日の、二度目のポロポーズは、もう少し気持ちに余裕がある。その余裕の分で、詩乃は、驚く柚子の様子を楽しもうと思った。


「――実は自分からも、プレゼントがあるんだよ」


 詩乃が切り出すと、柚子は、「えっ?」と、目を丸くして驚いた。


 詩乃の誕生日なので、まさか柚子は、詩乃からも贈り物があるとは、思ってもいなかった。そうして、プレゼントがあると言った詩乃がその後おもむろに席を立ったのにも、驚いた。何だろうと思いながらも、柚子も立ち上がって、詩乃と向かい合った。


「え、何、どうしたの? 何か、そんな改まって」


 柚子は緊張しながら、詩乃を待った。


 詩乃は、ポケットから箱を取り出した。


 深紅の小箱。


「え?」


 柚子は、息を止めた。


 ――それ、その箱、まさか。


 詩乃は小箱を左手に載せて柚子の方に向け、右手を箱に添えた。


「ずっと黙ってたんだけど――」


 と、詩乃は切り出した。


 柚子は、「うん」と、緊張しながら頷いた。


「柚子の褒めてくれたファンタジー、賞を取りました」


 詩乃が注げると、柚子は口元を抑えて驚きの声を上げた。


「自分の直感も当てにならないなぁと、思い知らされました。柚子の見る目の方が、本物だったみたいです。だから、これを――」


 詩乃はそう言って、箱を開けた。


 中には指輪が入っている。


 三つのリングを一つにしたトライリングの指輪。その一つ一つに、ダイヤモンドが散りばめられている。柚子は驚きすぎて声も出なかった。


「私に? 指輪!? ホントに?」


「うん。折り紙じゃない本物」


「嘘でしょ!? え、なんで、賞取って、ええっ!」


 驚いておろおろする柚子の前に、詩乃は跪いた。


 そうすると柚子は、ついに泣き出してしまった。


「僕を本物にしてくれてありがとう」


 詩乃はそう言いながら、柚子の左手を取った。


 柚子は、涙を流しながら、詩乃のやることをじっと見つめた。


 詩乃は箱から指輪を取り出して、箱をテーブルに置き、そうして指輪を――ダイヤモンドが星屑の様に散りばめられたその一番の指輪を、柚子の左手の薬指に嵌めた。


 柚子は、自分の指に指輪が治まる瞬間、息を止めた。


「すごい、可愛い、綺麗、あぁ」


 柚子は、左手を持ち上げて、指輪を見つめた。


「それ、ガラスじゃないからね。ちゃんとダイヤだから」


 詩乃は立ち上がりながら言った。


 柚子は。「うん」と頷きながら、しっとりと、詩乃に体をあずけた。そうしてまた少し体を離して、本物の指輪を見つめた。それから、詩乃の目を見つめた。


「高かったでしょ、これ」


「本当は六月のあの時に渡したかったんだ」


「うん、そう言ってたもんね。でもこれ――綺麗」


 柚子はそう言って、また涙を流した。


「懸賞金が入ったんだよ」


「それで買ってくれたの?」


「うん」


 詩乃が答えると、柚子はまた泣いた。


 柚子は、詩乃の全ての言葉が嬉しかった。


「頑張ったもんね、詩乃君、受賞出来て、すごい。指輪も、こんな綺麗な指輪……ありがとうね」


 涙の間から、柚子は言葉を繋いで詩乃に伝えた。


「詩乃君、本、出るの?」


「うん、出版するよ。今改稿中。来年の五月なんだって」


「すごい!」


 柚子はそう言って、その目からまた涙がこぼれ落ちた。詩乃は、柚子の背中を撫でた。柚子に褒められるのが、やっぱり一番うれしいなと、詩乃は思った。そして詩乃は、自分が賞を取ったという喜びよりも、柚子に涙を流させるほどの感動を与えることができたということの喜びの方が、はるかに強く、大きいことを知った。


「ずっとつけていたいな。外したくない」


 詩乃は、柚子の言葉に笑った。


 テレビに映るときは、アナウンサーも、一般的に高価なものは推奨しないという、社内の身だしなみ規定に沿った服装を心がけなくてはならない。この指輪をしてカメラの前に立ったら大顰蹙だろうと、詩乃は思った。


「ちょっと散歩しようか」


 詩乃が提案した。


 柚子は、霧とその奥の真っ暗闇を眺め、それから詩乃を見て応えた。


「うん、行こ」


 二人はテラスを降りた。


 外灯の下で二人は一度立ち止まった。


 明かりの外はどこまで続くか知れない真っ暗闇。おまけに濃い霧。


 白い靄が静かに、二人の周りに流れる。


「怖い?」


 詩乃は、柚子に訊ねた。


 柚子は、詩乃の手の指に自分の指を滑り込ませて、握った。


 二人で、繋いだ手を見下ろす。


 柚子の指輪の無数のダイヤモンドが、ちらちらと瞬いている。


 柚子は、詩乃の目を真っすぐ見つめながら詩乃に訊き返した。


「詩乃君は?」


「ちょっと怖い」


 詩乃の答えに、柚子は微笑みを返した。


「私は全然怖くないよ。ちょっと面白そう」


「妖怪とか、出てくるかもよ」


「うん」


「迷子になるかも」


「うん」


 柚子は頷いた。


 詩乃を見つめるその目は一途で、真剣で、そして楽しそうだった。


「私も離さないから、詩乃君も、離しちゃダメだよ」


 二人はそうしてまた一度、握った手を見つめた。


 ――白湯気も濡羽の夜もつまごいのきりて(かがよ)ふしるべ夕星。


 詩乃は、長いこと作っていなかった得意の和歌で応え、二人は再び見つめ合った。


 そうして二人は、自分たちの運命のような、心地良い不思議な引力のままに唇を近づけた。


 霧が二人を隠し、一つになったそのシルエットは影絵のように、霧の中に浮かび上がった。夜の中にぽっかりとできた二人の空間。


 夜は静かに更けてゆく。


 霧は流れ、次の靄が二人を包む。


 二人は体温が同じになるまで抱き合った後、互いの瞳の奥にある月のような、星のような輝きを認めて、笑い合った。





〈あとがき〉


5章を書き終えた後、1章の見直しと2章の大幅改稿がありまして、そのあとこの「後日譚」の執筆にとりかかりました。シリーズとしてはこの『霧の夜は二人だけ』、エピローグのような位置づけとなります。やっぱり再会後も、一筋縄ではいかない二人でした。


本作は最終的には総文字数95万ということになりまして、本当に、長旅の長距離走になりました。お付き合いいただいた読者の皆様、ここまで一緒にありがとうございました。


ところで、5章とこの後日譚では、二人はもう大人になっているので、お酒も飲めるようになっています。柚子は家系的(特に母方)に酒に強く、カクテルの資格を持っています。物語中にも〈サイドカー〉だったり、〈ジントニック〉だったり、色々出てきます。どの酒も重要な意味を持っているのですが、とりわけ5章最終盤において重要なカクテルがありました。名前は出しませんでしたが(説明台詞を省きたかったため)、〈コープスリバイバー〉というお酒です。


〈コープスリバイバー〉には数種類の作り方がありますが、柚子の作った〈コープスリバイバー〉は、ブランデー、アップルブランデー、スイートベルモットで作るレシピのものです。作中には書きませんでしたが、そのままのレシピを載せますと、


・レミーマルタンXOを80ml

・デュポンのキャプティブアップル(りんごの実入りのもの)を40ml

・ノイリー・プラットのスイートベルモット40ml

・上記3つをステアしてグラスに注ぎ、最後にレモンピールを飾る。


これが柚子の〈コープスリバイバー〉でした。これを銘柄通り作ろうとすると、この二種のブランデーは結構高いのでなかなか金銭的に大変です。味は、レミーマルタンを使っているために複雑で華やかです。レミーマルタンを使っている辺りが柚子っぽさなのですが、この華やかな〈コープスリバイバー〉をあの場面で作っているというのが、何とも悲しいというわけです。

お酒としては飲みやすく、しかもかなり強いカクテルです。酒好きの読者の皆様には是非一度試してみてほしいのですが、上記の通り、柚子が作った分量で試すとたぶん、酔っぱらいすぎてしまうので、量はお気を付けください。


ちなみに詩乃の飲んでいるウィスキーは、グレンリベット12年です。これも、名前は出していませんでしたが、4章、5章、そして今回の後日譚と、実はずっと登場しています。緑のラベルが目印です。すみません、酒の話ばっかりですね……。


しかしとにかく、詩乃というのは変わった人間でした。世の中にはごく少数、普通の人なら致死量となる孤独を孤独と思わない、むしろ孤独によって生きているという人種がいますが、まさに詩乃はそんな性質の人間でした。一方柚子は、恵まれている者特有の孤独を抱えていますが、詩乃とは違い、本当は寂しがり屋です。この柚子の孤独の根は深いのですが、そんな柚子から見ても、詩乃の孤独は常軌を逸していました。そのあたりのかみ合わせが、もしかすると二人をくっつけた要因だったかもしれません。


後日譚では本当は、愛理のエピソードも入れたかったのですが、ダメでした。機会があればそれはまた別のお話で、と思っています。しかしひとまずこのお話は、これで本当に一区切りです。私も書きながら、詩乃と柚子は、本当に大好きになりました。他の登場人物にも、かなり思い入れがあります。2章に出てきた詩乃の同級生たちも、以降は出番はありませんでしたが(詩乃が孤独を好む性質なので)、本当に書いてて楽しかったです。柚子の友人たちも同様です。とりわけ柚子、千代、紗枝の三人のエピソードは、どの場面もノリノリで書いていました。そして何と言っても5章と後日譚で出てきた志波清彦パイセン。私はこの、志波さんの事、かなり気に入っています。その場で名前だけ出した、という人物は誰一人いないので、それぞれに物語外のエピソードを持っています。だから、これで終わりと思うと、とても寂しいというのが、本当の所です。ですが、このエピローグによって、このあと二人がどうなっていくのかをしっかり書けたと思っているので、蛇足になる前に私はここで筆を置こうと思います。


ここまで本当に、お付き合いありがとうございました。詩乃と柚子への応援、ありがとうございました。感想質問その他もろもろ、是非待っています。そして今回も、たくさんの誤字脱字報告(ホント申し訳ないです)、ありがとうございました。


名残惜しくはありますが、始まりがあれば終わりもあると言う事で、涙を呑んでお別れです。

このサイトでは「ノマズ」という名前にしていますが、作家デビューの時は「茶ノ美ながら」のペンネームで応募するので、もし今後どこかでこの名前を見かけたら是非、よろしくお願いします。


ではまた、どこかでお会いしましょう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 大好きな小説です。この小説のことを忘れないように生きていきたい、と思うほどに。大袈裟かもしれないですけど、心の底からそう思います。 とても素敵な物語を、本当に、ありがとうございます。
[良い点] 2人が幸せそうでこちらも本当に嬉しい、毎日更新楽しみにしてたのでこれから更新がないと思うと本当に寂しい。、 [気になる点] もし可能であれば、高校の同級生たちの物語を短編的な感じで出して欲…
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