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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
後日譚,霧の夜は二人だけ
232/243

流れ星のささやき(3)

『はいもしもし、浅茅です』


 浅茅、という名前に詩乃は聞き覚えが無かった。


 しかし詩乃は、柚子から電話番号を聞いた時に、その下の名前も教えてもらっていたので、誰なのかはわかっている。下の名前は『紗枝』といい、詩乃とは高校二年生の時に同じクラスだった。


「こんにちは、お久しぶりです。水上詩乃です」


 詩乃が名乗ると、電話口で一呼吸遭って、それから言葉が返ってきた。


『え、水上って、あの水上? 高校の――』


 紗枝と詩乃とは高校時代、直接話したことはほとんど無かったが、柚子を接点として、互いに良く知った人物のように思っていた。


「そう。その水上」


 詩乃が答えると、電話の向こうから紗枝の溌剌とした声が聞こえて来た。


『えぇ! 久しぶり! 元気してた? というか、音信不通だって聞いてたけど』


「うん」


『えぇ、どうしたの、ちょっと、驚いてるよ。私の番号、誰かから聞いたの?』


「うん、新見さんから」


『えぇ!? 柚子?』


 電話越しの声は、驚きっぱなしだ。


 それもそのはずで、紗枝はまだ、詩乃と柚子が一緒に暮していると言う事を知らない。それどころか、二人が再会していたということも知らなかった。


『え、会ったの? 柚子と』


「うん。今一緒だよ」


『一緒!?』


「一緒に暮してる」


『はぁ!?』


 怒ったような声。


 詩乃は笑った。


『え、どういうこと? 柚子、今一緒にいるの? え?』


「今隣にいるよ」


『嘘でしょ!?』


 どういうなり行きでそうなってんのよと、紗枝は電話の向こうで混乱していた。去年の十一月にあった同窓会には、紗枝はまだ息子の実が小さいので参加できなかったが、その時の柚子の様子は、もう一人の共通の友人、千代から聞いて知っていた。同窓会の幹事だった柚子は、その時にはまだ、詩乃と連絡が取れないと言っていたという。


 柚子は、自分の親友と電話をする詩乃の隣で、もじもじしている。


『いつから? ていうか、結婚したの?』


「結婚はしてないよ。一緒に暮らし始めたのは、今年の一月から」


『一月って――待って、このこと、千代も知ってるの?』


 ううんと、詩乃が短く否定すると、電話口から紗枝の明るい声が聞こえて来た。


『そういうことは連絡頂戴よ!』


「こっちから連絡すればよかったね、確かに」


『そうよ! 柚子が無理でもさ』


「ごめんごめん。――あ、それでね、新見さんのことなんだけど――」


『うん』


「返事出せてなかったこと、気にしちゃってるんだよね」


 ちょっと、と柚子は詩乃の肩を軽く叩いた。


 詩乃は、まぁまぁと、柚子の肩を撫でた。


『そんなの――! え、今柚子、隣にいるんだよね?』


「うん」


『今は、話せるの?』


「うん、いいよ」


 詩乃はそう言うと、スマホを柚子に渡した。


 柚子は、おずおずとスマホを受け取って、電話の向こうの親友に声をかけた。


「紗枝ちゃん、久しぶり……」


『ホントに柚子!? 大丈夫だった!?』


「うん。あの――」


『心配したんだから!』


「ごめんね」


『いいのよ、柚子が無事で、本当に良かった。――でも、水上と一緒に暮してるの? 同棲?』


「うん」


『いや、驚きよ。驚きすぎて、ちょっと……』


「そうだよね」


『そうだよ! いやぁでも、なんか嬉しいわ私。収まるところに収まったって言うかさ。え、でもどうなのよ、水上とのその同棲生活は。水上は作家になったの?』


「まだそれでお金は貰ってないけど――」


 と、柚子はそう言うと、詩乃に目配せをしてから言った。


「絶対賞取れると思う」


『そっか。まぁ水上は、その才能は有りそうだもんね』


「うん」


 柚子は、紗枝に詩乃の事を褒められて、ほくほくと笑顔になった。


 それから柚子は、紗枝の質問に沿って、詩乃との再会からこれまでの事を電話越しの紗枝に話した。詩乃は、電話をかける前に飲んだ酒が回ってきたので、水を飲み、ソファーの端でぐったりと目を閉じた。


『――柚子、今度会おうよ。あーでも、忙しい?』


「ううん、会いたい!」


『本当? じゃあさ、千代と一緒にさ――あ、千代には私から言っておくよ。千代も驚くだろうね』


「そうだよね」


『じゃあ柚子、また連絡する。というか、千代からそっちに連絡行くようにするよ。この番号でいい?』


「あ、これ詩乃君の。番号は、前と変わってないよ」


『わかった。柚子――連絡ありがとね。あと、旦那様にもそう言っておいて』


「わかった」


 そうして、旧友との電話を終えた柚子は、詩乃に抱き着いた。


「紗枝ちゃん、旦那様だって」


「全く」


 と、詩乃はそう言いながらも、その響きに心地よさを感じた。この感覚は酔いのせいだろうかと、詩乃はそんな疑問を残しながら瞼を閉じた。




 ゴールデンウィークの最初の一日、柚子は、高校時代の親友二人――紗枝と千代と会うことになった。紗枝には一歳半になる息子がいて遠くには行けないので、それならと、二人が紗枝の家に行くことになった。紗枝は、生まれも育ちも東京の浅草だったが、今は結婚して、静岡の三島に住んでいる。


 柚子と千代は、三島で落ち合ってから、二人で紗枝の家――浅茅邸に向かうことになった。浅茅邸は、三島駅から徒歩二十分ほどの場所にある一軒家である。千代は、去年の同窓会前に一度訪れたばかりだったが、柚子は初めてだった。


 三島駅の南口、樹木を囲むベンチに柚子は腰を下ろし、千代の到着を待った。


柚子は、レモン色のシャツに水色のガウチョパンツという格好で、三角形のミニバックは膝の上に乗せた。マスクも眼鏡もサングラスもしていないので、『新見アナだ』と通りすがりに気づいた人も一人、二人では無かった。中には携帯で写真まで撮る者もいたが、柚子は気にしなかった。


 暫くして、待ち合わせの時間より早く、千代がやってきた。


 駅を出た千代は、ぱっと南口の景色を見た瞬間に、その中にいる柚子を見つけた。


 木陰のベンチに腰をかけ、髪に軽く手を当てている。


 ――うわ、美人。


 と、千代は思わずそう思った。高校時代から、可愛いで有名な柚子だったが、今の柚子には磨きがかかっている。柚子は座っているだけなのに、座っている柚子がいるとその風景は、映画のワンシーンのような趣が出る。


「柚子」


 千代は柚子に近づいて、声をかけた。


 柚子は顔を上げて、立ち上がった。


 思わず千代は手を広げて、柚子を抱きしめた。


 久しぶり、元気だった、会えて良かった――と、再会を喜び合うハクチョウのように、二人はハグをしたまま、再会できた喜びを表現し合った。二人は同窓会の時に会っていたので、そこまで久しいわけでは無かったが、柚子の十二月の失踪事件を隔てるとその前後では、あの世とこの世を行き来してきたほどの時間を、柚子も千代も感じていた。


 実際千代の目から見た柚子は、同窓会の日の柚子とは、全く違って見えた。同窓会の時には、今にも壊れてしまいそうなほど繊細で、儚げだった。それが今は、新見柚子ここにありとばかりの活力を放っている。声にも目にも、そして腕の力からも、ちゃんとここに生きているという生命力が伝わってくる。


 三島の住宅街を歩きながら、千代は柚子の近況について質問攻めにした。本当は、紗枝の家に着いてからと思っていたが、千代は我慢できなかった。柚子も、千代には心配をかけた手前、話さないわけにはいかなかった。


 話をしながらだと、二十分という道は短く、二人はあっという間に『浅茅』の表札の付いた紗枝の家に着いた。所々雑草の生えた堅土の庭を持った木造一軒家。さらさらと綺麗な水が流れる用水路の前に門があり、車が一台ぎりぎり通れるくらいの、欄干の無い石橋が用水路にかかっている。


 門についたインターホンを鳴らすと、玄関ががらがらと開いた。


 紗枝が出てきた。落ち着いた深緑色のチュニックワンピースを着ている。柚子にとっては頼りになる姉御であった紗枝は、昔と変わらないどっしりした笑顔で二人を迎えた。


 紗枝の視線が千代と、そして柚子と、握手のように固く結ばれた。


 紗枝が二人に声をかけようと口を開いた時、後からその足元に、小さな実がちょこんと顔を出した。「あーちょっと、裸足で出ないで!」と、紗枝は慌てて実を抱えた。それから苦笑しながら、二人に向かって言った。


「ごめんごめん、上がって上がって!」


 柚子と千代は顔を見合わせて、すっかり母親になった紗枝の様子がおかしくて、笑いあった。それから二人は、浅茅家に上がった。




 浅茅邸の広いリビングに通された柚子は、手洗いうがいを済ませると、紗枝がコーヒーを淹れるよりも早く、早速実と遊び始めた。というのも、コーヒーを作ろうとした実が、紗枝と間違えて、洗面所から帰ってきた柚子の足に抱き着いたのだ。それで柚子は、実と遊ぶスイッチが入ってしまった。


 実の方も、最初は、人違いで泣きそうになったが、結局は泣かずに柚子に懐き始めた。実は一歳半になる男の子で、半年前に千代が見た時にはまだ歩けなかったが、今ではすっかり、不器用ながらも二足歩行ができるようになっていた。


 実と指で突きっこをして遊びながら、柚子が言った。


「目元、紗枝ちゃんによく似てる」


「あぁ、そうかな」


 紗枝は、コーヒーカップを用意しながら言った。


 うん、と柚子は、突かれてけらけら笑う実に笑いながら言った。悪戯っぽい、やんちゃそうな瞳。そして何より、体の元気を示すかのような目の力。


 紗枝と千代は、実と遊ぶ柚子を見、顔を見合わせて微笑んだ。柚子が元気かどうか、言葉で聞くよりも一目瞭然だった。柚子は、自分の持ってきた白茶の三角バックに実が興味を持ったので、それを、「どうぞ」と差し出した。すると実は、バックを受け取り、少しいじってから、「どーぞ」と、不器用な言葉でそう言って、バックを柚子に返した。


「ミノル君、どうぞ」


「どーぞ」


「私は、ユズ」


「うう」


「そう、柚子」


「うう!」


「そう! 賢いねぇ」


 柚子はそう言って、実の両手を握って揺すった。そうされると楽しいらしく、実はケタケタと笑った。

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