流れ星のささやき(2)
「――だからさ、まぁ俺は、詩乃の彼女の事知らないから偉そうな事言えないんだけど、わかってると思うよ、自分の彼氏のことは。ぐーたらするのも、怠け者なのもさ、わかってて、泳がせてんだよ」
「そうなんですかねぇ」
「いや、俺はさ、そんな気がするんだよ。じゃなきゃ、ただソレだけの男と同棲するか? 何か見込んでんだよ。俺は嫁さんが俺の何に惚れてんのかよくわかんないんだけど、お前の場合はさ、それこそ、小説があるだろ。その才能を買ってるとかさ」
清彦の意見は、詩乃には新鮮だった。清彦の言うようなことは、詩乃は全く考えてもいなかった。
「そんな風には考えたこと無かったです」
詩乃は、素直にそう言った。
「俺もさ、人ごとだから言えてんのよ」
清彦は、何とも言えない困惑顔でそう言った。
清彦も、男としての水上詩乃がどうなのか、ということはわからなかった。一般的な観点で言えば――つまり、経済力や経済的安定や、そういった物質的なものを基準に考えれば、自分も詩乃もダメンズのボーダーのこっち側にいる。しかし、そうではない観点で見た時には、女にとっては何か、面白さがあるのかもしれない。しかし清彦は、その何かの正体がわからないので、こうだ、と強く言い切れはしなかった。
「彼女、可愛いの?」
清彦は、むっつり顔でそう聞いた。
詩乃も、にまっと笑って応えた。
「はい、ものすごく」
「おいおいおい! なんだよ、ノロケかよ! ちょっと、写真見せろよ」
詩乃は「えー」と少しもったいぶってから、店の時計をちらりと見やった。
それから清彦に訊ねた。
「志波さんの携帯、テレビ見られます?」
「え? あぁ、うん――ほら」
と、清彦はテーブルの上に出していた携帯端末を操作してテレビの視聴アプリを起動し、詩乃にチャンネルを任せた。詩乃は端末のモニターを操作して、テレビ城東に番組をセットした。
映った番組は〈さたさんぽ〉。ちょうど柚子が出ていた。竹林の道を歩きながら、筍堀りをしている家族連れに手を振っている。
「何、この番組好きなの? あ、新見アナが出てるからか」
清彦は、詩乃と柚子が高校の同窓だということを知っている。そして詩乃が、柚子の事を好きだった、ということも。しかし清彦は、詩乃と柚子がその時代に付き合っていたということまでは知らない。詩乃の片想いだったと、会話の成り行きで清彦は勝手にそう勘違いしていた。
『今日は筍ご飯ですかね』
テレビの柚子は歩きながら、楽しそうにそんな言葉を視聴者に向けて言った。
清彦は数秒ほど柚子の散歩シーンを見ていたが、ある瞬間にふと、一つの可能性に気づき、息を止めた。そうして清彦は、詩乃の顔を見ながら言った。
「――まさかと思うけどさ……」
清彦は詩乃をまじまじと見つめ、詩乃の態度と目の中に答えを求めた。
詩乃は、唇を結んで恥ずかしさを噛み殺し、小さく何度か頷いた。
「……マジで?」
「そうなんですよ」
清彦は数瞬間言葉を失い、それから、ずいっと身を乗り出して、小声で詩乃に訪ねた。
「彼女って、彼女?」
「はい」
「え、一緒に住んでんの?」
「はい」
「マジか……」
清彦は、額に手をやって、天井を仰いだ。
そりゃあ、そういう反応にもなるだろうと、詩乃も思った。
「いや待て、それ、妄想じゃないの?」
「妄想じゃないですよ」
詩乃はそう言うと、自分のスマホをポケットから出して、柚子とのツーショットの写真を見せた。バレンタインデーの日の夜に撮った写真で、ガトーショコラを前に、詩乃は柚子に肩を組まれて、頬に頬を押し付けられている。
「あぁ、確かに新見アナだ」
清彦は、自分の携帯端末が映す〈さたさんぽ〉で散歩中の柚子と、詩乃のスマホの写真を見比べて言った。
「お前さ……絶対逃がすなよ」
清彦が言った。
「え」
「いやいや、早く結婚しろよ」
「でも――」
「でもじゃねぇよ。こんな可愛い子、いないって」
「それはそうなんですけど」
「うるせぇよ!」
清彦は、不貞腐れた様にメロンソーダを飲み欲した。
詩乃は清彦のころころ変わる声音と表情に笑った。
「いや、これでも、羨ましいよ。男ならだれでもさ。実際家でどうなの?」
「え、家でですか」
詩乃ははにかみ笑いを浮かべて、それから答えた。
「滅茶苦茶可愛いですよ」
詩乃の、意味ありげな目に、清彦は「くーっ」と目を閉じた。
「でもさ、アナウンサーって、高給取りだろ?」
「そう、ですね。かなり……」
「それ養っていくとか、無理じゃない?」
確かに、と詩乃は思った。
当たり前のことを言われた気がしたが、清彦に言われると、本当にその通りだと、今気づいたかのような気になる詩乃だった。清彦は、小声で詩乃に言った。
「男が養っていくとか、考えすぎない方が良いって。俺全然、夫の主夫とかありだと思うぞ。お前料理もできるんだからさ。で、小説は書き続けて、どっかで大逆転狙えよ。というか、それしかなくないか? 小説家が儲かるかどうか知らないけどさ」
「それでいいんですかねぇ……」
煮え切れない詩乃の取り皿に、清彦は大きく切られた三角ピザを放った。
詩乃は、そのピザを齧った。
チーズの濃厚な香りと、トマトソースのフレッシュな酸味が鼻に抜ける。
「お前そういうトコ頭硬いな」
清彦は言った。
「大丈夫だって。俺なんて、平気で仕事辞めて店持つとか、大博打してんだから。いやまぁ、全然平気じゃないんだけどさ。とにかくさ、そういう人間もいるんだから、お前、大丈夫だって。ていうか、この婚期逃したら一生後悔すると思うぞ」
詩乃は、うんうんと、頷いた。
確かに、清彦の言う通りだと思った。頭が固いのも、そして柚子と結婚しなかったら一生後悔するということも。
「ほら、これで頑張れ」
清彦はそう言うと、バックから細長い、四角い箱を取り出して、詩乃に渡した。詩乃は、油でべたついた手でそれを受け取るのを躊躇ったが、いいから開けろよと清彦に言われて、箱の包みを取り、箱を開けた。
中身は、ボールペンだった。
ボディーは綺麗な青いストライプ。ノックとクリップは金色。
「これで、賞取っちまえよ」
清彦が気安くそんなことを言うので、詩乃は笑ってしまった。
「ほら一応さ、お前には世話になったし」
「いやでも……自分は何も結婚祝いだって渡してないのに」
「いや、いいんだよそんなの。――じゃあ、こうしよう。何か賞取って一発当てたら、何か買ってもらおうかな」
「……いつになるかわからないですよ。一生無理かも」
「まぁ俺も、小説とか読まないからよくわからないんだけどさ。でも、お前何か、行けそうな気がするよ」
「え、どうしてですか?」
「さぁ? でもなんか、そんな気がする」
詩乃は、箱ごとペンを受け取って、手提げにしまった。
「わかりました。じゃあ――その時は札幌行きます」
「うん、来てくれよ。あぁ、新見アナも一緒にな」
「奥さんに怒られますよ」
「こっそりだよ、こっそり。見るだけだから」
「わかりました」
詩乃が言うと、清彦は笑って、豪快にピザを口に入れた。そして、ソースとチーズでべたべたの口のまま、詩乃に満面の笑みを見せながら、サムズアップをして笑って見せた。
ゴールデンウィークが近づく四月のある日、午前中で仕事を終えた柚子が帰宅した。詩乃は相変わらず酒を飲んで寝ていたが、柚子の帰ってきた気配で起き出した。まだ酒が残っていたので、和室からリビングに移動がしたものの、すぐにソファーに倒れ込んだ。
「ただいまぁ。寝てた?」
「うん」
詩乃は、頭を手で押えながら、息遣いの合間に応えた。
「詩乃君お昼食べた? 私作るよ」
「お腹空いてない」
「……そっか」
そんなやり取りの後、柚子は部屋着に着替えて、詩乃の隣に座った。
柚子は、詩乃の身体の事を心配していた。柚子は、詩乃が朝から酒を飲んでいることも、夕食しか食べていないことも、そして小説の創作意欲を失っているということも、全て知っていた。大丈夫だろうかと、柚子は詩乃の背中を撫でたり、手を握ったりして、その体温を確かめた。
そうして、そのうち柚子は、ソファテーブルのスタンドに立てかけているボードPCに手を伸ばした。柚子が大人しくそのPCモニター眺めているので、詩乃は、何を見ているのかと気になって、ちらりと画面を盗み見た。
高校生時代の写真だった。
女子高生が三人。一人は柚子、柚子の両脇の二人は、柚子と特に仲の良かった同級生だ。
「懐かしいね」
詩乃が言うと、柚子は、「うん……」と、浮かない顔で返事をした。
「今でも連絡取ってるの?」
「……連絡来たんだけど、ずっと返事返してなくて」
柚子が応えた。
「連絡は、いつ来たの?」
「一月……」
「あぁ……」
それは仕方がないよと、詩乃は柚子に言った。今年の一月頃はまだ、柚子は他人と関われるような状態では無かった。
「連絡、とってみればいいんじゃない?」
「うん、そうなんだけど、でも……」
柚子は、歯切れが悪い。
はぁと、詩乃はため息をつくと、柚子から、その親友二人の電話番号を聞いた。そうして詩乃は、リカーラックからスコッチを掴んで、それをショットグラスに入れてグイっと飲み干すと、聞いたばかりの連絡先の一つに電話をかけた。
「え、ちょっと――」
と、柚子が止める間もなかった。
数コールの後、電話が繋がった。




