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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
後日譚,霧の夜は二人だけ
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見上げる小さな影法師(4)

 ほどなく、柚子を支えながら、美奈が玄関にやってきた。詩乃は、玄関の扉を開けて待っていた。


「すみません、飲ませすぎちゃったみたいで」


 美奈は、詩乃に笑いかけながら言った。


「あぁ、そうですか。珍しい……」


 珍しいというよりも、柚子の酔っぱらった姿を見るのは、詩乃は初めてだった。柚子が酒に強いということは、本人から聞いて知っていたが、この二か月は、柚子に酒を飲ませないようにしていたのだ。


「すみません、上がってもいいですか?」


「あぁ、どうぞ」


 詩乃は扉を開いたまま、そう言った。


 美奈は柚子に肩を貸したまま靴を脱ぎ、廊下に上がった。柚子の靴は、詩乃が脱がせた。


「ベッド、どこですか?」


「あぁ、こっちです」


 詩乃は、美奈を和室まで案内した。美奈は、和室に並べて敷いてある布団の片方に柚子を横たえた。柚子も無防備だが、詩乃も大概無防備だなと、美奈は思った。敷きっぱなしの布団に、美奈は小さな興奮を覚えてしまう。


 布団に横になると、柚子はそのまま眠ってしまった。


「すいません、送ってもらっちゃったみたいで」


 詩乃は、和室の襖を閉めながら言った。


「いえいえ、いつも新見さんにはお世話になっているので」


「――あ、どうぞ、座ってください。お茶入れますから」


 詩乃はそう言うと、湯沸かし器に水を入れた。


「あ、すみません、お気遣いさせちゃって」


 美奈はそう言いながら、嬉々として、テーブル席に座った。


「新見さん、体の具合は、もう良いんですか?」


 台所でお茶請けを探す詩乃に、美奈は話しかけた。


 詩乃は丁度良い菓子を探しながら答えた。


「うーん、だいぶ良くなったと思います。仕事の復帰も、楽しみにしてますよ」


「そうですか。今日すみません、久しぶりだったのでつい、興奮しちゃって、昼間からワインを……」


「いえ、いいですよ。そこまで良くなったってことですから。きっと、久しぶりのお酒で、体が吃驚したんだと思います」


「お酒、久しぶりだったんですか?」


「二か月くらいは飲んでません」


「え、私、飲ませちゃって良かったんですかね……」


 美奈は少し、ひやひやしながら詩乃に訊いた。


「まぁ、大丈夫だと思います。新見さんも、嬉しかったんだと思いますよ」


 美奈は、詩乃が柚子の事を「新見さん」と呼んでいることを、少し意外に思った。てっきり、「柚子」と呼び捨てにしているものと思っていた。勝手に、詩乃をそういう男だと想像していた。


「あの時は、すみませんでした。初対面で、急にあんな、焦った電話しちゃって」


「あぁ」


 と、詩乃は、当時の事を思い出して笑った。


「いや、あれが無かったら、今頃どうなっていたかわからないので、感謝してますよ。でも――どうして私に連絡したんですか?」


「あぁ、それはですね――」


 と、美奈は、事の経緯を詩乃に説明した。美奈が説明している間に、詩乃はビスケットを見つけ、ハーブティーと一緒に美奈に出した。詩乃も、美奈の斜め向かいに座り、ハーブティーを飲みながら、美奈の話を聞いた。


「――あぁ、そうだったんですか、なるほど」


 詩乃も、実は、どうして美奈から自分に電話がかかってきたのか、知らないままだった。ずっと不思議に思っていたので、霧が晴れたような気がした。


「新見さんも驚いていました」


「あぁ、それは、そうですよね。そうか、今日まで知らなかったんですね、あのファンレターの差出人の事」


「そうだったみたいですね。まぁ、そりゃあそうなんですけど――水上さんだって知って、感動してましたよ」


 あははと、詩乃は苦笑した。


「――あぁ、このハーブティー、美味しいですね」


「そうですか、良かった」


「水上さんセレクトですか?」


「いえ、お茶関係は全部、新見さんが買ってます。新見さん、お茶詳しいから」


「あぁ、そうなんですね。お酒も新見さん、カクテルの資格持ってるし、すごいですよね」


「はい」


「あ、でも、水上さんも、料理のお仕事してるんですよね? すみません、新見さんから聞いちゃいました」


「いや、僕は、仕事って言っても、バイトです。オムライス屋のキッチンですよ」


「いや、それでもすごいですよ。私料理全然苦手だから、ちょっと尊敬しちゃいます」


 詩乃は、美奈の会話力に内心舌を巻いていた。


 日ごろワイドショーやバラエティー番組のようなテレビを見ず(それでも、柚子と暮らしてから、少しは見るようになったが)、流行りにも疎い詩乃にとって、テレビ城東のエース候補と言われる菊池美奈も、柚子の同僚くらいにしか感じていなかった。それでも、いざ美奈を前にすると、やっぱりさすがアナウンサーだなと思う所があった。


 柚子にしても、美奈にしても、似たようなところがあると詩乃は思った。性格は二人で全く違っていそうだが、その放つオーラ、輝きのようなものは、流石業界人という気がした。ただ顔が可愛いだけではない。


「新見さん言ってましたよ、詩乃君の料理が一番美味しい、って」


「いやいや……」


「でも、新見さんも料理上手ですよね? 私、一回だけここに押し掛けたことがあって、その時、おこげ作ってもらいました。すごく美味しかったんですよね。しかも、おこげって素人でも作れるものなのって、驚いちゃいました」


「おこげ作ったんですか? なかなか、面白いもの作りますね」


「新見さんといると、本当に楽しいんですよ。私には全くない考え方というか、その、世界を持ってて。それにやっぱり、優しいですよね」


「あぁ、それは、そうですね」


「でも優しすぎて、結構、ストレス溜めてると思うんですけど、どうですか?」


「うーん……いや、自分も、新見さんが休んでるこの期間しか知らないので、何とも。でもまぁ、何となく、想像は出来ます」


「高校時代は、どうだったんですか?」


「え、高校の時ですか?」


「はい。あ、すみません、これも、今日聞いちゃいました。その、馴れ初めまで。二年生の時の林間学校、でしたっけ?」


 美奈は、ちらりと詩乃を、いたずらっぽく見やった。


 参ったな、と詩乃は思った。


「――高校時代も、そうでしたよ。新見さんすごく、うーん、何ていうか……気を遣うのが普通だったから、自分じゃそのストレスも感じてなかったんだと思いますけど、たぶん本音も、なかなか言えなかったんじゃないかな。頼まれたら断れない性格ですよね」


「あぁ、やっぱりその頃からそうだったんですか!」


「今もそうなんですか?」


「ものすごく、そうですよ。周りはただでさえ我が儘多いから、可哀そうになる時ありますよ。って言う私も結構我が儘なんで、新見さん私の事でストレス溜めてないかなぁ……」


「いや、そんなことないと思いますよ」


 詩乃は気休めではなくそう答えた。


 何となく、柚子はこの後輩とは、良い関係を築いているような気がした。


「でも、水上さん、思い切りましたよね、京都まで行って新見さん探し出すなんて」


「あぁ、まぁ……」


「確証あったんですか?」


「無いですよ。ただ、そこくらいしか考えられなくて」


「なかなかできませんよ。京都まで――」


「いや、そりゃあ、どうしようか迷いましたよ。ちょうど店も、ピークタイムに差し掛かってて、自分が出て行ったら、回らないかもしれなかったので」


「でも、行ったんですよね」


「店長には申し訳なかったですけど……」


 ふむふむと、と美奈は頷いた。


「バスの免許も持ってるって聞いたんですけど」


「え、そんなことまで言ってましたか?」


「はい。水上さん、多才ですね」


「いや、全然。成り行きです」


 いやいや、と美奈はそう言いながら、ハーブティーに口を付けた。


「ところで――」


 と、美奈は声を潜めて詩乃に訪ねた。


「結婚はするんですか」


 詩乃は、美奈の目をじっと覗き込んだ。


「――やっぱり結婚すると、仕事に影響出るんですか?」


 詩乃は、そんな事を美奈に聞き返した。


「全然大丈夫です――というのが会社の建前です。正直な所実際には、ちょっと……いやぁ、まぁ、結構、というか、そこそこ出る、というのが現実ですかねぇ。まだやっぱり、テレビ局って男社会なんですよ。アナウンサーって、社内でもちょっとしたアイドルなんです。男連中って、自分のモノでもないのに、部下ってだけで女子アナを、自分のモノだって、変に勘違いしてる奴が多くて。それに視聴者――というか、ファンですかね、本当にアイドルみたいな感じでアナウンサーのこと見てる層もいるので……何となく解ります?」


「すごくよくわかります」


「ですよね? まぁ売り出し方がアイドル売りなんで、そうなるんですけど、やっぱり視聴者人気考えると、女子アナは結婚すると少し――正直に言えばかなり、もうそれで売るのが難しくなるんですよ。本当に、アイドルと同じです」


「そうですか……」


「でも新見さんの場合は――」


「それ続けなきゃいけないなら、やっぱり仕事辞めてもらった方が良いかな」


 詩乃が真剣に考え込みながらそう言ったので、美奈は慌てた。


「え、いや――でも、新見さん復帰したいって言ってるんですよね?」


「でもそれは、本当にソコに楽しさを見つけてるとは、思えないんですよね」


「えっと、ソコっていうのは……」


「アイドルみたいな扱いを受けることです。高校の時も新見さん、周りはアイドル扱いしてましたけど、本人はあんまり、そういうの、好きでは無かったような気はするんですよね。いつの間にかそうなるから、それはそれで、そういうもんだと受け入れていたとは思うんですけど」


 なるほど、やっぱりこの人は、新見さんの彼氏なんだなと美奈は思った。美奈も、柚子については同じことを思っていた。本当は気乗りのしないことでも、そういうものだと〈受け入れる〉。まさに新見さんはそうだ。だから、〈女子アナ〉売りをされて、そういう振舞を要求されても、嫌とは言わない。そういうものだと受け入れる。割り切っているのとも違う、〈受け入れる〉のだ。


「自分はだから――受け入れすぎたから、あんな風になったんだと思ってます」


「……」


 美奈は、返す言葉に詰まった。

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