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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
5,この空が崩れ落ちても
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かさね色目の陽炎(8)

 美奈の指摘に、柚子はギクリとした。


 確かにそうなのだと、柚子も気づいていた。未成年の恋愛ではないのだから、進んだ先にあるものが何かくらい、互いにわかっている。明は確かに、実業家らしい抜け目なさはあるけれど、自分のことを遊びと考えているようには見えない。


 いまいち浮かない柚子の顔色を見て、美奈は眉を顰めた。


「まぁでも、ひとまず恋人関係になっておきたいくらいの気持ちかもしれないか」


 美奈は、柚子の顔色を見ながら、独り言のように言った。


 柚子は、静かにワインを飲んだ。


 十二月三日の夜、明は自分とのデートのために、東京湾を一周するクルーザーを貸切った。単なる誕生日祝いとは思えない。たぶん、美奈の見立てが正しいだろうと、柚子は直感していた。


「先輩、保留にしてるんですか、返事」


「うん」


 冬璃の質問に、柚子は頷いた。


「いいですねぇー」


 美奈が、悪戯っぽく笑いながら言った。


 いいんですか、と冬璃が美奈に返す。


「いや、だってさ、新見さんが誰かに主導権握られるのって、何か嫌じゃない?」


「あー……わかります」


 冬璃は苦笑いを浮かべた。


 二人が、自分の背中を押そうかどうしようか、考えてくれているのが柚子には分かった。


「十二月三日までに答え出さないといけないんだ」


 柚子が言うと、美奈と冬璃は同時に口を開き、同じことを言った。


「誕生日ですか!?」


「え、あぁ、うん……あれ、私誕生日教えたっけ?」


「プロフィールに載ってるじゃないですか」


 柚子の疑問に、冬璃が応えた。


 冬璃も美奈も、共演者の誕生日はすっかり把握していた。それだけでなく、実は二人はすでに、柚子への誕生日プレゼントも準備していた。美奈は、柚子に予定が無ければ家に招待しようかと思っていたくらいだった。


「誕生日デートですかぁ」


 美奈は、柚子を祝えないことの残念さをすっかり隠して、にまっとした笑みを浮かべながら柚子を見た。


「う、うん……」


 柚子は恥ずかしそうに俯いた。


 その反応に思わず、冬璃は胸を打たれてしまった。落ち着いていて、包容力があって、およそ女性として限りなく完成されていそうなのに、時折、小学生のような子供っぽさを見せる。ガードが堅いのか、無防備なのか、冬璃は柚子の事が分からなくなる時がこれまでにもしばしばあった。そういう時には必ず、そのアンバランスさに魅了されてしまう。


「プロポーズされたら、受けるんですか?」


 ドキドキしながら、冬璃は柚子に聞いた。


 柚子は、唇を結んで俯いた。


「付き合うにはいいけど、結婚ってなるとちょっと違うなって相手、いますよね」


 美奈が言った。


 柚子は顔を上げて、慌てて応えた。


「栖常さんは良い人だよ。でもそんな、急がなくてもいいかなって」


 柚子の「急がなくてもいい」が強がりなのか何なのか、美奈には少しわからなかった。二十七――もうすぐ二十八になる女が、婚期を意識しないわけがない。結婚をした友達に嫉妬をするなんて言っていたくらいだ。決定を先延ばしにするには、それなりの理由があるはずだと美奈は思った。美奈はもう少し、そのあたりを突いてみることにした。


「――まぁ、確かに、慌てることないですよね。新見さんなら、引く手数多そうだし」


「そういうんじゃないんだけど――」


「いや、そうですよ。新見さんを口説く勇気のある男は少ないかもしれないですけど」


 美奈のツンとした言い方に、冬璃はハラハラしてしまう。


 柚子はぎゅっと奥歯を噛んだあと、フォンデュ鍋の蕩けたチーズを見つめて言った。


「……本当は、相談したい人がいるんだけど」


「え、誰ですか?」


 美奈はマッシュルームをフォークに突き刺し、チーズに絡めながら柚子に聞いた。


「もうその人、連絡取れなくて」


「友達ですか?」


 美奈が訊ねる。


「うーん……高校の時の同級生なんだけどね。友達というより、なんていうのかな……私の、先生みたいな人」


「えっ! 先生ですか!?」


「違う、違うよ! 同級生!」


 美奈に変な誤解をされそうなので、柚子は慌てて訂正した。


「え、じゃあ、会えるんじゃないですか。今週、同窓会なんですよね?」


 美奈は、何気なく柚子に言った。冬璃も、柚子の同窓会の予定は知っていた。一度聞いたことは、他人のスケジュールでもプロフィールでも、何となく頭に入って、記憶してしまう。それは、美奈にしても冬璃にしても同じだった。


「連絡先わからないから、招待状出せなかったんだ」


 柚子が言うと、少し間を置いてから冬璃が柚子に聞いた。


「その人って、男の人なんですか?」


「うん」


 おや、とワインを飲む美奈の肩がぴくりと反応した。


 ワイングラスの縁から美奈はにやりと笑みを浮かべた。


「元カレですかぁ?」


 柚子は、うっと息を止めた。


 ドクンと、心臓が飛び跳ねる。


「あ、ホントにそうなんですか?」


 柚子は、はにかむような笑みを見せ、微かに頷いた。


「二人もそういう人、いない?」


 柚子は二人に訊ねた。


 ところが柚子の予想に反して、美奈も冬璃も首を傾げて考え込んでしまった。


「え、二人とも初恋いつなの?」


 柚子が聞くと、冬璃は応えた。


「初恋は中学生だったと思うんですけど、ただ片想いして終わりました。私すっごい地味だったんで、その、青春っぽい事全然してこなかったんですよね」


 あはははと、美奈が笑った。


「いや、椎名、私もそう」


「えー、いや、菊池さんは私とは全然輝きが違うじゃないですか」


「まぁ、地味じゃなかったけど、ドロっとした青春だったわよ。初恋とか、もう、サイテーだったし」


 美奈はそう言った後、柚子と冬璃の興味深々という表情を見て、心の中で小さくため息をついた。自分が話題を振った手前、もう話すしかないか、と諦めて口を開いた。


「いや、全然面白くないんですよ。高二で、まぁ、ちょっと悪っぽい仲間とツルんでた時代ですよ。初恋ちゃあ初恋だったんだと思うんですけど、まぁ、彼氏ができて――でも三カ月くらいで別れました。――結局、身体目的だったんですよね。そういう動画撮影されそうになって、一気に冷めて。で、これじゃダメだと思って、勉強始めたんです」


 美奈は言い終わった後、残りのワインを一気に飲み欲した。


 柚子は、早速、美奈のグラスに冷えたワインを注いだ。


「で、新見さんの初恋はどうだったんですか?」


「私は……」


 柚子は少し考えた後、懐かしむ様な眼差しでワインのボトルを見つめながら言った。


「文芸部だったんだ、その人。今頃作家になってるかも」


「あ、わかりましたよ、新見さん。まだその人の事、忘れられないんじゃないですか?」


 だから、今カレと「進む」ことを躊躇っているんですよねと、そういう言葉を口調と表情に含ませて美奈が言った。頭の悪い恋愛脳的な発想だと美奈は自分でも思ったが、今は、柚子とこの話題で盛り上がれるなら何でも良かった。


 そんなことないよ、と柚子は大袈裟に笑って否定した後、思い出話をしてくれるだろうと美奈は思った。ところが柚子は、時間が止まったように固まってしまった。


 美奈も冬璃も、あれ、と思った。


 柚子ははっと思い出したかのように呼吸を再開し、二人に笑みを見せ、自分の作ってしまった不自然な沈黙を取り繕うように明るく応えた。


「ううん、もう忘れたよ」


『ええ、絶対忘れてないじゃないですかぁー』と、美奈は話を広げられそうな返しを用意していた。今日は新見さんに話させようと、美奈はそう決めていた。二人だけだと、どうしても自分ばかり話してしまうから、今日は冬璃も連れて来た。


 しかし美奈は柚子の反応を見て、この話はこれ以上聞いちゃいけないと直感した。ただ恥ずかしがっているのとは違う。何かわからないが、新見さんの中のブラックボックスに触れてしまったような気がする。


「あ、ごめんね、ちょっと電話する所あるんだった。ちょっと席外すね」


 柚子はそう言うと、携帯を持って部屋を出た。


 二人残された美奈と冬璃は、顔を見合わせた。


「どうしたんですかね?」


 冬璃は、小声で美奈に聞いた。


「どっか連絡忘れてたんじゃない?」


 美奈はあっさりと言った。


「そうですかねぇ……」


 訝しむ冬璃に、美奈はその思考を遮る様に訊ねた。


「椎名、彼氏いるの?」


「え! いきなりですか!?」


「大丈夫、情報売ったりしないから」


 冬璃は思わず力なく笑い、応えた。


「います。――大学からの付き合いなんですけど」


「椎名、大学京都だったよね? もしかして、今遠距離?」


「そうなんですよ!」


「大学から続いてるんだ」


「はい」


 ふーん、と美奈は相槌を打ち、それから、にやりと笑みを浮かばて冬璃に言った。


「京都でも国内だったら、向こうは毎日会えるもんね」


 冬璃は、笑いながら応えた。


「でもあんまり、見てほしくないんですよね」


「なんで?」


「恥ずかしいですよ」


「え、今更?」


「いや、そうじゃないんですよ」


 冬璃はぎゅっと顔を窄めた。冬璃が悩んでいる時は、いつもこの顔になる。


「カメラの前って、やっぱり言葉遣いとか、表情とか、気を付けるじゃないですか。それを見られるのが、嫌です」


「作りもの見られるのが嫌って事?」


「作りものってわけじゃないですけど、嫌じゃないですか?」


「他の男には見られてもいいのに?」


 冬璃はまた、梅干しみたいな顔になる。


「半分タレントみたいなもんなんだから、割り切らなきゃ」


 冬璃はそう言われて、少し腹が立った。

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