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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
5,この空が崩れ落ちても
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かさね色目の陽炎(6)

「私も、紅葉になりたいな……」


「どういうこと?」


「綺麗だから」


「新見ちゃんだって綺麗じゃない。紅葉がうらやむよ」


 柚子は微笑を浮かべて首を振った。


「私が葉っぱだったら、色が変わる前に、風に飛ばされちゃうと思う」


「そんなことないんじゃない」


「ううん。私は……いてもいなくてもいいんじゃないかなって……」


 明は、柚子の肩を抱き寄せた。


 柚子は、ぱたりと、明の肩に頭を寄せた。


 柚子は、小さな声で言った。


「アナウンサーは、私にぴったりだと思ったの。他の人の意見を聞いたり、代弁したり、自分の意見は、必要とされないから。――でも、私は菊池アナウンサーの方が好き。ちゃんと自分の意見を持ってて、主張して……。私の代わりはいくらでもいるけど、菊池さんの変わりは、どこにもいないでしょ」


「そんなことないよ、俺は、新見ちゃんの方が好きだよ」


 明は、柚子の肩を、子供をあやす様に、ぽんぽんと叩いた。


「私、どこに向かってるのかわからない……」


 柚子は目を閉じ、明の肩に体重をあずけた。


「俺も似たようなもんだよ」


 明はため息ついてから、そう答えた。


「自分も、会社を立ち上げた時はね、自分でどんどん仕事をやって――俺は、需要を見抜く方が得意だったから、それを見て、仲間と一緒にソフト作って、売り出して。でも、会社が大きくなっていくとね、動かす側になると、自分が、働かない方が良いんだ。部下にどんどん仕事を割り振る。適材適所を見抜いて、ざっくり、全体の道筋だけを決めていく。でも最近は、その意思決定さえ、譲渡してる。――そこで思う時はあるよ。俺の存在って何なんだろうってね」


 柚子は、明の話を、じっと見上げながら、目を見て聞いていた。


「明さんでも、そうなの?」


「うん、そうだよ」


 明は、微笑を浮かべながら応えた。


「俺は会社を立ち上げたかもしれないけど、今じゃ……俺にしかできない仕事がどんどん減ってきてる。まぁ、組織としてはそれの方が良いんだけどね。そのうち俺は厄介者だよ。そうならないように、〈カリスマ〉なんてダサい肩書引っ提げて、営業したり、講演に出たりしている。〈ARリテラシーとは何か〉 、〈未来のIT規制はどうなるか〉とか……自分で考えろ馬鹿野郎って思うよ」


 乱暴な言葉の結びに、柚子は笑った。


「そっか……そうなんだ」


 柚子はそう呟くと再び目を閉じ、明の肩に頬を寄せた。


「まぁ俺は、成功者らしく振舞うのは好きだから、今の立場を結構楽しんじゃってるよ。もったいぶってマイクを持って、偉そうに当たり前のことを言う。社会貢献、人類の未来、次世代の倫理――なんて言葉を使うとそれっぽく聞こえるんだ。それを俺が言うと、拍手が起きる。その時の俺のしたり顔、気持ち悪いよ」


 柚子は、明の自虐に声を出して笑った。


「全部建前だよ。実績、才能、金持ちならその財力――何かを持ってる人間には、それに見合う人間性とか、社会性みたいなものを皆期待するんだ。だから俺は、大衆の望むパフォーマンスをしてやってるだけ。――見損なった?」


 柚子は笑みを浮かべたまま首を横に振った。


「本当は、ただの好奇心と、ちょっとした野心だけだったよ。自分を試してみたかったっていうのと、あとは、俺は他の人間と違うんだって、そんな自己主張みたいな――遅れてきた反抗期だったんだと思う。需要を見つけて、使えそうなものがあったから、その需要にはまるような形の商品にして、売り込んだ。そしたら、たまたま上手くいった。ただそれだけ。社会に対してどうとか、SNSリテラシーがどうとか、そんなのは後付け。子供のいたずらと一緒かな。別に、立派な信念があったわけじゃないよ。でも、俺にそれを望む人間が多いから、そういうすさまじい志を持っていた、ということにしてる。じゃないと、皆納得しないから」


 柚子は、少し心が軽くなるのを感じた。


 この人とだったら、一緒にいても大丈夫かもしれない――柚子はそう思った。


「新見ちゃん」


 明は、柚子の肩に軽く触れながら言った。


「友達と思ってくれなんて言ったけど、もう一歩進むのは嫌かな?」


 柚子は、じっと明の目を見つめた。


 柚子も、いつかはこの時が来るのはわかっていた。明の自分に対する気持ちは、最初から気づいていた。そして自分も、その時が来たなら、流れに身を任せたいと思っていた。だからこそ、デートを断ったりはしなかった。


 それなのに――なぜか柚子は、その場で即答できなかった。


 うん、とただ一言言って、首を縦に振ればいい。


 もうそれすら無しにして、もう一度明の身体に抱き付いてしまえば、それで先に進める。


 それなのに、自分の中の何かがそうさせない。


 柚子が答えを躊躇って作った沈黙は、そう長くはなかった。


 しかし明にとっては、その時間が一つの答えだった。


「ごめんね、急かすようなこと言って」


 へらへらと、明はいつものように笑う。


 柚子は、ぱっと明のジャケットを微かに掴んだ。


 身体がそう反応した後、柚子は、自分はなんてズルい女なのだろうと思った。


「――十二月三日、新見ちゃん、誕生日だよね」


「うん……」


「夜、時間くれないかな。その時に改めて今の話をしようと思うんだけど」


 柚子は、こくりと頷いた。


「良かった、ちょっと、焦りすぎたね。雰囲気に呑まれちゃったよ」


 明るい調子で明が言う。


 柚子は、両手を臍の前できゅっと握った。


 明は頭を掻いた。






 水曜日の〈昼いち!〉の放送が終わり、それぞれに二時間ほどの仕事をした後、柚子、美奈、そして冬璃は揃って会社を出た。潮見駅まで歩き、そこでタクシーを拾い、冬璃を真ん中にして後部座席に乗り込む。美奈が行先の住所を運転手に告げると、すぐに車は動き出した。


 冬璃は、二人の先輩に挟まれて、緊張していた。この三人だけで食事をするというのは、これが初めてだった。特に美奈とは、半年ちょっと〈昼いち!〉で共演してきているにもかかわらず、仕事以外ではほとんどプライベートな会話もしたことがない。冬璃からすれば、売れっ子女子アナの美奈は、同じアナウンス部の同僚とはいえ、気安く声をかけられる先輩ではなかった。美奈は冬璃から見ても、他のアナウンサーとは少し違う、タレントのようなオーラを放っている。


 一方で柚子とは、冬璃はよく話をしていた。冬璃はまだ入社二年目で、アナウンスのスキル的な問題と、それ以上に精神的な不安を抱えていた。柚子は、そんな冬璃の相談を聞いたり、読み上げの指導をしたりしていた。


 冬璃にとっては絶対的な先輩二人。そしてその二人の関係が、〈良好〉でないことも、冬璃は気づいていた。日頃から一緒に仕事をしていれば、すぐにわかる。美奈は柚子に、常に臨戦態勢のような笑顔の仮面をかぶって接している。――つい最近まではそうだった。


「楽しみだね」


 柚子が、ふわんとした声で言った。


「ワインもいいのがあるみたいですよ。新見さん明日休みなんですから、今日は酔っぱらってくださいね」


「まだ夕方だよ」


「もう夜ですよ」


 美奈と柚子は、いかにも楽しそうな声でそんなやり取りをする。冬璃は、今日の食事会の趣旨が、まだ掴めていなかった。放送用のネタ作りのためなのか、それとも、何か大事な話があるのか。はたまた、ただ普通の楽しい食事会なのか。しかしこの面子で、「普通の食事会」なんてありえるだろうか。


「椎名、緊張してるの?」


 美奈は、冬璃の立場やその心境を察していながら、あえて悪戯っぽくそう聞いた。


 美奈に見つめられて、冬璃はドキりとした。


 美奈の可愛さは、同性の冬璃からすれば、それはそのまま恐怖に感じられた。腕力や学歴や財力よりも、可愛さは即効性がある。ただ見つめられただけで、勝敗が決してしまう。口を開くまでもなく、一方的に、一瞬で。


「……はい」


 素直に、冬璃は頷いた。


 けらけらと、美奈は笑った。


「そりゃあそうだよね。私に誘われたら――っていうか聞いてくださいよ新見さん。この子私がこの会誘った時、固まっちゃたんですよ。新見さんの名前出したらやっと動き出して――」


「違います違います! 嫌とかじゃなかったんですよ! でも、驚いたんです。だって、今までそんなことなかったじゃないですか」


 弁明する冬璃の目のふちは、早くも赤くなっていた。


 自分は今日これから、一体何を言われるのだろうか。


「今日の食事会、提案したの菊池さんなんだよ」


 柚子が言った。


「そうなんですか?」


 冬璃は、柚子の方を向いた。


「お店も、菊池さんが見つけてくれたんだ」


 ありがとうね、と続くような気配を感じて、美奈は透かさず口を開いた。


「まぁ、店は結構知ってますから」


「本当は私が決めるはずだったんだけどね。招待したかったお店、もう閉店しちゃってて。だから料理だけ決めたんだけど、なんか我が儘みたいになっちゃった」


「新見さんのお勧めのお店、行ってみたかったですよ」


「うん、私も残念。特別な場所だったから」


 二人のやり取りの間で、冬璃は悩んでしまった。


 十月に入ったあたりから、確かに二人は――というより、菊池さんは、放送の前でも後でも柚子先輩と一緒にいる時は、やたらと柚子先輩に話しかけるようになっていた。何かあったのかな、と、そんな風に不思議がっているのは自分だけではない。けれど誰も、二人の仲についてはよく知らない。『好感度のための仲良しアピールだろ』と、それが製作スタッフ陣の大方の見解だ。


 タクシーは二十分とかからずに目的地に着いた。


 築地某所、大通りに面した賃貸オフィスビル。そのビルを半周して裏手に回る。一方通行の小さな路地。その片隅に、小さなガス灯に照らされた、地下へ続く煉瓦造りの階段があった。それが何の入口なのかは、階段の下を覗いて、その木製の扉の前に指揮者用譜面台のようなメニュースタンドがあるのを確認しなければわからない。


 その隠れ家的な地下の店が、美奈が予約したレストランだった。入口正面には受付用のカウンターがあり、そこから廊下が三方向に伸びている。廊下の壁はごつごつした岩肌のようになっている。美奈が受付をすると、早速ウェイターが三人を部屋に案内した。廊下は明るかったが、三人は、カタコンベやパリのマッシュルーム栽培庫や、モルドバの地下ワイン倉庫など、過去番組のどこかで観たり携わったりしたコーナーの映像をそれぞれに思い出していた。


 三人が案内された個室はクリーム色の壁紙の、南部フランスをイメージして内装を施された部屋だった。壁にはモネを思わせるタッチの風景画がかかっていて、その絵画にも空の青や雲の白、木々の葉の緑が美しく、アルプスの明るい自然を感じられる。


 五人で囲めるほどの円卓には水色のテーブルクロスが敷かれている。しかし椅子は円卓を囲まず、片一方の円弧に三つ並ぶような形で配置されていた。間隔もかなり狭い。――これは、美奈の注文だった。


ここでも冬璃は、柚子と美奈の真ん中に座ることになった。

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