ハリネズミ(10)
「私、いらないのかなぁって、よく思うんだ」
沈黙の後、柚子が言った。
「え、なんですかそれ! そんなこと、思ったことないですよ! 新見さん、人気じゃないですか。なんでそんなこと思うんですか」
「うーん……」
柚子はうめき声のような生返事のあと、飲み欲したワイングラスのグラスプレートのあたりに視線を落とした。
食器を片付けた後、二人はソファーに座って、のんびりとテレビを見ながら、美奈の持ってきた焼き菓子をテーブルに広げた。可愛らしいマカロンラスクやマドレーヌ、フィナンシェは、見ているだけでも楽しい気分になる。
折角だからと、柚子は食器棚を開けて、紅茶の準備をし始めた。
白磁に赤薔薇のシンプルなデザインのティーセットが出てきて、美奈は思わず「可愛い」と声を上げた。きっと有名なブランドのものに違いない。コペンハーゲンやマイセンとは違う。ウェッジウッド? ジノリ? 頭の中にある食器ブランドのリストを広げた後、美奈は、自分の貧乏性に嫌気がさした。何かというとブランド、ブランド。これじゃあ結局、何十万というワインを飲ませたり、何台限定という高級車のオーナーであることを自慢する男たちと一緒ではないか。
そしてふと、食器棚の中――ティーセットが置いてあった棚の一画に、美奈はスノードームを見つけた。
「一目ぼれで揃えちゃったんだ」
そう言いながら、柚子は電気ケトルで湯を沸かし始めた。
「あれ、スノードームですか?」
美奈は、柚子が閉じた食器棚を指さした。
柚子は、驚いたように目を丸くし、それからふんわりとした笑顔を浮かべ、閉じた食器棚を再び開いた。そうして、棚にしまっていたスノードームを、両手を重ね添えた掌に乗せて美奈に見せた。
「これ?」
「それです。あぁ、やっぱりスノードームなんですね」
「好き?」
「はい、私そういうの好きなんですよ。ちょっと気になって」
柚子はにこりと笑うと、スノードームをティーポットの隣に置いた。美奈は柚子の許しを得て、スノードームをくるりと回転させた。再びテーブルの上に置かれたスノードームのガラスの中に、雪が舞った。雪の中で、親ペンギンと小ペンギンが手を繋いでいる。
「ペンギンのスノードームって、初めて見ました。可愛いですね」
「うん」
「これも衝動買いですか?」
「ううん、これは、貰い物」
「番組の企画とかですか?」
「ううん」
「へぇ、いいですね。こういうプレゼントって、なかなか無いじゃないですか」
そのうちに湯が沸騰して、柚子はその熱湯をティーカップとポットに注いだ。ポットは、薔薇柄のポットの他に、ガラスのものも用意している。ガラスのポットが温まるのを待って、柚子はガラスポットの湯を捨てて、そこに金のスプーンで茶葉――マリアージュ・フレールのダージリンを入れ、そこに再び熱湯を注いだ。茶葉がくるくるとガラスポットの中で動き回り、湯の色が、明るい金茶色に変わっていく。
「新見さん、紅茶も、何か資格持ってるんですか?」
「ううん、紅茶はお母さんが好きで、自然と淹れ方とか覚えたんだ」
茶葉が程よく蒸らされて、色も香りも丁度良い頃合いで、柚子は茶こしを使いながら、紅茶を白磁に薔薇模様のティーポットに移した。美奈は、その作業をしている時の柚子の横顔、伏し目がちのまつ毛の小さな動きに、同性ながらドキドキしてしまった。
ティーカップの湯を捨てて、温まったそのカップに柚子は紅茶を注いだ。緑に淵どられたソーサーに、紅茶の入ったカップを乗せる。
「じゃ、飲もう。おいしいんだよ、このダージリンティー」
「砂糖って、入れてもいいんですか?」
「どっちでもいいよ。でも一口、ストレートでも飲んでみてよ」
美奈は、柚子に言われた通り、何も足さずに一口飲んだ。
まだ熱い紅茶を、ちょこっとだけ、舐めるように啜る。それを、口の中全体で味わう。思った以上の爽やかな風味の広がりに、美奈は驚いた。
「あぁ、美味しい。これ、普通の紅茶飲めなくなりますね」
「美味しいよね、私もこれ、好きなんだ」
柚子も、美奈の隣に坐って、一口飲んだ。
美奈は、じっと柚子を見つめ、それから、自分と柚子の間の、女子会にしては随分開いたスペースを座り直して埋めた。腕と腕がくっつくほどの距離感に柚子は驚いたが、そんな驚いた柚子の顔を見ると、美奈は妙な満足感を覚えた。
「新見さんって、本当にお嬢様なんですね」
「え?」
「お嬢様ですよ。こんな丁寧に紅茶淹れられる人、見たことないです。――お金持ちとかはいるじゃないですか。私みたいに、これ見よがしにシャネルとか、ブランドものつける人って――はぁ……」
美奈は、砂糖を入れる必要のない、ストレートで充分美味しい紅茶を飲み、息をついた。
「――やっぱり、お嬢様友達とかいるんですか?」
我ながら下世話な質問だなと思いながら、しかしあえて美奈は、そんなことを聞いた。
「え、お嬢様友達!?」
「セレブ会みたいなの」
「無い無い」
柚子は笑って首を振った。
「たぶん二人目だよ、この家にお友達呼んだの」
「え、そうなんですか?」
「うん」
えー、と美奈は声を上げた。
「パーティーとかしないんですか」
「しないよ! 菊池さん、するの?」
「自宅じゃしないですけど……新見さん、普段人と会わないんですか?」
「そんなことないけど、でも、家にあげることは本当にないね。――別に、上げたくないわけじゃないんだよ? でも、そういう話にならなくて」
美奈は、和室に飾ってある華やかな着物を眺めた。
そこに、柚子の孤独が見えるような気がした。知り合いも、友達も、親さえも、自分のプライベートを平気で人に売り渡してしまう。そして、本当に仲の良かった人たちは、私の人気に恐れをなして、離れて行ってしまう。美奈は、自分の孤独と柚子の孤独を重ね合わせた。
「一人目って誰なんですか? 彼氏?」
「ううん。佐山さん」
「えっ、佐山さんって、佐山博美ですか!?」
美奈は素っ頓狂な声を上げた。
佐山博美と言えば、二年前まで〈昼いち!〉のMCをしていたアナウンサーだ。他局プロデューサーとの不倫報道で番組を降板、その後会社も辞めた。その佐山博美の名前が柚子の口から出るとは思っていなかった。
「仲良かったんだ。先輩で、色々教えてくれて」
「佐山さんって、今何してるんですか?」
柚子は首を振った。
「もう一年くらい連絡取ってないな。元気ならいいんだけど……」
美奈は、博美を直接は知らなかったが、その世代では出世頭だったことくらいは知っていた。不倫なんて、馬鹿な女――と、それくらいの感想しか今の今まで、美奈は持っていなかった。男なんかで自分のキャリアを棒に振るなんて。
博美のことを考えていた美奈はふと、あることを思い出した。そういえば新見さんも、去年あたり、出演していた『さんサタ!』で、不倫を容認するような発言をして叩かれていた事があった。あれは、博美を擁護しようとしていたのかもしれない。
美奈は、大抵のことになら悪態をつけるが、佐山博美に関しての悪口は、胸の中に蓋をして忘れることにした。博美のことはどうでも良かったが、柚子を傷つけたくはないと美奈は思った。
「新見さん、彼氏いないんですか?」
「え、突然だね」
「やっぱり、そこはねぇ、共有しましょうよ。――大丈夫です、私絶対他言しませんから。あ、じゃあ、先に私が話しましょうか。週刊誌が飛びつくような話、実は全然あるんですよ」
美奈は茶目っ気たっぷりに言った。
「じゃあ、お酒飲む?」
柚子はそう言うとっ立ち上がり、紅茶のカップやポットを片付け、それから、シェイカーやバースプーン、ミキシンググラスなどを準備し始めた。
応援レター送り主 様
応援のメッセージ読みました。
独創的で素敵な言葉の数々、ありがとうございます。救われた気がしました。
私は実は、夜空を見るのも、ポエムも星も大好きなんです。
特に、月です。月、お好きですか? 月の光は、私に「星のどこかに咲いている花」を思い出させてくれるのです。そこで落とした2ペンスを探しているのですが、もしかして、心当たりありますか? ――なんて、すみません、わけわからないですよね。私もポエムのようなことを書いてしまいました。
ところで、私は一等星なんかじゃないのです。恒星の光は、自分で輝いた光です。テレビの前の私がそう映るのは、周りのたくさんの光が、私を照らしているからです。それに、流れ星でもないと思います。流れ星のように、夜を突き進む勇気も、私にはありません。
きっと、送り主様は、ビー玉ではなく、同じ透明だったら、水晶玉やダイヤモンドです。あんな素敵な言葉を他人のために送れるのですから。ビー玉は、私の方です。美術館に、宝石と偽って飾られているビー玉。なんだか、そんな気がします。
でも、こんなことなかなか誰にも言えず、書くこともできないので、気持ちが楽になりました。本当に、メールありがとうございます。実は、ファンレターにお返事を送ってはいけない決まりがアナウンス部にはあります。だから今後、素敵な応援を貰っても、お返事できないかもしれません。
でも、私は全部読みます。だから、たまに、本当に気が向いたらでいいので、メール下さい。こんな、押しつけがましいお願い、本当にどうかしていると自分でも思うのですけど……。
テレビ城東総合編成局アナウンス部
新見柚子