表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
4,月の光に見上げれば
148/243

雪の中(2)

 楽しそうにそうする柚子の様子を見て、詩乃はいっそう悩んだ。ここに来たからには、その理由を言わねばならないだろう。しかし詩乃は、そう決めていても、気が重かった。


 詩乃は白玉ぜんざいを頼み、柚子は白玉あんみつを注文した。


 少し待った後、ぜんざいとあんみつが、どしりとした黒い陶器で運ばれてきた。


「美味しそぉー!」


 柚子は声を上げる。


 詩乃は、青汁を前にしたときのような表情で頷いた。


「食べよ?」


「うん」


 いただきますと二人で手を合わせ、柚子は黒蜜をあんみつ全体にかけた。詩乃は木製のスプーンを手に取り、ぜんざいをちょこんと掬った。柚子は、寒天に小豆餡を乗せて、ぱくりと一口食べた。次はみかん。その次は――と、あんみつをスプーンに乗せながら、柚子は詩乃の様子を覗っていた。


「詩乃君――」


「うん?」


「今日、何かあるの?」


 核心を突くような柚子の問いに、詩乃はぜんざいを掬う手を止めた。


 柚子は、白玉をスプーンに乗せて、詩乃を見つめた。


「うん……」


 詩乃は頷いた。


 柚子は、詩乃の続きの言葉を待った。


 詩乃は静かに息を吸い込むと、口を開いた。


「今日は、伯父さんの命日なんだ。――母さんの兄で、お世話になってたから」


 詩乃はそう言うと、スプーンいっぱいにぜんざいを掬って、口に運んだ。柚子もゆっくりと、落とさないように左手を添えて白玉を食べた。


「ごめん、こんな話ばっかりで」


 詩乃が声を落として言った。


「ううん、教えてよ。私は全然大丈夫だから」


 柚子の言葉に、詩乃は悲しそうな顔のまま頷いた。


「――亡くなった日がね、満月だったんだ。それが印象に残ってて。だから、この日は毎年、お月見をして、白玉を食べてるんだよね」


 詩乃の話を聞いて、柚子ははっとした。


 そういえば去年、満月でもないのにお月見だからと言って、詩乃君に白玉ぜんざいを貰ったことがあった。柚子はそのことを思い出した。どうして今まで忘れていたんだろう。そうだ、たぶん、あの日が、十一月八日――去年の今日だったんだ。


「去年っ……――」


 柚子の驚き顔に、詩乃は笑って頷いた。


「新見さんにぜんざいあげちゃったから、放課後店探したんだ。それでここを、たまたま見つけたんだよ。閉店ギリギリ間に合って」


「あぁ、そうだったんだ」


 深々と、柚子が言った。


「――あの、八宝菜ね……その伯父さんが美味しいって言ってくれたんだよ。家族以外に食べさせたことなかったから、なんか、それ以来八宝菜は、ちょっと特別な料理なんだよね。母さんのお見舞いに来た時に家に寄って、食べさせたら、すごく喜んでくれて」


「そうなんだぁ! あぁ、八宝菜、そうだったんだ」


 詩乃は笑いながら頷いた。


 その時また不意に、柚子は一年前のある出来事の記憶を思い出した。柚子にとっては印象深い、詩乃に告白したときの記憶を。



『私、水上君のことが好きなんです……』


『うん……』


『だからね、水上君さえよかったら、私と、付き合ってください』


『うん』


『いいの!?』 


『うん。付き合ったらどうとか、よくわからないけど、付き合うなら新見さんしかいないと思う』



 ――文化祭の二日目、後夜祭を抜け出した日の夜。告白をして、付き合うことになったあの日。その会話をした場所は、中華料理屋だった。詩乃君が決めたのだ。そしてあの時、そうだ、あの時、確かに詩乃君は八宝菜を頼んでいた。


 詩乃は、はぁっとため息をつき、柚子に打ち明けた


「自分といると……新見さんを地獄に引きずり込んでるような気がする」


「え、どうして?」


「母さんが死んで、伯父さんが死んで、父親も死んで、自分はもう一人だよ。偶然だろうけど、でも、本当に偶然なのかな……。こういう話をすればするほど何か、新見さんをそういう世界に連れて行ってるような気がするんだよ」


 だから、伯父さんの話を詩乃はしたくないと思っていた。自分には〈死〉がまとわりついている。それなのに新見さんはお葬式にも、お通夜にまで来てくれた。これ以上新見さんを、こっちの世界に近づけちゃいけない――詩乃はそんな風に思っていた。


「いいよ」


 柚子はそう言うと、楽しそうに笑いながら続けた。


「――そしたら、一緒に地獄巡りしようよ。針山地獄登って、血の池地獄を泳いで、釜茹で地獄で温まろう。食べる地獄ないかな? あ、お腹が減る地獄あったよね? あれは嫌だなぁ」


 柚子は勝手に地獄ツアーの計画を立て始め、詩乃を困らせた。


 新見さんに地獄巡りをさせるなんて冗談じゃないと、詩乃は思った。


「新見さん――」


 詩乃は、真剣な顔で柚子を見つめた。


「どうしたの?」


「もしさ、自分が本当に地獄に――もし、死ぬって言ったら、新見さんどうする?」


 柚子は笑顔を引っ込めた。


 詩乃は、柚子を見つめたまま言った。


「地獄巡りって――一緒に死のうってなったら、そうするってことだよ。それでも新見さん、自分と、地獄巡りするつもり?」


 柚子は、静かにあんみつを口に運び、それから落ち着いた声で言った。


「詩乃君は、絶対死んじゃ嫌だけど、でも、もしどうしてもそうなったら……いいよ、私、地獄巡りしても」


 柚子の瞳の静けさに、詩乃は息を呑んだ。


 揺れる詩乃の瞳と、柚子の真っすぐな眼差しが見つめ合う。


 その目の奥に、柚子も詩乃も、互いの本気を感じ取った。慄いたのは、詩乃の方だった。自分たちは、いつの間にか、こんなに危ない領域にいたのだと、柚子の目を見て思い知った。そして詩乃は、自分が新見さんにそれを求めていたのではないかとも思った。


「死んじゃだめだよ」


 詩乃は、柚子に真顔で言った。


「そうだよ!」


 柚子は、それはこっちのセリフだよというように、強く言った。

 そして二人は、互いに顔を見合わせて笑った。やっと詩乃も柚子も、餡の甘さや、白玉のもっちりした触感を楽しむことができた。





 十一月も中旬を過ぎると、気温も風もいっそう冷たさを増して、駅から学校に続く通りの街路樹は、ちょっとずつ色づいた葉を落とし始めるようになった。文化祭もやり切った三年生は、いよいよ受験に向けて最後の追い込みをかけ始める。そんな中にあって、詩乃も柚子も、受験に関しては呑気なものだった。


 柚子は十一月の四週目の平日に、指定校推薦の推薦先の大学へ面接を受けに行った。よほどの事をしない限りは合格の約束された推薦面接である。柚子が、面接官の顔に唾を吐きかけるようなことをするはずもなく、また、その面接の前々日に英検準一級の合格を得ていたのもあって、推薦入試の正式な結果発表は十二月を待たなければならないが、柚子はその日の面接の中で、「入学まで事故や怪我の無いように過ごしてください」というようなことを面接官から言われたのだった。


 詩乃はというと、三月の入試試験の準備だけはしていた。とはいえ受けるのは国語一教科の入試試験なので、今更この時期に特別やることはなかった。二年生の段階ですでに詩乃は、国語に関して言えば、どの大学の赤本でも、大抵満点か、多くて二問間違い程度のレベルに達していた。週に二度ほど、今は、思い出したようにどこかの大学の過去問をやる――勉強については、詩乃はそれで充分だった。


 柚子が大学の面接を受けるころには、詩乃の実家の片付けも大方済んでいた。テレビやスピーカーなどの大型家電や家具は、結局詩乃は、全て業者に売って、引き取ってもらった。衣類や食器も、ほとんど売った。駐車場に残ったベンツも、十一月のうちに回収されることが決まった。


 一つずつ、確実に片付いている、そんな感覚が詩乃にはあって、そのことが、詩乃の心を穏やかにさせていた。小学四年生から高校一年生までの時期を過ごした実家を手放すということには抵抗があったが、そもそもが借家だったので、いつかこんな日が来ることは、随分前から詩乃にはわかっていた。


 実家が片付けば、あとに残るのは、父が仕事のために借りていた作業場と、そこにある作業機械類の処分だった。機械は大きなものから小さなものまで数台あり、どれも工業用の特別な機械なので、その処分にはまだ少し時間がかかりそうだった。十二月の内にケリがつけばいいなと、詩乃はそう思っていた。


「大学、通えるかもしれない」


 十一月の終わりには、詩乃はそんな話を柚子にした。


 父の死に付随して、金銭的にかなりの出費があったが、それでも、年間百万の学費くらいは、来年からアルバイトをすれば、何とかできそうだった。詩乃は、破滅に向かう一本道から抜け出せたような気がしていた。


 柚子は、詩乃が大学に行く行かないよりも、その話をする詩乃の表情の柔らかさが嬉しかった。葬儀の後は暫く忙しい日々が続いて、そのころの詩乃は、表情もどこか暗く、緊張していたが、最近はだんだんと、詩乃の表情にあった翳りも薄くなってきていた。詩乃は全く自覚は無かったが、柚子の目にはそれは明らかだった。


 十二月三日――柚子の誕生日が近づくと、詩乃は柚子に、行きたい場所や食べたい料理などの質問をした。一緒にデートの予定を立てられることが嬉しく、柚子は実現不可能な途方もないデートプランをいくつも空想し、詩乃に話した。「かぼちゃの馬車より龍に乗ってみたい」、「竜宮城に行ってみたい」、「月のお餅でおしるこが食べたい」――そんな希望を柚子が言い、詩乃は執事のように、おとぎ話のようなデートプランをメモした。


 最終的に柚子がリクエストしたのは、チーズフォンデュだった。去年と同じ店にまた行きたいと柚子が言うので、詩乃は早速、三日の夜に店を予約した。三日は平日で、二人は授業が終わった後、正門で待ち合わせをして店に向かった。


 銀座駅のほど近く、大通りから一つ小さな路地に入ったところにある、英国風の外装のレストラン。去年と同じ、暖炉近くのテーブル席。赤い可愛らしいチーズフォンデュ鍋が運ばれてきて、ピアノの生演奏が始まると、二人は去年のことを思い出して、目を合わせて笑いあった。


 ワイングラスに注がれた葡萄ジュースを詩乃が飲むと、柚子はそれを見て言った。


「そのうち、ちゃんとワイン飲もうね」


「ワイン好きなの?」


「たぶん」


 そう言って柚子は詩乃を笑わせた。柚子は、母と姉が大のワイン好きで、家にワインセラーまであるということを詩乃に話した。だから私も多分、その血を引いてるから、ワイン好きだと思う、と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ