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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
4,月の光に見上げれば
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暮れのまつむし(5)

「――なんか、似てるんですよ、水上先輩と、新見先輩。なんていうか、――そう、嘘が無いんですよ! 直球勝負、みたいな!」


 感じていたことの何割かは伝えられたような気がした満足感に、愛理は得意顔になった。柚子は、愛理の言葉を聞いて、からからと朗らかに笑った。確かにそうかもしれないと思った。


「すいませんなんか、私一人で盛り上がっちゃって! でも、新見先輩と二人でおしゃべりなんて、夢みたいです」


「大袈裟だよ。それに私も、愛理ちゃんとゆっくりお話してみたかったんだ」


 愛理は嬉しさに息を吸い込み、柚子に熱い視線を向けた。大らかで、優しくて、全部柔らかそうな先輩。一個上の姉とは、同じ女なのに何もかもが違う。こんなお姉ちゃんが欲しかったと、愛理は心の中で思った。そしてふとよぎる詩乃の面影に、愛理は、「それにあんな兄が――」、とほんの一瞬だけ、そんな思いが閃いた。


 ちょうど柚子も、愛理に対して、妹がいたらこういう感じなのだろうかと、そんなことを考えていた。自分にとって愛理ちゃんは、単なる後輩、面識のある年下、というのとは少し違う存在な気がする。


 柚子は、詩乃が愛理のことを「愛理」と呼び捨てにしているのが、今やっと、胸にストンと落ちたような気がした。


「愛理ちゃん、実は私ね、ちょっと愛理ちゃんに嫉妬してたんだよ?」


 いたずらっぽい上目遣いで、柚子は愛理を見つめながら言った。


 この告白に、愛理は目をくわっと見開いて驚いた。単なる驚きではない。柚子に嫉妬されたということは愛理にとってはこの上ない栄誉だった。私はそんなに、新見先輩に認められていたんだと、そのことに感激してしまった。


「やめてくださいよぉ!」


 愛理は、柚子の肘に両手を置いて、その太ももの前に平伏した。柚子は愛理のことが可愛くなって、笑いながら愛理のブロンドの髪を撫でた。


「あれですよね、呼び捨てで呼ばれてるからですよね!?」


 愛理は、顔を上げて柚子を見上げた。


 柚子は、「おっ」と、口をタコの様にさせて驚いた。


「でも絶対、新見先輩は、大切にされてるからですよ! 水上先輩って、そういう所すごく極端じゃないですか。乱暴な時はものすごく乱暴というか、言葉遣いも態度も雑ですけど、なんか、丁寧な時は、すごく優しいというか――新見先輩は絶対、大切だから先輩は、呼び捨てにしないんですよ!」


 愛理は早口でまくし立てた。


 柚子は、うんうんと、母親のような笑顔と眼差しを愛理に向けて頷いた。


「先輩、聞いてくださいよ! 私、水上先輩の事、部長としてすごく尊敬してます。でも、恋愛対象とかじゃないんですよ! というか私、彼氏いますから!」


「そうなの?」


 柚子は、愛理に彼氏がいる、ということについて少し聞いてみたいと思った。


「そうですそうです!」


「同級生?」


「え? あ、彼氏ですか? 一個上です。茶ノ高じゃないんですけど」


 そうなんだ、と柚子は頷いた。急に愛理のことが大人に見えてくる柚子だった。柚子はまだ、詩乃のことを、〈彼氏〉と、誰かの前で呼ぶことさえ、実は恥ずかしと思っていた。そしてまた、自分にとって詩乃君という存在が、〈彼氏〉という呼称には相応しくないような気もしていた。〈彼氏〉と言うならまだ〈恋人〉と言った方が近い。だけど人前で〈恋人〉と詩乃君のことを呼ぶのは、それこそ恥ずかしすぎる。


「――私、水上先輩の彼女が新見先輩って、嬉しい気がします」


「え?」


「……すみません、わけわかんないですよね」


 愛理は、自分でもどうしてそんなことを言ったのかわからず、苦笑いを浮かべた。しかし口に出してみて、自分が本当にそう思っているということに気づいた。たぶん自分は、水上先輩が、報われるべきだと思っているのだろう。新見先輩の彼氏が水上先輩だから嬉しいのではなくて、水上先輩の彼女が新見先輩だから嬉しいのだ。


「ううん、嬉しいよ」


 柚子は、思った通りを口に出した。


「あんまりそうやって言われたことないんだ。似合ってる、とか」


「私の中では今やベストカップルです」


 愛理が力強く言うので、柚子は照れて笑った。


 本当に可愛い人だなと、愛理は柚子の反応に、同性ながらきゅんとしてしまった。


「でも新見先輩だと、似合ってるとか、そういうこと言われないのもわかります」


「うん……なんかねぇ、みんな――」


「皆嫉妬ですよ。あと女子は、なんか変な所で優越感に浸ろうとするじゃないですか? それですよ。――あっ、新見先輩はそういうの無いかもしれないですけど」


「うーん……優越感?」


「人の彼氏馬鹿にする女子って、大抵そうですよ。なんて言ってる私も、そういうトコあるんで。だからまぁ、よくわかります、そういう気持ち。私も結構、プライド高いんで」


 身も蓋もない愛理の告白に、柚子はかえって安心感を覚えた。


「いや、良くないなぁとは思ってるんですよ。ちっさいんですよねぇ、私。でもやっぱり、マウントの取り合いするのがもう、板についちゃって。だからそういう世界とは無縁の先輩たちに憧れてます。水上先輩なんて、もう完全にゴーマイウェーじゃないですか」


 確かにそうだね、と柚子は小さく笑った。


「だって、いつも万年筆使ってるんですよ!? そんな高校生、見たことないですよ!」


 柚子は唇を結んで、ちらっと愛理を見つめた。


 そしてふふっと意味ありげな笑いを浮かべ、それから口を開いた。


「緑色の万年筆?」


「はい。いっつも使ってます」


「あれね、私がプレゼントしたんだ」


 ええっと、愛理は驚いた。そんなことは、詩乃からは少しも聞いたことが無かった。


「そうだったんですか!?」


「うん。去年の誕生日に」


 先輩たちはやっぱり別世界の住人だと、愛理は思った。


「水上先輩って、誕生日いつなんですか?」


「九月二十日だよ」


「――え、もうすぐじゃないですか!」


「そうなんだよ。でも――」


 柚子は言いかけて言葉を止めた。


 愛理は首を傾げる。


「水上君、自分の誕生日、嫌いみたいなんだよね」


「え、興味がない、とかじゃなくてですか?」


「うん。今年は――」


 と、柚子は言いかけて、いったん言葉を切った。


 今年、柚子は詩乃から、誕生日を祝うのはその翌週にしてほしいと言われていた。日程で言うと、テストの終わった次の日である。「お互いに大事なテストだから、テストに集中しよう」――そう言われては、柚子も納得するしかなかった。本当は「お互いに」ではなく、私のことを考えてそう言ってくれているのだと、柚子にはわかっていた。


 ――でもきっと、それだけではない。


 柚子は、そんな気がしていた。やっぱり詩乃君は、自分の誕生日を根本的に嫌っているような気がする。誕生日は、別にめでたくない、と詩乃君は言っていた。去年言われたその一言が、柚子の心にはずっと刺さっていた。まるで、自分なんて生まれてこなければよかった、というような告白を受けたような気になったのだ。だからどうしても、柚子は、詩乃の誕生日を、詩乃の本当の誕生日の日に、お祝いしたかった。


 でも今年も、それは叶わない。


「――お祝いするのはお誕生日の一週間後なんだ」


 愛理は、スマホでカレンダーを確認した。


「土曜日ですか?」


「うん」


「あぁ、テストですか」


 愛理は一人頷いて、それからふふっと笑って言った。


「水上先輩、天邪鬼すぎますね」


 愛理は、明るくそう言った。


「私も何かプレゼントしようかな……あ、でも、新見先輩より先にお祝いするのは嫌なので、次の週明けにします」


「別にいいよそんな、私に気なんて使わなくても」


「ダメですよ。私が嫌なんです!」


 そう言う愛理の心遣いが、柚子には嬉しかった。もし私と付き合っていなかったら、もしかすると今ごろ、詩乃君のお相手は愛理ちゃんだったのかもしれないと、柚子は思った。


「お誕生日デートとか、するんですか?」


 愛理は、好奇心に駆られて、柚子に質問した。


 詩乃と柚子は、愛理にとっては確かにお似合いの二人だったが、愛理はまだ、二人が一緒にいる所を、友達が送ってくれた写真でしか見たことが無かった。二人は、デートはどんな所に行って、どんな会話をするのだろう。水上先輩が甘えたりするのだろうか。新見先輩が水上先輩に甘える所も、なかなか想像ができない。


「うん、箱根行くんだ」


 柚子が答えた。


 愛理は、両手で口を覆った。映画やショッピングモールや遊園地あたりを愛理は想像していた。


「え、日帰りですか!?」


「うん、日帰り」


 くすりと、柚子は笑った。


 実は、泊りにしようかと柚子は詩乃に聞いていた。しかし結局、詩乃が日帰りにしようというので、今回のデートは、そういうことになった。


「箱根って、温泉ありますよね!?」


「有名だよね」


 二人はやっぱり、大人だと愛理は思った。娯楽施設ではしゃいでいる自分とは全然違う。しかし確かに、水上先輩と新見先輩は、ジェットコースターに乗っている所より、二人で並んで、温泉街を散歩しているほうが、絵になると思った。


「温泉入るんですか?」


 柚子は、にやりと、含みのある笑みを愛理に見せた。


 愛理は目を輝かせながら、ぱたぱたと上下に足を動かした。


「先輩はもう、その――」


「やめてよ愛理ちゃん」


 柚子は、愛理の次の質問を悟り、先手を打って言った。


 そうですよね、すみません、つい――と、愛理は好奇心のままに振る舞っていたのを自覚し、質問を止めた。


「水上君はガードが堅いからね、今、崩し中なの」


 愛理は吹き出した。


 五時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。


「はぁ、授業だぁ……」


 愛理は伸びながらため息をつくと、柚子に別れの挨拶をして図書館を離れた。柚子はそのまま、図書館に残って自習を続けた。外が暗くなり、雨が見えなくなって音だけしか聞こえなくなり始めた頃、柚子は一息ついて、窓の外を見た。


 その頃、詩乃はバスの中で、柚子と同じような景色を見ていた。八王子の実家へと向かうそのバスの窓。入院中の父に洋服を届けに行かなければならない。バスを降りて、実家で洋服を取って病院へ。傘に当たる雨音に、詩乃は、自分のちっぽけさを感じながら、病院までの道を歩いた。

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