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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
3,孤独な言葉のために
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ツノメドリは飛ぶ(7)

 全部聞き終えて、柚子はやっと、自分の過ちに気が付いた。


 橘君の考えはわからない。


 でも、私が軽率だったことは、間違いない。そのことが、詩乃君を傷つけてしまった。橘君と――他の男の子と、あんな状況になったこと自体が間違いだった。その状況を招いたのは、誰でもない、私自身だ。


 思い返せば、詩乃君はずっと、シグナルを出していた。橘君の名前を。


 その前だって、似たようなことがあった。去年の体育祭の時はどうだった? 今年の体育祭は? 詩乃君は、嫌がってたじゃないか。なんで、どうして気が付かなかったのだろう。その都度気がついてはいたのに、どうしてそれを、その時だけの問題だと思って、もっと真剣に考えなかったのだろう。


 柚子の心に、後悔が膨らんでゆく。


 ――しかも、そのことを教えてくれたちーちゃんに、嫌な態度を取ってしまった。ちーちゃんだって、絶対、言いたくなかったはずだ。それを、私のためを思って言ってくれた。あの時、ちーちゃんに言われたあの時に、もっとちゃんと、その言葉に耳を傾けていれば良かった。私はなんて馬鹿なんだろう。泣いてる場合じゃない。慰めてもらう資格なんてないのに、涙ばっかり出てきてしまう。

 柚子は、ごめん、としか言えなかった。


 柚子の姿を見て、義憤にかられた千代は、その矛先を詩乃に向けた。柚子の姿を見ると、千代は、彼氏なんだからもうちょっと柚子の事を察してあげてよ、と詩乃に対して思うのだった。確かに、写真はショックだったかもしれない。それに、今日までのこともある。噂のこととか、水上君も嫌な思いをしてきたのは、そうだと思う。だけど、柚子が水上君のことを好きなのは、水上君が一番近くにいたんだからわかるでしょ。今更柚子の気持ちを疑うなんて、どうなの。柚子、こんなに落ち込んでるんだから、優しくしてあげてよ――千代は感情をしまっておけず、私がやるしかないという責任感も相まって、詩乃に電話をかけることを決めた。


 千代は席を立ち、柚子と匠から少し離れたところで、詩乃に電話をかけた。


 六つ目のコールの後、電話がつながった。


「もしもし、水上君」


『えっと……どなたですか』


「雨森です! というか、登録してくれてないの? 教えたじゃん!」


『あぁ……』


 もったるい詩乃の声の感じに、千代は腹を立てた。


 貴方の彼女、今ものすごい落ち込んでるですよ。泣いてるんですよ。貴方にも責任あるでしょ! と、千代は心の中で叫んだ。


「あのさ、写真の事」


『写真?』


「柚子と橘君の」


『あぁ……』


 うんざりしたような声。実際詩乃は、電話の向こうで、うんざりしていた。そのことは、もう今は考えたくなかった。


「あれ、橘君が勝手に柚子の手を取っただけだから」


『あぁ、うん……』


「それでたまたま、その瞬間が写真に撮られただけだから」


『そう……』


「水上君、ちゃんと聞いてる!?」


 千代はついに怒った。


 千代の高い声を聞いて、詩乃は余計に、うんざりした。詩乃の中では、写真のことはもう、どうするか、結論が出ていた。合宿の後、新見さんに直接会って聞く。別れるの別れないのということは、それ次第だ。電話で何を言われたところで、結局、疑問が残る。その疑問を探ろうとすればするほど、言葉はきつくなって、新見さんを傷つけてしまう。明日はステージの最終日なんだから、もうこれ以上傷つけたくはない。だから、電話では話さない。


 もう決めたことをうだうだ言ってくれるなよと、詩乃は千代に対してそう思っていた。


『合宿の後、会って話すよ』


「そうじゃなくて――柚子は今、落ち込んでるの!」


 うるさいなぁと、詩乃はため息をついた。


 落ち込んでるということで言ったら、こっちだって落ち込んでるよと思った。でもそれは仕方がないことじゃないか。なんで、自分だけが悪者みたいな言い方をするんだよと詩乃は思うのだった。


『今は話したくないって言ったよ。言葉の通りだよ』


「柚子、泣いてるんだよ! 水上君、柚子の彼氏でしょ!」


 しつこく詰められて、詩乃も頭に来た。


 昴の事で、近頃ずっと溜まっていたものもある。


『なんでそんなこと、他人に言われなきゃいけないんだよ。自分と新見さんの問題なんだから』


「それを解決できないから言ってるんでしょ。柚子、放っておいていいの?」


 もうこれは平行線だと詩乃は悟り、怒りに任せて息をつき、言った。


『雨森さんが新見さんの親友なのは知ってるよ。でも、そうやって怒られても、俺には俺の考えも感情もあるんだよ。大体、外野がうるさいから、新見さんは苦労してきたんじゃないのか。友達思いはわかるけど、泣いてるからって、それをぶつけられても――わかってるよ、新見さんが傷ついてることくらい。でも、実際どうかは、会って話してみないとわからないじゃないか。会って話したって、分からないことがあるっていうのに、今更電話で、何がわかるって言うんだよ。言葉だけならいくらでも言えるよ。でも、そういうことじゃないんだよ。俺だって、怒ってるんだよ』


 詩乃はそれだけ言うと、一方的に電話を切った。


 千代はそれで、自分が詩乃の立場を忘れてヒートアップしていたことに気が付いた。結局電話をして、怒らせただけだった。


 とぼとぼと二人の元に戻ってきた千代は、柚子の隣に坐って、頭を抱えた。


「怒らせたんだろ?」


 匠が訊ね、千代はスマホをテーブルに放って、頷いた。


「ごめん柚子……」


「詩乃君、怒ってた……?」


 え、詩乃君? と千代と匠は、顔を見合わせたが、柚子は、自分が、詩乃と二人だけでいる時の呼び名を口走ったことには、気づいていなかった。千代と匠も、気づかないふりをした。このことをからかうのは、柚子と詩乃の関係が修復された後だと、二人は目で誓い合った。


「うん、怒ってた。たぶん、柚子じゃなくて私に。めっちゃ怒られた。怖かった……」


 そりゃそうだろ、と匠が言った。


 柚子と千代は、顔を上げて匠を見た。


「そういうもんなの?」


 千代は、匠に聞いた。


「そうだよ、そんな、しつこくされたら。しかも彼女の女友達にさ。それ、たぶん男が一番鬱陶しがるやつだから」


 それならそれで先に止めてよと、千代はテーブルに突っ伏した。


 匠は、不安そうな柚子の顔を見て言った。


「でも大丈夫だろ。今は時間が欲しいんだよ。――そんなこと言ってなかったか?」


「言ってた――合宿の後、柚子と話すって。今は話したくないって……」


 千代が、顎をテーブルに乗せたまま答えた。


「ほらな、そういうもんなんだよ、男は。だから新見さんも、気にしすぎることないよ」


 そう言った後で、匠は、いや、と首を傾げた。


「新見さん、実際、あのピアノ野郎のことどう思ってる?」


「え?」


「好きなら、今の彼のことは、ちゃんと振ってあげた方がいいと俺は思う」


 柚子はぎょっとして目を見開いた。


「橘と付き合うつもりはない?」


「考えたこともないよ!」


 柚子が、今日一番の大きい声を出して言った。


 怒るところそこなのかと、匠は一瞬間をおいてから、ゲラゲラ笑った。


「まぁ、それなら大丈夫だ。会った時に、素直に話せば。まぁ、その彼が、どんな男か知らないけどさ」


 匠の言葉は、柚子と千代に、妙な安心感を与えるのだった。


 大丈夫、の根拠は全くないのに、匠が言うと、大丈夫かもしれない、という気になってくる。


「柚子、お風呂入ろ。まだでしょ……」


「そうだね……」


 二人は緑茶を飲み干した後で、とぼとぼと並んで歩き、エレベーターに消えていった。匠は売店から、エレベーターの扉が閉まるのを見送った。





 千代からの電話を切った後、詩乃は部屋に戻った。


 後輩たちは、日記を書き上げるのもそこそこに、近頃部内で流行り出した三行リレー小説に興じていた。話が破綻し始めるのを、何とか収束させていこうとする努力が、かえって話を無茶苦茶にさせていったりするところに独特の楽しさがあって、皆この遊びにのめり込んでいた。


 詩乃は、後輩たちが楽しそうにしているのを無視するようにテーブルを素通りし、自分の合宿バック脇から、コピー用紙の入ったクリアファイルと筆記用具一式の入ったミニショルダーを取って、寝室にある小さなテーブルに移動した。


 紙をテーブルの上に置いて、その前に正座する。


 日記はもう、今日の分は書き上げてしまった。でも何か、書かなきゃやっていられない気がする。でもいざ書こうとすると、何も思い浮かばない。適当に万年筆を走らせて、その文章のあまりの適当さに、腹を立てる。苛立ち紛れに、書いた紙をぐしゃぐしゃにする。


 二度、三度と、詩乃は同じことを繰り返した。


 部員たちは詩乃のその様子に気が付き、声を潜めた。


 だめだ、と詩乃は思った。


 雨森さんに言われたこと、新見さんのこと、それに橘のことが頭にまとわりついて、文章なんて書けたもんじゃない――詩乃は紙も万年筆も放り出し、立ち上がった。そうしてそのまま、詩乃のことを不安そうに見上げる後輩たちには目もくれず、バスタオルだけを引っ掴むと、勢いに任せて部屋を出た。


 詩乃はそのまま宿を出て、露天風呂に向かった。


 風呂に入れば、少しはこの気持ちも落ち着くだろうと思った。


 詩乃は、提灯の明かりに舌打ちをしながら道を歩き、暖簾を払いのけて湯屋に入った。


 一方、部屋に残された五人の後輩たちは、詩乃を怒らせたのが自分たちだと思って、沈んでいた。日記を完成させる前に遊んでいたことが、きっと先輩の勘に障ったのだろう。愛理だけは、それに加えて、昨日の自分の無神経な発言も原因の一つと思っていた。


「……書こう」


 健治は端的にそれだけ言うと、皆もそれに従って、日記の続きを書き始めた。

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