表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
3,孤独な言葉のために
114/243

ツノメドリは飛ぶ(5)

 詩乃は、袂からスマホを取り出した。


 青白い光が、ぼんやりと詩乃の顔を照らした。


 無意識に詩乃は電話帳を探った。探るといっても、連絡先なんてほとんど登録していない。新見さんと、実家の固定電話と、父のスマホ、昨年の文化祭の時に、役柄上連絡を取り合う必要のあった生徒数人。その名前の中に、詩乃は〈多田紗枝〉の名前を見つけた。


 電話をして、新見さんの気持ちを聞くなら、彼女しかいない。


 でもそんなこと、聞いてどうするというんだ。


 新見さんの友達なのだから、答えは決まっているじゃないか。大体、本心は本人にしかわからないのだから、多田さんに聞いたって、わかるわけがない。


 しかしそう思っていても、詩乃は、馬鹿らしいとスマホをしまうこともできなかった。


 ただじいっと、〈多田紗枝〉の名前とその電話番号、そして発信ボタンの小さなアイコンを見つめる。


 このまま帰るか、それとも、多田さんに電話をかけてみるか。


 詩乃は、人生の大きな決断の前にいるような気がしていた。


 でもそれなら、したことのない方を選んでみるかと、詩乃は三十分ほど悩んだのち、通話のアイコンを押した。





 紗枝はその日は夕方から、道場に通う子どもたちや同窓の友人、父の親父仲間など、気心の知れた仲間が夕方から集まって開かれる夕涼み会に参加していた。道場の前のちょっとした路地で、竹を使った流しそうめんを皆で楽しみ、親父連中がやたらと頼んできた寿司を食べ、そしてその後で、子どもたちと一緒に花火をする。紗枝には小学四年生の弟と、小学二年生の妹がいて、紗枝は弟や妹からも、そしてその友達からも、強いお姉ちゃんとして、尊敬されていた。紗枝が花火を持つと、逃げろーと言って、小学生たちは紗枝を鬼に見立てて走り回った。


 そんな様子を、紗枝や紗枝の幼馴染は、いつも元気だねと笑いあった。


 親父連中は親父連中で、そうめんも、自分たちで頼んだ寿司もほとんど喰わず、ビールやら日本酒やらサワーやら、酒ばかり飲んでいる。なんだかんだと理由をつけて、理由があれば飲めると思っているのだろう。中学生でも高校生でも、「ちょっと飲んでみるか」などと、手あたり次第声をかけるから質が悪い。どうして飲んだくれは仲間を欲するのか。ゾンビか、と思う紗枝だった。


 そうして、花火もほとんど使い切って、宴もたけなわという頃、紗枝のスマホに、詩乃からの着信があった。千代か、柚子かと思って画面を見て、紗枝は目を疑った。登録してあることさえ忘れていた〈水上詩乃〉の文字。紗枝は、その名前が画面に表示される日が来るとは思っていなかった。


 紗枝は、洗ったバケツを逆さにして道場の入口脇に置き、そのまま道場の玄関に入って、詩乃からの電話に出た。


『あ、もしもし、水上です』


 あ、本当に水上だと、紗枝は電話に出てみて、やっと信じることができた。


 紗枝は玄関の電気を点けて、上がり框に腰かけた。


「久しぶりだねー、水上。あれ、今合宿中だっけ、文芸部」


『うん』


「温泉だって?」


『石川県の、山代温泉ってところ。駅は、加賀温泉駅っていうんだけど』


「いいねぇ、温泉。彼女と一緒じゃなくて残念だねぇ」


 紗枝はそう言ってからかってみた。


 電話の要件は、十中八九柚子の事だろう。柚子と千代の関係のことだろうか。仲直りの仲介を頼まれたんだけどどうしたらいいだろう、という相談だったら可愛らしい。でもそんなことで、あの水上がいちいち電話なんてしてくるだろうか。


『――新見さんのことで電話したんだ』


「どうしたの?」


『橘君って知ってる?』


「あぁ……、うん、王子ね」


 あぁ、やっぱり水上は、橘にしっかり嫉妬していたんだなと紗枝は悟った。千代と長江の見立ては、やっぱり正しかったわけだ。柚子はこの事、気づいているのだろうか? もしかすると、まだ気づいていないのかもしれない。柚子の周りには、いつも男の影が多すぎる。


『多田さん、新見さんのことで、知ってたら教えてほしいんだけど……』


「柚子に直接聞くのは、ダメなの?」


『聞こうと思うけど、その前に、知っておきたいこともあるから』


 詩乃の、はっきりした口調が、紗枝には意外だった。引き下がるつもりはないという強い意志を感じる。そういえば水上は、こうと決めたら突っ走っていくタイプだった。


「柚子と橘のこと?」


『うん。――新見さん、橘君に気があるのかな』


「あー、えっと……噂のこと?」


 噂――柚子と水上が別れたとか、それで柚子と橘が付き合っているとか、体育祭前から盛り上がっているあの噂だ。今更聞いてくるのは、たぶん、二人が合宿で一緒だから、不安になったのだろう。なんだ、水上も可愛いところあるじゃん、と紗枝は思った。ところが、返ってきたのは、言葉ではなく、画像ファイルだった。


 ピコッという音で、メッセージ欄にファイルが張り付けられたことを知り、紗枝はスマホを顔から離した。そして、張り付けられた写真を見て、息を止めた。写真の中心には、知らない生徒が二人、カメラに向かってピースしている。問題は、その後ろに移り込んだ人物だった。


 ――柚子と橘がベンチに座り、しかも、手を繋いでいる。


「これ――、この写真、どういうこと?」


 紗枝は、スマホをスピーカー設定にして、写真を凝視した。


『文芸部の後輩がダンス部の子と友達で、その送られてきた写真の中にあったんだ』


 紗枝は絶句した。


 柚子は水上のことを一途に想っている。水上のことはずっと好きでいる。それは間違いない。絶対に間違いないのだけれど、いざこうして、橘と手をつないでいる写真を見ると、一瞬分からなくなってしまう紗枝だった。


『多田さん、自分と別れたいとか、そういうようなこと、聞いてない? もし聞いてたら……絶対に多田さんの名前出さないから、教えてほしい』


 詩乃の切実な声と、そして写真の威力に、紗枝は言葉が出てこなかった。


『もし新見さんが、橘君のことを好きなんだったら、自分との関係を無理に続けるのは、ためにならないよ』


「いや、ちょっと待って――」


『新見さんの気持ちが橘君にあるんだったら、新見さんには、自分から別れを言おうと思ってる』


「ちょっと、勝手に話進めない!」


 紗枝は、ぴしゃりと、電話の向こうの詩乃に言った。


 しかしそうは言ったものの、紗枝も、詩乃に何を言ってよいものか、わからなかった。柚子の気持ちが橘に移った、なんていうことは九十九パーセントありえない。でも断言できないのは、一パーセントくらいは、その可能性があるかもしれないと思ったからだ。その一パーセントというのはつまり、この写真の存在である。全く可能性のないことだったら、そもそもこんな写真の状況になるはずがない。


「――何かの間違いじゃない? いや……ありえないと思う、私は」


『じゃあ――多田さんは何も聞いてないんだね、橘君の事、新見さんから』


「聞いてない。心変わりとかは、全然聞いてない。――いや、やっぱりあり得ないと思う。だって柚子、水上のことばっかりだよ。他の男の入る余地なんて、無いと思うんだ……」


 しかし紗枝はそう言いながら、断言しきれない自分が歯がゆかった。


 少しの間の後、気を取り直したような詩乃の声が聞こえてきた。


『……ごめん、急に、こんな時間に。どうしても気になって』


「いや、いいよ。全然暇だったし。水上さ、あれだよ、絶対早まっちゃダメだよ」


 紗枝がそう言うと、拡張されてくぐもった詩乃の笑い声がスピーカーから聞こえてきた。


『――そんな、自殺を止めるみたいな』


「いやホントにさ、水上、思い込み激しそうだから。でも、ダメだよ。私は絶対この写真は、そうじゃないと思うから」


『まぁ、自分もそうだったらいいなとは思うけど――でも、こればっかりは、わからないからね』


 詩乃の声には、落胆の色が濃かった。


 紗枝はいつもの調子で、落ち込むな、とも言えなかった。この写真は、自分でも落ち込むと思ったのだ。柚子の彼氏だからしょうがないと言えばそれまでだが、そういう耐性のたぶん無い水上には、さぞキツいだろうなと紗枝は思った。


「――もし、万が一の方だったら、水上、どうするの?」


 紗枝は、恐る恐る詩乃に訊ねた。


 スピーカーから一つ深呼吸のような息遣いがあって、それから、詩乃の返事が聞こえてきた。


『別れるよ。――たぶんそうだったら、新見さんは、自分に気を使って、言わないだろうから』


「水上から、言うの?」


『うん』


 短いが、はっきりした返答に、紗枝は思わず、パチンと自分の太ももを叩いた。こいつなかなか男だな、と思ったのだ。もともとが、女々しい、うじうじした男のことは好きではない紗枝である。水上が、まさかこんなに潔いとは、紗枝は思っていなかった。柚子のような彼女がいながら、その時には、ためらわずそれを手放す――しかも、相手のことを思って、自分から別れを切り出そうなんて、大したものだ。その心意気を、紗枝はすっかり気に入ってしまった。


「――わかった。柚子が帰ってきたら、ちゃんと話ししとくよ」


『あー、うん……いやでも、いいよ、ごめん、やっぱり自分で聞くよ。二人のことは、二人で決着付けたいし』


「あー……まぁ、わかるけど……」


『ごめん。でも、聞けて良かった。ありがとう』


 そうして短い挨拶を交わして、電話は詩乃の方から切られた。


 紗枝は座ったまま、少し考えた。水上が、自分で決着をつけたい、という気持ちはとてもよくわかる。だけど、そのこととは別に、自分はやっぱり、柚子に一言言わなければいけない。そんなことしてたら、いくら水上でも、可哀そうだよ、と。柚子に、自分が他になびかない絶対的な自信があったとしても、彼氏だったら、彼女が言い寄られている事にも気づかずに、そんな男と泊りの行事をして、あまつさえ合宿中にそんな男と手をつないだともなれば、よほど無頓着な男でない限り、心配も嫉妬もするだろう。千代の言う通り、柚子はもう少し、自分の脇の甘さを自覚しないといけない。水上と長く付き合っていきたいのなら。


 柚子には、合宿の後お説教だ。だけど今は合宿で発表もあるだろうから、まだ言わない方がいいかな。でも千代には、一応一報入れておこう。千代と柚子がちゃんと仲直りできているか、状況も気になるし。


 紗枝は考えがまとまると、立ち上がって、玄関の電気を消した。そうして道場を出た時、不意に風が吹いて、紗枝はその風の行く先を見上げた。空には大きな弦月が、黄色く夜を照らしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ