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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
3,孤独な言葉のために
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ツノメドリは飛ぶ(2)

 文芸部の合宿の初日、詩乃は石川県へと向かう新幹線の車窓から、長閑な田んぼの風景をスマホのカメラで撮って、その写真に「一足先に行ってきます」というコメントを添えて、柚子にショートメッセージを送った。後輩たちのはしゃぐ様子に、詩乃の気持ちも軽くなっていた。


 柚子はそのメッセージを受け取った時、まだベッドにいて、二度寝しようか、起きようかと、ぼんやり考えていた。そんなところへ、詩乃からの連絡の時にだけ鳴る、星が光る様を音にしたようなキラキラした着信音が鳴った。柚子は聞き間違いかと思いながら、スマホを見た。


 送信主が詩乃であることを確認してすっかり目を覚まし、写真と、短いコメントを見て、両手を口元にやった。祭りの日以来、会うことも話すこともできず、柚子はずっと、もやついた気持ちを抱いて過ごしていた。それが、まさか詩乃の方から、こんなあっさりと連絡が来るとは思っていなかった。祭りの日も素っ気なかったし、その後も、会いたくなさそうだったから、わからないけど、何かが理由で、嫌われちゃったのかもしれないと、そんな風に柚子は思っていた。


 ――返事どうしようと、柚子は焦った。


 文字を打ち込んでは消し、考えて、また打ち込んでは消し、そんなことを繰り返しているうちに、時間は過ぎてしまう。二十分ほど経って、もうこれ以上遅くなっちゃいけないと、柚子は破れかぶれで、結局、「いってらっしゃい。お土産話聞かせてね」と言って手を振る動画を自撮りして、その動画ファイルを詩乃に送った。


 まさか動画が返ってくると思っていなかった詩乃は、新幹線の中でそれを見て、思わずスマホを皆から隠した。パジャマ姿――新見さん、寝起きに何してんのと詩乃は思ったが、動画のファイルは端末のメモリに、ロックをかけてしっかり保存した。


 そんなちょっとしたやり取りで柚子はすっかり元気を取り戻した。


 その翌日から、ダンス部の合宿も始まった。ステージは合宿二日目から始まる。合宿の一日目は、皆で海水浴をして、夜は海に面したホテルの庭でバーベキューをする。一日目は英気を養って、二日目から三連日のステージに備えるのだ。そういう口実があるので、皆、一日目は思い切ってハメを外すことができる。


 昼過ぎにホテルに着くと、部屋に荷物を置いて、水着を着て、全員でホテルから徒歩数分のビーチに向かった。男子生徒はホテルからビーチパラソルやレジャーシート、それに折り畳みのビーチチェアを持って行軍する。ジャズ研にはそういう習慣が無いので、そこで、ダンス部の男子と、荷物を持つ気のないジャズ研メンバーの間に小さい確執が生まれる。ジャズ研の中でも、日ごろ軽音楽部で活動しているドラマーだけは、荷物運びは慣れっこで、ダンス部とジャズ研の間を、他の生徒より荷物を倍持つことで取り持った。


 海水浴場に着き、その入口から見渡せる白い砂浜には、色とりどりのパラソルがずらっと並び、ビーチは海水浴客で溢れている。階段を下りて熱い砂浜の上を、女子はきゃっきゃと跳ねまわりながら歩き、男子はその後を、荷物を持って進んだ。ちょっとした空間を見つけて、パラソルとレジャーシートとビーチチェアーで拠点を作ったあとは、おのおの海に突撃したり、ビーチボールや浮き輪や浮きシャチに空気を入れたりし始める。千代などはレジャーシートの上にうつ伏せになって、一つ下の後輩である彼氏の三ツ矢京――通称〈みっくん〉に日焼け止めを塗らせて、京の恥ずかしがる様を見て楽しんだ。


 そんな友人の様子を、柚子は、ビーチチェアーに座って笑いながら見ていた。ダンス部内でのカップルは三組ほどあって、千代の他の二組の男女も、千代にそそのかされて、同じように、彼女の方が横になり、その体に日焼け止めを塗り始めた。そんな、高校生にとっては際どい行為に、顧問の阿佐教諭は、「全くもう」と言って、困り顔で呆れていた。


「あれ、柚子は日焼け止め塗らないの?」


 千代はうつ伏せで、京に日焼け止めを塗らせた状態のまま、顔だけを柚子の方に向けて柚子に訊ねた。柚子は白いパーカーにホットパンツを穿いていて、まだそれを脱いでいなかった。


「忘れちゃったんだよねー……」


 柚子の答えに、近くにいた生徒たちが、柚子らしいと笑った。


「貸すよ! 言ってよ!」


 千代はそう言うと、くるんと寝返りを打って、上半身を起こした。千代は下がホットパンツ型のボーイッシュな黒ビキニをつけていて、その千代が急に仰向けになったので、その胸に顔をうずめそうになり、京は焦ってしまう。


「おいで、塗ってあげるから」


 千代が言うと、近くにいた男子が口を挟んだ。


「いや、俺が塗るよ」


「あ、新見先輩、俺塗りますよ」


「やめろお前ら、新見さんには彼氏いるんだから、殺されるぞ!」


 男連中を窘めたのは、三年の長江匠だった。


 匠は、近くにいた昴をちらりと見やった。


「じゃあ、ちーちゃんにお願いしようかな」


 柚子はそう言うと、パーカーを脱いだ。柚子は、さざ波のような水色のタンクトップビキニを着ていた。千代や、そのほか、近くにいた女子も、思わず「可愛い」とため息のように漏らした。思わず、鼻を摘まんで上を向く男子も出てくる。


 柚子は千代の隣にうつ伏せになって、今度は千代が、その背中にオイルを塗った。柚子は、千代の手のぬくもりを背中に感じながら、目を瞑った。そしていつの間にか、鼻歌を歌っていた。


「何の歌?」


「うーん、わかんない」


 そう答えて、えへへと柚子は笑った。


 柚子は、千代とは最近も、ほとんど毎日のように練習で顔を合わせていたが、練習自体が忙しかったために、二人でのんびり時間を過ごすというのは、久しぶりだった。周りにいた他の生徒たちは、もう皆、海の方へと行ってしまった。


「本当は水上君にやってもらいたかったでしょ?」


 千代は、いたずら心で柚子に言った。


 恥ずかしがるに違いないと千代は思っていたが、ところが、帰ってきたのは意外な言葉だった。


「そんなことないよ」


「え!?」


 突然どうしたのと、千代は声を上げた。


「ちーちゃんの手、気持ちいいし。――良いマッサージ師になれるよ」


 寝ぼけたように、柚子はそんなことを言った。


 千代は、柚子の綺麗な背中を見つめて、手を止めた。


「柚子――橘君は気を付けた方がいいよ」


「え?」


「たぶん、柚子の事狙ってるから」


「それはないよぉ」


 緊張感のない柚子の声。


 この子は、本当に気づいてないんだと、千代は悟った。


 言うなら今しかないと、千代は思い、意を決して口を開いた。


「冗談じゃなくて」


 柚子は、千代の真剣な声に笑いを引っ込めた。


 ヤバイ、怖い、と千代は思った。柚子はいつも笑顔でいる。その柚子が笑顔を消したのではないかと、それを想像するだけで恐ろしい。しかし千代も、柚子から嫌われる覚悟を決めていた。


「柚子の柔らかい所は私も大好きだけど、でも、無防備すぎると思う」


 声が震えるのを押えながら、はっきりと、千代は言った。


 柚子は、自分が無防備であるという自覚がないので、何のことを言われているのかわからなかった。ただ、昴とのことを言われているのだと、そのことだけはわかった。


「でも、橘君とは本当に何もないよ。ちょっと相談に、乗ってるだけだよ」


「それだよ柚子。そうやって柚子に近づこうって魂胆なんだって!」


「なんでわかるの……」


 柚子は小さく聞き返した。


 柚子は、昴が、自分と同じような境遇についての悩みを持っているものと思い、同情の思いを強く持っていた。何でもかんでも噂にされたり、そのせいで嫉妬を買ったりしてしまう。でもそのことは、決して人には相談できない。そんな橘君の辛さを、「そういう魂胆」なんて、言ってほしくなかった。


「わかるよ、見てれば。水上君だって――」


「オイル、ありがとう」


 柚子は、千代が言い終わるより先に礼を言うと、体を起こした。


 千代は、思わず口を閉じた。


「……海、行ってくるね」


 柚子は、千代と目も合さずにそう言うと、千代に背を向けて砂浜を歩いて行った。


 待って、と千代は思ったが言葉には出せず、シートの上にペタンと座り込んだまま、両手で顔を覆った。完全に嫌われたと、千代は暫く立ち上がることもできなかった。目じりに涙が滲んでくるのを、オイルまみれの指で払いのける。オイルが目に染みて、さらに涙が出てくる。


「はぁ……言うんじゃなかったかなぁ……」


 千代は立ち上がり、椅子に座った。


 千代が皆と合流したのは、それからしばらくの後だった。





 夕方になり、ダンス部一行はホテルに戻り、風呂に入った。その間にホテルの庭ではバーベキューの準備が整って、日がすっかり暮れた後、いよいよ夕食のバーベキューの時間になった。男子も女子もラフな格好で、肉や野菜を串にさして焼いた。そんな楽しい時間のはずだったが、柚子と千代は、昼間以降、一言も言葉を交わしていなかった。二人はそれぞれに他の部員と話したりしながら、できるだけ自然に、近づくのを避けていた。他の合宿メンバーは、二人の間に起きたことは知らないので、立食パーティーのようにしてバーベキューを楽しんだ。


 昴は、柚子が一人になったタイミングで、柚子のもとにやってきた。柚子は、千代とのことを考えて、落ち込んでいた。ベンチに座り、所々明りの見える海を眺める。


「どうしたの」


 昴はそう言いながら、柚子の隣に腰を下ろした。


「う、うん、ちょっとね」


 柚子はそう答えて、暗い感情を笑顔で隠した。


「彼の事?」


「うーん、ちょっと違うんだけど」


「聞くよ」


 優し気な声でそう言われて、柚子は思わず、昼間のことを話してしまいたい気持ちになった。しかし柚子は、千代と喧嘩がしたいわけではなかった。それなのにこうして昴と二人で話していたら、まるで千代のアドバイスを突っぱねているように見られてしまう。


 しかし柚子はその一方で、昴のことも無下にしたくはなかった。誰にも話せなかった悩みを話してくれたのだから、それにはちゃんと向き合いたいと、柚子はそう思っていた。


「――ちょっと、喧嘩しちゃって、友達と」


「新見さんが?」


 昴は振り向いて、庭全体をぐるりと見渡した。


 柚子には友達が多いので、昴には柚子が誰と喧嘩をしたのかまではわからなかった。


「――私って無防備かな?」


 柚子の質問に、昴は即答せず、少し考えた。


「新見さんが話しかけにくい女性だったら、僕も、自分の悩みをずっと抱えてるままだったよ」


 そっか、と柚子は頷く。

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