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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
3,孤独な言葉のために
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黒塗りのビー玉/覗き込む雛(4)

「橘君は、どんな感じなの?」


「吊り合わない、とか言われてね」


 冷静を装いながらそう言って、昴はちらりと、柚子の様子を覗った。


「橘君、〈王子様〉だもんね」


「新見さんまで」


「ごめんごめん」


 あはははと笑う柚子を見て、昴の頬も自然と緩む。柚子はしかし、昴の心の内を知らない。まさか、自分の笑顔をいずれ独り占めにしたいと思っているなどということは、考えもしていなかった。


「新見さんだって、同じようなものだろう?」


 そう言われて、柚子は、昴との噂に付属して囁かれている詩乃を評する言葉の数々を思い出した。――新見さんとは釣り合わないよね、もう別れたんでしょ、付き合ってた方がおかしいよ、何かの間違いだったんだよ、橘君との方が断然ピッタリだよね。そう言う言葉を聞くたびに、柚子は、悔しい気持ちでいっぱいになる。


 橘君も同じような境遇にあるのだろうかと思い、柚子は昴が、どうにも他人とは思えなくなってきてしまった。


「――自分の知らない所で、勝手に自分像が出来上がる。皆が見てるのは、王子なんだ。僕じゃない」


「そんなことないよ。橘君が魅力的だから、その子も、迫られて驚いてるんだと思うよ」


 柚子の励ましの言葉に、昴は微笑した。


 今すぐここで抱きしめて、自分のものにしてしまいたいという衝動に駆られる。そしてその気持ちと同時に、昴の中には、柚子の彼氏――詩乃に対する猛烈な対抗心が燃え上がるのだった。


「新見さんは、優しいんだね」


「そんなことないよ……」


「でも、今は気が楽だよ。〈王子〉の仮面をかぶらなくていいからね。新見さんの前でなら」


「本当?」


「うん。今は、素の僕だよ」


「良かった」


 と、柚子はにこりと笑う。


 柚子は、橘君の心が少しでも軽くなったなら良かったと、そう思った。


「新見さんは、彼にそういことを言われたことない?」


「そういうこと?」


「吊りあいの話を」


「あぁ……言われたこともあったかなぁ」


 柚子のその反応は、昴には意外だった。昴も、自分と柚子の噂のことは知っている。噂をしている多くの生徒が、柚子と今の彼を「吊り合わない」と評価し、柚子と自分を「吊り合う」と言っている。だから間違いなくこの話題は、二人の中に存在しているはずだ。だからもっと、柚子が自分の意見に共感を示すだろうと、昴はそう踏んでいた。ところが、柚子の反応が意外に薄い。


「何かそういう所で、ズレを感じることはない?」


「――きっとその子も悩んでるんだと思うよ」


「え?」


「橘君の気持ちを受け止められるかなぁとか、不安なんだよ。でも、好きなら大丈夫だよ。たくさん話した方がいいよ。放っておかれると、女の子はやっぱり、不安になると思う。それに、橘君、いろんな子に人気だから、余計だよ」


 昴は頷き、納得している様子を装った。


 本当は、好きな子の話も、相談も全部口実である。昴は、柚子と彼氏の関係や、柚子自身のことを引き出そうとしていた。その中で、彼氏に対する愚痴の一つや二つ、出てくるものと思っていた。ところが柚子は、愚痴どころか、自分のこともほとんど明かさない。しっかり相談に乗って、励まそうとしてくれている。柚子の優しさを受けて、昴の心もちくりと痛んだ。しかしその罪の意識は、柚子が欲しいという津波のような欲望に、あっというまに押し流されていってしまった。


 昴は相談については解決した体で、その後は練習のことなどについて、話題を変えた。これ以上相談をしても、柚子は何も話さないだろうと、昴は見切りをつけたのだ。しつこく聞きすぎれば、いらない不信感を抱かせてしまうかもしれない。


 しかし昴は、柚子の事を諦めるつもりはなかった。


 どの戦略でいくか――。


 柚子の彼に対する気持ちは固そうだが、彼の方はわからない。柚子の方は無理でも、彼の方は、揺さぶりをかけて、それで、あっけなく崩してしまえるかもしれない。柚子と談笑しながら、昴は、詩乃と会って話す決意を、その笑顔の裏で固めていた。





 隅田川の花火大会――ダンス部の発表の日はあっという間にやってきた。


 ダンス部の踊る舞台は、去年と同じ、川沿いの公園に設営されたステージである。ただし今年は、ステージ発表の時間が、去年よりも三時間程度早い。というのも、今年の花火大会は、打ち上げる花火の数も、参加する団体や歩行者天国になる道路の本数、その時間の長さも、また地域も、去年より拡大される。花火の打ち上がる夕方近くになると、混雑の比が去年までとは比べ物にならないだろう、ということで、ステージ発表自体が、例年より早く切り上げられることになった影響である。というのも、去年まではコロナ危機の影響で、大会の時期が十月になったり、八月になったりしていた。それが今年、やっと運営上の調整がついて、コロナ禍以前の七月開催に戻ってきた。今年はその記念すべき大会で、そのために、規模も去年より大きくなった。


 詩乃と柚子は、ダンス部の発表の後、一緒に祭りを回って、花火を見ることになっていた。


 詩乃は柄にもなく、前日はしっかりと睡眠をとり、家を出るのは昼頃なのにもかかわらず、朝七時前には起きていた。二度寝も、しようと思えばできたが、今頃新見さんは発表の準備をしているに違いないと、そう思うと、自分も寝てる場合じゃないなと、そんな気持ちになるのだった。かといって、家を出るまでの五時間はどう過ごすか、考えてもいない。カーテンを開ければ解けるような日差し。それで、早く家を出るのは断念する。


 何となく風呂に入り、湯に浸かっている時にちょっとした物語のプロットを思いついたので、風呂から出た後は、それを文字にしてまとめる作業をする。そうしてふと気づけばもう出発の時間になっていた。朝食も昼食も食べていないのを思い出したが、もういいやと、着替えて家を出て自転車に乗った。


 日焼け止めを途中で買って、浅草駅に着くと、駅近くの駐輪場に自転車を置いた。駐輪場はどこも満車近く、これ以上遅くなっていたらまずかったなと、詩乃は気を引き締めた。すでにたくさんの人が隅田川、浅草駅周辺には集まっていて、車道も間もなく交通規制が始まった。

目をギラつかせて喧嘩上等という雰囲気を醸し出す若者から家族ずれ、缶ビール片手に大きなだみ声で何かを話している地元の親父たち、それに、外国人観光客など、駐輪場から公園までの短い道のりの中で、詩乃は色々な人とすれ違った。


 公園に入ると、その仮設舞台では、茶ノ原高校の発表の前の団体――ロックバンドが、音楽を披露していた。混雑する公園の中を、詩乃は何とか、ステージ正面までやってきた。詩乃は、背は高い方なので、人混みの中からでも、ステージの上ははっきりと見ることができた。


 ロックバンドの発表が終わり、茶ノ原高校のダンス部の発表のために、楽器などの機材がステージ上に準備されてゆく。ステージ裏にいる柚子の緊張が伝わってくるようで、詩乃の心臓も高鳴り始めた。


 やがて、機材の準備が完了すると、ステージMCの紹介で、ダンス部の最初のグループが登壇した。詩乃はその中に、千代を見つけた。クラスでは、唯一自分に声をかけてくる女子で、新見さんの親友。頑張れ、と詩乃は心の中で千代を応援した。


 始まってしまえば、ステージはどのグループもあっという間だった。柚子のグループは三番目で、そのグループのピアノ担当は昴だった。


 詩乃は、彼の演奏で新見さんが踊るのかと思うと、良い気持ちはしなかった。しかし曲が始まれば、詩乃の目には柚子の姿しか映らなかった。マイケルジャクソン扮する柚子は舞台のど真ん中で踊った。丈の短い黒ズボンにジャケット、キラキラピカピカ輝く銀のシャツを着ている。衣装はファッション部のお手製であることを、詩乃は柚子から聞いて知っていた。ファッション部、良い仕事するなぁと思った。


 柚子が踊っている最中、詩乃は実際、熱狂というよりも、無事にステージが終わってくれと、祈るような気持ちでいた。転ばないかな、という心配から始まり、ダンスの途中途中で瞬間的にはっきり強調される柚子の胸や腰の曲線に、詩乃はハラハラしてしまった。ダンスがすごい、という感想とは別に、「あの子超かわいい」という男の声も上がっていた。そしてスマホの何十というカメラのレンズが柚子を映していると思うと、詩乃のハラハラは、柚子に下心を向ける男たちへの怒りへと変わっていくのだった。





 ダンス部のステージは今年も大成功で幕を閉じ、『茶ノ原高校ダンス部・ジャズ研究会の発表でした』というMCのマイクの声が掠れてしまうような拍手が、ステージを降りたメンバーたちに贈られた。詩乃も、パチパチと熱心に手を叩いた。


 舞台のあと、ダンス部とジャズ研のメンバーたちは、ステージ裏の四方幕の張られた白テントの中に集合した。ダンス部の全員とジャズ研のメンバー、そしてファッション部の衣装担当の三年生三人。四十人ちょっとが、ぎゅっと密集して集まっている。皆全身汗だくだが、感じているのは、夏の日差しや、籠った熱の暑さではなかった。


 ダンス部の外部指導員ジョルジは、サムズアップを掲げてにやりと皆に笑って見せ、「熱いダンスだったぜ。お前ら、最高だ。熱海ライブもぶちあげようぜ」とだけ話した。男子はうおおぉっと、大盛り上がりである。顧問の阿佐教諭は、目に涙を浮かべている女子部員につられて、何も言えずに泣いてしまった。そんな阿佐教諭を、三年生の女子生徒たちが抱き着いて慰める。阿佐教諭が話せなくなってしまったので、その後をダンス部部長が引き継いだ。「熱海ライブもぶちあげようぜ! で、もっかい阿佐ちゃん泣かそうぜ! ジャズ研もサイコーの演奏だったぜ! 衣装もサンキュー! じゃ、解散!」と、声を張り上げ、ライブのようなコールアンドレスポンスをもって、ダンス部は解散となった。皆それぞれにハイタッチを交わしたり抱き合ったりして称えあった。


 その後、柚子は衣装を着替えるために、千代と一緒に近くのスポーツセンターへと向かった。手早く部のTシャツとハーフパンツに着替え、紗枝の家へと歩いて向かう。紗枝の家で、二人はシャワーを貸してもらうことになっていた。汗を流した後は浴衣に着替える。千代と紗枝は二人で祭りを回るため、柚子は、詩乃と花火を見るための浴衣である。


 一方詩乃は、柚子との待ち合わせの時間まで、そのままステージ発表を観ていようと思っていた。ところが、詩乃のもとに、昴がやってきた。黒い蝶ネクタイにタキシード、ステージ衣装のままの格好である。人混みの中から現れた昴に、詩乃は思わず息を呑んだ。人混みの中にあって、昴は他とは違う存在感がある。それは、衣装のせいだけではないだろうと、詩乃は思った。

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