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星の海で遊ばせて  作者: ノマズ
3,孤独な言葉のために
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照らされて降る雨(9)

 歌が終わった瞬間、各組の選手は猛烈な勢いで球を拾いに走り出した。弾入れ用の小さい球を拾う生徒と、そして、バランスボールを拾う生徒がいる。バランスボールを拾った生徒は、他の組の選手に向かって、それを思いきり投げつけた。バランスボールを当てられた生徒は、その弾力に負けて、人工芝の上に転がった。


「殺れ、殺れ!」


「あいつ殺れ、あいつ!」


「たたみかけろ!」


 さっきまでの可愛らしいダンスとは一変、物騒な言葉が飛ぶ。


 グランドは、一瞬で戦場と化した。


 バランスボールをぶつけられてバランスを崩しながらも球をゴールに入れるスーパープレーに会場が湧き、的を外したバランスボールが、三人一組でポールを支えている高校生ラガーマンにぶつかって、どっと笑いが起こった。


 再び歌が始まると、選手たちは球を捨てて再びダンスの配置に着き、踊り始める。


 五分間の死闘のあと、体力を使い切って選手たちは、組ごとに集まって開票を待つ。その中に、足を引きずる女子生徒がいた。


「あー、あの子ねん挫したっぽいわねー」


 須藤教諭は目を細めた。


「水上君、行ってきて」


「え?」


「肩貸して、ここまで連れて来てよ」


「はい、行ってきます」


 詩乃は須藤教諭に言われた通り、グランドの真ん中あたりまで走ってその女の子を迎えに行き、肩を貸して、救護テントに連れて戻ってきた。玉入れの開票作業が始まり、それが終わると、選手たちは散らばった小玉とバランスボールを回収して退場する。


 詩乃と須藤教諭は、女の子を椅子に座らせ、怪我をしている方の靴と靴下を脱がせた。詩乃が濡れタオルで足を拭いて、須藤教諭が怪我の程度を、足を動かしながら確認する。


「軽いやつね。水上君、テーピングはできるんだっけ?」


「ある程度は、覚えてきました」


「じゃあ、少し冷やした後でやってあげて」


「はい」


 詩乃は氷嚢に氷を入れ、それで患部を冷やし、頃合いを見て、テーピングを施した。須藤教諭は、その手際の良さに、思わず感心して声を上げた。テーピングが終わる頃、怪我をした生徒の友達がやってきた。ありがとうございましたと礼を言って、その女子生徒は、友達二人に付き添われて、救護テントを後にした。その後ろ姿の足取りの確かさを確認して、詩乃は頷いた。


「独学?」


 須藤教諭は、詩乃に訊ねた。


「はい。動画、たくさん上がってたんで」


「へぇー、すごいね」


 須藤教諭は、素直に感心していた。


「あとどこのテーピングできるの?」


「足首と手首だけです。あとは、すみません」


「いや、充分よ」


 須藤教諭は笑った。


「今日のために勉強したの?」


「ま、まぁ……」


「流石だね、水上君は」


「いえ、その……色々免除になるじゃないですか、この立場って」


 須藤教諭は、そうね、と相槌を打つ。


「テーピングくらいできないと、タダ飯食べてるみたいで、嫌だったんですよね」


「真面目ねぇ!」


 須藤教諭にそう言われ、詩乃は照れ笑いを浮かべた。


 やっぱりこの子可愛いわねと、須藤教諭は思った。そして不意にもう一人、可愛らしい女の子のこと思い出した。まだ二人は付き合っているのかしらと、そのことを、聞いてみたくなった。いやねこんなおばさん、と自分で思いながら、須藤教諭も沸き起こってきた好奇心には勝てず、にやにやの笑みを浮かべながら、詩乃に訊ねた。


「水上君、あの子――新見さんと上手くいってるの?」


 突然の質問に、詩乃は固まってしまう。


「ま、まぁ……」


 少しの間を開けて、詩乃が煮え切らない返事をした。


 なるほどねと、須藤教諭は、詩乃のその言葉と態度で、二人の関係を察した。まだ付き合ってはいるけれど、何かすれ違いが起こっている、そんな状況なのね、と。


「そういえば、文芸部の後輩ちゃんたちと、仲良くできてるの?」


「まぁ、それは、そこそこには」


「女の子三人も入って、ハーレムじゃない」


「え、なんで三人って知ってるんですか!?」


「目の前でテント作ってたんだから、見てるわよ」


 あぁそうかと、詩乃は自分の質問が馬鹿だったと思った。保健室前に露店を作ったのだから、そりゃあ、須藤教諭がそれを見ていないわけがない。


「新見さん、嫉妬しちゃうんじゃない?」


「え? 嫉妬、ですか?」


「そうそう」


「いやいや……」


 あの新見さんが嫉妬なんてするはずないでしょと詩乃は思った。


 そんな詩乃の反応を見て、須藤教諭は含みのある笑みを浮かべた。


「誰に嫉妬するんですか」


「後輩ちゃんよ。ほら、一人名前で呼んでたじゃない」


「あー、愛理ですか?」


「そうそう。その後輩ちゃんに、とかさ」


「いや、ないですよ」


 詩乃は笑いながら首を振った。


 きっとこれねと、須藤教諭は一人で結論を下し、小さく息をついた。


 午前の部の終わりごろ、救護テントに愛理がやってきた。救護テントを目指して来たわけではなく、近くを通りかかった時に、詩乃がそこにいることを思い出し、挨拶くらいしておこうと思ってやってきたのだ。


「水上先輩、こんにちは」


 愛理は、男女六人のグループでいた。


 金髪の愛理と同じく、その友人たちも、髪型や髪の色をずいぶん遊んでいる。


「はいどうも」


 詩乃の素っ気ない対応に、愛理は頬を膨らませ、立ち止まった。


「先輩、さっきの私の走り、見てました?」


「え?」


「なんで見てないんですか、一位取ったのに!」


 愛理は、詩乃に詰め寄る。


 愛理の連れが後ろから、チャカすように声をかける。


「え、愛理、彼氏?」


「違うから! ってか、知ってんじゃん!」


 愛理は、連れの方に振り向きながら言った。


愛理が友達と救護テントを離れた後、今度は柚子がやってきた。柚子は、通りかかったわけではなく、詩乃に会いに来たのだった。


「こんにちは」


 柚子は、詩乃と須藤教諭の両方に挨拶をした。


 須藤教諭は、サングラスの下から、じっくり二人の様子を観察することにした。


「水上君、見てたよ。テーピングとか、あんな怪我の手当てまでできるんだ」


「ま、まぁ、ちょっと練習したから」


「私も怪我しちゃおうかな」


 何を言うんだと、詩乃は驚いて、それから笑った。


「午後はマスゲームでしょ」


「うん。でも……水上君に手当てしてほしいなぁとか、思うよ……」


 柚子はそう言って、拗ねる子供のように俯いた。


 そう言われてもなぁと、詩乃は困ってしまった。


 そんな二人の様子を見て、須藤教諭は内心やれやれと思いながら、口を開いた。


「もうすぐお昼休みだし、水上君も、ここはもういいわよ」


 詩乃は、机の上に出していたスマホのパネルをタッチした。アナログ時計の時計盤が青白い光で表示される。十二時まで、あと数分だった。今グランドでやっている昼最後の競技、竹馬リレーも最終盤を迎え、歓声が沸き起こっている。順位が入れ替わったらしかった。


「競技が終わるまでは、いますよ」


 詩乃が言った。


「ここで見ててもいいですか?」


 柚子は、須藤教諭に聞いた。


「いいけど……じゃ、そこの空いてる椅子使って」


「ありがとうございます」


 柚子はそう言うと、詩乃の隣の、空いているパイプ椅子に座った。座るとき、柚子は椅子を離すどころか詩乃に近づけたので、二人の距離は、互いに肩がぶつかるほど近くなった。詩乃は身体を強張らせた。


「本、読んだよ」


 柚子は、つんつんと、詩乃の横腹をつつきながら、小声で詩乃に言った。詩乃は、びくっとくすぐったがりながら、「そっか」とだけ応えた。柚子の感想は聞きたかったが、押しつけがましくそれをねだりたくはなかった。その上新見さんは、どんな出来の話でも、きっと褒めてくれるということは、詩乃にはわかっていた。


「誤字脱字、無かった?」


 詩乃は、柚子が感想を言う前にそんなことを聞いた。すると柚子は、苦笑いを浮かべて、言いずらそうに応えた。


「二か所くらい、あったかなぁ」


「うーん……そっかぁ」


 詩乃はぎゅっと目を瞑り、額に手をやった。


「でも、水上君の話じゃなかったよ。他の部員さんの――それに、大きいミスじゃないから、全然大丈夫だよ」


「――うん、まぁ、あるだろうなとは思ってはいたんだ。読み直しが足りない気はしてたから」


「水上君も、お疲れ様だね」


 そんな労いの言葉に、詩乃は自分の口元を手で隠した。思わず詩乃は、泣きそうになってしまった。別に特別な努力をしたわけではない。部誌を出した、それだけで、それは、自分が好きでやったことだ。しかし詩乃には、「お疲れ様」なんていう言葉を本心からかけてくれるような人は、柚子の他にはいなかった。まるで、心を直接包まれるような温かさを、詩乃は感じた。しかしその温かさは、それを失った時の悲しみを同時に詩乃に気づかせた。


 詩乃はTシャツの胸のあたりを、右手でぎゅっと掴んだ。


「どうしたの?」


 柚子は、詩乃が痛みのためにそうしたのかと、詩乃の背中に右手を回して優しく擦り、左手で詩乃のTシャツを掴む手の甲に触れ、その顔を覗き込んだ。詩乃は、自分の手に触れた柚子の手を両手でぎゅっと握り、抱え込むようにして、その手に自分の唇を押し付けた。


 突然そんなことをされて、柚子は息を呑んだ。


 詩乃は、柚子の手を、抱きしめるようにして離さない。


 いつか新見さんが離れていくと思うと、詩乃は心が張り裂けそうだった。新見さんの温かさを知るたびに、いずれ訪れるであろう孤独を突き付けられる。新見さんの手を、強く握れば握るほど、心は冷たくなってゆく。


 詩乃は柚子の手を、唇から自分の額に持っていった。


 祈る様に、ぎゅっと、額に柚子の手を押し付ける。

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