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少女のヒトリゴト

作者: 少女A

 私達が何気なく過ごしている日常。皆さんが各々楽しいと感じるモノが何かをきっかけに楽しくないと感じたら?なにもかもがめんどくさいと感じたら?

 これはとある少女のわがままな自分語り。

 毎日なんとなく過ぎる日々。そんなくだらない日常が霞んで見えた中学2年生の夏。

 私には母がおらず、父と祖母と暮らしていた。父は多忙で、昼も夜も汗を流して働いていた。私はそんな父を誇りに思っていた。

 祖母は私のご飯を作ってくれたり、洗濯をしたりと毎日家事に勤しんでいた。学校から帰ると「お帰りなさい」と言ってくれる。毎日それの繰り返し。なんの変哲もない日常、だったはずだった。

 蝉の声が学校の体育館に鬱陶しく響く中、私は所属しているバスケ部の練習を見ていた。当時の私は練習をほとんどしなかった。練習が嫌だった、あのチームで練習をしたくなかった、顧問が嫌だった。とにかく私は全てが嫌だった。サボるために体調不良のフリまでした。その頃からだった、生きるのがめんどくさくなったのは。

 ついに私は学校そのものを休むようになった。何故休んだのかは分からない。ただ学校に行きたくなくなった。腹が痛い、頭が痛いと仮病を使って一日中寝ていた。甘えていた。いろいろな病院も行った。健康なのに。罪悪感は感じなかった。むしろヘラヘラしていたのだ。とにかく私は何も考えたくなかった、何もしたくなかった。

 学校を休んで1ヶ月近く経った頃だろうか。今まで親に連れ回され、嫌というほど行った近くの病院で喘息だと診断された。原因は父と祖母のタバコからだと思われた。私は診断されてホッとしてしまった。たしかに息も苦しくなるし、咳もつらくてしんどい。だけど休める理由が、甘えられる理由ができた。できてしまった。この日から私は喘息を盾にして生きた。

 この頃には父も祖母も私に学校へ行けなどと言うこともなくなった。誰も私と笑いあったり、喧嘩もしなくなった。私は毎日、カーテンを閉め切った暗い部屋の中で布団にくるまりひたすら死について調べた。自殺は痛いか、経験者は何を語っているか、道具はなにがいるか。毎日ひたすら同じことを調べた。そして夜になると自己嫌悪を繰り返し静かに泣く、それだけ。

 私の日常は壊れてしまった、壊してしまった。もう自分の存在価値が分からなくなるまで自分で、この手で壊してしまったのだ。自分の世界から色を失ってしまった。

 そんな壊れた日常にも終わりが来た。中学2年生の冬、祖母が入院した。脳梗塞だった。幸い早く見つかり処置をした為命に別状はなかった。でも祖母は見るからに元気はなくなった。体力的にもだが、精神的にも元気がなくなってしまった。祖母は元気なことが取り柄だった。お見舞いに行くと必ず謝るようになってしまった。申し訳なさそうな顔で、元気のない小さな声で「ごめんね…ごめんねぇ…ご飯早く作ってあげなきゃね…」と。祖母の前では大丈夫と笑顔をつくった。今思えば引きつってたかもしれない下手な笑顔を。父も前よりは元気がなくなったが、忙しい仕事で手一杯だった。家では私が一人になることが増えた。なんだか寂しくなった。一人になりたかったクセに。

 祖母はしばらくして退院した。元気はないがご飯は作ってくれるようになった。私も学校に少しづつ行くようになった。家にいづらくなったから、ただそれだけ。でも学校に行くようになってからちょっとだけ楽しくなった気がした、自分の世界に色がついた気がした。だけどついに私にバチが当たった。

 中学3年生の春、祖母のカツ丼を食べ終わり自分の部屋でくつろいでいると、トイレから祖母の嗚咽が聞こえる。辛そうに近くに住んでいる叔母に電話をしていた。最近、祖母は体調が悪くよく寝込んでいることから「またいつものか、関わるのもめんどくさいし寝たふりでもしよう」と馬鹿なことをした。しばらくして叔母がきた。どうせ大丈夫か、と聞いて布団にでも運ぶだけだと思っていた。このまま寝ようとしたその時、叔母の悲鳴が聞こえた。そしてすぐに叔母は父の寝ている部屋までいき大声で起こした。

「大変!おばあちゃん血吐いてる!早く起きなさい!」

一気に血の気が引いた気がした。叔母が救急車を呼び、父があたふたとしている中私はそっと祖母の近くに寄った。祖母は私をチラとみると小さな声で「ごめんねぇ…」とだけ呟いた。私は早足で自分の部屋に戻ってしまった。祖母の前で泣きたくなかった、涙を見せたくなかった。私は祖母のことはきらいだった。すぐ怒るし、叩いてくることもあった。でもいざ弱った祖母を見ると、本当は祖母のことがすきだったんだと嫌と言うほど感じさせられた。これが初めて私が死を見て、感じた体験だった。

 祖母が救急車運ばれ、入院して約半年経った頃苦しみながら夜中病院で亡くなった。祖母が入院してる時、私は笑顔で約束した。

「おばあちゃんに高校の制服絶対みせるからね、成人式も。あと私の卵焼き食べさせてあげる。」

 祖母が体調を崩し始めてから私は自炊を頑張るようになった。だから手料理を食べさせてあげたかった。でも守れなかった。祖母の火葬の際に入れた手紙には「約束を守れなくてごめんなさい。ごめんなさい。」と何回も書いた。

 この日から私は部活も、勉強も頑張った。祖母の死をきっかけに前を向けるようになった。



 そして今、私は生きている。笑顔で。少しは変われた気がした。

 でも私の世界からは色は失われている。まだ戻らない。第三者視点からみたらハッピーエンドかもしれない。でも私からしたらなにもハッピーなんかじゃない。いまだに生きるのがめんどくさいし、前を向かない日だってある。表面上しか変わっていない。

 わがままだと分かっている。クソ野郎だと分かっている。でも、こんなわがままでクソな人生を今日も生きている。自分で選んだことだ。

バットエンドでなにが悪い

 自分で選んだ人生に正解はありません。たとえバットエンドだとしても。

 しかし、相手を思う気持ちは大切に。時には自分の行動も振り返るといいんでしょうね。

 あなたの行いは相手を傷つけていませんか?

 でも考えすぎも疲れちゃいますから程々に。人生って大変ですね。

 ここまで読んでくださりありがとうございました。あなたの人生が充実しますよう願っております。


※今回が初投稿になるため至らぬ点があるかと思います。これから暇があれば投稿していくのでどうかよろしくおねがいします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 選択なんてするつもりなかったのに、結果的に選択してしまっていて、それが尾を引くように後悔としてついて回っているところ。日々の生き方はその少し前を区切りとして、世間一般的に見たら良い方向にい…
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