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ウィーク  作者: 宇佐見きゅう
憂慮の月曜日
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まだ平和だった学校生活

 鳥の鳴き声に安らぎを感じる奴ってのは、どいつもこいつも偽善者だと思う。


 ドラマの見すぎだ。本物の鳥の鳴き声を聞いたことがないに違いない。僕の家は山中にあって、ときどき朝早くから鳥が発情してやがってめちゃくちゃうるさい。ムカつくほどではないにせよ、心地よさは微塵も感じない。


 そんなことを去年の夏にクラスメイトの一人に話したら、「君は心の余裕がないんじゃないの」なんてしたり顔で言ってきたものだから、僕はカッとなってそのクラスメイトを蹴り飛ばして蹴り飛ばして、窓際に追い込んでやった。親友君(当時七歳)が制止してくれなきゃ、僕はそいつを校舎の窓から突き落としていただろう。

 言い訳は考えてあった。「彼は以前から夏目漱石に憧れていて、ぼっちゃんのような青年になりたいと言っていたので実現させてやりました」である。まあ、ついさっきまで忘れていたような、どうでもいいエピソードだ。


 今日の僕を起こしたのは、そういうわけで鳥の鳴き声だった。ここから鳥のうざったらしさ、鳥への恨みつねみをだらだら語って、鳥類全滅計画を練っていくもの悪くないけど、僕が起きたのと同時に、フライパンを持った母が部屋に入ってきたから、僕の目はさっぱり覚めてしまった。


 僕がすでに起きているのを確認した母は、残念そうに肩を落として部屋を出ていった。おはようの挨拶もない。というか、舌打ちをするのならまだしも肩を落とすって……。僕を叩き起こすのが楽しみだったのかな、もしかして。母親の嫌な趣味を知ってしまったものだ。


 枕元の目覚まし時計は七時二十分を指している。今から朝食を食べて、中学校に向かって、ぴったし間に合うくらいだ。ゆっくり朝食を食べている時間があるのだから、平日の朝にしては早起きの方だ。


 僕は起き上がって、制服に着替えた。デザインは詰め襟の学ランだ。この学ランの『学』は学校だろうけど、『ラン』は何の略だろうか。ランドセル? ランドマーク? ランチタイム? どれも違う気がする。今日学校に行ったら、親友君に尋ねるとしよう。彼だったら知っているはずだ。


 一階に下りていった。トイレの横の洗面台で顔を洗ってから、朝食を食べる。今朝のメニューは卵焼きとウインナーとわかめのみそ汁。今日は何の嫌がらせもなかった。ペットのコリー犬(名前は母が付けたものがあるけど、僕は覚えていない)が今日も残飯をねだって僕の足元にすり寄ってきた。朝食を食べ終えて時計を見ると七時四十分。中学校までは十五分で着けるから、五十分に家を出よう。


「昨日は大変だったな」父親が新聞を読みながら話しかけてきた。「載っているぞ」


 父は新聞を折り曲げて、僕に渡してきた。父が開いていたのは地方覧だった。『殺人事件』という見出しがあった。記事の内容は、昨日僕が遭遇した老女が殺害された事件で間違いないようだ。あの老女の名前を今になって知った。宝薮子(たから・やぶこ)(六十二歳無職)。明日にはきっと忘れているだろう。


「別に、大したことじゃなかったよ。事情聴取で時間取られたけど、夕方に帰ってこれたわけだし。まあ、後日またお話を窺いに行きますって刑事さんに言われたけど」

「気を付けろよ」と父は忠告して、新聞を持ち上げた。

「ごちそうさま」


 食器を流し台に片付けて、二階の自室に上がり、カバンを取ってくる。玄関に行って靴の中を確かめてから、家を出た。


「行ってきまーす」


 自転車に飛び乗って、中学校を目指す。

 始業チャイムの五分前に、中学校に着いた。駐輪場には大勢が屯していた。遅刻ギリギリの生徒たちがここからの五分間に駆け込んできて、駐輪場は自転車の置き場を争う戦場となる。そうなる前に僕はスペースを見つけて、自転車を置いた。


 玄関、階段、教室と進んでいく。

 僕の上履きの中にカミソリが入っていたくらいで、他に特筆することはなかった。カミソリは持てましたので、別の誰かさんの靴の中に入れてやろうかと考え、直前で昨日のことを思い出して、学ランのポケットに仕舞った。まあ、ちょっとした護身具? 僕に触れると怪我するぜ的な?


 僕のクラスは二年一組。教室の場所は二階の階段脇にある。水道が近くて掃除のときに便利だ。僕が入っていったとき、一瞬教室が静寂に包まれたのは、僕を担任と間違えたからだろう。始業チャイム寸前は、担任が教室に来るタイミングだ。


 僕は黒板の前を通り、窓側の列の一番前の席に進んでいく。

 机にカバンを置いてから、親友君の席を確認したら、空席だった。

 おや? と首を捻る。

 彼が遅刻することはないし、ギリギリに登校して来ることもない。すると、今日は親友君はお休みだろうか。残念だ。


 チャイムが鳴って、その三十秒後に担任の教師が入ってきた。その頃には二年一組のクラスメイトたちは席に着いて、おしゃべりを止めていた。

 担任は教壇に立って、出欠確認の点呼を始めた。いろはにほへと順で生徒の名前を呼んでいくのが、この教師のユーモアなところだ。

 僕の苗字が二十番目に呼ばれて、僕は返事をした。


「はい」


 出欠確認のあと、担任は欠席者の名前を言った。親友君は風邪で欠席らしかった。次に担任は連絡事項を話す。その中に、殺人犯がこの近辺をうろついているかもしれない、という話があって、二年一組のクラスは大いに盛り上がった。担任は口を酸っぱくして、登下校に気を付けるように、と注意していたが、いったい何人の生徒が真面目に聞いていただろうか。中学生にとって、殺人犯という刺激は遊びでしかないようだ。


 ホームルームが終わって担任が出ていったあと、教室内は一層騒がしくなる。

 クラスでの僕は目立たず、寡黙な奴だ(と自覚している。周囲がどう思っているかは知らない)。交友関係も狭い。話し相手の親友君がいないと、こういうとき暇だ。


 僕の後ろの席でおしゃべりしている女子三人のホットな話題は「近所で起きた殺人事件」のようだ。僕は三人の会話に聞き耳を立てた。


 おしゃべりする三人の女子の名前は忘れた。一人が学級委員長で、一人が背の高いバレーボール部、最後の一人は眼鏡を掛けた大人しそうな子だ。図書委員とかやっていた気がする。


「でもさー、やばくない? 捕まってないんでしょ」バレー部女子が声を上げる。

「もう他の町に逃げたんじゃないの」図書委員女子が言う。

「実はね」と委員長が声を潜める。「私のお父さんが刑事で、今朝に教えてくれたの。昨日の事件って連続殺人事件なんだって」


 ピクリと耳が反応して、僕は振り向きかける。

 ……連続殺人事件? 日常生活ではあまり見かけない言葉だ。

 僕は前を向いたまま、背後に集中した。委員長がこう続けた。


「もう五人の命を奪った凶悪犯でね。被害者にはある法則があるの……。それは教えてくれなかったけど、私たちみたいな普通の子は絶対に安全なんだってさ」

「へえー……」

「そういう人間って本当にいるんだ。殺人鬼か……」


 バレー部女子と図書委員が感心した。

 そこに一時間目の数学の先生が入ってきて、バレー部女子と図書委員女子はそれぞれ自分の席に戻っていく。委員長は僕の後ろの席だ。


 僕は委員長の口から出てきた、連続殺人事件という単語が頭から離れなくなっていた。チャイムが鳴って授業が始まっても、しばらくの間、ボーっとして連続殺人事件のことを考えていた。


 昨日、僕に事情聴取をした刑事はそんなことを一言も言っていなかった。証拠が昨日の段階では集まっていなかったのか、ただの目撃者にそこまで話す必要はないと判断してなのか。被害者の法則も気になる。犯人は被害者を選んでいる。五人もの人を殺した連続殺人なら、新聞の一面に載っていてもおかしくはないが、ここ数年でそういう記事は見たことがない。警察は公表せずに秘密にしているのだ。


 被害者の法則。あの泥棒の場合は、年寄り、女性、犯罪者、などの要素が考えられる。刑事が自分の娘相手に、狙われないと言い切るということは、つまり……?


「…………」


 そこまで考えて、僕は探るのをやめた。

 中学生が探偵ごっこをして何になるのか。ただでさえ昨日の現場に居合わせてしまって、犯人に目を付けられているかもしれないのに。これ以上犯人を刺激することをしては駄目だろう。


 僕は健全な中学生らしく、授業に集中することにした。教科書を見て、先生の話を聞いていればいいのだから楽な作業だ。緊張感のない暇な時間というものが、僕は存外嫌いではない。僕はダラダラとした気分で午前中の授業を消化していった。


 次に僕が日曜日の事件のことを意識したのは、四時間目の終了後、トイレに寄ったときだった。



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