救命/究明行動の末路
僕はおじいさんの元に行き、薬を飲ませて一命を取り留めさせることに成功した。あれだけ泥棒の老女とやり合っていたのに、よく持ち堪えたなあ、とおじいさんの生命力に感心した。救急車は五分後に来て、容態を聞きながらおじいさんを搬送した。
その作業中に一人の救急隊員が僕に聞いてきた。
「骨折した女性は……どこに?」
ああそうか。そっちも助けに行かなくちゃか。当初の目的を果たしたからおまけのことなんかさっぱり忘れていた。
「こっちです」
救急車は先に発車していった。二人残った隊員が救急ボックスを抱えて、僕の案内でおじいさんの家まで付いてきた。その道中に、泥棒がいたから、咄嗟に攻撃をしてしまったことを説明した。
「これって正当防衛ですよね?」
「人命が掛かっていたときだし、冷静な対応ができなかったのは仕方ないよ」隊員の年かさがいった方が慰めるようにそう言った。
判別の付かない子供扱いするような言い方にちょっぴり反感を感じなくもなかったけれど、気を取り直して、僕たちはおじいさんの家の中に入っていった。
玄関のドアを開けた瞬間、どぎつい臭いが溢れ出てきた。
僕は鼻を押さえ、すぐに口元を押さえた。
これ、何だ。すごく、気持ちが悪い。
異臭を嗅いだ二人の救急隊員は目配せし合って、家の奥に駆け込んでいった。
「要救護者発見!」すぐに台所の方から声が飛んできた。
臭いの元は――異常の発生源はそこか。
玄関に突っ立っている僕からでも、そっちの様子が見えた。
赤い。
台所の床が真っ赤だった。
僕のばら撒いた画鋲を踏んで、足の裏が血だらけになったから、なんてものじゃない。もっと大量の血が流れている。柱の陰に見える、誰かの手首。ぐんにゃりと変な方向に曲がっているのは、僕が蹴り折ったから。
真っ赤に染まった歪な手首……。
そう言えば、おじいさんの家を出るまでは老女の悲鳴が喧しかったけど、すぐに気にならなくなった――聞こえなくなったのだ。
ここの家に戻ってくるまでも悲鳴は一切聞こえなかった。僕があっさり立ち去ってしまって、諦めたのだとばかり思っていたけど。
「呼吸停止状態! 出血がひどいです! 心臓は……動いていません!」
二人の隊員が叫び合って、どたばたしている。もしかして助けようとしているのかな。あれか、手遅れと分かっていても職務上は見逃せないのか。はっきり言えばいいのに。もう死んでいるって。ここからでもあの老女は死んでしまって、手遅れなのがよく分かるんだから。もう、面倒な人たちだなあ。
隊員の一人が携帯を取り出して、応援を呼んでいる。さっきの救急車を呼び戻そうとしているとか? いや、あっちはおじいさんが乗っているから別のを呼ぶか。
年かさの行った方の隊員が、突っ立っている僕に真顔で聞いてきた。
「坊やが、これを?」
「いや……、違います」
明らかに正当防衛の範疇を超えているだろう。一人のおじいさんを助けるために、ただの盗人を殺すなんて、どんな勧善懲悪だよ。
同時に、ああそうか、と納得した。
この状況だと僕がやったように思われるのか。他に容疑者いないもんなあ。
僕はどう弁解しようかと考えてみた。このままじゃぶっちゃけまずい。犯人扱いされないまでも事情聴取とかされて、せっかくの日曜日をまるまる奪われる勢いだ。というかそのルートは確定してしまった。隊員たちは緊急事態ということで外靴のまま家の中に入っている。玄関には老女のものだろう女性用の靴だけがあった。
それが頭のすみっこに引っ掛かる。
ここにもう一足、靴がなかったっけ?
サラリーマンが履くような革靴が。僕が来たときにはあって、この家を出ていくときまでは存在していた革靴が、今は消えている。それは革靴を履いて、この家から出ていった者がいることを意味する。
「…………」
なるほど。そういうことか。
どうやら僕が老女と口論していたあのとき、僕らの他にもう一人、殺人鬼が家の中にいたようだ。風呂場にでも潜んでいたのかな? うっかり出くわさなくてよかった。
その殺人鬼さん、僕らがドタバタやっているのがさぞかし邪魔だったろう。
一人を殺すのと、二人を殺すのとでは手間が二倍どころじゃないって、どこかのスパイ映画で聞いたことがある。映画に出てきた殺し屋の台詞だ。一人を口封じしている間に、もう一人に逃げられてしまうという意味だ。一人目は不意打ちでやれるけど、二人の不意を打つのは難しい。二人とも拘束してしまえば関係ないんだけど、それもやっぱり、一人ずつ拘束するのは可能かもしれないけど、二人いっぺんは困難だろう。たとえ相手が、子供と老人の二人でも。
僕が老女を無力化して、何も知らずに出て行ったあと、殺人鬼はゆっくりと、それこそ落ち着いて老女を始末できただろう。僕が老女の助けも呼んでしまったことで、ここに救急隊員が来ることを知ったから、すぐに逃げなくちゃならなくなった。だって救急車は迅速だから。
しかし、玄関から出ようとすると、台所でのた打ち回っている老女に姿を見られることになる。かと言って革靴を置いていったら、それが証拠物件になる。そして老女はすぐに動ける状態じゃなかった。老女が逃げ去ってから自分も逃げるのが最善策だったけど、それが望めなかったから。
……だから、老女を口封じした、となる。
ふむ、ババアを助けようとした結果、殺人鬼を刺激して、ババアが殺される羽目になってしまったとは。これはさすがの僕でも良心が痛む話だ。それに、もし僕が老女を痛めつけていなかったら、僕が立ち去ったあと、老女もさっさと逃げられただろう。
となると、やはり僕にも老女の死に、一抹の責任があることになる。……困ったなあ。日曜日どころか、一週間は拘束されそうな勢いだぜ?
「おい君、大丈夫か? 聞こえる?」
若い方の隊員が寄ってきて、声を掛けてきた。
僕は相手の顔を見て、にっこり笑って言った。
「はい。いったい何があったんですかね。僕にはまったく分かりません」
僕は、全力でとぼけることにした。
変なことを言って、殺人鬼に恨まれるなんて真っ平ごめんだし。