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仙人


玖は武術の心得がある。もちろん師匠の教えを受けているためだ。そのためかなり華奢な体躯ではありながら、ある程度ならば男と渡り合うこともできる。


しかしそれは、向かい合って戦う、言わば武術の試合での場合である。


うまく不意を突いたものの、そう長くは持たずに玖は床に仰向けに組み伏せられる。あまり気持ちの良い体勢ではない。ついでに声を上げぬよう、手で口を覆われてしまう。


覆い被さるようにして玖を拘束した青年はどこか戸惑うような表情を浮かべていた。どうやら想定外のことであったらしい。


「お前は一体誰だ?」


低く唸るような声で、青年が問いかけて来た。緊張しているらしく、玖の二の腕を押さえつける手に力が込もって痛い。


残念ながら玖は声を出せない状態にあるので、何も答えられない。


青年は自分が玖の口を覆っていることを思い出したらしく、申し訳なさそうに眉を歪めながら手をどけた。しかし抵抗すればすぐに首を締め上げられるよう、喉に軽く手を添えてくる。


「私はここの元の持ち主です」


本当は師匠のものだが、この際それはどうでもいい。


「あなたこそ、何者ですか」


青年が黙り込んで、何やら考えているようだった。先ほど玖の頭突きをくらった額が仄かに赤い。もう一発お見舞いして、その綺麗な顔を少しぐらい歪めてやりたいところだが、生憎首から上の自由が利かない。


辺りが静寂に包まれた。青年はなかなか答えをよこさない。このまま答えずに、玖が新しく質問をするのを待とうと、そういうつもりなのだろうか。


青年の表情を伺おうとするが、その顔はちょうど陰に覆われて読めない。目ばかりが異様に輝いている。瞳孔が黄のような青のような、奇妙な色を帯びて、まるで人ならざるもののような美しさを感じた。


人ならざるもの。


その言葉に、玖は思い出すものがあった。思い出さなかったことの方が、不思議であろう。


目の前にいるこの青年こそが、恐らく、髭もじゃだの助平爺だのと噂されている、あの仙人なのだろう。


つまりここ数日の、この館の住人である。


だとすると、青年の言わんとしていることは知れている。答えを待つ必要はない。


幸いこの仙人らしい青年は、玖が抵抗する様子がないのをいいことに力を緩め、体重を掛けてきてもいなかった。


玖は足を気付かれぬよう持ち上げる。目だけを動かし、的の位置を確かめ、今度は勢いよく蹴り上げた。


足の爪先に好ましくない微妙な感触を覚え、青年の体が離れた。見事急所を捉えることに成功したと見て、間違いないだろう。


玖は素早く立ち上がり、無言でのたうち回る青年を横目に見ながらそそくさと部屋から出た。


部屋を出ると、念のため扉が中から開けられぬよう近くにあった棒を支えにし、それから師匠を呼ぶ。


「師匠っ!!! 来てください、妙なのが出ましたよ!」




間も無く師匠がすっ飛んできた。


「どうした、玖」

「仙人が現れました」


玖はつっかえ棒を外し、扉に手をかけながら答える。


扉を開くと青年が床に突っ伏していた。気絶してしまったのかなと近づいてみると、微かに苦しそうな唸り声がする。一応起きてはいるようだ。


「何もされなかったか?」

「ええ、()()()()されておりません」


なんにも、を強調して言う。別に青年を擁護する気はないが、本当に何もされていないので、要らぬ疑いをかけられてしまっては可哀想だ。


ぴくりぴくりと、青年が反応した。


「無事ですか?」


ナニが、とは言わずに玖が尋ねると、青年がゆっくりと顔を上げて恨めしげな視線を投げかけてくる。


師匠も青年の身に何があったのか察したらしい。同情のこもった眼差しで青年を見つめ、まるで自分の身に起きたことのように痛々しげな表情を浮かべる。


玖はなんだか自分が悪者にされたような気がして、不機嫌になる。


(いや、仙人なら要らんだろ)


思っただけのつもりだったのだが、口に出ていたらしい。


男性陣二人が信じられないという様子でじっと見つめてきたので、玖はそっと目を伏せた。





やっと青年は落ち着いたらしく、話を聞ける状態になる。


玖の行いによって師匠の同情を買った青年は、後ろ手に縛り上げられることもなく、玖が持ってきた椅子に座っている。まあこれも、縛らずとも逃しはしないという師匠なりの牽制であるのだが。


青年はふうっと息を吐き、にわかに浮かんだ額の汗を拭った。


「改めて、失礼なことをした」


青年が頭を下げた。もちろん、玖の方にも。


「つい昨日まで勝手に住ませてもらっていた。それで今日も、いつものように帰ったところーー」


見知らぬ小娘が、つまりは玖がいたと、そういうことのようだ。


「でもどうして、二階から?」


玖が気になっていたことを口にした。一階や二階へ続く階段の汚れ具合から、青年は普段からこの寝台付きの部屋に(ちょく)で入り込んでいたらしい。おかげでこちらは驚かされた。


「習性というか、癖なんだ。用の無い部屋に、あまり痕跡を残したく無い」


青年の言っていることは、下手な癖に玄人意識だけは高いコソ泥か、夜這いの常習犯のようである。


ああ、そういえば、


「あなた、仙人というものなのですよね」

「ん、まあ、そうだな」


歯切れの悪い答えが返ってきた。


「色欲によって、力を失ったという」

「………そうだが」


(うん、やっぱりね)


玖は予想が当たって少し嬉しい。


それにしても、噂とはやはり当てにならないものだ。髭をたくわえていないどころか、中性的な容姿の美男子である。


(仙人って、こうも若いもんなのか?)


玖は疑問に思うが、かつて読んだ本に、若い仙女の逸話が載っていたことを思い出す。若くして不老不死を手に入れたものは、容貌も衰えずいつまでも若いままの姿となる。


「では、ここに住み着いたのは、その力というのを失ってからなのだな?」

「ああ、そうだ。それまでは旅をしていた」

「いつからだ?」

「もう三年になる」


師匠かふんふんと頷く。


つまりこういうことだろう。仙人として旅をしていたが、その道中、色っぽい別嬪さんでも見つけて、色欲の情を抱いてしまい、帰れなくなったと。


若くして力を手に入れたが、不埒な念を捨てきれていないふしだらな小僧だったというわけだ。


「それでお前さん、他に住むところは無いのかい?」


青年は答えない。ただ憂いを帯びた、甘い表情を浮かべて師匠を見つめる。


これならば一人や二人、いやそうとは言わずいくらでも、可愛い娘が釣り放題だろう。都に降りて、その顔で少し露店を歩き回って見ればいい、いくらでも部屋の貸し手が寄ってくる。此奴、絶対に住処に困ってなどいない。


しかし人の好い師匠は、この全く哀れでも何でもない青年の言を、もとい仕草を簡単に信じてしまったようだ。


「それは困ったな」


顎を撫で回しながら、師匠は考えている。そして時折玖の方をちらちらと見てくる。


(おいおい、やめてくれよ)


玖はこんな様子の師匠を見たことがある。道端に倒れこんでいた汚い餓鬼の玖を拾った時だ。


「うん、よし」


師匠が言った。


「部屋も余っていることだ、お前さんに一部屋ぐらい、貸してやろう」


(あー………)


玖は声を上げたくなるのを寸前で抑え、代わりにに頭を抱えた。


青年は妖艶な、しかし意地の悪そうな笑みを浮かべて、玖を見つめた。先ほどの仕返しと言わんばかりに。


汀洀(ていしゅう)だ」

「玖」


名乗られたからには名乗り返す。しかし愛想まで返してやる気はない。


玖はバタバタと手を振り、さっさと部屋を出て行けと合図した。師匠と尚も笑みを浮かべた汀洀が、いそいそと去っていく。もうじき夜も明けよう。


あやつのせいで、今夜はあまり寝る時間が無い。玖は苛立たしげに寝台に横になり、布団を被った。










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