5
「俺のアイドル人生は美月の歌とダンスがきっかけだったんだよなあ」
美月の鼻歌を聞きながら、元気はしみじみとそうつぶやいた。
「それ、何百回も聞いたよ」
ふふふと美月が笑う。彼の言うとおり、元気は研修生になってから数えきれないほど美月にその話をした。その際の美月の塩対応を思い出し、元気も思わず笑ってしまった。
研修生は多忙だ。
ボーカルレッスン、ダンスレッスン、先輩のコンサートや舞台のバックダンサーの仕事、稽古場の掃除などなど。やることは多岐にわたり目まぐるしい。
入所して半年が経ち、ようやく学校との両立に慣れ始めたころ、世間は年末のせわしなさに包まれていた。元気たちが所属しているジェントル事務所も、年末年始の特番に出演するアイドルが多く、いつも以上にバタバタしている。
とはいえ新入りの研修生は通常運転だと思っていたのだが、スタッフの数が足りないということで、今日のボーカルレッスンはいつもと様相が異なっていた。
「柳さんがウォーミングアップ見てくれるんだってよ!」
「めっちゃ嬉しそうだな」
「そりゃそうだよ! 憧れの先輩だからな!」
意気込んでレッスン場に乗り込む。一番乗りだと思っていたら、ジャージに着替えた美月がすでにいた。
(ほ、本物だー!)
こんな不意打ちで柳 美月に出会うとは思わなかった。会えたら話そうと思っていた台詞が頭から吹っ飛ぶ。
「はよーございます」
「っ、おはようございますっ!」
大河が口火を切ってくれたので、元気も慌てて居住まいを正して挨拶した。しかし、返ってきたのは気のない一言。
「おはよ」
シーン。沈黙。柳 美月はステージ以外でもクールなようだ。
レッスン開始まであと三十分ある。ちらっと美月を見ると、彼は新人研修生など目に入っておらず、黙々と準備運動をこなしていた。
「あっ、あの! おれっ、西尾 元気っていいます! よろしくお願いします!」
屈伸している美月の隣に立ち、改めてお辞儀する。
「……」
「っ、あの、俺、柳さんに憧れてアイドル目指すことにしたんです! 初めて柳さんの歌とダンス見たとき、めっちゃ痺れました!」
(言えたー!)
会ったら伝えたかった言葉。告げられたことに満足して顔をあげると、美月はどこかそっぽを向きながらまた気のない返事をよこした。
「あっそ」
憧れという言葉は言われ慣れているのかもしれない。自分の言葉に感動してほしかったわけではないが、顔すら見てもらえない塩対応にしょんぼりする。と同時に「こっちを見ろー! その言い草も失礼だぞー!」と言いたくなってしまう。いや、でも準備運動邪魔してるのはこっちのほうだ。失礼なのは自分で、怒るのはお門違いだ。
「柳さんの邪魔すんなよ。戻ってこい」
大河にもそう言われてしまい、元気は少し離れた大河のもとにきびすを返す。
「お邪魔してすみませんでした」
その後、大河に頭を押さえつけられ、もう一度ぺこりと礼をした。
「うちのがすみません」
大河のまるでオカンのような言い草に、美月は何か引っかかったようだ。含みのある視線を元気の頭上に投げる。
「うちの、ねぇー。どうでもいいけどレッスンに私情は持ち込まないでよ」
「そこは大丈夫っす」
(?)
見上げた大河はいつもどおりニカッと笑っていた。過保護ってことだろうか。たしかに彼は優しい。が、甘いだけじゃないことを元気はよく知っている。昨日もダンスの自主練に付き合ってもらったところ、五時間ぶっ通しで同じ曲をダメ出しされていたのだ。
その後行われたウォーミングアップでは、美月も大河同様厳しいことがわかった。
「そこ、声出てない。真面目にやったってたいしたことできないくせに、サボるな」
「全員姿勢が悪い。あと十分追加するからその姿勢保って」
「無駄口を叩いている場合?」
にこりともせず、冷ややかな声音かつ鼻で嗤うように怒られ続け、研修生たちは内心悲鳴を上げていた。一時間後に正規の講師がやって来て美月とチェンジした際は、みな一様にほっとした顔をしていた。
いっぽう元気は、美月の態度に怒り心頭だった。
(何もあんな言いかたしなくたっていいだろ!)
しかし、彼がレッスン場から去っていったとき、残念に思ったのも事実だ。
斜に構えたふるまいにむかついたとしても、彼のパフォーマンスおよび、練習に誰よりも早く来ていたことを知っているから、近づいてみたい気持ちが消えない。
元気は悶々としながらその日のレッスンを終えた。
美月のスパルタ指導が講師陣に好評だったのか、その後も彼によるウォーミングアップは行われるようになった。演技のレッスンやダンスレッスンの際に、講師と一緒に監督することもあった。
元気は最初のときのように無理やり話しかけることはしなくなったが、それでも美月を見つめることはやめられなかった。
「柳さんってなんでアイドル目指してるんですか?」
「金を稼げるから」
あるとき、研修生の質問に、間髪入れずに彼が答えていたのが聞こえた。元気とはまったく異なる理由だ。周囲を笑顔にしたい、そんな気持ちがないから笑みの一つも浮かべないのだろうか。
(そんなのアイドルじゃない!)
反発心がわきあがる。それでも尊敬する気持ちは消えない。動機はともあれ、彼の仕事に対する真面目な姿勢は本物だったからだ。誰より見ていたからわかる。彼はあいかわらず根強い人気があり、デビューしている先輩たちと遜色ないほど忙しそうにしていた。その合間を縫って後輩の指導に携わっているのにまったく手を抜く様子もないのだ。
「次のコンサートで、西尾と皆本にはユニットを組んでもらう」
ダンスレッスンのあと、研修生二十人のまえでそう告げられた。高校一年の夏のことだ。一年近く、いろんな先輩のバックで踊ったりコーラスに参加したりしてきたが、ユニットを組むのは初めてだった。研修生だけが出演する小さなコンサートだが、元気たちにとっては大きな一歩だ。
「がんばります!」
ひときわ元気よく返事をすると、スタッフと並んで立っていた美月が口元を緩めた。
「……がんばって」
(初めて柳さんが微笑みかけてくれた!)
衝撃に目を白黒させる。ユニットを組ませてもらったのと同じくらい嬉しい。
ミーティング後、みんなが帰る準備をしているなか、大河を引っ張って美月のもとに駆け寄る。
「や、柳さん! 俺たちのこと、ちょっとは認めてくれたんですか?!」
「はぁ? まだまだだめなとこばっかでしょ。なんで急に?」
彼は一年経っても塩対応だった。眉を寄せて怪訝な表情を浮かべている。しかし、元気は見たのだ。
「だって! さっき俺たちに笑いかけてくれたじゃないですかー! 見たよな?!」
大河を振り返ると、彼は温厚な顔を困ったようにしかめて「おまえに、だけどな」と謎の訂正をした。すると美月が腑に落ちたようにうなずく。
「犬みたいに尻尾振っていっつも遠くからこっち見てるから、なんか無視し続けるのも居心地悪くなってきたっていうかさ……パフォーマンスを認めたわけじゃないよ」
「えっ!」
いつもこっそり見ていたつもりが、ばれていたらしい。めちゃくちゃ恥ずかしい! 頬が熱くなっていくのがわかる。そんな元気を見やって、美月が嘆息した。
「キトクだよね、こんなに冷たくしてるのにめげないなんてさ」
「それは俺も同意っす」
「だよねえ。だからちょっと愛着が湧いちゃった」
「……それは、ちょっと困ります」
頬の熱を冷ますのに必死だったが、気がつけば大河と美月のあいだに微妙な空気が流れていた。
「な、何? どしたの?」
「元気の親友は俺だよな?」
「西尾の憧れの人は俺だよね?」
「う、うん……そ、です」
二人の圧に気圧されながら元気はうなずいた。このときから、美月と大河の張り合いが始まったような気がする。
「いやー、まじで懐かしいな」
クフフ、と笑っていると、美月に鼻を摘まれた。
「何笑ってるの? 俺が知らないことで笑わないで」
「美月のことで笑ってんだってばー! まじで美月性格悪かったよな!」
今、こんなにスキンシップが多いのが信じられない。それも、もともとスキンシップ過多な大河に張り合っているせいなのかもしれないが。
その後、泊まっていけと美月に誘われたが、翌日もダンスレッスンやミーティングが入っていたため、元気は夕食をご馳走になって帰宅の途についた。