お嬢さまとお仕事
サクラコはまた見知らぬ部屋のベッドに背中を預けていた。部屋には鍵が掛けられており、出ることができない。
隣にはベッドがもうひとつ。恐らくメアリーもここへ連れて来られるのだろう。
久しぶりの状況の変化。部屋でひとり、サクラコは思いを馳せる。
恋人の事、友人の事、現世に残した家族の事。
しかし、長いの倦怠のあいだに何度も反芻したそれは、最早「どうしてるかな」程度のものとなっていた。
学校の事も、メアリーに文字を手習う間に何度も思い返しはしていたが、期間の長さから復学をすっかり諦めてしまった。
彼女はこちらの世界で文字を身に付け、本も読めるようになった。
こちら世界の物語を脳に刻み、メアリーとの慎ましやかな思い出が増えるたびに、何かを忘れていく。そんな気がした。
いつしか彼女は閉じ込められることが当たり前になり、手近なことだけに関心を寄せる人間になった。
冒険も求めなければ、帰還を望みもしない。恋人との甘酸っぱい思い出も噛み尽くしたガムのようなものとなっていた。
あとは包み紙さえ貰えれば、それでオシマイだと思った。
部屋のカギが開けられる音。サクラコは来訪者が姿を見せる前に、姿勢を正す。
「待たせて申し訳ないね。今からここの所長に会わせるよ」
王女を伴った男が言った。
いつか古代遺跡の地下で見たような、リノリウムの廊下。長い空間にみっつの足音が響く。
「ここの所長は女性なんだ。“バネッサ”って言ってね。私と同じく古代文明の時代から生きてる女性だ。見た目はイケイケの二十か三十かといったところだけど、実際は何万何千歳のババアさ!」
「まあ。お知り合いの女性をそのようにおっしゃるのは、よろしくないと存じますわ」
「私もそう思います……」
物おじせず、見知らぬ女性をフォローするふたり。
「いやいやほんと。生体研究の成果でずっと若い見た目になってるけど、心のほうは老化するからね。若い頃は私の事をセンパイ、センパイと慕ってくれたものだが、今となってはそれも想像がつかない位だよ」
ヤークが立ち止まる。両開きの大きな扉。壁に付けられたプレートには『研究室 部外者は勝手に入ったらコロスわよ』と書いてある。
「バネッサくん。ヤークだよ。例のふたりを連れて来たよ」
扉をノックするヤーク。鉄を叩く音が響く。
「はあい。入ってちょうだい」
くぐもった返事。
扉が開かれる。広く薄暗い空間に、たくさんの机。いくつもの怪しげなガラスチューブには怪物。
眠る目もあれば、見開かれ動く物を追う目もある。それらはライトにより蛍光グリーンに照らされていた。
チューブの付いた機械の前では白衣の男たち。あれやこれやと作業をしている。
これぞステレオタイプなマッドサイエンティスト空間といったところだ。
その奥。壁は水槽。これまた蛍光グリーン。珍妙な魚が泳ぐその正面。研究用の机に直に腰かける女がひとり。
燃えるような猩々緋の髪は机に着く程長く、釣り目がちで蠱惑的な瞳も火焔の赤。
唇も同じく挑戦的な色合いで塗られており、でかい乳に黒のボンテージ。その上に研究用の白衣を羽織っている。自信があるのだろうか、むき出しの脚にはマジカルな入れ墨、靴も黒のハイヒールだ。
サクラコは彼女の手に鞭が握られていない事を残念に思った。
「待ちくたびれたわよん。これ以上待たされたらアナタを殺すところだったわ」
バネッサは机から尻を退け、ヒールを床に着ける。
「できもしないことを口にするもんじゃないよ」
ヤークが不愉快そうに言う。
「そんなに怒らないでよん。冗談よ、冗談。それで、アタシはこの子たちのお世話をすればいいの?」
慌てて取り消すバネッサ。
「うん。暴れたりはしないし、調整も要らないから所員より手は掛からないよ。若い女性だし、“例の仕事”も任せられるだろう」
「いいわね。“あの仕事”は洗脳した人間や機械人形じゃ務まらないのよね。できても形式ばったことだけ。アタシも怒らせることはできても、キモチ良くさせることはできないのよねえ。感情豊かな生娘なら、文句ないわ」
「ま、きみじゃ無理そうだよねえ」
魔導技師が笑う。
炎の髪の女はヤークをちらと睨みつけると、ふたりの娘に近づいた。
「アタシは魔導生体科学研究所所長、バネッサよ。見ての通り、若くて脂の乗った美人のおねーさん。年齢は、ひ、み、つ!」
ウィンクし、長いまつ毛をばちっと決める。
「初めてお目にかかります。皇木桜子です」
「レインパージ王国国王レインパージ6世の娘、メアリーと申します」
お辞儀をするお嬢さまと王女さま。
「あらあら。これはご丁寧にどうも」
釣られてお辞儀をする所長。
「それじゃ、私は帰るね。自分の研究に戻るよ」
ヤークは部屋をあとにしようとする。
「せっかく来たんだし、ゆっくりしていきなさいよ。ちょっと研究について意見を聞きたいし。……それとなんだっけ? この子たちを追っかけて誰か来るんだっけ?」
「そうそう。いつになるかは分からないけど、ふたりの王子さまが来るよ。お客さんをもてなすのは結構だけど、彼を殺すのはナシね。それは私のお楽しみだからね」
魔導技師の口元が歪んだ。
「王子さま。いい響きねえ。アタシもあと十年若ければ、お姫さまに立候補したんだケド」
「十万年の間違いじゃ?」
古代技師は死んだ目で言う。
「まだ生まれてないわよ! 十年っていうのは、見た目の話よ。アタシってどっちかと言うとお姫さまより、女王さまってカンジだし?」
「はいはい。まあ、きみの研究の成果も見せてもらいたいし、私もしばらくここで世話になろうかな」
「やった! じゃあ、先にこの子たちに施設の案内と、お仕事の説明をしてくるわ」
後輩の髪が弾む。
「いってらっしゃい」
手を振る先輩。
バネッサは「ついていらっしゃい」と言うと、白衣で隠れた尻を振り振り歩き出した。
ふたりの心には大きな不安。話を聞き齧ったぶんでは、ろくな仕事ではないような……。
廊下を歩くサクラコとメアリー、先導するはアヤシイ女所長バネッサ。
「……ねえ、サクラコさん。私たち、いったい何をやらされるんでしょうか?」
前を歩く女に聞こえないよう、耳打ちをするメアリー。
「……あまり良いことだとは存じませんわ」
お嬢さまも小声で応じる。
「ですよね。イヤですわ。私、まだお殿方と手を握ったことも無いというのに!」
箱入りの王女さまは顔を両手で覆って振った。
前を見て歩かないものだから躓いてしまい、サクラコの袖を掴んで引っ張ってしまった。
ふたりは悲鳴をあげて床にくちづけをした。
「……? 何やってるのアンタたち。ここ、つまづくようなモノ無いわよん?」
バネッサは振り返り、ふたりを怪訝そうに見た。
「あ、あの。バネッサさん。私たちのお仕事って……」
「そんな大したことじゃないわよん。大人のオンナなら、大抵が経験することになるんじゃないかしら? まあ、アタシは優しくないから、嫌がられちゃったけどねん」
「お仕事、変えていただけないかしら? 何でもやります! お掃除でも、お洗濯でも! お料理は得意です! 私とサクラコさんはケーキを作れますよ!」
メアリーは早口で売り込む。
「……ケーキはともかく、掃除や洗濯は間に合ってるのよね。ウチには忠実なシモベが居るから。ほら、今すれ違ったのも」
白衣に身を包んだ若い男の所員がふたりとすれ違う。彼は礼もしなければ一瞥することもなく、何やらぶつぶついいながら書類の束を運んでいる。
「洗脳してコントロールしてるのよ。感情や欲望なんかを全部カットしてね」
マッドサイエンティストは指でハサミを作り、切る仕草をする。目を丸くするお嬢さまたち。
「関心いたしませんわ。彼らにも自由に生きられる権利があるかと存じますわ!」
強い口調で批判するサクラコ。彼女の袖をメアリーが引く。
「若いって良いわねえ。そういう苦情があるのは想定済み。こいつら、どいつもこいつも札付きの犯罪者よ。文句なしに死刑になるはずだった奴を、ヤークに横流しさせてるの」
そう言われてみると所員は、悪人面をしているようにも見えなくもない。
「それでも、他者が干渉する領域ではないかと存じますわ。バネッサさんは、どういったお考えをお持ちで?」
お嬢さまがぷりぷり言う。
「アタシ? “力”のない奴には人権なんてないと思ってるわよ。その“力”が文字通り暴力でも、魔力でも、科学力でも、財力でも権力でも、法律でもね」
「そういうお考えも、ございますのね」
王女も不満そうに所長をみつめる。
「アタシは支配者。彼らは犯罪者よ。今はヤークがこの国のルール。彼がアタシを咎めないんだから合法よ。
それに、この国で死刑になるような犯罪者って、どんなものか知ってるでしょ?
遊ぶ金欲しさの押し入り強盗、女に乱暴した挙句、一家惨殺。い
たぶって殺すのが大好きでたまらない、世間を騒がしたサイコな連続殺人犯。
……そうそう、こんなもの居たわね。国の支配権を握ろうと、王族に対して暗殺者を雇うような大臣」
バネッサはメアリーに唇が触れんばかりに顔を近づけた。王女は一歩引くと、下を向き黙り込んだ。
「大臣さんが、そのようなことをなさったの?」
尋ねるサクラコ。
「ええ。……ですが、彼の計画は失敗に終わりました。よく面倒を見てくれる、優しいかただと思っていたのですが」
腹の前で両手を結ぶメアリー。その表情は険しい。
「被害者感情から言っても、人の権利を踏みにじった輩に対して、死刑で百点とは限らないわん。殺しても飽き足らないヤツも居れば、別の形の罰が相応しいことだってあるでしょ? 強姦魔は全員ちょん切れ! ってね!」
再びハサミのポーズ。
「もっとも、彼らに感情や欲望は無いから、本当に罰になってるかは分からないケドん。これもひとつの人道的な処置と言えるかもね?」
理屈を並べる女の発言に若いふたりは黙り込んだ。
バネッサはそれを確認すると満足そうな笑みを浮かべた。
「ま、アタシはそういう屁理屈抜きで、好きだからやってるんだケドね! なんてったって、アタシは“悪の女科学者”ですもの! オーッホッホッホ!」
悪の女科学者は腰と顔に手を当て、ポーズを決める。
サクラコはため息をついた。
恐らく、バネッサが言ったことは普通の事なのだろう。
ファンタジー世界であるここでは、暴力や魔法が幅を利かせるし、ステレオ中世な王国だから王が法律なのだ。現代日本の事情とは大いに異なる。
絶対的な力を持つ魔王、それに対抗するために駆り出される魔法使いや勇者。
サクラコ自身だって、ソレフガルド国王に気に入られて贔屓をされていたし、盗賊という職の人間が王から極秘の仕事を受けることだってある。
実力者や王者が、この世界のすべてなのだろう。
サクラコとメアリー。今のふたりは、王の庇護も魔法的な力も持たない小娘に過ぎない。
「さ、つまらない議論はおしまい。アンタたちは今からお仕事。それが終わったら、お風呂とか食堂とかの場所を教えるわ。仕事が終わったらきっと汗をかくわ。それに、足腰も立たなくなるし、お腹も空くに違いないからね」
これからどんな仕事をやらされようとも、彼女たちに拒否をする権利は無いのだ。
* * * *
* * * *
さて、ふたりは仕事場と称された部屋へと案内される。
――広い部屋。その空間は彼女たちが「接待をする」相手の為に作られていた。
部屋の奥には人数分だろうか、いくつものベッド。それらには可愛らしいぬいぐるみの置かれているものもある。
背の低い机の上には、はみ出した落書きとクレヨン。床には箱が置いてあり、そこからはおもちゃがあふれ出ていた。
そして、それらに相応しい持ち主たちの遊ぶ姿。
「子供……?」
託児所さながらのその様相に、サクラコは現世に戻ったのかと錯覚する。
「そーよ。ふたりにはこの子たちの面倒を見て欲しいのよん」
「わ、私てっきり、もっと別の事かと……」
想像して赤くなるメアリー。
「ウフフ。やっぱり? ワザと勘違いするように言ってたんだケドね。アタシは“そういうの”は大好きだし、チョー得意だから人に譲ったりはしないわよん」
にやにやするボンテージの女。
「あー!」
子供のひとりがやってくる。小さな男の子だ。
「ババアが来た! 知らない人も居る!」
指をさす子供。それにつられてほかの子供も続々と集まってきた。
「こら“ナンバー3”! 誰がババアか!」
こぶしを振り上げるバネッサ。
「ババアが今日も怒ったぞー!」
子供たちは楽し気に散っていく。
「きーっ! ムカつく! 貴重な実験体じゃなかったら八つ裂きにしてるところだわ!」
ババアは悔しそうに床を踏み鳴らす。
子供たちはずいぶんと好き勝手に振舞っているようで、物を投げたり互いに叩きあったりしている。
よく見ると壁にも落書きがあり、床の上でもこぼれたジュースや食べかすが混じりあっていた。
ひとりだけ年長者の少年が居るようで、彼だけは子供たちを窘めようと奔走しているが、まったく言う事を聞いてもらえていない。
サクラコはこちらの世界でもいつか、山中の村の宿屋で大勢の子供を見たが、そちらは村の子供として大人の言うことはそれなりに聞いていたし、手伝いだってしていた。
「あの、この子たちは? バネッサさんのお子さん……?」
メアリーが訊ねる。
「まっさかぁ! でも、ある意味正解。アタシは生体研究に加えて、ヤークと同じく感情エネルギーの研究もしてるのよ。子供は感情豊かじゃない? だから、コイツらを調査すれば何か面白いことが分かるんじゃないかってね」
「……この子たちは、どちらから、かどわかしていらしたの?」
お嬢さまの追求の声色はいばらだらけだ。
「失礼な。攫ってないわよ。アタシは生体研究のスペシャリストよ。いちから造ったに決まってるじゃない!」
「逞しいのですね……」
メアリーが感心したように女の豊かな身体を眺めた。
「こら王女! アンタ分かってないでしょ! 細胞から作ったの! だからコイツらには父親も母親も居ないの!」
バネッサの突っ込み。王女さまは首を傾げた。
「……やはりバネッサさんは、倫理にもとると存じますわ」
サクラコはとげを引っ込めようとしない。
「アンタは分かってるみたいね。今度は“なぜ豚や牛が良くて、人間はダメなのか?”をテーマに議論でもする?」
「結構ですわ。それで、わたくしたちは、この子たちの面倒を見ればよろしくって?」
「そおよ。ご覧の通りアタシは舐められてるし、所員はゾンビみたいな奴らだし、子供の本来の感情スペックを引き出すことができないのん。衣食住はちゃあんと保証してあげるから、おねがあい」
両手を合わせて身体をくねらせるバネッサ。
「わたくしたちに拒否権はございませんでしょう?」
「まあね。それじゃ、アタシは研究室に戻るから、あとはヨ、ロ、シ、ク!」
退室するバネッサ。扉のカギが音を立てる。
ため息をつくふたり。
「おねーちゃんたち、ぼくたちと遊んでくれるの?」
「やったー!」
「ババアとかゾンビじゃない人!」
ふたりはあっという間に子供に囲まれた。彼らはどこか馬鹿にしたような、だが何かを期待するような表情で見上げている。
「ど、どうしましょう」
子供の相手をした経験がないのだろう。王女はおろおろするばかり。
「おねーちゃん綺麗なドレスー」
子供のひとりがメアリーのドレスを引っ張る。
メアリーはどうしたらいいか分からずに引っ張り返し、子供は綱引きが始まったものと勘違いする。
「わたくしにお任せになって」
保育士志望のお嬢さまは、子供たちを見下ろすと、両手を腰に当て鼻息を吐いた。
* * * *
* * * *
さて、サクラコと小さな魔物たちとの戦いが始まった。
始めのうちは魔物が優勢。普段通りなのだろう、好き勝手にケンカをしたり、世話役の事を蹴飛ばしたりやりたい放題だ。
ひかえめそうな子でさえ、サクラコの袖を引っ張って、おねだりを始める。
「おねーちゃん、絵本呼んで」
サクラコは自分に興味を示さない子供のことは放って置いて、手近にある絵本を一冊拾い、テーブルの前に座った。
「いいよ、おねえちゃんが絵本を読んであげるね」
絵本を開くサクラコ。それは当然、異界の文字で書かれてる。
だが、今や彼女は子供向けの文章程度ならば、つっかえることなく読めるようになっていた。
『むかしむかし、世界が暗黒に染まったとき。クリスタルに導かれて光の戦士がやってきました……』
ゆっくりと大きな声で読み上げるサクラコ。
普段とはかけ離れたお嬢さまの振舞いに、メアリーは目を丸くする。
『どうして騎士が王女を攫うんだ!』
感情を込めてセリフを読み上げる。迫真の演技に気を引かれて、サクラコに興味を示さなかった子供も寄ってきた。
「どうしてなの?」
子供が訊ねる。
「どうしてかな? 続きを読んでみようね」
ページがめくられ、セリフが発せられるたびに、読み手を囲む子供たちから息が漏れる。
『わはは! お前はここで死んで、私は永久に生き続けるのだ!』
光の戦士と悪の騎士の決戦。戦士は劣勢だ。
子供のひとりが「頑張れ」と声をあげ、女の子は泣きそうな顔で見守っている。
『王女さまが悪い騎士の名前を呼びます。悪い騎士の剣を振る手が止まり、光の戦士にチャンスがやってきました』
本物の王女さまも、胸の前で手を合わせて物語を見守る。
『光の戦士に倒された騎士は、優しい心を取り戻して、王女さまと結婚しました。めでたしめでたし』
物語の終わり。上がる歓声。子供たちは口々に感想を言いあう。
気が付けば、子供たちはひとりを除いてみんなサクラコの周りに集まっていた。
「ねえ。次はこれ読んで!」
絵本を受け取るサクラコ。ふと顔を上げると、少し離れたところで少年がひとりこちらを見ている。
目が合うと少年は、はにかんで下を向いた。手には汚れた布巾とおもちゃ。どうやら彼は、他の子の代わりに片づけをしていたらしい。
「あなたもこちらにいらっしゃい」
手招きするサクラコ。
少年は素直に従い、輪の一番外に座った。
少年が加わったのを見届けると、サクラコは二冊目の絵本を読み始めた。
* * * *
* * * *
「……」
湯船に沈むサクラコ。
絵本朗読のあとは子供の好きなごっこ遊びに付き合い、一緒になって戦士や騎士を演じたり、子供の小さくても重みのある身体を担ぎ上げるやら、引っ張り合うやらしたために、彼女の身体はすっかりおんぼろになっていた。
お湯の暖かさが骨身に染みる。サクラコはさらに深く沈み、鼻まで水の中に収めた。
なんらかの科学的な方法で造られた子供たち。
彼らはしつけは行き届いていなかったものの、サクラコの知る子供たちと大差ない反応を示していた。
そして、いったん心を掴めば、あとは自然に大人と子供の関係が築かれていった。
荒れてしまった部屋の片づけをいっしょになってやり、所長が引き上げを指示したときには「明日もまた来る?」と別れを惜しむほどに懐いていた程だ。
それでも子供たちには、気に掛かる点があった。
まずは彼らの名前。どうやら研究対象よろしく全員が名無しで、ナンバー3だのナンバー7だのと呼ばれている。
サクラコはそれに気づいた時、女所長が理屈をこねたり、子供を“造った”という話を聞いたとき以上に、煮え切らないものを感じていた。
それに子供の首に付けられていた首輪型の装置。
これに関してはまったく嫌な予感を掻きたてるものであったため、バネッサに部屋から連れ出されたときにはすぐに問いただそうとした。
「大丈夫よん。子供の身体を傷つけるものではないわ」との返答。
首輪の役目に関しては、はっきりと口は割らなかったが、爆弾や首をちょん切るものでないならとサクラコは大目に見た。
これでもしも悪の科学者がハサミのポーズでも取ろうものなら、お嬢さまは平手打ちのひとつもお見舞いしていたに違いない。
それともうひとつ。
子供はみんな五歳程度で、ひとりだけ十歳くらいの年かさの子がいた。彼はいったいどういう立場なのだろうか?
今回は子供に引っ張り回されるのに忙しくて、細かなことを訊ねるには至らなかったが、装置が取り付けられているところを見ると、同じく造られた子供だろうとは考えられる。
しかし彼だけは奔放な振る舞いをせず、子供の面倒を見ようと試みたり、片づけをしていたあたり、他の子は少し違うようだった。聞いてみなければなるまい。
湯の中で息を吐く。疲労混じりの吐息が水面を沸かせる。
サクラコは立ち上がると両の頬を叩き、湯船を出た。沈み込んだときよりは幾分か楽になった身体。
明日の為にしっかりと身体を休めなければ。
当然ながら服の洗濯はまだ済んでおらず、畳んで置いてあるバスローブを身に付ける。
洗濯は所員がやると言っていたが、サクラコは不安になった。
洗脳されてるとはいえ、犯罪者の男に袴や肌着を預けてしまうなんて……。
部屋に戻ると、先に身清めを済ませていたメアリーが、サクラコと入れ替わったときと同じ姿勢のままベッドに転がっていた。
「メアリーさん。お身体、大丈夫ですの?」
「無理かもしれません……。身体の節々が痛い……」
顔をシーツに沈めたまま返事をするメアリー。
彼女もまた同じく、子供との身体を使った遊びに巻き込まれて、すっかりへばってしまっていた。
王女にとっては初の体験だ。
絵本朗読の時は面倒を見るというていではなく、子供に混じってサクラコの話に聞き入っていた。
しかし二冊目の怖い内容が披露されると、そばにいる子供と抱き合ったり感想を言い合ったりして、それが未知の生き物との距離を縮めたらしく、彼女は堂々と振舞えるようになり、ごっこ遊びが終わるころには、子供たちに大人側として認めて貰えたようだった。
「サクラコさんには驚かされましたわ。あのような振る舞いもなされるんですね」
身体を起こし、ベッドに腰をかけるメアリー。
「わたくし、出身の世界では保育士を志望してますの」
「保育士?」
「ええ。子供の面倒を見るお仕事ですわ」
「そうなんですね。私、てっきりサクラコさんは子供を育てた経験がおありになるものだと思ってました」
メアリーの無邪気な笑い。
「……わたくしの国では、この年齢であの位の歳の子が居るのは珍しいことですの!」
反射的に不快感を示してしまうサクラコ。女所長とのやり取りで悪い癖が付いたか。
「ご、ごめんなさい。失礼なこと言ってしまいましたね。歳の変わらない私だって、まだひとり身なのに……」
王女が謝る。
「わたくしこそ、失礼いたしました」
サクラコも恥じ入り、気を落ち着けようと努める。
「……今日はいろいろなことがありましたよね」
王女が苦笑い。
「明日も、いろいろなことがございますわ」
「分かるんですか?」
「ええ、子供というものは日々成長して、変わっていくものです。きっと明日もたくさん笑ったり、驚かされるに違いありませんことよ」
「楽しみですね。私もサクラコさんみたいになれるように、頑張らなくっちゃ」
言葉とは裏腹にベッドに転がるメアリー。
「お疲れですのね。今日はもう休みましょう」
サクラコはほほえみ、部屋のライトを消した。
* * * *
* * * *
翌日、再び子供を訪ねたサクラコたち。
ふたりは部屋に入れば食べられそうな目に遭うだろうと確信していた。さて、この筋肉痛の身体でどうやって子供たちの相手をしようか。
……しかし、予想に反して子供たちは反応を示さなかった。
挨拶は返してくれるものの、「何かしようよ」とせがまれることはなかった。
昨日とは打って変わって、子供たちは大人しくしていた。ケンカをすることもなく、部屋も散らかっていないどころか、おもちゃに手を付けた様子もない。
何名かは絵本を眺めて過ごしているようだったが、残りはただ座っているだけか、ベッドに身体を横たえている。
「これでは変わり過ぎですわ……」
呟くお嬢さま。
「何かあったのでしょうか? 病気でしょうか?」
おろおろする王女。
部屋の空気の変容ぶりに戸惑いが隠せないふたり。
「おはようございます」
年かさの少年がふたりの元にやってくる。
「おはようございます。みなさんはいったい、どうなさったの?」
サクラコが少年に訊ねる。
「久しぶりに“抜かれた”んです」
「“抜かれた”?」
「はい。バネッサさんは僕たちから感情エネルギーを採取しているんです。
いつもより騒いだり、変わったことがあると、感情エネルギーを抜かれてこうなるんです。
二、三日は静かにしてくれるから、お姉さんたちも楽にできますよ。僕もいつも大変で」
「あんまりですわ……」
唇を噛むサクラコ。
「あなたは大丈夫なの?」
メアリーが少年の肩に手を掛ける。
「はい。みんなほどは、はしゃがなかったから。お陰で今日はお姉さんたちを独り占めできる。……昨日はお話してる暇もなかったから!」
物静かだと思われた少年の声が弾む。
少年の名前は“ゼロ番”。バネッサが最初に造り出した子供。年齢は不明。
見かけの年齢よりも長く生きているらしいが、最初の試験体だった為か、子供のまま身体の成長が止まってしまったらしい。
「バネッサさんは僕のお母さんみたいな人です」
ゼロ番が創造主の事を話す。バネッサは彼に対してマンツーマンで世話や教育をしていたらしい。
絵本を読んで聞かせたこともあり、食事の作法を躾けたり、一緒に布団に入ることもあったという。
「あの人が? 想像がつきませんわ」
メアリーが感心したように言う。
とはいえ、今はもうゼロ番の面倒を見ることも無く、子供の事も全部投げっぱなしで、ときおり顔を見せに来るだけとのことだ。
「今の子たちはあまり言う事を聞かないので、バネッサさんもここに来たらケンカになっちゃうんですよ。
だから、代わりに面倒を見ているんです。頑張ってると、たまに来てこっそり優しくしてくれるんで、ラッキーです。
この前なんて、また一緒にお風呂に入ろうって。僕はもうそんな子供じゃないから、恥ずかしくって困っちゃいました」
知る世界が狭いためか、少年の口調からは自身への憐れみを感じられない。
それでもやはり、サクラコは彼の事が不憫に思えてならなかった。
世界を救う使命の為に自分を偽った幼い勇者。
父を信じて命を落とした女装少年。
行方不明の姉を待ち泣き続けていた弟。
ゼロ番の笑顔に、彼女の見てきた不幸な少年たちが重なって見える。
いまや遠く離れてしまった彼らに、サクラコがしてやれることは無い。
あらたな少年との出会い。サクラコは心に“あること”を決める。
翌日、サクラコは絵本を開いたり、ひとり遊びをして見せて、子供たちにアプローチを掛けてみた。
しかし、感情の力が戻り切っていないのか、大した反応は得られなかった。
数日経つと、徐々に初めて逢ったときと同じように振る舞うようになり、サクラコたちに笑顔と疲労を取り戻させた。
元気になった子供たちに対して、サクラコはあるものを作って与える。
工作用の紙で作った簡単な名札。……そして番号ではない、それぞれの名前。
名前は本の中の登場人物や、彼らの知っているものから、自分で気に入ったものを選ばせた。
サクラコは年かさの少年にだけ、自分で決めた名前を与えた。
――アキラ。彼女の現世での弟、皇木晶の名前だ。
アキラをはじめ、子供たちは名前を喜んだ。
名前を貰ったことで、遊びや食事などの単純な行動だけでなく、自分の内面やお互いの考え、その違いに対して関心を持つようになった。
子供たちは次第に誰かに何かをしてやることを憶え、ケンカにアキラ以外の男の子仲裁が入ったり、女の子がサクラコの頭に手作りの大きなリボンを結んでやったりした。
こうしてサクラコは子供たちの先生となり、母となり、姉となった。
それに加えて、興味を失っていたはずのバネッサも子供たちの変化が気になるのか、ときおり顔を見せたり、食事の席を共にしたりした。
異界のお嬢さまと王女、古代の女科学者に人造の子供。奇妙な取り合わせの生活が続いた。
――そして月日は流れ、また半年。
* * * *
* * * *




