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お嬢さまと子供たち

「おらー! 勇者の魔法を受けてみろー!」

「わははは! 魔王のワシには魔法は通じんわ!」

 小さな男の子たちがごっこ遊びに興じる。


「なにおー! これならどうだ! 勇者ボール!」

 そういうと男の子はビー玉ほどの小さな光の玉を作り出して、魔王役の子に投げつけた。

「いてっ! 危ないな! ほんとに魔法使うのはナシって言っただろ!」

「へーんだ。だったらおまえも魔法で防御すればいいんだよ!」

「ちょっと魔法が使えるからって偉そうに! かーちゃんに言いつけるからな!」


「勘弁してよ! おまえのかーちゃんこわいんだよう」

 泣きつく勇者。

「じゃ、俺の勝ちな! 世界は闇に呑まれた!」

 魔王が胸を張る。


「ごめんなさいね。旅のおかたがた。唯一の宿がこんなに騒がしくって」

 四十ほどとみられる女性。この宿のおかみだ。一行は宿の食堂に集まり、粗末ながらもおいしい食事を頂いたあとである。


「明るくてよろしいかと存じますわ。わたくしも、子供は好きですの」

 サクラコがほほえむ。


「お嬢さんは変わった格好をしていらっしゃるのね。異国のかたかい? 随分、遠くから来たんだろうねえ。……こら! 走らないの!」

 おかみのうしろを子供が数人駆け抜け、埃を立てる。


「大勢いらっしゃりますよね、みんなおかみさんの子なんですか?」

 子供を視線で追いかけるマリア。

 先ほどまでテーブルの食事に釘付けになっていた子供たちはざっと数えて十人は居た。


「まさか! 先に流行り病があった話はお聞きになりましたか?

 その時に身寄りを亡くした子を引き取ってましてね。いちおう村の者たち総出で育ててるんですよ。

 教会もああなってしまいましたし。ほら、こんな村でしょう? 旅人も少なくて宿の部屋は余ってるから、寝泊まりと食事はうちでやってるんですよ」


「ご立派なことです。何か私もお手伝いできませんか?」

 修道女が手伝いを申し出る。


「そうねえ……。あなた、治療魔法が使えるんだって?

 無理にならない程度でいいんだけど、村から教会が無くなったもんで怪我人や病人が多くてね。

 ちょいと見てやって欲しいんだよ。今日はもう遅いから、明日出かける前にちょこっとだけでいいからさ」


「喜んでお手伝いさせていただきます」

 ほほえむシスター。


「おねえちゃん、魔法が使えるの?」

 小さな女の子がマリアに駆け寄る。


「ええ。使えますよ。お嬢さん、どこか痛いの?」

「あのね。私は大丈夫なの。ママがね。病気になって、死んじゃったから、治して欲しいの」

 マリアの服を引っ張る女の子。おかみが子供を引き離す。


「ごめんなさいね、シスター。何度言っても分かってくれないの。魔法でも人は生き返らないのに……」

 おかみの顔が翳る。

「この子たちが不憫でね。魔王だって退治されたというのに……。ほら、もう遅いから、遊んでないでみんな寝なさい!」

 おかみは逃げるように子供を追い立てて行った。


「やりきれないな」スミスが呟く。

 魔法で人は生き返らない。人だけではない、カメもそうだし、魔物だってそうだ。

 死の概念の違うアンデッドや霊のたぐいはいるが、彼らも消滅してしまえば元には戻らない。

 魔法は人を蘇生しないどころか、人を殺すことだってある。彼らはつい最近、その悲しい例を見て来たばかりだ。


「わたくしも、何かお手伝いができればよいのですが……」

 ため息をつくサクラコ。


「世の中、上手く回らないもんだな……」

 スミスもそれに続く。


 子供たちは去り、食堂の空気は一転して夜の闇となる。

 そして蘇生をねだられた修道女はうつむき、物言わぬ彫像となっていた。



* * * *

 * * * *



 灯りの消された宿の一室。いつの間にか外の天気は変わり、窓を小さく打つ音が静かに室内へ流れ込んでいる。

 サクラコは先程の子供たちへと思いを馳せていた。

 親を失った子供たち。子供らしく騒ぐ姿も見せてはいたが、やはり心の内では両親を求めているのだろう。

 村は貧しく、外は危険だからと遊びまわるのも難しくされ、本当に不憫でならない。


 いっぽう、お嬢さまの両親は健在だ。親子関係も夫婦関係も良好。経済的にも一切苦労はナシ。

 いじめを誘発してもおかしくない生きかたをしてきたが、大学生になるまでそういった経験もナシ。

 お嬢さまに自己否定的な考えはご法度とはいえ、目の前で現実を突きつけられればそうもいくまい。

 ことさら、知人の死を目の当たりにして間もない心には、本の隙間に忍び込む紙魚のように侵食していく。


 サクラコは大学では幼児教育に関連する学科を専攻している。

 生来の子供好きと、保母さんなどの職業への漠然とした憧れだけで選んだものだ。進路を決めた時点ではそれで良かった。


 だが、実際にその道に必要とするものは“優しさ”や“母性”だけではなかったのだ。

 彼女の不得手な音楽や運動も必須。

 いざ実地の実習に参加したさいには、子供が行う繰り返しの要求への忍耐力や、突拍子もない行動に対する機転も必要ということを知った。


 子供は純粋である。純粋というのは良いイメージがもたれがちだが、それは簡単に悪に染まったり流されたりするという側面も持っている。


 彼女は一度、辱めを受けていた。


 グループ内共同で行った園児への人形劇の発表会。

 ここで彼女は歌を披露する役を与えられていた。

 この時すでに、ピアノの伴奏と共に狂った音程を披露して失笑を買った経験があったので、サクラコは役の変更をお願いしたのだが、聞き入れてもらえなかった。


 サクラコは「相手は子供ですから」ということで、なんとか自分を奮い立たせて劇に臨んだ。

 あまり上手とは言えないものの、子供を喜ばす程度のものは披露できていた。


 しかし、彼女には知らされていない内容の変更があった。 


「あれえ? このお姉ちゃん、お歌がヘタだぞお?」


 サクラコの知らない台詞。そこから先の展開は記憶していない。

 憶えているのは学友と一緒になって彼女を指さし笑う子供たちの無邪気な顔だけ。

 子供が悪いわけではないのは承知してはいたが、この一件以降、彼女は人前で何かを披露することに強い抵抗感を抱えるようになった。

 花見に参じたときに出した桜餅ですら、浮かれながらも一抹の不安を抱きながらの提供である。


 さらに悪い事に、そのいじめを煽るような品性の無い発表は、場を借りた園からの怒りを買い、今後一切の実習協力を解消される展開にまで及んだ。

 当然、悪いのはサクラコではないが、これもまた然り、グループ内では彼女のせいにされた。


 一年前の彼女であれば、宿の子供へみずから構いに行くくらいの事はしたかもしれなかったが、先ほどは自分ではなくマリアのほうに子供が行ったことに密かに胸を撫で下ろす始末。

 保身的な考えでは優しさや母性は体現できはしない。

 かつて自分にあると信じていたそれは、世間よりもイージーな人生観と余裕が生み出していた幻想なのだろうか?

 彼女は自分の選んだ道を酷く後悔し始めていた。


 ため息をつくサクラコ。この一年で一生分のため息をついた気がする。


「サクラコさんも、何かお悩みですか?」

 隣のベッドから声。シスターマリアだ。


「そうですの。わたくし、嫌なおんなですわ。ここの村の方々は苦しんでらっしゃるというのに」

 布団の隙間から発せられる、自嘲的な声。


「私もです。村の現状よりも、教会のことのほうが気になってしまいました。私が役目を放ってまでご一緒させてもらったのも、タコワの教会の事があったからですし……。本来人助けを使命とする教会の人間なのに、自分や身内の事ばかり」


 こちらもローブと同じ百入茶(ももしおちゃ)色の暗い声。


「サクラコさんはどうして危険な調査へ? 城下町でお待ちになっていても良かったのではありませんか?」

「それは……」


 サクラコは塔の上でスミスに語ったことをマリアにも話す。

 自分の生い立ち、現世で受けた仕打ち、それとこちらでの経験から導き出された、答え。


「わたくしはとんだ甘ちゃんですの。これでは仕打ちを受けてしまうのも当然だと思いますわ」

 さらに自罰的になるお嬢さまの声色。


 マリアはしばらく沈黙したあと、身を起こした。


「サクラコさんはお強いです。ご自分をなんとか変えようと必死に頑張ってます」


「子供たちやトキヤさんのご境遇に比べたら、大したことじゃありませんわ!」

 励ましへの反発。優しさへの苛立ち。

 それを振り払うようにサクラコも硬くなった身を起こす。


「でも、おつらいのでしょう? 人の不幸に、“誰よりも”なんてありません。あなたがつらと思えば、それは苦しみに違いありません」

 闇の中、サクラコをまっすぐ見つめる聖なるものの使い。


「マリアさん……」

 聖なる視線がサクラコを優しく溶かす。


「私は教会育ちです。両親の顔も知らず、孤児として引き取られ、住み込みの形で修道女になりました。

 それでも、自分を不幸だと思ったことはありません。先輩のシスターたちは私に良くしてくださいましたし、

 神父さまは……ご自由な方でしたから、良くも悪くも教会は賑やかで、私も良く笑わせてもらいました」


 ほほえむ。ふと、聖女の表情が少し汚れたように見えた。


「でも、親の愛も知らなければ、不自由も知らない私に本当に人が救えるのかと、悩むことがあります。

 慈善の活動というものは、葛藤の連続です。自ら進んで他人の不幸を見に行くような側面がありますから。

 確かに苦しんでいらっしゃるのに、理解のできないことだってあります。

 助けを求めている方に対して腹を立てることだって。そういうことが続くと、そのうちに胸が痛くなるんです」


 マリアは宙を指さすと、魔法で小さな光の玉を作った。

 ふたりのあいだに灯りがともり、お互いの表情を映し出す。サクラコの見た表情は能面のようなほほえみだった。


「魔法は便利です。傷も治せれば、痛みだって消してしまえます。胸の痛みは心の痛みです。魔法では癒せません。それでも、痛みを無くせるんじゃないかと思って、私はつい、そういった魔法に頼ってしまうんです」


 マリアの打たれ強さのカラクリ。

 間近で見ていたスミスには見破られたものの、彼女は荒事に直面するたびにその強引な手法で乗り切っていた。


「いつか死んでしまうかもしれないということも、分かった上での事です。

 そうやって何かに命を捧げてしまう事で、

 人を救えるような、理解の足りない自分を赦せるような……そんな気になってるみたいです。

 スミスさんに戦いかたを指摘されたときに気付いてしまいました。

 あのイワガメにしたって、わざわざ戦う必要は無かったのかもしれません」


「でも、スミスさんは、カメは素早いとおっしゃってましたし、逃れられなかったかもしれませんわ。それに、マリアさんのお力やお言葉が本当に誰かをお救いになっていることは、多々あると存じますわ」


 満足のいく言葉が浮かばない。少しの沈黙。


「そうですね。ひとつの物事を、ひとつの側面だけで説明できることは、あまりないんでしょうね。慈善行為だって他人の為であると同時に、自分自身の為でもありますから」

 マリアの面が外れ、人間のほほえみが帰ってくる。


「それはきっと、私もサクラコさんも同じなんですよ。だから、頑張りましょう、一緒に」



* * * *

 * * * *



 翌日、シスターマリアは早朝から村人たちの治療に奔走した。

 彼女の中の迷いは幾分かか晴れていたようだが、現実はそれに追いつかなかった。


 治療魔法というものは、自己治癒能力を活性化させることで高速で治療するものだ。

 エネルギーのほとんどを魔力に頼るとはいえ、きっかけになる自己治癒は本人持ちであることから、負傷をして興奮や活性化している直後は効きがよく、逆に長く病魔に侵されて抵抗が下がっている場合や、虚弱体質には効きが悪いという特徴がある。

 ウイルスや細菌の病気である場合はそれらも活性化して相殺するため、マシにはなるものの大して効果は上がらない。


 今度の治療行脚では、ちょっとしたケガや突発的なぎっくり腰などは治してやれたが、薬学の知識に乏しいマリアでは病人のたぐいの力にはなれなかった。

 教会では魔術的な治療師だけでなく、薬剤師や錬金術師、精神面でのヒーラーの力も珍重している。


 落胆もつかの間、さらに恐ろしい事実が発覚する。

 最後に看てやった病人の症状が、先の熱病と一致するというのだ。村のボロ屋は重たい空気に押しつぶされんばかりとなった。


「……と、いうことなんです」

 今朝の成果を仲間に報告するマリア。


「ふうん。その病気は例の流行り病の可能性が高いってわけか。だったらラッキーだな」

「何てことをおっしゃいますの!?」

サクラコがスミスを叱る。


「サクラコさん、昨日の男性のお話は憶えてられますか?」

 村の窮地、教会の壊滅、原因の疫病、それを治せると言われる、山頂の青い花。


「あっ……」

 頬を染めるサクラコ。


「そういうことだ、サクラコちゃん」

 スミスが歯を見せる。


「では、さっそく採りに参りましょう」

 立ち上がるサクラコ。


「おいおい。俺たちは世界に関わる大仕事の途中なんだぜ。今からそんなことしてる暇なんてないよ。

 ……おっと、怒るなよ。ちゃんと花は取りに行く。俺は病人をほっとけないタチなんでね。

 だが、俺ひとりで、だ。二人を連れて行ってたら日が暮れちまうからな」


 スミスはブーツの紐をほどいて結び直し始めた。


「私は、このお話を村のかたに伝えてまいります。それと、病人のかたの様子を見に」

 マリアが席を立つ。


「え、えっと。では、わたくしは……お留守番」

 サクラコはすごすごと着席する。


「いや、違うな。ちょうどサクラコちゃんにもお鉢が回ってきたようだぜ」

 スミスは顔をあげると、サクラコのうしろを見て笑った。


 振り返るサクラコ。


「おねーちゃん、遊ぼう!」


 宿屋の子供たちだ。



 マリアとスミスが出かけ、宿屋のおかみも「仕事があるから面倒を見ていてくれると助かるよ」と言って離れてしまう。

 サクラコはひとり、子供の中に取り残される。


「おねーちゃん、何かして遊ぼうよー」

 小さな男の子が袖を引っ張る。


「綺麗なお洋服、お姫様みたい」

 反対側から女の子がくっつく。サクラコに寄ってきた子供はほとんどがこちらで言う、こども園に通う年端の子供ばかりだった。

 これより年かさの子は、おかみにくっついて仕事を手伝いに出て行っている。


「ねえ、これ読んで」

 鼻を垂らした男の子が本を持ってくる。


 サクラコは本を受け取り、開いてみた。

 空白と文字の比率からして子供向けなのだろうが、やっぱりこちらの世界の文字は読めない。

 せめて絵本であれば、絵から内容を推測して語ってやれたのだが。


「うーん……ごめんね。おねえちゃん、字が読めないの」

 申し訳なさそうに本を返すサクラコ。


「えー! おねーちゃん読めないの!? ……ぼくも読めないんだ!」

 要望が叶わなかったというのに、なぜか歯を見せて笑う子供。


「きっと、おねえちゃんは、外国のお姫様なのよ!」

 女の子がフォローする。


「じゃあ、外国の文字が書けるの!? かっけー!」

「書いて、書いて! お外に行こう」

 サクラコを引っ張る子供たち。


「でも、お外は危なくなくって?」

 不安げなサクラコ。


「大丈夫だよ。朝はみんな畑でお仕事してるから、魔物が来ても平気!」


 おねだりに負け、外へ出るサクラコ。朝の山の空気が肺に入り、脳を刺激する。

 昨晩に小雨を吸った草や地面が、魔物や瘴気とは無縁に思える香りを立たせていた。

 子供たちの言う通り、昨日とは打って変わって、屋外には人が多く居るようだ。


「おねーちゃん、書いて書いて」

 木の枝を渡される。サクラコは地面に「さ、く、ら、こ」と刻む。

「なんて読むの?」


「サクラコ。おねえちゃんの名前よ」

「かっこいい! ぼくの名前も書いて! トーマスって書いて!」

 子供にせがまれる。彼に続いて他の子たちも口々に名乗り始める。サクラコはひとりづつ、名前を書いてやる。


「わたしの名前、かわいい!」

「おねえちゃん、こんどはうんこって書いて!」

 サクラコは流されるまま地面に「うんこ」を刻む。刻み終わってから頬の温度が少し上がる。


「ぎゃはははは! うんこ、うんこ!」「うんこだ!」

 読めもしない「うんこ」を見て大はしゃぎの子供たち。


 子供のひとりが文字の横に「絵」を描き足し、一同はさらに沸いた。


「じゃあ今度はケツって……あっ、アレ!」

 上を指さす鼻たれの子。サクラコと他の子供たちが見上げる。



「ピーーヒョロローーッ!」

 空を裂く甲高い鳴き声。青い空に浮かぶ、巨大な黒い十字架。



「おばけトンビだ! うんこ落としてくる!」

 特定のワードに反応した子供が笑う。だが他の子たちはすっかり怯えてサクラコの袴にすがり付いていた。


「おれ、大人の人、呼んでくる」

 そういうと男の子がひとり駆け出した。昨日のごっこあそびで勇者役をやっていた子だ。


 空の十字がサクラコたちの頭上をぐるぐる周る。それからひと羽ばたきしたかと思うと、離れた男の子に向かって急降下を始めた。


「危ない!」

 叫ぶサクラコ。


 男の子は鳥に気付き、しゃがみ込んでしまった。

 サクラコは彼のほうに向かって駆け寄ろうとする。だが、しがみ付いている他の子たちに自由を奪われ、間に合いそうもない。


 ――なにか魔法を。


 ユクシアが込めてくれたアクセサリーの魔法をひとつづつ思い出す。


 迫り来る捕食者の鉤爪。


 サクラコはベティから貰った羽根のブローチを胸からもぎ取ると、ピンが指をさすのにも構わず、子供のほうへ向かってそれを投げた。

 ブローチは地面に落ちるが、運よくその辺の石ころと衝突し、一瞬だけ魔法を発動させた。


「ブピッぺ!」

 一瞬の光と電気の走るような音。


 おばけトンビは子供の頭上で、何もない空間に衝突した。そのままトンビは仰向けにひっくり返って気を失ってしまった。


 サクラコは子供たちに袴を離してもらうと、ブローチを拾い、うずくまった子供に駆け寄る。


「もう大丈夫よ」

 やさしく声を掛けながらも、痙攣する鳥から目を離さないようにする。

 サクラコは、ブローチを握って確かめる。


 ドーム状の光の壁。防御障壁の魔法。

 ユクシアがブローチに込めてくれたそれは、数十秒は持つとのことだ。


「おーい、大丈夫か。空にトンビが見えたから、まさかと思ったが」

 村の男が数人、血色を変えて駆けてくる。

 彼らはサクラコと子供のそばで伸びている鳥を見つけると走る速度と表情を緩めた。


「これ、ねえちゃんがやったのか?」

「か、勝手に頭をぶつけて伸びたんですの……」

 なんとか子供は守れたが、あくまで借り物の力だ。


「ほーん? じゃあ、今のうちに絞めてしまおう。今日の昼はみんなで焼き鳥だな!」

 男は特に追求せず、他の男たちと鳥の解体に取り掛かり始めた。


「さ、みんな。やっぱりお外は危ないから、宿の中に戻りましょうね」

 村人に取り囲まれる鳥をしり目に子供たちを促すサクラコ。子供たちも黙って従った。



「おねえちゃん、すごかったね!」「かっこよかった!」「魔法使いなの?」

 口々に称える子供たち。


「魔法使いじゃ、ないかな……」

 言葉が上手く出てこないサクラコ。


 それと同時に足腰も少し震えていた。

 これまでサクラコは魔物に襲われるのを何度も経験してきたが、驚きや恐怖は控えめであった。

 単に思考が追い付かなかっただけか、どこかに図太さがあるのかもしれない。


 だが、今度は違った。


 目の前で命の危険に晒される子供。いつもと違い、頼れる仲間は居ない。

 子供に連れられて外には出たものの、迂闊だった。ひとつ間違えば、男の子の命とサクラコの心はおばけトンビに食べられていたであろう。


「おねーちゃん。助けてくれたお礼に、お歌うたってあげる!」

 そういうと男の子はサクラコに歌を披露した。


 ――まっかなおはなと、まっかなほっぺ。

 ――やまのトロールにゃ、きをつけなさい。

 ――だましてねかせてたべちゃうぞ。

 ――だましてねかせてたべちゃうぞ。


「はい! おねえちゃんも歌って!」

 サクラコを促す男の子。


 ……しかし、口を開くも胸がつかえて声が出てこない。


「ほら、はやくー。はやくしないとトロールに食べられちゃうんだよ!」

「そうだよ。トロールはまねっこをするとやっつけられるんだ!」


「はやく、はやく!」

 催促する子供たち。彼らは本当に食べられてしまうかのように真剣な表情をしている。


 サクラコは深く、静かに息を吸い、胸に手を当て声に出てくるようにと促した。


 ――まっかなおはなと、まっかなほっぺ。

 ほどけぬ緊張。裏返った声。


 ――やまのトロールにゃ、きをつけなさい。

 トラウマに染まった歌声が、子供たちの目を白黒させる。


 ――だましてねかせてたべちゃうぞ。

 もうどうにでもなれ。


 ――だましてねかせてたべちゃうぞ。

 もうどうにでもなれ。


 沈黙する子供たち。――お歌がヘタだぞう? 頭の中で響く声。


「違うよ。おねーちゃん。それじゃダメだよ」

 断罪的な子供の声。お嬢さまの心は続く言葉を、無防備に受け入れる覚悟をした。



「もっと楽しそうにしなきゃダメなんだよ。そうじゃなきゃ、トロールに食べられちゃうんだ!」

 予想と違う言葉。



 男の子は指をふりふりもう一度、歌を披露する。


「ほら、一緒に!」

 再び歌い始める男の子、今度は他の子も続いて歌い始める。

 もう一度。サクラコも彼らに続いて歌い出す。子供たちの歌声が、彼女の震えを、狂った音程を是正していく。


「お姉ちゃん、お歌上手だね!」


 誰かが言う。


 宿に響く大合唱は、太陽が真上に登り切るまで続いた。



* * * *

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