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悪の仮面を被った正義


 あらゆる昇るものは沈み、あらゆる成長には老いがある。

 ガイウス・サッルスティウス・クリスプス



















 第三請【悪の仮面を被った正義】














 「何?あの盗人が来ている?どういうことだ?」

 「理由はわかりませんが、あの恵を連れてきています。どうなさいますか」

 「・・・・・・」

 突如として、大和が恵を連れてきたという報告を受け、生越は顎に指をあてて考えていた。

 何か罠かもしれないと思ったが、それもまた良いだろうと、通すように伝えた。

 どさっと、恵は紐で縛られており、そんな恵を大和が生越の前に差し出した。

 「これはこれは、お仲間かと思うたが、どうかしたのか?仲間割れでもしたというのか?ええと、確か・・・」

 「大和です!いやね、確かにあの時は、なんかこの子がピンチかな、と思って助けたんですけどね、よく考えてみれば、こいつを助ける義理なんてなかったわけでしょ?そのせいで俺も危険な目にあって、なんか納得いかなくなっちゃったんですよね!」

 「・・・なるほど。して、他に何かあるのか?」

 「ええ、盗んだものもお返しにあがりまして、それに定妙炎家の内情も少しばかり知ってるんで、お役に立てるかと思いまして」

 「・・・ほう。それは興味深い」

 大和だけをそこに残し、生越が近くにいた女中たちに合図を送れば、女中たちは恵を連れて行ってしまった。

 大和は生越の前に堂々と胡坐をかいて座れば、歯を見せて笑う。

 「して、内情を知っているとは、どういうことだ?」

 「へへ。実は、定妙炎家の城主、亡くなってねぇんですよ」

 「・・・それは知っておる」

 「えええ!?なんで!?」

 「他には何かないのか?もっと役に立つ情報がほしいのだ」

 「えっと・・・」

 それが最大の情報だったのか、大和はうーんと、えーとと、首を捻って何かを絞りだそうとしていた。

 しかし何も無いと分かると、生越がすっと手を軽くあげる。

 すると黒夜叉が現れ、大和の腕を拘束した。

 「ちょちょちょい!!!もしかして、俺を捕まえる気か!?」

 「もしかしなくてもそうする心算だ。もっと良い情報でも持っていれば、もう少しだけここにいられたかもしれぬがな」

 「んなこと言ったってなぁ・・・」

 「それに、我等は定妙炎家も、そやつらに加担する者たちも、一斉に始末する心算でおるのだ。貴様はただ、邪魔しないように大人しくしていてもらおうか」

 「・・・あの女はどうすんだ?吉原でも人気だって聞いたけど」

 「ああ、恵のことか?」

 恵のことを思い出した途端、生越の顔が歪んだような気がするが、すぐに涼しげな顔に変わる。

 「あの女はもういらん。金儲け出来ようが、吉原で必要とされようが、私を裏切った上に私より綺麗などと言われるような女、この世に必要ない」

 「・・・・・・」

 身勝手な理由ではあるが、それが女系として君臨してきた者たちのプライドでもあり、やり方なのだろう。

 ぐいっと大和は引っ張られたかと思うと、黒夜叉に何処かへと連れて行かれた。

 「わー。悪趣味」

 「入れ」

 黒夜叉に連れて来られたのは、予想はしていたが、牢屋だった。

 がしゃん、と冷たい音が鳴って、しっかりと鍵を閉められてしまうと、大和は天井あたりを見上げながらうろうろする。

 そして真ん中にどかっと胡坐をかいて座るのと見ると、黒夜叉は去って行った。

 取り残された大和は、ただただ時間が過ぎるのをそこで待つ。

 「ぷはあっ・・・ごほごほっ!!!」

 「しぶといな」

 大和に連れて来られた恵は、黒夜叉の部下に捕まってしまい、身体を天井に吊られていた。

 その身体の真下には、大きな樽に用意された水があり、紐を調節してその桶の中へと、抵抗が出来ないまま入れられてしまう。

 息が苦しくても、恵は自らの意思でそこから抜け出すことは出来ない。

 「はあっ!!!けほ」

 何度も何度も水責めをされても、恵は眼光を更に強めるだけだった。




 「くそっ!!!このままでは、定妙炎家が永晶家に潰されるのも時間の問題ではないか」

 「だからといって、指揮を取ってくださる方がいないのでは・・・」

 「誰か代理というわけにはいかぬか」

 「代理とて、一体誰が?」

 「それは・・・」

 一向に進まない話題と分かっていても、話していいなければ落ち着かないのか、家来たちは答えの出ない会議を続けている。

 牢屋に捕まっている家来たちも、これから自分達はどうなるのだろうと、暗闇しか見えない未来に不安を抱えていた。

 そんな家来たちの話し合いを見た後、一人その場から離れた龍海はただ、本当は生きている城主に声をかける。

 「いかがなさいますか?」

 「んー?何が?」

 「何がではありません。永晶家はまた攻撃してくるでしょうから、何か備えをしなければ」

 「ああ、面倒だなぁ」

 隠れていた瑠堂は、大きな欠伸をしながらも、雨が降りそうだな、と空を眺めていた。

 しばらくすると、龍海にこう言った。

 「みんなを牢屋んとこ集めよっか。俺も行くわ」

 「・・・は」

 瑠堂にそう言われ、龍海はすぐにまだあーだこーだ話している家来たちのところへと向かった。

 「なんだ」

 「みなさま、お集りください」

 「なんだと?お前に何の権限があって」

 「お集まりください。よろしいですね?」

 「!!!」

 龍海のいつもの柔な感じではなく、鋭い目つきをされたため、家来たちは思わず息をのみ込んだ。

 龍海の後を着いて行くと、そこは自分達が捕まえた家来たちが入っている牢屋だった。

 こんなところに何の用があるのだろうと、家来たちは近くにいる仲間たちと顔を見合わせながらも、首を傾げていた。

 「少々お待ち下さい」

 龍海に言われた通りに大人しく待っていると、少しして龍海が戻ってきた。

 「お待たせいたしました」

 「おい龍海、貴様なぜ我々をこんなところへ集めたのだ!?」

 「そうだ!そもそも、貴様には我々を動かす力など無いのだぞ!」

 「・・・私の言葉ではございませんので、あしからず」

 「なに・・・?」

 一体この男は何を言っているのかと、家来たちは次々に龍海に文句を言い始める。

 それはきっと、これから起こる何かに対する不安なのだろう。

 すると、龍海が身体を横に動かしたかと思うと、龍海の背中から見せた姿に、家来たちは一斉に口を開けた。

 「な、なぜ・・・?」

 「死んだと報告したのは誰だ!?」

 「いや、それよりも、これは誠か?偽物ではあるまいな?」

 「なんだよなんだよ、どいつもこいつも。まあ、死んだ方が良かったのかもしれねぇけどな」

 龍海の影から出てきたのは、死亡したと連絡があり、それは永晶家にまで伝えられたであろう、城主の姿だった。

 青い髪を靡かせながら、だるそうに歩いている姿はいつも通りだ。

 しかし、聞いた話では、確か永晶家の忍が死亡を確認したはずだったが、何かの間違いだったのだろうか。

 未だ信じられないような目で瑠堂を見ていた家来たちに、瑠堂はやれやれと首を横に振った。

 「お前等、いつまでそうやって平和で平穏なこの城を夢見てんだ?」

 「な、なんだと・・!?やはり瑠堂様などではない!!!」

 「貴様!何者だ!!!」

 家来たちから浴びせられる罵声にも、瑠堂は小指で耳をかきながら平然としている。

 「くっ!!うつけの城主を持ったのが、我等の最大の汚点であったか!!」

 「失礼ながら申し上げます」

 「なんだ!龍海!!」

 まだ何か言いそうだった家来たちの言葉を遮り、龍海が言葉を紡ぐ。

 「汚点はあなた方の方です」

 「龍海貴様・・・!!大人しくしているから置いてやったのを良いことに!!」

 「我等に対し、そのような口の聞き方をして許されると思うな!!!」

 家来のうち数人が、叫びながら剣を抜いて龍海に向かってきた。

 今まで剣など握っている姿を見たことがないため、家来たちは簡単に屈服させられると思っていた。

 しかし、攻撃してくる剣を軽やかにかわすと、龍海は家来たちの足を引っ掛けて転ばせる。

 それでもまだ立ち向かおうとした家来たちに、今度は瑠堂が制止をかける。

 「そこまでだ。お前らじゃあ、どんなに束になってかかっても、こいつには勝てねえよ」

 「なにを!!」

 「俺はな」

 そう強めの口調で続けると、家来たちはうっと出そうとしていた言葉をとどめる。

 そして、髪の隙間から覗いたその鋭い眼差しに、一歩後ろへ後ずさってしまう。

 「俺はな、うつけと言われようが、汚点だと言われようが、んなこたぁ気にしない性質でな。親父や爺ちゃんと比べられても、しょうがねえことだと思ってる」

 「瑠、瑠堂、様・・・?」

 「俺がうつけとしていることで、お前等が仕事に打ち込んでくれるならそれで良いと思ってたんだがよ、どうもそんなこと言ってられねぇ状況になったんだでな」

 「ど、どういうことだ?」

 いつもであれば、瑠堂はこんなにペラペラと話したりしない。

 誰かの意見を適当に聞き流し、良いも悪いもはっきりとは言わないような立ち位置だった。

 それに、立派な着物に着られている感じがしていたはずなのだが、今はそうではない。

 着こなしているというのか、その着物でさえも物足りない空気を醸し出している。

 「良いかお前等。永晶家は何があっても、何処かの城と手を組もうなんて考えを持つようなとこじゃねえんだ。あそこにはお前等なんかじゃ太刀打ち出来ない、強い忍たちがいるからな。手を組む必要なんてねぇんだよ」

 「し、しかし、それでは我々は」

 「利用されたんだろうな。反乱が起こり、ましてや一応城主の名がついている俺を暗殺したとなれば、そいつらは捕まるか、逃げられたとしても二度とこの城には戻ってこれない。永晶家にとっては、この城の武人の数が減ることは都合が良いし、城主がいなくなればまたそれも、混乱を招く良い出汁になるってもんだな」

 今日まで、世の中の情勢になど興味がないと思っていた瑠堂の目には、しっかりと世界が映し出されていたようだ。

 ぼーっと空ばかり仰いでいたように見えたが、それは誠の姿ではなかった。

 「時代は変わった。平和だけで生きているほど、世界は甘くねぇ。ましてや、相手が戦好きの城とあれば尚更だ」

 「しかし、我々にはもはや永晶家のような戦力はありません」

 「一体、どうすれば」

 「なぁーに、心配すんな」

 なあ?と、隣にいる龍海に声をかければ、龍海は静かに一度頷くと、その着ていた着物を雑に脱ぎ捨てた。

 その下から出てきた格好に、家来たちは目を疑った。

 「瑠堂様!?これは一体、どういうことですか!?」

 「もしや、永晶家の忍・・・」

 「違う違う。そしたら俺は今頃首が繋がってねぇよ」

 黒い服装に身を包む龍海は、目の前にいる家来たちの間を潜り抜けると、牢屋の前へと近づいた。

 そして鍵を開けると、そこに入っていた家来たちを出させる。

 「ここからが本当の喧嘩ってもんだ。俺についてこい」

 「・・・はい!!」

 以前とは違う瑠堂の頼もしさに、家来たちは一斉にその場で頭を下げる。

 それだけではなく、牢屋に入っていた、瑠堂に反乱を起こし、更には暗殺まで企てていた者達は、土下座をして泣きながら謝っていた。

 そんな家来たちを罰することもなく、瑠堂は全員を引き連れて戦に整えるのだった。

 「龍海、頼んだぞ」

 「お任せください、と言いたいところですが、俺もブランクがありますから」

 「俺のブランクに比べりゃあ、可愛いもんだろ?うつけの俺にも付き合ってくれて、感謝してるよ」

 「どうせ、暇でしたから」

 「言う様になったな」

 ケラケラと笑いながら、瑠堂は家来たちと共に部屋から出て行く。




 「黒夜叉、あの城を沈めてこい」

 感情の無いまま生越がそう口にすれば、黒夜叉は一礼をして姿を消した。

 部下達を引き連れ、黒夜叉は定妙炎家へと向かって行く。

 黒夜叉たちが消えたあと、残された生越は一人こっそりと何かの準備を始めていた。

 「ふん。黒夜叉たちがやられたとなれば、私の首が危ないではないか。金を全て持ってここから逃げてやる」

 定妙炎家に着いた黒夜叉たちは、動きが止まっていた。

 「・・・殺す心算でいくぞ」

 そう言った相手は、かつて共に肩を並べて戦っていた龍海。

 その横には、飛闇と風雅もいた。

 「殺す心算で来ないと、殺されるよ?」

 「・・・挑発が出来るようになったか」

 「お前から教わったかな?」

 一瞬にして、瞬発力で龍海の前に来た黒夜叉は、蹴るそぶりを見せたため、龍海は両腕を前に出してガードしようとする。

 しかし、黒夜叉は蹴らずに、腕を出したことによって手薄になった腹を目掛けて拳を入れようとする。

 「・・・・・・」

 「危ない危ない」

 入ったと思ったが、龍海がいつの間にか掌で拳を支えていた。

 余裕そうに受け止めた龍海だったが、さすがにしばらく戦っていないのもあり、さらには黒夜叉の筋力で攻撃されたのだから、手がジンジンと痛んでいた。

 手首を痛めなかっただけマシかと、龍海は手をぎゅっと強く握りしめる。

 「他所見するな」

 そんな二人を見ていた風雅に向かって、男が躊躇なく蹴りを入れてきた。

 風雅の腹に直撃し、風雅は少し離れた場所まで吹き飛んで行った。

 「一人、脱落か」

 「・・・・・・」

 男はそう言って、目標を飛闇に移したのだが、飛闇は男の方を見ようとはしなかった。

 相手にされてないと分かると、男は飛闇に向かって同じように蹴りを入れようとしたのだが、突如として後頭部激痛が走った。

 その場にうつ伏せになってしまった男だが、後ろを振り返ってみると、そこには足を振り上げている風雅がいた。

 「貴様!!」

 「女の子はもっと優しく扱わなきゃダメでしょ。お腹を蹴るなんて、最低ね」

 ぺろっと舌を出しながら、風雅はちらりを腹を見せると、そこには鉄板がついていた。

 男は体勢を持ち直し、風雅に剣を向けると、風雅は臆することなく剣を避け、両手を床につけて、その反動で男を蹴りあげた。

 そのまま天井に頭を突っ込ませた男の手から剣を奪うと、男たちと対峙する。

 ひゅんひゅん、と風を斬るような音を出しながら、男は飛闇に攻撃をしていた。

 そんな男の拳を手で受け止めると、飛闇は頭突きを喰らわせる。

 「がはっ・・・・!」

 石頭なのかは知らないが、男はそのまま倒れてしまった。

 「・・・数多すぎ」




 「よいしょ」

 ぎい、と開けたのは、大和が捕まっていた牢屋だ。

 「さて、そろそろ行かねえと」

 「おい!貴様何をしている!?」

 「あ」

 見つかってしまうと、大和は見張りの腹に一撃入れて気絶させる。

 そのまま適当に床に寝させると、誰かを探しに牢屋を見て回る。

 「いたいた」

 その牢屋に入っていたのは、すでに生きているのか死んでいるのかも分からないほど痛めつけられていた、恵だった。

 がちゃん、と鍵を開けると、恵はその音で顔をあげた。

 「あ」

 「逃げるぞ」

 「・・・よくそんなこと言えるわね。あなたのせいで、私はここにいるのよ」

 「それは悪かったよ。だから助けにきたんだろ?」

 拗ねているのかは分からないが、恵は自分から出て来ようとはしなかった。

 大和はため息を吐くと、恵の腕を引っ張って外に連れ出そうとする。

 しかし、恵はその腕を払った。

 「私はまだ目的を果たしてないの。ここで探す心算だったけど、見つからない。もう殺されてしまったのかもしれない・・・」

 「・・・・・・」

 「だとしたら、私もう、これから先、生きて行く意味なんてないの!!!なら、いっそここで殺されても」

 「諦めるのか」

 泣きそうになった恵は、唇を噛みしめたまま大和を睨みつける。

 「ここにいねえくらいで、諦めるのか。この広い世界で、まだそんなに生きてねぇくせに、もう諦めるのか」

 「!!何が分かるのよ!この城が最後の希望だったの!!ここにいなければもう、どこを探せば良いのかも分からない・・・」

 うじうじしている恵に、大和は恵に聞こえるようにため息を吐くと、頭をガシガシとかいた。

 「相手が生きてようと死んでようと、お前が生きてる限り可能性はあるだろうが。いつまでもこんな暗いところでぐちぐち言ってるなら、また何処でも探しに行きゃあ良いだろうが」

 「・・・・・・」

 「それに」

 「・・・え?」




 「解いてほしいな」

 「無理だ」

 「私女なんだけど。別で縛ってくれるとかそういう配慮はないわけ?」

 「ない」

 黒夜叉たちにも互角で戦っていた龍海、飛闇、風雅の三人だったが、さすがに人数が多くて太刀打ち出来ず、捕まっていた。

 三人一緒に縛られたことに不服な風雅だが、身体をちょっとも動かせない。

 「もー。やっぱりなんか周りが男だらけだと、やっぱりちょっと汗臭いわね」

 「やかましい」

 「まぁ別に、男の汗臭いには嫌いじゃないけど、香水とかよりマシなんだけど、それでもエチケットってものがあるじゃない?あんたたち、そんな匂いで敵の城に潜入して、バレないの?」

 「口を閉じろ」

 ぶーっと頬を大きく膨らませている風雅は、今度は思い切り息を吐いた。

 「頭、どうします?」

 「生越様の前に一度差し出す。それから決めるだろう」

 生越という単語を聞くと、龍海はちらっと黒夜叉が手にしている小型の無線機を見た。

 だが、ざざ、ざざ、とノイズが走るばかりで、なかなか連絡が取れなかった。

 ならばと、黒夜叉が一度城に帰ろうとしたのだが、その時、見覚えのある姿が現れた。

 「御苦労であったな」

 「生越様」

 黒夜叉たちがみな片膝をつくと、生越はそこに捕まっている三人をじーっと観察し、ニヤリと笑った。

 「黒夜叉」

 「は」

 「こやつらを解放せよ」

 「?何故でございましょう」

 思いがけない言葉に、驚いていたのは黒夜叉だけではない。

 捕まっている飛闇と風雅も、それほど表情には出していないが、ぱっと生越の方を見ていた。

 「我等の勝利に変わりはあるまい。この城の全ての金を運ぶのだ。それで終わりだ」

 「・・・・・・」

 「黒夜叉、どうした。まさか、私の言う事が聞けぬと言うのか?」

 生越の命令は絶対であって、これまでにも黒夜叉は、一度として命令に背いてきたことはない。

 しかし、黒夜叉はなかなか動こうとせず、黒夜叉の後ろにいる部下たちでさえ、どうしたのだろうと互いの顔を見ている。

 動こうとしない黒夜叉に痺れを切らしたのか、生越は声を出そうとしたその時。

 「!!!」

 黒夜叉が、生越の首を斬った。

 ごろん、と生首が落ちたかと思うと、それは生首ではなかった。

 血も出ておらず、それは人形の首であることが分かった。

 生越の身体はまるで布のように床に落ちて行くと、黒夜叉は身体を目掛けてもう一度剣を抜くが、何にも当たらなかった。

 「・・・さすがだな、銀魔」

 すとん、と黒夜叉の背中側に下りてきたのは、名前の通り、銀魔だった。

 その状況に、黒夜叉の部下たちも、風雅に飛闇も驚いていた。

 「え?何?何がどうなったの?」

 「・・・・・・」

 ゆっくりと銀魔と黒夜叉は振り向くと、互いの顔を見て睨みあっている。

 三人の角度から言うと、龍海は今起こったことが見えていないはずだが、二人に説明をしてくれた。

 「銀魔は変装に長けている。それはあまりに本人に似ているため、いつも見ているあいつの姿さえ、誰かのものではないかと言われている」

 「銀魔さんが変装得意ってことは知ってたけど、こうしてちゃんと見たのは初めて」

 「変装名人だからといって、体格の違う女性にまで変装出来るものじゃないだろう」

 「・・・普通ならな」

 その引っかかる龍海の言葉に重ねるように、黒夜叉が話し出した。

 「見た目を自在に変えられるそれは、まさに神の所業とまで言わせた男だ。老人から子供、190以上の大男に女性まで、様々な姿に変えられるという。嘘か誠か、それを信じる者は少ない。そんな変装を可能にしたと言われているのは、お前の師、森蘭の賜物だな」

 「おお。師匠が褒められると嬉しいねぇ」

 こうして目の前で見たとしても、信じるのは時間がかかるだろう。

 ある程度がたいの良い男が、女性になど変装出来るのだろうか。

 ましてや、子供や老人にまで変装するなど、可能なのだろうかと。

 それをやってのけるからこそ、銀魔という男は、黒夜叉とも名を連ねているのだと言われているが、それだけではない。

 「その変装の出来栄え故、敵を混乱に陥れ、味方さえ騙す。最早敵か味方かさえ分からない厄介な男だ」

 「そういう言い方はないだろ?俺は、忠誠を誓った主君に仕える、ただそれだけだ」

 「ああ、だがそんなお前も、所詮はただの人間だ」

 「?」

 次の瞬間、どこから飛んできたのだろうか、銃弾の音がした。

 そしてその銃弾は銀魔の身体を容易に貫き、銀魔の身体からは血が出ている。

 「銀魔さん!!」

 その声が届くか届かないかのところで、銃弾を飛ばした男が姿を現す。

 「!!お前!」

 「はあ・・・はあ・・・」

 そこに立っていたのは、大和だった。

 銃を銀魔に向けて、まるで見せしめのように何発も入れたあと、黒夜叉のもとに向かう。

 「お、俺を仲間にしてくれよ!!頼む!盗んだものは全部返す!これから、言う事をなんでも聞く!!だから、どうか!!」

 「・・・・・」

 「見損なったわよ!」

 ぎりぎりと歯を噛みしめて叫んだ風雅は、大和に向けて声を荒げる。

 「銀魔さんに助けてもらっておいて!恩を仇で返す心算!?」

 「仕方ねぇだろ!俺だって・・・俺だって死にたくないんだよ!!!」

 一度は風雅を見たものの、すぐに黒夜叉の方を見ると、大和はへらへらしながらも、必死にお願いをする。

 「たのむ!!!」

 頭を床に勢いよくぶつけるようにしてつけながら、懇願した。

 「お前は永晶家に盗みに入ったような男だ。そう易々と味方として受け入れるわけにはいかん」

 「それは分かってる!けど、永晶家の力を目の当たりにして、俺だって敵わねえと分かった!それが分からねえほど馬鹿じゃねえ!!今までにも色んな城に行ってきたから、きっと役に立てるはずだ!」

 「しかしな」

 「時間はかかってもいいんだ!生越様に許してもらってから!いや、許されないだろうけど、それに見合うくらいの働きをするって約束する!!!」

 「・・・・・・」

 頭を床につけたままの大和を見て、黒夜叉は視線を動かした。

 倒れている銀魔を見たあと、もう一度大和に目を向ける。

 「ならば」

 「!!!」

 がばっと勢いよく顔をあげると、黒夜叉が顎でくいっと、倒れている銀魔を指した。

 そして床に落ちている銃を拾うと、それの中に弾が残っていることを確認し、大和に向かって放り投げた。

 「これを使って、あいつの止めをさせ」

 「え?」

 「とどめを指すことが出来れば、考えてやろう」

 「・・・・・・」

 少しだけ動いているのを見る限り、まだ息があるだろうことは分かった。

 大和は一度、倒れている銀魔を見たあと、自分の目の前に投げられた銃を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。

 銃口を銀魔に向けると、息を整えて狙いを定める。

 「銀魔さん!!!」

 風雅が叫ぶが、その声は届かない。

 引き金を引く大和、しかしその銃口が向けられたのは、銀魔ではなかった。

 ガン!と壁にめり込んだ銃弾、その銃弾を避けたのは、黒夜叉だった。

 「さすがってとこか」

 「・・・やはり、どこまでも腐った奴だ」

 「うるせぇやい!」

 もうすでに残っている弾はないため、大和は銃ごと黒夜叉に向かって投げるが、黒夜叉はそれを手で軽く弾く。

 そして急いで逃げようとした大和だったが、すでに黒夜叉の部下たちに囲まれてしまい、気付けば、目の前に黒夜叉がいた。

 一発、二発と、容赦なく顔面と腹を殴られ、大和はそれだけで力なく倒れてしまう。

 「貴様に用はない」

 「!!!!」

 黒夜叉が大和の頭を鷲掴みすると、掴まれたそこがぎちぎちと音を立てる。

 このまま頭蓋骨を折られてしまうのかと、大和は黒夜叉から逃れようと、黒夜叉の腕を掴むが、解けない。

 力の差はあまりにも歴然としていて、掴まれている大和の頭は悲鳴をあげ始める。

 「いってえええええええ!!!」

 と叫んだ瞬間、頭の痛みが消えた気がした。

 だが、黒夜叉にまだ掴まれたままなのは確かだ。

 「その辺にしといてやりな。こいつの頭なんか潰したって、メリットねぇぞ」

 「・・・・・・」

 「銀魔!遅ぇって!」

 「はは、悪い悪い。ちょっとうたたねしてたんだ」

 大和の頭を掴む黒夜叉の腕を、銀魔がしっかりと掴んでいた。

 血だと思っていたものも、精巧に作られた偽物のようで、初めから銃弾は一発しか入っていなかったようだ。

 「銀魔さん!」

 「・・・あいつはあんなんじゃ死なないよ」

 ぼそっと言った龍海の言葉を、ちゃんと聞いていた銀魔は、龍海をちょっとだけ睨んでいた。

 黒夜叉の腕を更に強く掴めば、大和の頭は解放されて、大和は二人から離れる。

 だが、すでに黒夜叉の部下に囲まれているため、大和には逃げ場などないが。

 「お前等もよく我慢したな。そろそろ暴れていいぞ」

 銀魔がそう言うや否や、捕まっていたはずに飛闇たちはささっと紐を解き、周りにいる黒夜叉の部下と戦い始めた。

 「一度敗れた者が、また俺達に戦いを挑むか」

 「銀魔さんの指示通り、捕まっていただけだ。ここから本気を出す。死んでも文句を言うなよ」

 「あ?何を言って・・・」

 一瞬だった。男が動こうとしたその瞬間、今までの動きが嘘のように、飛闇の蹴りは男の顔面に直撃し、男の首はその衝撃でぐき、と音を奏でてあらぬ方向に曲がった。

 それを見て他の男たちが驚いていると、別の場所にいた男は、一太刀で倒れていた。

 「他所見なんかしちゃって、自分に死に際くらい、目玉開けてちゃんと見なさい」

 「このあま!」

 屈強な男たちの合間を潜り抜けていく風雅の剣で、男たちは次々に倒れて行く。

 「おらあああああ!!!」

 「!!!」

 男の中でも大柄の一人の男が、なにやら棒を振り回しながら風雅に近寄ってきた。

 「ふん!!」

 「!げ」

 振りまわしていた棒を風雅に向かって振り下ろすと、風雅はなんとか避けることが出来たか、振り下ろされた場所にいた黒夜叉の部下たちは、身体があちこち向いていた。

 ただの棒ではなく、中に余程の重たいものが入っているのだろう。

 男は棒をゆっくりとあげると、両腕をあげて、またブンブンと振りまわす。

 しまいには風も起こり、周りにいる男たちよりも体重の軽い風雅は、そちらに引き込まれそうになる。

 「弱き忍に命はない!!!」

 フハハハ、となんとも悪そうな笑い声を出していた男だが、ふと、裾をちょんちょんと引っ張られたため、そちらを向いた。

 そこには、にっこりと微笑んでいる龍海がいて、男は龍海に向かって棒を叩きつけようとした。

 思い切り振りかぶり、龍海へと落とす。

 「・・・!?なに・・・!?」

 「・・・・・・」

 体格差があるにも関わらず、龍海は男が降り下ろしていたその重たい棒を、片手で簡単に受け止める。

 そしていつものように笑みを崩さぬまま、男の膝裏を蹴飛ばした。

 「ぐぬぬ・・・!!」

 見た目以上に重たいそれを喰らい、男は棒を落としてしまうと、龍海がそれを拾った。

 「そんなひ弱な身体で持てようものか!」

 「・・・そんなにひ弱に見えるかな?」

 龍海が棒を手に取ると、なんとも軽そうに持ちあげていた。

 それには、男は目を丸くしていた。

 男と同じようにブンブンと振りまわしたかと思うと、まるで野球のスイングのように棒を振った。

 それは男の顔面に直撃し、男は鼻血を垂らしながらもなんとか歩いていた。

 少しフラフラしているが、龍海が置いた自分の棒を拾おうとしたようだが、その前に龍海に顔を両足で挟まれてしまい、そのまま床に叩きつけられた。

 「あ、どうしよう。城直すのに結構費用がかかりそうだなぁ」

 そんな呑気なことを言いながら、床にめり込んでしまった男を、両膝を曲げて眺めていると、後ろから男が忍び寄ってきた。

 「ぐは!!!」

 「・・・平気だったのに」

 「ついでだっただけだ」

 二人一気に串刺しにした飛闇が、無表情に剣を抜いた。




 「お前とこうして一対一でやるのは久しぶりだな」

 「今日こそお前を殺す」

 「出来るもんならな」

 にいっと銀魔が笑えば、黒夜叉が一気に銀魔に飛びかかってくる。

 それを後退して避けようとすると、黒夜叉は銀魔の足を狙ってマキビシを投げてきた。

 「おっと」

 近くにあった柱を掴むと、そこに重心をかけながら黒夜叉に蹴りを入れる。

 黒夜叉はそれを腕で受け止める。

 「フェアに行こうや」

 「・・・・・・」

 黒夜叉が右ストレートで殴ってくれば、銀魔はそれを避けて下から拳を振るう。

 しかし右手をピタリと止めると、下からの銀魔の攻撃を顔を逸らして避けながら、左足で銀魔の脇腹を蹴る。

 蹴ってきた足をがっちりつかむと、銀魔は黒夜叉の身体ごと力任せに投げる。

 そして黒夜叉の身体が宙に浮いている間に、黒夜叉の頭上に移動して踵落としをする。

 床にめり込んだ黒夜叉を見ながら、銀魔は次の手を考える。

 首を摩りながら起き上がった黒夜叉は、鉤縄を取りだして振りまわす。

 銀魔目掛けて投げるが、銀魔は変わり身を使ってかわしている。

 だが、黒夜叉の倒れた部下が、その足元にいることを知らなかった銀魔は、少しバランスを崩してしまった。

 「お?」

 その隙を見逃すはずもなく、黒夜叉は銀魔に鍵縄を投げた。

 このまま倒れても危ないため、銀魔はその縄を手首に巻きつける。

 黒夜叉は両手で銀魔を引いて行くが、銀魔は肩腕だけでなんとか時間を稼ごうとしていた。

 そして、黒夜叉が力一杯引っ張ったところで、銀魔はとうとう力負けしてしまい、黒夜叉の方へと近づいた。

 そのまま黒夜叉は片手を開けて剣を抜き、思いっきり引っ張れば、銀魔の身体は宙を舞い、距離を縮めながらこちらに来る銀魔にそれを突き刺した。

 「!!」

 その剣は確かに、銀魔の心臓に突き刺したはずだった。

 しかし、黒夜叉が刺した相手は銀魔ではなく、すでに死んでいる自分の部下だった。

 黒夜叉に引っ張られ宙を舞っている間、ただそれだけの時間の間に、銀魔は縄から抜けだし、黒夜叉の部下と入れ換わったのだ。

 思わず舌打ちをしてしまった黒夜叉だが、ぴたり、と後ろから顔の横に冷たい何かを当てられたため、部下の身体から剣を抜き、血を流している部下を床に置いた。

 「殺すなら早くしろ。じゃないと、俺はまだ反撃する心算でいるぞ」

 「背後から一突きするのは簡単だが、生憎俺ぁ、そんな趣味はねえんだ」

 カラン、と剣を落とすと、それを聞いた途端黒夜叉は銀魔に向かい、手に持っていた槍を突いた。

 槍は襖に穴を開けたが、銀魔に風穴は開かなかったらしい。

 黒夜叉が持っている槍に片足を乗せたかと思うと、槍を踏み台にして黒夜叉の背後に着地した。

 すぐさま黒夜叉は後ろを見たが、そこにはもう銀魔はいなかった。

 「!?」

 「こっちだ」

 声のする方を向けば、そこにも銀魔はいない。

 「!!!」

 いきなり、膝裏を蹴られた。

 なんとか踏ん張って身体を起こすと、もう目の前には銀魔の足が来ていた。

 槍で受け止めようとすると、すぐそこまで来ていた足はフッと消え、代わりに腹に蹴りが入った。

 「ぐっ・・・!」

 それでも持ちこたえていると、今度は後頭部を蹴られた。

 思わず槍を床につけて倒れまいとしていると、顔面を、銀魔の拳がノックもせずにやってきた。

 仰向けになって倒れてしまった黒夜叉の眼球スレスレに、クナイが迫ってきた。

 「はあ・・・はあ・・・」

 少し荒い二人分の呼吸だけが、その場を征服していた。

 いつまで経っても訪れない痛みと敗北に、黒夜叉はこう言う。

 「早く止めをさせ。そうすれば、お前の勝ちは確実だ」

 忍たるもの、いつでも死ぬ覚悟は出来ている。

 きっと、少しでも動けば眼球に傷がつくだろうくらいまで迫ってきているのだが、そのクナイは徐々に遠ざかって行った。

 そしてクナイの向こうに見えたのは、肩で息をしている銀魔だった。

 「上から物を言うんじゃねえって言ったろ」

 「そういうところが甘いんだ。敵に情けなどいるものか。さっさとしろ」

 「は。甘くても酸っぱくても結構だ。敗北を背負ったまま生きるくらいなら、死んだ方がマシってか?ふざけんじゃねえよ」

 「・・・・・・」

 クナイをカラン、と落とすと、銀魔も疲れたのか、その場に胡坐をかいて座った。

 「散ってなんぼの花と言われようが、俺ぁまた咲くその時まで待ちたい性分でねぇ」

 黒夜叉の部下との戦いを終えた飛闇、風雅、そして龍海も、銀魔の近くへと歩んでいた。

 「お日さんが毎日顔覗かせて、春夏秋冬、色んな花を見せてくれるがよ、散った後には誰も見やしねぇなんて、あまりにも酷だ」

 「何が言いたい」

 「敗北は恥じゃねえ。一回負けたくらいで、御先真っ暗なんてこたぁねぇだろ。生きて行く覚悟があんなら、敗北もしっかりと受け入れて、前見て歩くこった」

 「・・・一回じゃない」

 「あ?俺ぁ昔のことは忘れたよ」

 「銀魔さん?何の話をしてるんですか?」

 「ああ?何でもねぇよ。さ、決着はついたことだし、俺達は退散すっか」

 「「はい」」

 「龍海、あとよろしくな」

 「まあ、いつものことだしね」

 起き上がる気力もない黒夜叉の隣に腰を下ろすと、龍海が「そういえば」と続ける。

 「城主の生越、逃げたみたいだよ。これからどうするの?」

 「・・・そうだな」

 すうっと息を吸い込みながら目を閉じ、またゆっくりと吐きながら目を開ける。

 「またゆっくり、歩いてみるさ」




 「はあ、はあ・・・」

 永晶家から逃げていた生越は、城から少し離れたところに来ていた。

 いつもなら綺麗な洋服を身に纏っているのだが、今は姿を隠す為か、全身が隠れるような茶色の布を覆っている。

 「ふふ。永晶家なんてクソ喰らえよ。城と共に滅びるなんて、私は御免だわ」

 林の中へと入り、生越は道に迷っていた。

 とにかく、定妙炎家から追手が来ないとも限らないと、遠くへ遠くへと逃げることに必死だった。

 足元が土のため、歩き難いヒールで来てしまった生越は、もう靴が汚れようがなんだろうが、気にしていなかった。

 しかしその時・・・。

 「・・・!?」

 いきなり、空から何か降ってきて、生越はうつ伏せに倒れてしまった。

 すぐに起き上がらないとと思っていると、背中に何か重みを感じる。

 「?誰だ!?誰かいるのか!?」

 「・・・誰だとは、随分な言い草ね」

 「その声は・・・まさか、恵か?なんでこんなところに!?いや、丁度良かった!少し私を匿ってくれないか!?」

 顔は見えないが、透き通るようなその声は聞き間違えるはずのない、恵のものだ。

 「私を捕まえておいて、痛めつけておいて、助けてほしいですって?笑わせないで」

 「!!欲しいものなら何でもやろう!だから、逃げしてくれ!!」

 ふと、生越は何か違和感を覚えた。

 そうだ、確かに恵を捕まえて、牢屋に入れておいたはずだ。

 「お前、どうやって逃げたんだ!?」

 「・・・思いがけない人に出会ってね」

 「?どういうことだ?」

 すうっと、なにか冷たいものが生越の首にあてがわれた。

 それが何なのか、細かいことまでは分からないが、刃物か何かだろうことはすぐに分かった。

 思わずゾクリと身を強張らせた生越だったが、たかが村娘だった恵が、人を殺すなど出来ないだろうと思っていた。

 「あなたが捕まえたあの盗人ね、別人だったのよ」

 「!?そんなわけ・・・」

 「信じなくても良いわ。私だって驚いたんだもの。まさかと思ったわ。けどそれが真実。それから、私のことをずっと疎ましいと思っていたでしょ?所詮田舎の娘だと、心の中で蔑んでいたでしょ?」

 「そ、そんなことは」

 「良いこと教えてあげましょうか」

 「?」

 城で自分に忠実に仕えていた頃とは全く違う恵の雰囲気に、生越は恐怖を覚えた。

 唾を何度も飲みこむが、それでも足りないほどに乾いている。

 「私、本当は神流っていう名なの」

 「か、神流・・・?」

 「まあ、一種の通り名のようなものだけど。城に仕えたことも勿論あるけど、花魁になって何度もなったし、海賊になったこともあるわ。必要とあらば殺しだって幾度となくやってきたの。だから正直に答えて頂戴」

 ぐっと、首にあてがわれたソレにさらに力が入り、生越はぎゅっと目を瞑る。

 「・・・・は何処にいる?」

 「何?誰だ?それは」

 「正直に言いなさい。でないと」

 「ほ本当だ!私は、な、何も知らない!そんな奴、聞いたこともない!」

 「・・・・・・」

 どうやら本当らしいと、恵はふう、と盛大なため息を吐いた。

 そして首にあてがわれていたソレが少し離れたことで、生越は一気に逃げようと手足に力を入れる。

 だが、逃げることは出来なかった。

 「知らないなら、あなたは不要よ」

 「あ・・・・あ・・・・」

 鮮やかな真っ赤な血を首から噴水のように出しながら、生越は動かなくなってしまった。

 一方、それほど大量の血が噴き出したにも関わらず、恵は着ていた一番上の着物を脱ぎ棄てると、中に別の服を着ていた。

 「もう一度、探さないと・・・」




 「あれ?」

 黒夜叉たちの部下の後始末をしていた龍海は、大和がいないことに気付いた。

 あの戦いの中、上手く逃げたのかもしれない。

 「まったく。逃げ足だけなら一流だな」

 呆れながら龍海がそう言うと、家来たちが何か騒いでいた。

 どうしたのかと行ってみれば、黒夜叉に逃げられたとのことだった。

 「追うな」

 「瑠堂様!し、しかし」

 「追ったところで、到底敵わねえ相手さ。そうだろ?琉海」

 「・・・ええ」

 「しっかし派手にやったもんだな」

 「申し訳ありません」

 「いや、これだけの手練を、こんくらいの犠牲で負かせられたなら、上出来ってこった」

 城の修復には時間がかかるだろうが、永晶家からの戦利品があれば、きっとなんとかなるだろう。

 永晶家に仕えている女中たちは、行き場を失くしていたため、定妙炎家で雇う事になったようだ。

 瑠堂曰く、むさくるしい男共の中にいるより、綺麗な姉ちゃんがいた方が良い、ということだ。

 「瑠堂様は、どこまで知っておられたのですか?」

 「?何がだ?」

 「黒夜叉や、加勢してくれた者達のことをです」

 「・・・ああ、小さい頃、昔話みてぇに聞いたことがあるんだ」

 風に靡く青い髪はなんとも気持ちよさそうで、少し気温が高い時期に見ると、涼しげでもある。

 「昔昔あるところに、絶対に滅びないだろうと言われていた城があった」

 戦とはまるで無縁、改革に改革を重ね、どこよりも一歩先を歩んでいたとされている。

 戦はしないと、代々の城主は宣言していたため、忍などといった影たちも、影武者さえもいなかったと言われている。

 それだけ平和だった城が、一度だけ戦をしたことがある。

 それはおよそ9年も続く長く辛い戦いになったが、民衆が戦うと叫んだため、城主も戦うことを選んだ。

 しかし、死んでいく民衆を見て行くうちに、城主は気付いた。

 大切な民衆が一人、また一人と死んでいくのを見ても、まだ自分は戦うことを選ばねばならないのかと。

 城主は突如として、白旗を掲げた。

 それは民衆にとっては裏切りともとれる行為であったが、そのお陰で生き長らえた者達もまた、少なくはなかった。

 その戦から100年後、その城は歴史から姿を消してしまった。

 城もなく、人もおらず、まるで今まであったことが夢だったかのように、忽然といなくなってしまったのだ。

 「一説によれば、戦をしてしまったという城主の後悔で、一夜にして城の場所を変えたと言われている。本当に出来たかどうかは不明だが、不可能ではないだろうと、周りの城は言っていたそうだ」

 もうひとつの説によれば、もとからそんな城なかったのではないか、というものだった。

 「そんなことは万一にも有り得ないが、神隠し同様、城ごと、村ごと、消えたと言われている」

 その事件が起こったときの城主の名は、“空蝉”という。

 空蝉は男児で、空蝉が城主になった頃から、ある噂が広まっていた。

 それは、城にいる者達が全て忍なのではないか、というものだった。

 「全員、ですか」

 「ああ。確実な証拠は何もなかったが、そうなると、一夜にして城が消えた謎が、少しだけ分かる気がする」

 全員が全員忍であったとするならば、あの戦好きの永晶家と9年間も戦を続けられたことにも納得がいき、全員が一気にいなくなったことにも納得がいく。

 「民衆がそれを知っていたかどうかは定かじゃねえが、白旗を振ったのを見て絶望していたという表現からすれば、知っていたかもしれねぇな」

 「では、忍の手引きで、民衆もみなどこかへ避難したということでしょうか」

 「多分な。戦はしねぇと言っていた先代の言葉を裏切ってしまったことに対する自責の念。平和にすると誓った民衆を戦に行かせてしまったことに対する後悔。長引けば長引くほど、勝ち負けよりも、そっちの方が、奴らを苦しめたんだろうな」

 「しかし、忍だけで城が成り立つのですか?」

 「さあな。けど俺の爺ちゃんの話では、もともと負傷した忍とか、平穏を求めた忍、普通の人間の感覚を持った忍たちによって作られた城らしい。だからこそ、他の城には真似出来ないような設計とか、技術を持ってたんだろうって話だ」

 忍として産まれ育ったが、生きていく中で生き方を変えた者達。

 「んで、その空蝉ってのが、どうも奇妙な奴だったらしくてな」

 「奇妙とは?」

 「100年前の滅んだと言われている時には、確かに男児、という年齢に見えたそうなんだが、それより少し前に見た奴が言うには、屈強な男だったとか。別の奴は女だったとか言う奴もいるらしい。ま、その“男児空蝉”が何者なのか、今でも誰も分からねえ」

 空蝉は子孫を残し、またその子孫が子孫を残す。

 繰り返す生命の連鎖、今もその空蝉の子孫がいるのではと言われている。

 「まあ、嘘か誠か。今となっちゃあ、誰にも確認も証明も出来ねえことだけどな」

 「・・・・・・」

 「?どした?」

 「ああ、いえ。復興の見積もりでも出しましょうか」

 「ああ、そうだな。頼む」




 ひとひらの花、散りゆくさだめ。

 ひとかけの砂、掴めぬさだめ。

 ひとびとは皆、消えゆくさだめ。

 ひとさし指に、紡ぐはさだめ。


 灯掲げ、祈るは誰ぞ。

 拙い詞、唄うは誰ぞ。

 尊い願い、紡ぐは誰ぞ。

 契れぬ愛を、望むは誰ぞ。


 舞い散る花びら、掬う掌。

 揺らめく水面、零す夕暮れ。

 たなびく夜空、秘めた唇。

 永遠を知らずに、滅ぶも定め。



 「銀魔さん、銀魔さーん」

 銀魔たちは、またとある場所に小屋を作り、そこで生活をしていた。

 飛闇が獲ってきた鹿を調理した風雅は、銀魔の名を呼ぶが、返事はない。

 「ねえ飛闇、銀魔さんは?」

 「さあな。散歩じゃないのか」

 「もう。迷子になってたらどうするのよ」

 「迷子になるわけないだろ」

 「銀魔さん!どこ行ってたんですか!折角食事作ったのに!」

 悪い悪いと後頭部に手をあてて謝る銀魔だが、心から悪いとは思っていないだろう。

 ともあれ、三人して食事をしていると、飛闇が銀魔の腕に何か書いてあるのを見つけた。

 「銀魔さん、それは・・・」

 「ん?ああ、なんでもねえんだ。気にするな」

 指をさした途端、銀魔はすっと隠してしまったため、良く見えなかった。

 まあ良いかと、飛闇は食事の続きをする。

 腹一杯食べたところで、見張りをしている飛闇が銀魔に声をかけた。

 「銀魔さん、これからどうするです?」

 「これから、ねぇ・・・。まあ、じっくり考えるとするか。時代は逃げやしねぇからよ」

 そう言って銀魔は寝てしまったため、飛闇は見張りを続ける。

 かつて、この世界には科学や理屈では説明できない現象を持つ人間がいた。

 彼らは自らの命を懸け、城などに所属していたと言われている。

 その中でも、自由自在に見た目を変えられる者がいたという。

 嘘か誠か、その人物は、ある時には大柄の男、ある時には子供、ある時には老人、ある時には若者、ある時には女性、ある時には動物にも成りすませたという。

 常に自分ではない誰かの姿をしていたとされているその人物の顔を、見た者はいない。

 なぜなら、それが本当の顔なのか偽りの顔なのか、それさえ分からないのだから。



 「銀魔さん、銀魔さん・・・。ダメだ寝てる」

 「銀魔さんが熟睡することなんて珍しいわね。寝かせてあげましょ」

 「・・・そうだな」

 「・・・・・・」

 目に見えるものだけを信じていると、それが真実なのか虚像なのか、判断するのは困難である。

 しかし、それでも不思議なことに、違和感は隠せないものだ。

 「飛闇」

 「なんだ」

 「私が見張りするから」

 「するから?」

 「お茶碗洗って」

 「・・・・・・」

 こんな日常もまた、偽りで出来た世界なのかもしれない。



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