姉の子
開け放った窓から吹き込む風が、四方八方に飛び散らかる秋穂の髪の先をふよふよとなびかせ、暑さなどどこ吹く風という顔をしている秋穂とは対照的に汗びっしょりになっている真白の汗ばんだ首元や顔を気持ちよく冷ます。
何もない、ただ田んぼの広がる景色をつまらなさそうに眺めている秋穂に、
「もうすぐ着くから。」
あえて無愛想に抑えた声で告げた。
秋穂は、
「ん」
と無愛想に返した。
***
隣の家が見当たらない一軒家の駐車場に後ろ向きに車を停めエンジンを切った。
いつもであればエンジンを切ると無性に寂しいような気持ちになるのだが、今日は気まずい沈黙から解き放たれるという開放感が真白の心を浮き立たせた。
後ろのトランクから秋穂の荷物を降ろし傍に立っていたので見もせずに突き出すと、少しの間があり、
「荷物。自分で持って。」
訝しく思った真白が秋穂の方を向くと、秋穂は目をぱちぱちと瞬かせて、おずおずと受け取った。
トランクを閉め、鍵をかけ、家の玄関の鍵を開ける間、秋穂は年不相応に大人しく真白について来た。家の中に入っても興味がないようで、物珍しそうに見回す事もなく前を向いて黙ってついてくる。真白は良い加減疲れたが、25の人間が文句も言わずについてくる小学二年生に不満をもらすのもおかしな話なので黙っていた。
「荷物はここに置いとくこと。手、洗ってよ。洗面所はあっち。」
居間の隅に荷物を置かせ、反対方向を指差して洗面所の場所を教えると、秋穂はやはり黙って洗面所へ向かった。
子どもらしさの欠片もない。
子どもとはもっと可愛らしさのあるものではなかったか。
真白は小さくため息を吐いた。
***
秋穂は姉の子どもで、真白の甥に当たる。姉から預かってくれないかと言われ、半分強制的に預かることとなったのだが、真白は末っ娘で年下の面倒など見たことがない。全く、何をすれば良いのか分からない。
居間でアイスを食べながらテレビを見ていると、二階にいた秋穂が降りてくる音がして、居間でくつろぐ真白の前に現れた。
「…?どした。」
「お腹、空いた。」
「そう。ちょっと待って。素麺で良かったら茹でるけど。」
「食べる」
こくりと頷いて、卓の前にちょこんと座った。
二人分の素麺を茹で氷水に浸し、それをそのまま卓に並べる。
「わたしの分も入ってるから、一緒に食べるので良いでしょ?」
秋穂は、静かに頷いた。
車に乗っている時と同じ、気まずい雰囲気で素麺をたいらげ、片付けるために立つと、秋穂が落ち着かなげに視線を泳がせ指いじりを始めた。
「足りない?」
真白が尋ねるが秋穂は横に首を振る。真白は「そう」とだけ言って台所へ行った。
***
初めて秋穂が来た日でもあるし、風呂を洗うのも面倒だったので、真白としては大変不本意ではあったが、秋穂と真白の父親、母親、真白の四人で銭湯へ行くことになった。
相変わらず無愛想な秋穂だったが、着いたときより心なしか調子が悪そうな様子で、目を閉じて息を吐いていて、しかし聞いても平気としか言わず、それ以上の質問は受け付けなさそうだったので父も母も口に出すことはなく他愛の無い話をしつつ行った。銭湯に着いて男湯と女湯に分かれるとき、秋穂の表情が初めて動き気になったのか「あの」質問が秋穂の口から出た。
「あんた、女だったの?」
「うん」
そう質問されても仕方のない格好を真白はしている。
短く切った髪に男物っぽいチェックのシャツ、ジーパン。肩幅が広く胸が無いのでどこからどう見ても男にしか見えない。
心底驚いたらしい秋穂の表情が居た堪れず、真白はさっさと暖簾をくぐって中に入っていった。
中に入って刺すような視線を浴びたことは言うまでもない。
早々と上がってカフェオレを飲んで喉を潤す。ベンチに座る真白を男と間違えているらしい若い女が二人、照れたように口を覆って真白を見つつ通り過ぎて行った。
(ああ、居心地悪い)
瓶を煽ってカフェオレを空にして、回収ケースに瓶を戻したとき。
「真白!」
男湯から父親の慌てた声が聞こえた。ろくに頭も拭かず暖簾を分けて出てくる。
「秋穂くんのこと、何か聞いてないのか?紅生から」
「え?何かって?」
そんなことを言われても真白には覚えが無い。父親が訝しげに首を傾げて言った。
「あの子、心臓に何か病気を持っているんじゃないのかと思うんだけど」
【ーーーから、よく気を配ること。いいわね?】
頭の中に、姉・紅生の言葉の断片が浮かんでくる。
「…あ」
うっかり声を漏らしたところ、父親の拳固が飛んで来た。
真白に紅生て。親のセンスが疑われそうだなぁ。