7話
「いやー遅かったね。待ちくたびれちゃったよ」
この男はまた人の家の冷蔵庫を漁っていた。
人の家に遠慮も無く不法侵入し、そして冷蔵庫を漁るこの礼儀のなっていない男は、しかしなぜか靴は嫌に丁寧に脱いでいた。
「で、あのジュースは?」
「こないだお前が飲み干したろ」
「嫌だなー、買ってきてないのか聞いてるんじゃないか」
悪びれる様子も無く我孫子は言った。
悪びれる様子が無いどころか、断りの一言すら口にせずに冷凍庫から取り出したアイスを食べだす。
「まったく八神君、客にはもう少し高いアイスを出すべきだよ?」
「お前は勝手に食っておきながら何を言っている」
「うーん、やっぱりカリカリ君は美味いねぇ」
この男相手にまともに話をすることの場からしさを学んだ俺は、一方的に話を進めることにした。
「で、何で場所を移したんだ」
「そりゃ、あんなところじゃ必要以上に疲れるじゃないか」
我孫子は口にしていたアイスを早々と食べ終え、ビニールと木製の棒をちゃんと分別しゴミ箱に捨てたのはいいのだが、早速追加のアイスを食べるためか冷凍庫を開いた。
「おかわりは無しだからな――でさ、場所を変えたのは話をするためじゃないのか」
「おお、そうだった。うん、そうだったよ」
「いいからアイスはもう止めろ」
「仕方ないな、じゃあとりあえず話をしてあげよう」
はぁ、とわざとらしくため息を零すと、冷蔵庫を背もたれにして似合わない神妙な面持ちで話し出した。
「君はあの二人についてどの程度知っているのかな?」
「えーっと、普通の女子と男装した女子?」
「男装? 何のことか分からないけど、一見すればただの女の子と男の子だよ。いや、一見しなくたって、何度見したって女の子と男の子だ」
どうやら我孫子も遥の男装のことは知らない口らしい。ということはコイツもゆずに大笑いされる日がいつか来るのだろう。
「ただ、犯罪者なんだよ。罪は殺人」
「殺人?」
「そう、殺人。読んで字の如く、聞いて音の如く、人殺しだよ」
ありえない、あの二人が? 二人ともただの人だぞ、もちろんゴーストハンターとかやってても素のところはただの女の子だろ。そんな、人殺しなんて出来るはずが無い。そんなわけが、そんなわけが……。
平然と男を殴るゆずが脳裏に写る。
「ありえない、そんな顔だね。でも見たんでしょ?」
「いや、でもなにかの間違いで、それこそ事故とか!」
「事故? いや違うね彼女は意識を持って人を殺した。ああ、でも遥君は人を殺したわけじゃないよ。彼は自分も同じようなものだとずっと言い張っているけどね」
じゃあ何で、
「じゃあ何で二人は普通に生活しているのか、理由は簡単だよ。適合者だったからだ。しかも二人ともかなりの素質を持っている。だから僕らが引っ張り出してきたんだよ。君が一応牢に入れられていたのも犯罪者の可能性があったからだよ」
俺はここまで聞いてふと思う。
果たしてこんな話を聞かされる意味があるのだろうか。正直知らなくても言い話しだし、本人達が人に聞かれて喜ぶ話でもない。
「何で俺にこんな話をした」
「いや、特に意味は無いけど、一応これから先彼女らと付き合いが続きそうだったら、知っていて困らないだろ」
いや、非常に困る。我孫子はやはり作り笑いを浮かべっぱなしだが、非常に困るのだ。こんなこと聞かされてしまっては今後あの二人にどんな顔して会えばいいのか分からなくなる。いや、もう既にわからない。
『ピンポーン』
僅かな沈黙の隙を付くようにして、インターホンが、来客がやってきたことを伝えた。
「ん、お客さんみたいだね。家主に変わって僕が出てあげよう」
「おい、そこは『お客さんみたいだね、じゃあ僕は失礼するよ』でいいだろうが」
「おー八神君、僕のものまね上手いね、学校でやればきっと人気者になれるよ。次こそね」
最後の一言が非常に余計なものな気がしてならないが、それ以前に誰かも分からないものまねを突然ぼっちがしだしたら、クラスメイトとしてはそっと放置することを選択する人間がほとんどを占めるのではないかと思われる。
「まあ今日は八神君のアドバイスに従って失礼するとするよ」
「もう二度と家にくるなよ」
「ツンデレさんだね、分かってるよ」
我孫子はもう無視することとして、とりあえずインターホン越しに一言言っておく。
「すいません、少し待ってもらっていいですか」
『構わない。忙しければ日を改めてもいいんだが』
「遥か?」
『ああ』
我孫子の次は遥、それも恐らくはゆず無しだ。珍しいと言うかなんというか、とても嫌な予感がする。
「じゃあ、八神君またー」
そう言って我孫子は玄関を勢い良く開いた。
「すまなかった!」
遥の声が、それも大きな声が玄関から響いてくる。
「な、なんだ?」
何事かと小走りに玄関口まで向かったのだが、しかしそこでは全て琴が終わった後、ついさっきと同じように。
「よ、よぉ」
「お前が出てこないならそう言え! この馬鹿野郎!」
顔を真っ赤に染めて、地団太を踏むように何度か足を地面に叩きつけている。それだけではなく、あの冷酷なまなざしを向けるだけの瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「は、遥君……きゅ、急に酷いな――ぁ」
我孫子はなぜか――恐らくは遥が何かに関して俺に謝ったつもりが我孫子で、恥ずかしさ紛れに一発入れてやったのだろう――頬の辺りに大きな青あざを作っている。
「あがるぞっ! 我孫子、お前はとっとと帰れ!」
革靴を乱暴に脱ぎ捨て大きな足音を立てて玄関を上がってから真っ直ぐと進んでいく。しかし、その先にあるのは風呂場で、扉を開けても脱衣所が広がっているだけだ。遥は一体風呂場に何のようだろうか。
扉を開け、そこが脱衣所であることを確認した遥は、
「どの部屋に行けばいいんだ」
まだ苛立ちを感じさせる、息遣いの荒い言葉で俺に問うた。
「じゃあ、八神君頑張って」
「おい、早く消えろ。死にたいのか?」
我孫子の一言に対して、過剰なまでに瞳を暗い青へと変貌させ、いつの間にか手に握られていた闇色の銃の銃口が我孫子の頭をしっかりと射線上に捕らえた。
さすがの我孫子も無言で一瞥することも無くそそくさと去っていく。
「ふぅ、まったく。なんなんだあいつは」
苛立ちを隠す様子も無く、どん、と乱暴に椅子に腰掛けた。
「まあまあ、で。どんな用件があってきたんだ? 今日はちょっと疲れててな、手短に済ませてくれると助かる」
「ん、そうか。さっきは迷惑をかけて申し訳なかった」
そう言って静かに頭を下げた。その様子にはさっきまでの苛立ちなど微塵も感じられない。静かに、素直に、俺に対する謝罪の気持ちだけが伝わってくる。
「ただ、これだけは知っておいて欲しい、別にゆずに悪気があるわけじゃないんだ。ただ、あいつは正義感が強すぎるんだよ。特に弱者が虐げられたりとかはな」
それだけいうと遥は立ち上がり、――騒がせたな。と一言だけ言って立ち去ろうとした。
「それと、ゆずに救われた人間もいる。やりすぎなことは認めるがあまり責めないでやってくれ。じゃあ」
玄関先まで見送ろうと立ち上がる俺を手で制し、遥はすぐに出て行ってしまう。
「それだけ言うためにわざわざ……」
もう誰も座っていない椅子に視線を向け、小さく俺は呟いた。
というわけで、7話でした。
至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。