19話
臭かったかな? などと思いながら遥を見送ってから数十分。俺は夢世界にやってきていた。
「真っ白、だな」
つい最近まで黒いひまわりが咲き誇っていた世界は、初めの頃のように白色を取り戻していた。そして俺はあの後姿を見つける。
「こんにちは」
現在の時刻など知ったこっちゃ無いが、別に細かいことは気にしないでいいだろう。
「こん、にち……は」
男の声、女の声、老婆の声、それぞれ順番に女性は声にしていった。
「ぎこちないけど、しばらくすれば、喋りなれて、来る。と、思う――から。我慢……して?」
「分かりました」
その後彼女の提案により、リハビリを兼ねて他愛のない話をした。食べ物だとなにが好き、とかそんな類の本当にどうでもいいようなそんな話ばかりだった。
「花だとひまわりが好きかな」
彼女は言った。
大分ぎこちなさのなくなった喋りに、声のほうも女性の声に落ち着いていた。どうやら彼女としては、声のほうにまだ違和感が残るらしいが、多少は許容範囲ということで俺が兼ねてから気になっていたことを聞く。
「そう言えば名前、教えてくれません?」
「気付いてくれるまで教えないよ」
にっこりと笑う彼女は実に楽しそうである。現実を忘れて俺まで笑みがこぼれるほどだ。
「ヒントとかも?」
「もちろん」
「じゃあ何者なんですか?」
「君のお友達」
楽しそうにする彼女を見ていると、飽きが来ない。けれど、同時に俺の心にはじれったさみたいなものも生まれていく。彼女が誰なのか、知っているはずで思い出せないその謎に、どうしても焦ってしまう。
俺の時間は残り少ないのだから。
「あ、あー、あー」
「どうしました?」
「まだしっくりこないんだ」
しっくりこないというのは、声質のことだろう。喋りはもうぎこちなさなど感じさせない完璧なものだ。
「おっと、君にお客さんみたいだね。また今度」
そう言って彼女は手を振った。
「バイバイ」
最後そう小さく言葉を添えて。
「え――」
次の瞬間には俺は現実にいた。そして客というのは我孫子だった。しかしそんなことはどうだっていい。どうでもいい。
「……琴音」
最後の小さな声で発していた言葉、たった四文字の言葉、普段ならばただの別れの言葉。しかし、今回はとてつもなく大きな意味を持つ言葉だった。懐かしくて温かい、きっといつまでも一緒にいるんだろうとまで思った相手の声。忘れるはずもない。あれは絶対に、確実に、琴音の声だった。
「ことね? 彼女かい、まったく隅に置けないなー。泣くほど恋しいのかー、羨ましいね」
茶化す我孫子のことなどどうでもいい。琴音は生きていた。あの世界で、あの真っ白な世界で、生きていた。
「八神君? 聞いてる?」
「何しに来た? 早く用を言え。俺は今とてつもなく忙しい」
「ええっとだね。あと三時間だ、一応ね」
「ああ、そうか。頭の端に置いとく。用は終わったのか?」
「え、まあ。そうだね」
「じゃあ、早く帰ってくれ」
「じゃあ、また」
困惑顔で俺に軽く手を振る我孫子に、顎で出口を指して早く帰れと催促する。俺に訪れた一つのいい知らせに心躍らせ、もう一度目を瞑った。
「琴音、か」
「ピンポンピンポン、大正解」
すぐに来ることの出来たこの世界で俺は一つ、小さな問題を解くことに正解した。しかし、正解したらしたで別の疑問が湧いてくる。
「ここは本当に俺の夢の中なのか?」
「わたしは一回も夢の中だなんて言ってないよ」
早とちり、ということか。
「とりあえず」
琴音はそう言い目をごしごしと擦った。すると、ずっと陰になって見えてなかった目の部分があらわになる。
「じゃじゃーん」
子供っぽく言う姿は、今の大人らしい容姿とはまったくかみ合ってない。
「別に隠す必要なかったろ」
「いいの、目元が見えたらすぐに分かっちゃうかもしれないでしょ」
「そうか?」
「そうなの」
見た目と精神年齢とのギャップが大きい。言葉遣いだったり、喋りながら体全体を使って会話している感じとか、声ももちろんそうだ。見た目からイメージしていた人とは大分違う。しかし、その動きや喋り方はどうやっても琴音のそれで、それはそれでありかな、と思わせてくれる。
「でさ、ここはどこなんだ?」
「さー、どこでしょう? みょーくんも知ってるよ」
みょーくん、という懐かしいあだ名に頬が熱くなるのを感じた。久々にそう呼ばれ、しかも高校生になった今現在である。恥ずかしくないわけがない。
しかし、そんな俺の気持ちなどどうだっていいのか、琴音はにこにこと俺からの回答を待っている。
「ヒントくれ」
「だーめ、自分で考えてください。時間切れになったらまた呼んであげる」
「また呼ぶ?」
「うん、また呼ぶね。期待してるよ相棒!」
そう言って手を振った。もちろん琴音が浮かべるのは、ひまわりのように大きく元気に花開く満面の笑み。
現実に帰ってきた俺はすぐさまあの場所で見たものを整理する。
白一色の世界。
黒いひまわり。
黒く淀んだ空気。
琴音。
こんなものだろうか?
この少ない情報であの場所がどこか――といっても俺の意識が現実にないと考えられる以上、現実に存在する場所ではないだろう――を当てるというのは困難だと言わざるを得ない。
「期待してるよ、相棒――か」
うむ、意味が分からん。俺はアイツの相棒なのか。なるほどなるほど、で俺はいつどんな風に相棒になったんだ? いやはやまったく思い当たる節がない。相棒、これがヒントだったりしそうなんだが、まったくもってヒントが意味不明だ。出来ることなら辞書でも引いて意味を調べたい。
可能な限り頭を働かせ俺は考えた。アイツの、琴音の期待にこたえるために。
「なにか考え事?」
そう言ってやってきたのはゆずだ。
「あのね、ほらすごいでしょー全然本物と変わらないんだよ」
そう言って無邪気に笑い左腕を俺に向けてきた。
それは俺を責めているのか、素直に喜んでいるのか、すごく分かりづらい。しかし、少なくとも俺が返す言葉を探している間にゆずは勝手に解釈をし、話を別のものに移していく。
「そっか、今喋らないんだっけ?」
じゃあ仕方ないね、と寂しそうに笑いながらいつかのようにゆずは膝を抱える。
「あのね、今からわたしと遥は行ってくるよ。ついつい忘れちゃうけど、わたし達は犯罪者だからね、自由のために、目的のために戦わないと。結果が見えていても、ね」
真っ直ぐと俺の目を見てゆずは言った。俺を見るその目は力強く、そして優しい。俺はどんな目をしているだろう。きっとくすんでいるに違いない。
「君は頑張って生きるんだぞ。死にたいとか言っちゃだめだよ」
ああ、きっと目の前で座り込んでいる少女はきっと死んでしまうんだろう。俺はそう思った。そしてそれはきっと、近い未来俺の耳に我孫子辺りから伝えられる。そこまで分かっていても俺は何も出来ない。なにかをする気力が湧いてこない。問題の答えを探す邪魔が入ったとさえ、一瞬でも思っていた自分がいた。
「良かったら来てよ」
さながら暇なら遊びに来てよと言うかのように、重さなど微塵も感じさせない、心配になってしまうほどに気軽に、気楽に言った。そしてきっと今からゆずは目的地に向かう。自ら結果が見えていると言いながらも、なおも逆らうことなく、泣き言を零さず歩いていった。
「ああ、そうだ。冥利君の相棒はまだ回収されてないからね」
最後にそんな言葉を置いて、俺を置いて、彼女は進む。
どこか浮き足立っていた俺の足は、しっかりと地面を捉えた。俺は今生きていて、彼女は死んでいて、彼女達は死へと近づいている。
きっと死んでしまった幼馴染に会えたことを、喜んでいる場合なんかじゃない。暢気にクイズの答えを探している場合でもないだろう。じゃあ俺はなにをするべきなんだ?
「……分からない」
誰も答えてはくれなかった。現実も、夢も、自分で考えろと俺に冷たく言っている。
そんな中、現実は俺に一人の人物がやってくるのを教えた。足取り軽やかとはとても言えそうにない足音が、一歩一歩噛み締めるように近づいてきていた。我孫子か遥かボスか、きっとこの三人の内の誰かだろう。
「終わったよ。僕はもう彼女達の無事を祈るしかない」
いつもヘラヘラと笑っている我孫子が、今日ばかりは、今ばかりは疲れきった顔をしている。その顔は今までの疲労だけでなく、これから起こるであろう事を想像し、考え、それらを含めて疲れているのだろう。
「はは、こんなときに後は子供に任せるしかないってのはなかなか……なかなかだよ」
そんな中でもしっかりと持ってきていたパイプ椅子に腰掛けた我孫子は、両手で顔を覆い嘆いていた。
そんな風にしている我孫子を見ていると、つい思ってしまう。
今回の事の発端は俺で、苦しむべきなのは、痛みを味わうべきなのは、死の危険に晒されるべきなのは、他の誰でもなく俺自身なんじゃないのか? と。
「みんな覚悟を決めた。援軍も呼んだ。出来ることはやった」
呟くように我孫子が言う。
「八神君、鍵はここに置いていく。好きにしてくれていいよ」
そう言うと我孫子は牢の中に鍵の束を投げ込んだ。そして立ち上がり、
「僕らに出来ることはもう終わった。後は敵が来て、みんなが倒してくれて、帰ってくるのをいつものように待つ」
一言一言確かめるようにしっかりと口にした。いつもなら残していくであろう別れの言葉すら残さずに、我孫子は戻っていく。
我孫子愁という人間の今までに見たことのない一面が、俺に少しだけやらなければ、という気持ちを生み出させる。
タケミカヅチ、お前なら――
いつものように、今までのように、幾度と無く繰り返した行為を繰り返す。そこにタケミカヅチをイメージし、顕現させる。
「あっ」
目の前でタケミカヅチが現れようとしている、丁度そんなタイミングで俺は強烈な目眩と頭痛に襲われ、気が付けば意識を手放していた。
というわけで、19話でした。
至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。




