14話
遥視点です。
ボクは言った。
八神の顔に走る黒い亀裂。これがなにを意味しているのかは分からないが、それは本来人間が病気や何かでなるものではないことだけはすぐさま理解できた。
「俺が敵? ありえないだろ」
「そうだね、ありえないよ――いつもなら」
ゆずも概ねボクと同じことを思ってくれているようだ。
八神の両目が慌ただしく動いている。
「や、やめろ。そんな目で見るな。そんな、そんな、そんな目で――」
ボクは彼が壊れていくのを静かに見ていた。
彼が一言発するたびに亀裂は広がっていき、もうそろそろ彼の顔の半分ほどを蜘蛛の巣状の亀裂で覆いつくそうとしていた。
「見るなぁぁぁ」
雄叫びを上げた彼は刹那とも言える僅かな瞬間でタケミカヅチを手に取り、そして抜いていた。標的はボク。
亀裂の走っていた部分の皮膚が、走る勢いに負け剥がれていきついには顔の半分がゴーストのような黒に、闇色に染まってしまう。
刃はボクの肩口目掛け振り下ろされた。ここまでくれば即座にターゲットをゆずに移すことは無いだろう。
「上出来だ」
ボクは言いながら両手に握ったままだった二丁の拳銃をクロスさせ、振り下ろされるタケミカヅチを受け止める――しかし勢いは止まらず、そのままの勢いでボクを切り殺そうとしている。
すぐさま飛び退きかわすが、たった一度の接触でボクは理解した。
「ゆず、あれとは戦うな。どんな汚い手でもいい、取り押さえるぞ」
「えっ? あ、うん」
まだ何か回りに被害を出したわけではない八神をゆずは好き好んで攻撃をしたりは出来ない。しかしそれは裏返せば被害を出せば殺しに掛かると思っても構わないだろう。
さっきから五月蝿くなっている三つの携帯に告げられることは唯一つ、脅威を排除せよ。に間違いない。それを告げるのがボスか、我孫子か、それ以外かの違い程度で他には大した違いなど存在しないだろう。
「もしもし」
ゆずが電話を取った。
ボクは思わずため息を零す。今この状況で電話なんてしている場合ではないし、そもそも用件は分かりきっている。それ以前の問題として、両手が使えないなんて容易に想像が付くのに、未だに携帯で連絡を取ろうというのはいかがのだろうか。せめてインカムのようなものを使うべきだ。
「遥、何があっても冥利君は生きて連れ帰るよ」
平静を装ってはいるが、ゆずは確実に腹を立てていた。証拠に携帯を宙へと投げてボクに『撃て』という指示を出してきた。ボクは指示通りゆずの携帯を打ち抜く。人でなくなったとは言え八神はそこまで馬鹿ではないようで、ボクに生まれた隙を付くように突撃してきた。しかしボクは構うことなくゆずの携帯を打ち抜く。
ボクの喉元まで迫っていた切っ先はゆずのトンファーによって弾き返される。
顔だけでなく、手も黒く染まっているのを見て、ボクは思う。
八神冥利、所詮はその程度なのか? ボクが見たゆずを助けたあの強さはどこに行った? みっともない、もったいない、ここでお前はだめになるような人間なのか?
「ボクを落胆させないでくれ」
普段のように構える。しかしトリガーからは指を外し、あくまで取り押さえるだけと我が身に言い聞かせる。
「グルゥゥゥ」
獣のような低いうめき声で八神はボクに答えた。
「ゆず、どう思う?」
「たぶん、ゴーストになりかけてるよね」
こんなことが起こりうるのだろうか? 現実として目の前で起きている以上否定することは出来ないが、少なくともボクは前例を聞いたことがない。もし八神が完全にゴーストになったとして、人間に戻れるのか。殺すしかないのか。それすらも分からない。
「気絶させるくらいなら出来るよな」
「やるしかないよ」
ゆずは笑って答えてくれる。
ゆずはいるだけでボクは強くなれる気がする。ゆずはボクのヒーローだ。
「ボクが行く」
「フォローは任せなさい!」
ボクはゆずの言葉を聞くや否やすぐさま飛び出し八神との距離を詰める。
純粋な近距離型である八神とは、ある程度距離をとって戦えば決して不利ということはない。しかし、下手に撃って殺すわけにはいかない以上ボクも近距離で戦うしかなかった。
振り下ろされるタケミカヅチを紙一重のところでかわしながらボクは一つ気が付く。
「雷を纏っていない?」
振り下ろされたタケミカヅチがボクを捉えられなかったことに気付くと、八神はすぐさま刃の向きを変え切り上げる形でボクを襲う。
気のせいでないことを確かめるためにも、ボクは両手に持った拳銃で襲い来る刃を受け止めた。やはり雷の姿はない。
受け止めた瞬間、僅かな時間でそれを確認できたことは良かったのだが、しかし人とは思えぬ力が込められた斬撃にボクは弾き飛ばされる。宙でバランスを取り、着地を決めるのを見届けることなく――恐らくは弾き飛ばされた瞬間に走り出していたゆずがボクを弾き飛ばした直後の――隙が生まれた八神へと突撃する。
「せいっ」
力のこもった声を出し、ゆずはトンファーでなく自らの足を武器に、回し蹴りをするような形で八神の首に足先を叩き込んだ。鈍い音が響く。
「んなっ!」
ゆずが驚いて思わず飛び退いた。無理もない。なぜなら、首の骨が折れていてもおかしくない攻撃を、体を少しよじる程度ですぐに反撃をしようと両手をタケミカヅチに添えていたのだ。
飛び退きながらゆずは自分に向かってくる刃に備えていたが、
「ボクを忘れるな」
それを阻止するために膝を狙い三発発射する。全弾当てるつもりで撃った弾丸が、どれも完璧に弾かれてしまう。それも一度上段からの攻撃のために振りかぶっていた刀を一瞬のうちに足元まで引き戻し、さらには向かってくる弾丸を全て弾いて見せた。
人間の出来る動きの範囲を逸脱した動きにボクは呆気にとられてしまう。
「援護たのむ」
ゆずが短く言った言葉ですぐに正気を取り戻し、ボクは八神の足元や、頬をかすめるようにして何発か撃つ。当然、ボクを苛立たしげな顔で睨んでくるが、目の前から迫るゆずを無視するわけにもいかないようで、攻撃対象を選べずに一瞬の躊躇のようなものが生まれていた。その隙にゆずは八神の懐えと飛び込む。
「次こそ落とすっ!」
咆哮にも似た大音量で叫ぶゆずは、体をよじりながら片方でカケミカヅチを握る手を殴る。そしてもう片方は八神の顎を捉えた。ゆずの繰り出した攻撃は、一瞬効果を見せたように見えた。僅かに足を下げたからだ。しかし、それは怯んだのではなく――
「あああああああああああ!」
ボクは声帯が潰れてしまいそうなほどに大声を上げた。視界には左腕から先が綺麗になくなっているゆずがぼんやりとした顔で立っている。八神の握る刀には赤黒い鮮血を纏っていた。
これは夢か? 夢なら早く覚めてくれ、こんな夢ボクは見ていたくない。こんなへどが出るような夢、今すぐに終わればいいんだ。
ボクの心とは裏腹に体は機械的に動き、八神を襲う。
ボクのヒーローが……。ボクが守らなきゃいけなかったのに……。ボクが無能だから、ボクが雑魚だから、ボクがクズだから、ボクが弱いから、いつも僕の変わりにゆずが痛い目に遭う。
いつだって、いつだって、いつだって、こんな風になる。だからボクがゆずを守るって決めたのに、
「ふざけるなよ。お前は絶対に許さない、絶対にだ」
目の前で黒く染まった片目をボクに向ける八神にそう宣言した。
しかしその言葉はどこか自分に言っているようにも感じられた。
というわけで、14話でした。
至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。




