11話
「八神君、やれば出来るじゃないか」
「やらなきゃ殺されてたからな」
不貞腐れたように俺は言う。
あれから少し経った今日、例によって我孫子の呼び出された俺は今現在公園にやってきていた。ついこの間戦闘があった公園ではなく、我孫子の職場――ゴーストハンター日本支部――近くの古びたベンチしかない公園だ。
果たしてこの公園は子供達の遊び場になっているのだろうか?
「ははは、まったく素直じゃないな」
困ったように我孫子は笑いながらここからが本番だ、と言わんばかりに表情を引き締めて、いつもの飄々とした雰囲気をどこかへと追いやった。
「これで君は僕らの……そうだね、犬になる訳だ」
犬になる――その言葉はどうしても聞こえが悪い。誰が好き好んで犬になんかなりたいものか。
それに、理由も意味も俺は持ち合わせていない。
「ボスや、ゆずちゃんは意味とか理由とか、そんなことを気にするし無ければならないと考えているかも知れないけど」
我孫子が俺の心を呼んだかのようにそんなことを口にした。
「僕には二人の言う意味や理由がいまひとつ、分からないんだよ。なんだろうね? 八神君には分かるかい?」
「わかんねぇよ」
「だよね。君はたまたま力を手に入れただけだ。それだけだ、意味も理由もない。けれど君は戦わなければならない。嫌になったら逃げるといいよ。そしたら何か見つかるかもしれない」
わけの分からないことをいいながら我孫子は俺の背中を叩いた。
結局何が言いたかったのか分からないが、しかし俺がこれから戦わなければならないことは分かった。よくよく分かった。意味はもう無いけど、理由はもう無いけど、俺は戦わなければならない。
湯船の中で俺は考えていた。
「何で俺は初めの頃、逃げずにあそこにいたんだろう。戦えるはずも無いのに」
それまで当然のようにゴーストが出ると分かっている区域に立ち入り、ゴーストやゴーストハンターの戦闘を盗み見たりしてきていたが、どうしてそんなことをしていたんだろうか?
俺はたった一、二週間前のことを思いだせずにいた。
俺は何がしたかったんだろう。どうしたかったんだろう。もう何もかもが良く分からない。俺はどうすれば良いんだよ。
「クッソ」
手の平で思いっきり水面を叩く。
そんなことをしたところで何も起きないし何も変わらない。分かっていても、もやっとしたこの気持ちをぶつけずにはいられなかった。直後に起こる静けさの中に、インターホンが乾いた音を鳴らした。
「タイミングが悪すぎるだろ」
俺はすぐに脱衣所まで出ると、体をさっと拭き、上下共に服を着ると、まだ生乾きの髪の毛を、バスタオルで拭きながら客人を出迎えた。
もう夜の九時だと言うのに誰だろうか?
「こんばんはー。遅くにごめんね」
真っ先に陽気な声と共に顔を出したのはゆずだった。だからなんでみんな俺の家を知ってるんだ。俺の個人情報はどこから漏れ出してんだよ。
「ゆずがどうしても今日が良いって駄々をこねたんだ。すまない」
ゆずの後ろでそういうのは間違いなく遥である。
なるほど、今回俺の個人情報を軽々しく口外したのは遥ということか。この感じだとそのうちボスまでもが来てしまいそうで恐ろしい。まあ、ボスは俺の個人情報くらい知っていても不思議は無い存在ではあるが。
「お邪魔しまーす」
ゆずはそう言って靴を脱ぐとずかずかと人の家に侵入した。
「上がっても大丈夫か?」
「ああ、ゆずは上がってるしな。気にするな」
「すぐに帰るように心がける」
「ああ、助かる」
俺たちの会話など聞いているはずも無いゆずは、天真爛漫な笑みと共に、やはり陽気な声でいつかの張るかのように尋ねてくる。
「どこの部屋に入ればいいの?」
「手前の扉に入ってくれ」
「りょーかーい」
ゆずは言うと遠慮なく扉を開き、大股で部屋へと入っていった。俺たちもゆずに続く。
一足先に部屋に入ったゆずは、俺たちが来る前に一通り部屋を物色したのか、おとなしくソファーで正座していた。
「ソファーに正座かよ」
「おうよ」
ゆずは答えると、遥に視線を送り、視線だけで何か話をしているようだった。
「ボクはゆずの用が終わるまで外で待っている」
「せめて廊下にしとけよ。もう秋だし外は冷えるぞ?」
「いや、外のほうがいい」
遥は静かに部屋を出る。そして俺はいつに無く難しい表情でこちらを窺っているゆずと二人きりになってしまった。
いつもならヘラヘラと笑いながら、止め処なく言葉を口にしていそうなゆずが静かな今俺はどうすればいいのだろうか。
心の中で頭を抱えて考えた俺は、一言、口にしてみることにする。
「あれから大丈夫だったか?」
「うん、体はなんとも無いよ」
力瘤を俺に見せ、一見するといつも通りの笑顔を浮かべた。しかし、どこかその笑顔にぎこちなさを感じてしまうのは気のせいではないだろう。
「……今日はどこか行った帰りだったのか?」
「うん、病院帰りにのらりくらりとしてから来た」
「病院?」
「一応体に異常が無いか調べてたの」
「そうなのか」
……頼むからいつも見たく喋ってくれ!
心の叫びが届くわけも無く、再びの沈黙はしばらく続いた。そしてそれを破るのも、再び俺の仕事らしかった。
「教えてくれれば見舞いくらい行ったのに」
「うん、ホントに大したことなかったから」
俯きながらゆずは言う。
なぜかずっとこの調子である。正直気まずいったらありゃしない、せめてもう少し元気を見せてくれれば空気が軽くなるというものだが、遥が退室してからこっち徐々に徐々に暗さと俯き加減が酷くなっているように思える。
「よしっ、冥利君お水頂戴!」
自分の太ももを強く叩くと、ゆずは立ち上がりそう言った。
「お茶とかジュースじゃなくていいか?」
「りんごジュースがあったらそれで」
照れ笑いの混じったゆずに、ようやくいつもの調子が戻ってきたことに少しほっとしながら俺は冷蔵庫からりんごジュースを取り出し、コップに注ぎゆずへと差し出した。
「はいよ」
「ありがとう」
勢い良くコップを手に取ったゆずは、それを一気に喉へと流し込み、カッと大きく目を見開いた。
「この間は本当にありがとうございました」
初めて聞くようにも思う丁寧なゆずの言葉と、夜にしてはやや大きすぎる声と、なにより自分の嫌なもの見たくない一身でやった行為で感謝された驚きたじろいでしまう。
「……いや、そんな、別に」
ずっと頭を下げたままのゆずになんて言葉を掛ければいいのか分からず、あれこれと口に出しかけて引っ込める、そんなことを続けている俺だったが、長い髪と髪の間から、僅かに覗いた耳が真っ赤になっているのを見て、なぜか心に余裕が生まれた。
「感謝なんかしないでくれよ。あれは俺が二度と見たくない光景だったからあんな風に何も考えず、暴走気味にやったことなんだからさ」
「でも、助けられたから」
そう言ってゆずは頑なに頭を下げ続けていた。
「下手すればゆずを俺が斬ってたかもしれないんだぞ?」
「今、わたしは生きてる」
俺が何かしなければ、言わなければ、いつまでだって頭を下げ続けていそうなゆずに、俺は言葉を選びながら口にしていく。
「おあいこ、じゃだめかな? 俺だって前助けられてるしさ」
「ダメ、わたしは困ってる人を助けるために生きてるの。だからだめ。わたしがしたのはわたしが生きる理由だったからしたんだよ」
「俺だってそうしたい理由があったからしたんだ。別にいいだろ、結果としてゆずを助けることに繋がっただけ」
あの時のことは正直言ってはっきりくっきり覚えているとは言えそうに無かった。ぼんやりとした輪郭だけしか見えていない。しかし、それでも絶対の自信を持って言えることはあって、それはあの時と同じように目の前で人が喰われるのを見たくなかった、無力な自分を知りたくなかったという理由でタケミカヅチを抜いたことだ。そこにゆずを助けたい、という思いは――とても本人に直接は言えないが――一切存在してはいない。
「今日は遅いし、そういうことにして終わらないか?」
時計を見ればそろそろ十時を迎えようかとしていた。
およそ一時間の間遥は外で待っていたことになる。本人に言えば体に風穴の一つや二つ開けられそうだが、遥は女の子だ。未だに信じがたくはあるが、女の子である遥を夜に外で放置するというのはやはり心配である。
頭を下げたまま、一時間ずっとではないにせよ、しばらくはその体勢のままでいるゆずだって疲れているはずだ。しかし、ゆずは俺の申し出にうんともすんとも言わない。
「遥が風邪引いてもよくないだろ?」
「……分かった」
しぶしぶといった雰囲気は嫌なくらいに漏らしているが、ゆずはようやく顔を上げてしばらくぶりに俺と正面から顔を合わせた。
「遥が待ってるから行くね」
「ああ」
それを最後の会話に、ゆずとは玄関を開けるまで一切言葉を交わさなかった。
「待たせて悪かったな」
「ボクは問題ない」
眠そうに目を擦りながらいつものようにぶっきらぼうに言う遥に、ようやく普段どおりのものを見つけた喜びにも似た感情が湧いてくる。
「二人とも夜道には気をつけろよ」
遥だけが俺の言葉に手で返事をして、二人は夜の闇へと消えて行った。
というわけで、11話でした。
至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。




