4:尋問室の中で 2
その言葉は、大きく尋問室に響いた。
少女を見据えた2人は、黙ってその目を見開いていた。
しばらくの静寂の後。
「……幸せ?」
バクスは驚いたように少女を見返し、その言葉を反芻する。
少女は、ただ何を言い返すでもなく頷いた。
嘘をついているようには見えない。
バクスは、重ねて問いかけた。
「……幸せを?探しに来た?…… "ここ"に?」
少女は、やはり考える間もなく頷く。
それを見て、バクスはその言葉も嘘でない事を悟った。
つまり、この少女は幸せを探しに来た。
この、名誉階層都市に。
永い間閉ざされていた大門を、どうにかして開いて。
そこまで思考が廻った直後。
「……ぶっ」
「う、うは、うははははははははははははははははははははははは」
尋問室に木霊したのは、爆笑だった。
音源は、もちろんバクスである。
少女は目を丸くして、目の前ではじめてしかめ面意外の表情を浮かべたバクスを見る。
爆笑は声だけにとどまらない。
膝を叩く。
机を叩く。
バラドラルを叩く。
3度叩いたところでいい加減にしろとバラドラルに殴られても、その爆笑は留まるところを知らなかった。
そんなバクスを見て、少女は目の前の男がなぜこんなにも笑っているのか理解ができなかった。
首を傾げる。
そんな少女を見て、噴き出してきた涙をごしごしと拭きながら、バクスはようやくまともに口を開いた。
「あ、ああ、ぶふっ、悪いな嬢ちゃん、あんまりにもメルヘンで傑作なジョークを聞いたもんだから、つい、……おえ」
息も絶え絶えに返す。
そんなにおかしいことなのかと、少女は1つも知らない頭で考えて、もう1人、バラドラルをみる。
バラドラルの方も、笑いはしないものの、驚きと怪訝のこもった目で少女を見返していた。
怪訝……いや、単に余所者の少女の知識不足への不審、それだけではないことを、少女はなんとなく読み取ることが出来た。
……同情、であろうか。
と。
「まぁ、なに、ああ、そうか、記憶喪失だしなぁ、何も知らないとはいえ、よく来たもんだ本当に
――"平和ランク万年最下位"の、この名誉階層都市に!」
バクスが口走る。
それだけ言うと、またも「ぶふっ」と噴き出して、笑いだしてしまったが。
少女は、そんな彼の言葉に気になる単語を見つけ出した。
「……"平和ランク"?」
聞き返す。
「ああ、そんなレベルで知らねえんだ」
ひいひいと息を漏らしながら、バクスはようやく落ち着いたらしく息を整える。
そして、少女に向き直った。
「そんじゃあ、自分の吐いたジョークの意味がわかる程度には、教えてあげようかね。この世界の知識、ぜーんぶどっかに忘れてきちまったんだべ?」
「……わかんない」
「てこたあそういうことさ」
首を降る少女にまた笑い。
バクスは指を一本たてて、少女に丁寧に話し始めた。
「さて、それじゃあまずは、この世界がどうやってできたかを教えるぜ……」
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「……いまじゃ誰も知らねえくらい昔に一回、俺たちが住んでるこの世界には、何にもなくなっちまったんだとさ」
「なんにも?」
「そう、何にもだ。文明も、生き物も、世界そのものもな。とーんでもねえ"何か"があって、そうなったらしい。
その前に文明とかが存在してたのかは誰も知らねえが、そこら辺はいろんな宗教やらが脚色しまくって神々の楽園がーとか色々推測とか創作とかしてやがるみたいだぜ。この都市にもそんな話を描いた映像作品やら本やらが……あー、中級とか、上級階層にある。下級の連中はそんなもん読む暇あんまねえだろうな。
まぁ、とにかくだ。その、むかしむかしにあったそれらが全部なくなっちまったそのとんでもねえ"何か"のあと、また命が芽吹いて新しくできた文明ってのが今俺らが生きてるこの世界だ。
ここまでは理解できてるか?」
「……うん」
「上出来だ。でだな、これから説明する"平和ランク"ってのが、これから話す、その"世界が1回なくなった理由"ってのに関係してるわけだ」
見た目の幼さとどこか呆けた態度の割に賢そうだと頷き、つつがなくこの世界についての基礎知識を教えたところで、漸く安心してバクスは少女の疑問の解消に取りかかる。
「世界がなくなったとんでもねえ事がなんなのかは知らねえ。知らねえが、それだけにいろんな推論が飛び交った。さっきちょっと挟んだように、宗教だったり、完全なおとぎ話だったり、自然現象だったりとかな。その中で、もっとも有力視された、いや、問題視された推論てのが
――その、とんでもねえ事ってのが、もし前にあった文明での、とんでもねえ戦争だったとしたら、って可能性だ。」
「そりゃあ、ビビるよな」と、さして怯えた様子もないバクスとは対照的に、少女は顔を固くして頷いた。
「あたらしい世界の住民である俺達からしたら。前にあったのが文明だか何だか知らねえが、とにかく自分たちで世界滅ぼしちまったんだとしたら、おとぎ話の魔王なんかよりもよっぽどおっかねえ現実味がある。
だからそんなことにならねえように、この世界の人間たちは自分達の各国家を"無血の円卓"っつー1個の同盟で結ぶことにした
ーーそのときに出来たのが、その"平和ランク"の制度ってわけだ」
そう言うと、バクスは少女に人差し指を向けた。
「簡単にいうと、平和の度合いってのを数値化して、そのランクが高いところを他の国が支持する。支持された国はさらに平和のために他国に手助けだったり制裁だったり、まぁ色々管理じみたことをしたりする。逆に低いところは高ランクの国から監視されたり、場合によっちゃ高ランクからの制裁だったり指導だったりを受ける立場になる、って制度だ」
「……制裁」
「そ。まぁあれだ、学院とか教会とかでで素行不良の生徒が……って学院もわかんねぇか。とにかく、あんまり荒れてる国にはお偉い国がお灸をすえに行きますよって話さ。
……そのランクが最下位の意味はわかるだろ?」
と、少女を見据えて苦笑する。
「一個しかねえ門が、今までずーっと開いてなかったんだ……お嬢ちゃんが来るまでな。
当然、同盟の体裁もなっちゃいないし、そもそも他国からは俺たちはでけえ箱にしか見えてねえ。
なんたって俺達も他都市や他国のことなんか何一つ知ってやしねえし、
同じように周りの国も基準にする名誉階層都市の情報がねえからな。
制裁とか以前に純粋な不参加だから、最初っからおれ達の名誉階層都市はランク外に放置されっぱなしだ。
それを揶揄して"平和ランク万年最下位都市"、なんて言われてるわけだ。
まぁ、他国との交流なんざなくとも、この数百年、この都市は物も経済も回ってきたからな、余計鎖国主義に拍車がかかりっぱなしで、今に至るってわけさ。
まぁ一応、許されなかったけど不参加表明しててな。たしか、不参加表明したのが昔のお偉いさんで、名前が……ナンチャラゴニョスナンセイ?」
「カーストの創始者、セラ・ディペンスだ」
「そうそれ。あ?女だったっけ?」
お前も微妙に理解出来てないじゃないかと大きく溜息をつくバラドラルに指をさして笑ってから、バクスは長い説明を終えた自分の身体を伸ばして労った。
少女の方も、漸く終わった説明を一つも聞きもらすまいと熱心に耳を傾けていた疲れからか、少し疲れたように息をついた。
「お嬢ちゃんが来たのはそういう、"平和"だとかましてや"幸せ"なんてもんとは縁遠い無法都市って訳さ。で、どうよ、これでジョークの意味もわかったろ?」
肘をのせて少女を見ると、授業料は必要ねぇよ、と笑って見せる。
そんなバクスに、少女はどうするべきかと少し考えて……とにかく、頭を下げて感謝を伝えることにした。
「……ありがとう」
「はっ、状況理解してなおお礼とはな。ドウイタシマシテ」
少女の素直な感謝に、バクスは笑顔で返した。
それがたとえ皮肉混じりで言われたとしても、とりあえず自分のおかれた状況を知ることができ、少女は安堵の息をつく。
……と。
そこで、後ろにいたバラドラルの様子をみて、首を傾げることとなる。
彼だけ、何か表情が重々しかったためである。
腹痛か何かでもこらえているのだろうかと心配になるほどに重い表情に、つい今しがたの安堵の気持ちは一転。
何か。嫌な予感を感じた。
――はたして、その予感は的中することになる。
「あー、それでな、お嬢ちゃん」
バクスが笑顔のまま、書類に目を通して、少女に言い放った。
「これから先のお嬢ちゃんの処遇についてなんだけど……とりあえず、逮捕な」
「え?」
一瞬、何を言われたのか理解が出来ずに、バクスを見る。
バクスはやはり笑顔のままだった。
しかし。
その笑顔には、どこか可笑しそうな感情が込められていた。
「いくつか理由はあるけど」と、少女に続ける。
「お嬢ちゃんが記憶喪失で、この世界のこともまるでわかんないのはよーく解ったんだけどよ。正直、そんなもん関係なく外から来た人間は充分、犯罪者なんだよ。それに」
「……うちのルール的にも、どのみち逮捕だ」
バクスの言葉に続けるように、バラドラルが重い口を開ける。
「なんで?」
「おう、それはな……」
少女の問いにそう前置きをすると、バクスは一枚の紙をなげてよこした。
そこに載っていたのは、柄の悪い筋肉質の男の顔と、それに関すると思われる情報の類。
紙の上部には「逮捕状」と書かれていた。
その紙を見る少女に、こう言い放った。
「ーーこの名誉階層都市は、名誉が無いと生きていけねえような場所なんだよ」
「……?」
「今日、それもさっきだ。一人の男が独房に入った」
いまいち解ってない、そんな少女に苦笑して、トントンと指で紙を叩いて示す。
少女はその指先を追いかけて、ある単語に行き当たった。
「……"名誉無し"」
「この都市の住民には、名誉制度っつう制度が設けられてる。この都市で挙げた都市に有益をもたらした実績が、名誉って名前でな。その名誉は、住民であれば誰でも最初から一個だけ持ってるのさ。
それは何か……戸籍だ。
住所、親、名前……それが最低限の名誉だ。
この都市の住民は皆平等に、戸籍っつー最低限の名誉を持っている。だからこの都市にいることができるだけの最低限の人権を持ってんのさ。
……だけどそいつはな、孤児だったんだ。孤児に、戸籍はねえ。孤児を拾ってくれる教会は人身売買のメッカに成り果ててるし、しかたねえから腕っぷしで野良犬みたいに生きていくしかなかったのさ」
「……そんな」
あんまりな話だと、少女は肩を落とす。
それに、おいおいとバクスは指を指した
「人の悲しみを受けて感受性豊かに落ち込んでんじゃねえよ、お嬢ちゃんだって同類だ」
「え?」
「お嬢ちゃんに戸籍があるかよ」
その言葉に、ハッとしたように息を飲む。
自分に戸籍はない。当たり前である。この都市の外から来たのだから。
自分は罪人と同じ。考えがそこまで至ったところで、少女はそれならばを抗議の声を挙げた。
「……それじゃあ、この都市から出して」
「それが出来りゃ苦労はしねえ。
さっきも話した通り、今回のは大門が開いたとかいう世紀の大事件なわけよ。それを開けたかもしれないとかいう超重要参考人が他でもないお嬢ちゃんなわけだ。
こっちとしちゃあ、外のこともよくわかんねぇから、いろんな可能性考えるよな。お嬢ちゃんが悪意ある誰かにやらされてる、とかな。
そうなると、のうのうと観光客みてぇな扱いで野放しにはできねぇんだ……何者なのかわからねぇなら、余計にな」
ぺらぺらと説明するバクスの言葉は、あまり頭には入ってこなかった。
逮捕。
意地悪い笑みとともに投げてよこされたその一言は、この世界のことを少し知ったばかりの何も知らない少女には、とてもどうしていいかわかるものではなかった。
ショックのままに、バクスの背後に控えるバラドラルを見る。
こちらを見るその眼には、先ほどよりも強く、同情の念が浮かんでいた。
……その眼に、その扱いに、ふつふつと感情が押し寄せてくる。
何も知らずに、彷徨ってたどりついた場所で、自分は罪人のような扱いを受けている。
記憶なんかなくても分かるその感情は、記憶をなくして以来初の、不満だった。
静かに、しかし強い口調で問い詰める。
「……捕まっちゃうの」
「おう、大門が開いた理由がわかるまで、再重要参考人……いや多分、容疑者としてな」
容疑者。
その言葉に、もう一度バラドラルを見て、少女はようやく、彼の視線に込められた同情の意味を知ることになった。
この人達のせいではない、と思う。
しかし、それでは自分へのこの理不尽はどうすればいいのか?
冗談じゃあない。そう抗議をするために、少女はその腰を浮かせて口を開いた。
「――あー、お取り込み中悪いんだが、どうやらその可能性はなさそうだぞ、バクス」
……開いた口から、抗議が出ることはなかったのだが。
3人が出入り口を見る。
その視線の先にいたのは、リーだった。
「あ?んだよリー、どういうこった?」
バクスがリーを問いただす。その間、少女は抗議するために発するつもりだった言葉を口の中に収め、同時にリーによってもたらされた新しい情報に湧いた様々な感情や思考に蓋をされて、完全に行き場をなくしたそれを中途半端にもごもごとしていた。
そんな彼女の事など露知らず、リーはバクス達に肩をすくめてこう続けた。
「新しい可能性が浮上してな。上層部曰く……
その子が、"バグ持ち"の可能性がある」
先ほどとは打って変わった静寂が、尋問室を支配した。