3:尋問室の中で
「……」
重苦しい沈黙の中、渋面の男、カーストセーバーの長、バラドラル・グル・ガルバーンは独房を睨む。
夥しくこの都市に蔓延る凶悪な犯罪や騒動を幾度となく鎮圧、解決する使命を背負うカーストセーバーのその目は歴戦の貫禄を漂わせ、あらゆる障害を押し退けんばかりの気迫が籠っていた。
事実、この都市に起こるあらゆる事件を1つも漏らすことなく鎮圧している実績も、その気迫を更に際立たせているのだろう。
……が、しかし。
その目は今、いつになく険しい。
まるで、今まで経験したことのない事件を見たような、警戒と懐疑を存分に載せた視線である。
そしてその視線をそのままに、隣のバクスに声をかけた。
「……"あれ"が、か?」
「知るかよ」
上司にかけられた問いに、即答でバクスは答えた。
その表情も声色も、全く、悪い冗談でも見ているような低い物であった。
2人の間には、今にも破裂せんとする緊迫した空気が、ゆっくりとうねりを帯びているように脈打っている。
──というのも。
現在、バクス達が待機している、舞い戻ってきた下級階層の大門から程近くにある取り調べ室。
その視線の先には。
「……」
虚空を眺めて呆けている少女が座っていた。
いや、ただ少女が座っているだけなのであれば全く問題はないのだが。
というよりも、まだ幼さの残る少女を渋面で睨む2人の男達の方にこそ問題があるのだが。
「全く、悪い冗談か?」
2人の表情をそのまま表すようにに、バラドラルは苦言を口にする。
そして、その言葉を再度噛み締めるように、2人して更にその渋面を深めた。
……なぜ、ここまでこの少女がなぜ問題視されているのかを強いて説明するならば。
「──あれが、大門を開けた原因だと?」
「そう考えるしかねぇだろうよ」
──目の前の少女が、大門を開けた、"外からの来訪者"である可能性が高いとの疑いがかけられているのである。
今回の事件で、全階層で多少の混乱が起こったものの、死傷者、負傷者、共に無し。
混乱というよりも、何がおきたのか理解ができないと呆然としたものが大多数だったことが幸いしたのだろう。
そしてその混乱も、カーストセーバーをはじめとする治安維持機関により迅速に収束されている。
開いていた大門も、バクスたちがたどり着いた時には、その動きを止めていた。
残った問題はというと。
大門が現在も閉まる様子もなく止まっている……否、閉められないままでいる、ということである。
「長年使ってなかったからなぁ。もはやロストテクノロジーだろ。今、早急に上の方で調査中だとさ」
「リーには苦労を掛けることになるな」
2人の言葉通り、大門が開いた後の処理はリーがそのまま担っている。
「いんでね?あいつの仕事は上へのおべっかとこういう頭使う問題の対処だ」
都市の問題はお役所の仕事、といわんばかりに自身の懸念を一蹴したバクスに、賛成反対どちらともつかないように唸る。
しかしまずは目下の自分達の役割を果すべく、バラドラルは本題に入ることにした。
「ともかく、さしあたってはあの少女に事情聴取をする必要がある」
指をさす。
止まっていた大門は、ちょうど人1人が悠々と入る大きさのまま止まっていた。
……その止まった大門の目の前に、この少女が入ってきていたのだった。
虚空を見つめるこの少女が、今回の件に何らかの形で関与している可能性がある。
関係性を見いだし次第、その事についての情報を引き出し、然るべき処置を取ること。
それが今課せられている仕事である。
開いた大門から入ってきた小さな来訪者。
「めんど」
それを見て、バクスは言葉通りに脱力しながらぼやいた。
「お前の仕事だ」
そう返すバラドラルをやさぐれた目で睨んでから、諦めてドアを開けた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
さて、と、部屋に入るなり少女を一瞥する。
少女はいきなり入ってきたバクスとバラドラルを、警戒心もなく見つめ返した。
こちらを見つめるその少女を見て、すぐに断じた。
この少女は、外から来たと。
少なからず、下級階層の住民ではないと確信できた。
まずは服。外から来たというだけあって、成程たしかに擦り切れたような跡も汚れも存在した。
しかし、それは"出来た"傷や汚れである。
それが出来る前の、もともとの質というものが、圧倒的に他の下級階層で扱われているものと違っている。
この都市の、それも下級階層の住民がいくら望んでも手に入ることのない"素材のいい服"であった。
……外から来たというのにこの上等な服装、というのも、少し異常ではあるのだが。
そしてもう一つ。
少女の、こちらを見つめるその眼。
下級階層の住民というものは皆、その眼に光を宿していない。
恵まれない環境、「最低限の安全」というだけの劣悪な環境の下級階層は、こんな目の少女の存在さえも否定できるほどに濁っている。
そう真偽を改めて確認したところで、バクスは少女とは対照的に警戒心を強めることとなる。
目の前のこの少女の得体が、さらに知れなくなった。
「――よお」
その警戒心を胸の内に隠し、バクスは口元をニヤリと歪めて少女に声をかけた。
「……よお?」
少女は怪訝そうな顔をしながらも、おうむ返しにバクスに挨拶を返した。
下級階層育ちには馴染みのある砕けた挨拶さえ、馴染みのなさがにじみ出ている。
かまわず、バクスは口火を切った。
「さあて、そんな綺麗なかっこして、なんの身を守る術ももたない着の身着のままようこそ糞パーティーみたいなな外を歩いて数世代も開かなかった大門をこじ開けてお越しくださいましたお嬢さん。どこぞのブラックな上司からの命令でな、何処の誰かとかなんで来たのかとか洗いざらい吐いてもらうから、まぁ頼むわ」
「……」
フランクに敵意が滲んだバクスの言葉を聞いても、少女はただ、バクスを見つめたまま、なんとなく理解したように頷いた。
怯えるでもなく、敵意が感じられることもなく、内面を探るべく込めた敵意にさえ気づいていないような反応に、バクスは早速ペースを崩された。
今まで尋問した中で、これほどに危機感も何もない反応は初めてだった。
頭をかきつつ、これ以上プレッシャーをかけても無駄だと悟って、予定していたより少し早めに質問に移ることにした。
「……はいじゃあ、お名前と年齢からいってみようか」
まずは簡単な質問。
大半は資料を確認するための質問である。
しかし、尋問する者の中には、身元や名前などの資料や情報が一切ない者も存在する。
件の独房いりになった犯罪者もその類である。
そういった連中には、尋問の際に最低限そういった情報を入手しなくてはならない。
そしてこの少女は後者であるため、バクスはめんどくさがりつつも紙とペンを手に取った。
「わかんない」
「……はい?」
――その質問すら、一蹴された。
少女を見るも、その表情は大した変化もない。
「……いやいやそんな、出来そこないの鳥頭じゃねえんだから、自分の名前と年齢くらいはわかんべ?」
「わかんない」
「……」
重ねられた言葉に、いよいよこいつはプロの詐欺師か何かかとバクスは疑いを持ち始める。
カーストセーバーとして、いくら表情を変えずに嘘をついても、抑揚などの微細な変化を感じて見抜けるようになるくらいには経験を積んでいる。
だというのにバクスには、目の前の少女が嘘を言っているようには思えなかった。
バクスは、なにか嫌な予感がしつつも、質問を重ねることにした。
「……お嬢ちゃん、自分の事で何か、知っていることはあるかな?」
その言葉に、少女は一泊間を開けた。
そして言い放つ。
「わかんない」
「この子どうよ旦那あ!!」
絶句する代わりに、後ろの控室にいるバラドラルに助けを求めた。
目の前の少女は、尋問するまでもなく正直で、しかしどれほど強情に口を割らない人間よりも厄介であった。
「……俺から見ても、本当にその子は自分の事を知らないように見える」
頼みの綱の旦那バラドラルからもお墨付きを頂いたほどである。
……その後も様々な質問が飛び交い、その悉くを少女が首を振った。
何処から来たのか訊ねれば、気が付いたら大門の前にいたと答えられ。
挙句家族や友人はの有無を訊ねれば、家族や友人とはどういう人なのか、などと聞き返された。
その他、知っている場所はあるかと古い資料にある国の名前を片端から並べ立て、はたまた趣味や嗜好などどうでもいいものまで訊いた。
つまるところ。結論から言うと。
この、目の前の少女は、記憶喪失であった。
冗談じゃない、とバクスは頭を抱え、ありったけの声量を以て目の前の難問へのギブアップを響かせた。
「どうっすんだよこれ、これじゃあ何しに来たのかどころかどこのどなたとか大門と関係あるのかないのかさえわかんねぇじゃねえの!」
「俺に言うな、正直、俺だってこの子を今後どうするべきか皆目見当がつかん」
「んなこと言ったってこれお上にどう説明すりゃあいいんだって……」
少女をそっちのけで、2人は今後の彼女の処遇について話し合い始める。
というのも、今回の尋問の意味そのものがなくなってしまったためである。当初の予定としては、この少女が大門を開けた事件との関係を証明し、彼女を危険因子かどうかを判断したうえで「お上」に報告する予定であったのだが、記憶がない、または何も知らないというのであればどう報告しようもない。
処遇を決めるどうこう以前に、最初から詰みの状態に陥ってしまったのである。
――と。
「なにしにきたかは、わかるよ」
少女が、初めて自分から口を開いた。
「……あ?」
バクスはその言葉を理解できずに、少女を見る。
少女は、バクスを見つめて、こう続けた。
「――幸せを、探してるの」
……その言葉は、やけに大きく、バクスに届いた。