落下と逃亡の先で 2
「……よお、リー。いい夜だな?」
「御託はいい。何をしている?」
リーと対峙しつつ、とりあえず発した一言を御託と切り捨てられて、説得や誤魔化しは無理だと悟った。
リーが再び問う。
「ここで、何をしている?」
「現場検証……つって信じてくれる状況じゃないのは、お前らがよく解ってんじゃねえの」
「まさか、本当にやろうとするとはな……」
返された答えに渋面を浮かべるのはバラドラルである。
呟くようなその言葉に、少女はバクスを見た。
彼が自分を逃がしてくれようとしているこの行為が、二人に黙って行ったことで、それがどれほどに禁じられたことなのか。
その状況を漠然と理解したためである。
それを裏付けるように、リーが声を荒らげた。
「お上の決定に逆らうのは、名誉剥奪の重罪だ!わかってるのか!!」
「だからそのお上の決定がそもそもなくなっちまう状況にしようとしてんだろうが!!」
「おま……」
それに対して開き直った台詞を怒鳴り返されて、今度こそ二人、否、少女も含めた三人は絶句した。
驚きと混乱が生んだその呆然とした間に、バクスは更に声高にたたみかけた。
「じゃあ訊くがよ、リー!テメェは記憶喪失で何も知らねえままこんなとこに入っちまって幽閉されたガキの目の前で、今まで通り汚れ仕事しろってのか!!」
「それは……」
言い淀むリーから視線を外し、バラドラルを見る。
「旦那は、そんな俺らがお上の言うとおりに、こいつに余計な刺激を与えずに面白おかしくバグを発現させるなんて温室栽培みたいなこと出来ると思ってんのかよ!!」
「ぬ……だが……」
二人ともが、言葉を濁した。
言葉の続かなくなった二人に、更に畳み掛ける。
「わかってんだろうが。俺は御免だぜ。カーストセーバーとして恨みつらみ買う分には仕方ねえ、生きるためだ。けどな!お上だろうが何だろうが他人の思惑で罪悪感抱くのは糞食らえだ!!」
そしてそ一言が最後の一押しとなったのか。
暫しの沈黙が、辺りを包む。
解いたのはリーだった。
「……バクス。確かに、お前の言い分も最もだ。俺達はそんな少女を健やかに保護できるほど、平和で健全な生き方は出来ていない」
静かに言葉を紡ぎながら、構えていた弓を地面へ向けた。バラドラルも、瞑目と共に俯く。
バクスはそれに何も言わず、静かに少女の手をとった。
背を向け、歩き出す。
そして、
「──でもお前、そんな高尚な考えじゃないだろ」
リーが、そのまま矢を撃ち放った。
矢はそのまま地面に吸い込まれるように刺さる……かに思われたのだが。
その矢の切っ先が、浅く地面を削って急速に方向を変え、バクスに殺到したのだ。
……頬を掠めた矢に、バクスは顔をひきつらせた。
顔を合わせて、お互いに一言。
「……ばれた?」
「言っただろ、御託はいいって」
その言葉を皮きりに、リーの弓から幾本もの矢が殺到した。
「畜生!!」
叫び、バクスは少女を引っ掴んで避ける。
しかし、避けきれず、矢は続々とその数を増やし、淡々と二人の命を射抜かんとする。
恐ろしい早撃ちだ。矢を避けた次の瞬間には、リーは次弾を構えている。
――かくして、金属音は鳴らされることとなる。
遂に回避が追い付かなくなり、バクスが剣を抜いて矢を防いだのだ。
幅広で厚みのある歯車の歯のようなその刀身は、前につき出せば矢を阻むに申し分ない力を発揮する。
その矢先に、「左から」矢が飛んできた。
「ちィ……ッ!!」
忌々しげな舌打ちと共に、バクスは今度は空いた左腕を振るう。
左腕を犠牲にしたその動き……しかし、少女の痛ましい予想は、金属音が裏切ることとなる。
バクスの唯一装着している防具である、手甲と脚甲が矢を叩き落としたのだと少女が気づいたのは、金属音に背けた目を今一度その手が少女を掴んだ時であった。
勢いよく掴まれたまま、再びの浮遊感。
バクスが跳んだ先は、矢が飛んできた反対側……外壁の外、都市の外へと続く、空中である。
蹴った地面に無数の矢が刺さる光景を見届けながら。
はたして、目まぐるしく変化する状況についていけなくなっていた少女は、唯一、これだけを理解する。
――ああ、また私は、覚悟を決める間もなく落ちるのだ、と。
程無くして、それほど久方ぶりではない風圧と恐怖が、彼女の身体を強張らせた。
しかし、少女の予想は少しだけ裏切られる結果となる。
今度は、まっすぐに落ちていないのである。
衝撃が走り、きつめの圧迫が慣性の法則を少女に理解させる。
そして急激に方向を変えて、今度は斜めに落ちていく。
壁を走っているかのように止まり、また別の方向へと斜めに落下する圧迫と自由落下の繰り返しの中、抱えられた少女の耳に轟ヶと吹き荒れる風の音を切り裂く鋭い金属音が届いてきていた。
危険を感じさせる音と衝撃に、身体を捻って上を仰ぎ見る。
その顔の横を、矢が掠めていった。
「っっ!?」
「顔伏せろ馬鹿!」
驚きに怒号がとび、また自由落下。
……その直前に、少女は見た。
リーが矢を放つ度に、決して弓だけでは撃てない数の矢が、飛び掛かってきている光景と。
その矢の尽くを、バクスが大剣の一振りで弾き飛ばし叩き落としている光景を。
再び襲う風圧に、しかし少女は辛うじて打ち勝って、バクスに問う。
「今、のは……!?」
「見りゃわかんだろ、バグだ!!!」
返ってきたのは、本日何度目かわからないその言葉であった。
その言葉に、少女は泣きそうになる。
……見たらわかるって、見てもまったくわからないことしか起きていないんだけど……?
しかしその抗議は口にされることはなかった。
身に覚えのある、下から吹き付ける突風、そして停止。落下が壁の中ほどで止まっていた。
否、止まってはいない。非常に緩やかなものとなっていた。
ここぞとばかりに飛んでくる矢を、剣を背負うようにして防ぎながら、横からくる矢は手甲で弾く。
少女は目の前で弾ける火花に小さな悲鳴をあげた。
――と。
不意に、矢の嵐が止んだ。
「そろそろだと思ったぜ……!」
今までズルズルと壁沿いに落下しながら耐え忍んでいたバクスは、にやりと笑う。
どれだけ異常な量の連射であろうと、矢の数には限りがある。
バクスは次の行動に備えて、ただ矢が切れる瞬間を狙っていたのだ。
即座に、脚甲のついた下肢を踏ん張る。
同時に少女を抱え直し、叫んだ。
「このまま堀の外まで飛ぶぞ!ちときついが我慢しろよ!」
その言葉によくわからないまま、少女はバクスの方を見る。
直後。
凄まじい爆音と衝撃が、空気を激しく揺さぶった。
同時に、少女は強烈なGと共に、吹き飛ぶように空を跳んだ。
まるで、|爆発に見舞われたかのように。《・・・・・・・・・・・・・・》
爆音の発生源は、残滓を残し、今もなお紫煙が教えてくれた。
脚甲だ。バクスの両脚に付けられた脚甲、その両踝から、紫煙が壁まで伸びていた。
理解が出来なかった。
彼の脚甲が爆発した?なぜ?これも"バグ"とやらの力なのだろうか?
混乱ここに極まれり。文字通り縦横無尽な落下体験に、いよいよ目が回る少女を完全に意識の外に追いやって、当のバクスは真っ直ぐ堀の外を見ていた。
長年にわたり放置していた割りには、都市の堀外周の地面は、草の生えていないむき出しの土だった。
そしてその、およそ100メートル程から、深い森が続いている。茂みや木々が密集し、森の中は少しも窺い知ることができない。
上から見てもあの深さである。
あそこまで逃げ込めば目視は叶わない。矢が届くことはないだろう。
ギリギリ届く。
一筋の希望を必死に手繰り寄せるように、着地点を睨めつける。
しかし。
背後からそんな打算を打ち崩さんとするかのような、段違いに剣呑な空気を孕んだ気配が、近づいてきていた。
(!?あの野郎、全力マジで射ったのか!!)
その気配を鋭敏に感じ取り、行動不能を狙ったであろう今までの矢の乱射との違いに驚く。
瞬間、バクスは気づくこととなる。
どうあがいても、このままでは着弾するのは2人が着地する崖の縁。
背後の気配は、確実に着地の瞬間を狙った一射である、ということを。
そして同時に、矢の嵐が止んだ理由も悟った。
今まで紙一重に防ぎ、避けていた矢の嵐は、リーにとってこの一射で確実に仕留めるための位置調整だったのである。
高速で矢への対処を模索する。
減速すると、矢を凌ぎ切るために壁を滑り落下した分、距離が足りない。下は奈落の底まで続く堀が、大口を開けている。
迎撃は論外だ。今までの連射は物量こそあれど、手甲での迎撃ができる程度の曲射。それらでさえ、壁に設置し踏ん張りを効かせてから弾いていたのだ。
段違いの殺意が込められた全霊の一矢を、不安定な空中で捌くのは不可能だ。
「……ッ!」
「クソが!!間に合えよッ!!」
矢の直線上からそれた反対側に抱え直して手を伸ばすバクス。
そしてそれに吸い込まれるように飛来する、速度とは裏腹に静謐な矢の一射。
――三つが、交差する。
強く何かが衝突する音、金属音、そして……。
様々な音が混ざり合い、鳴り響く。
――矢と、バクスの姿が、消えた。
そして少女は無事に対岸へと渡り切った。・・・・・・・・・・
「……え?」
何が起こったかわからずに少女は辺りを見回す。
そして最初に目に入った光景は。
奈落へと落ちていくバクスの姿だった。
(……ちっ)
矢が交錯した瞬間、バクスは矢を剣で叩き落したのだ。こちらも全力で対応すれば、空中でも矢は防ぐことができた。
代償は予想通り。急激な減速と飛距離不足だった。
このままでは落ちる。2人とも奈落の堀へ落ちていけば、待っているのは最高でも指名手配と追手、最悪なら死だ。
……それを悟ったバクスは咄嗟に、少女を対岸へと放り投げたのである。
(……俺も、いよいよ本格的にヤベーな。色んな意味で)
そんな事を思いながらも、対岸へと無事に辿り着き呆然とする少女に、少しの安堵を感じていた。
苦い笑みを浮かべる。
(上手く逃げろよ)
呆然とこちらを見る少女に心中で呟き。
バクスは奈落へと消えた。
「……ふう」
リーが、弓を下ろす。
そして。
「……」
奈落を眺める。
漏れた溜息は、諦念か、未練か。
あるいは……。
一部始終を見届けたバラドラルの眼には、複雑な心情が宿っている。
つい先刻、バクスを追う直前にリーと交わした言葉が、脳裏に木霊していた。




