8:動き出した予感の中で
この大理石の床に跪くのはいつだって、なんとも言えない不快感がある。
その不快感を眉根に表しつつ、しかしバクスは隣のリーとバラドラルに倣って膝をつき頭を垂れ、床を睨んだ。
「面をあげよ」
程なくして、野太く偉そうな、それでいてどこか上機嫌な声がかかり、舌打ちを堪えて立ち上がる。
目の前に広がるのは豪奢で壮厳な雰囲気漂う大きな円形の広間、通称「謁見の絶円」。その曲線を描く壁に沿うように、遥か高くに並んだ円卓の椅子から十の人影達がこちらを見下ろす光景であった。
カースト上級階層、その頂に存在する巨城”スパイア”に生きる上級階層の民、貴族達。
その中でさらに頂点に座する、その姿を見ることも叶わぬ十人――"絶対者"達の上機嫌は他でもない。
中央に座する壮年の絶対者が朗々と口を開いた。
「今回の功績は大義であった」
――今回のカーストレス達の暴動は、カーストセーバーの活躍により大した被害もなく終結。一時は劣勢を見せたものの、最終的には総勢五十名以上の名誉無を逮捕する大捕物となった。
別の絶対者達が声をあげる。
「この暴動の解決において得られたものは、下級階層の治安のみならず、お前達カーストセーバーの力を誇示したことによる、更なる上級階層の権力の絶対性」
「個人的には、こちらの方こそ褒め称えたい物ですな」
「然り」
隠そうともせずに自分達の支配欲を晒してクツクツと笑い出す絶対者の数名に、三人がバレないように呆れたのは言うまでもない。
と、笑う絶対者達を手で制して、また中央の一人が続けた。
「今回の件について、上級階層はそれぞれ各地で活躍した下級階層の兵士全員と、バクス達カーストセーバーに、褒賞として名誉を与えることとする」
その一言に、聞きあきたようにバクスは欠伸を噛み殺した。
景気がよく聞こえるかもしれないが、金を使わないまま相手を納得せしめる名誉という名の権力の象徴は、上級階層にとって都合のいい道具である。
事実、下級階層の連中数人が名誉をいくつか持ったところで微々たるもの、
絶対者達上級階層を脅かすようなものではない。
よしんば多くとも、名誉の大きさもあちらの匙加減である。絶対者の名誉を大きくするなり、こちらへの名誉を小さくするなり、好きに調節すればいい。
最悪、そんな存在は中級や上級の階層へ取り込んでしまう……などという前例まである。
その魂胆も、バクス達には見えている。
見えてはいるが、この"名誉"があれば権力を得られるこの都市では、ある意味物をもらうよりも価値のあるものであることも事実であった。
「ありがたく頂戴いたします」
「うむ。下級の授受者等にも、伝達の者を通して伝えよ」
「直ちに」
リーはただ薄く笑んで短く返答し、頭を下げる。
何とも表面的なやり取りに気付いてか気付かずか、絶対者はひとつ満足げに頷いた。
ーーと、そういえば、と絶対者の一人が口を開いた。
「ところで、あの少女は今どうしている?」
あの少女……大門を開けた少女のことである。
「は、現在は中級階層の我々の居住区の客間に。監視は付けております」
答えると、「そうか」と一言。
その後、絶対者はこちらを見下ろしてこう続けた。
「ついでではないが、あの少女の処遇を今この場で決めるとしよう」
処遇を決める。その言葉に、三人……特にリーとバラドラルは「来たか」と静かに身構えた。
この謁見で少女の事も触れるであろうとは予想していた。
問題はそれについての絶対者の下す命令である。
このような難しい事件や問題の場合、実行するのは彼らカーストセーバーだ。命令如何によっては、彼らにとって良くない事もある。
今すぐこの場に連れてきて"処分"せよ、という前例も……無かったわけではないのだ。
とはいえ、今回はバグ持ちの可能性がある相手。即ち都市の戦力になる可能性のある相手なので、すぐに殺されることはないだろう。そこまで上級階層、そして絶対者達は無欲ではないと、三人は読んでいる。
その読みへの解を放つべく、口が開かれた。
「あの少女がバグ持ちであるかどうかがわからぬ以上、扱いが難しい。もしバグ持ちならば、粗雑な扱いが災いしていざ目覚めた時にカーストレス側として敵対でもされれば厄介だ」
「存じております」
「そこで、だ」
そこまで口に出すと絶対者達は意味ありげに目配せして、結論を口にした。
「我々の総意としては、カーストセーバー、そして同じバグ持ちの管理下に置くべきであると考えている」
一先ずの安堵。やはり今この場であの少女を手にかける心配は無くなった。
ただ、その発言は新たな問題であった。
若干声に動揺をのせて、リーが質問を投げ掛ける。
「それはつまり…我々のどれか一人と一緒に行動をしろと?」
「うむ」
すぐに肯定の答えが返ってきた。
それは……と、リーの簡素な答えがはじめて淀んだ。
「恐れながら申し上げます……なぜ、我々と一緒に行動をさせるのでしょう?手厚くもてなせば、現在のように監視付の保護でも充分では」
「ならぬ」
対して、どこまでも淀みなく絶対者達は口を動かした。
「バグの全容が未知数なのだ。いつ目覚めるやも解らん。大門を開けたというのであれば、それ相応強力なものの可能性が高い。あの少女が制御できるかどうかも怪しいもの」
「であれば、貴様らカーストセーバーの傍に置けば、万が一でのその力への対応もできよう」
「それだけではない。貴様らのバグを直に見せれば少女のバグを発現させることがはやまるやもしれんでな」
それはあからさまな保身であった。
つまるところ、バクス達に宝の入った爆弾を抱えさせて、上手いこと被害なく爆発させたら中身を見せろ、ということである。
リーは何とも言えない表情で「はぁ……」と思わず声を漏らす。
あんまりといえばあんまりな言い草であった。
表情通りに何も言えないままでいると、壮年の絶対者はそのまま言い切った。
「この件は今後のカースト発展の要である人材に大きく影響する一件である。これを果たせば今回以上の褒賞……破格の名誉をくれてやろう」
「同時に、失敗が許されることのない案件でもある。これまでの功績を鑑みての名誉ある任務だ。それを無下にはするまい?」
他の絶対者も畳み掛けるように口を揃えて、バクス達に爆弾を投げつけた。
その言葉に、リーは諦念を抱く。
毎回難題を叩きつけられるときは、絶対者たちはこうしてワンパターンな飴と酷いムチを振るってくる。
まぁ、元より絶対者からの無理難題に対する抗議が聞き届けられるなど端から期待してもいないのだが。
「……ありがたく。その責務、全うさせていただきます」
「うむ」
「そうでなくてはな」
再び口々にあがる満足げな声に、ため息を堪えたのは言うまでもない。
そんな気疲れを悟られぬように少し声をはって、続ける。
「して、一緒に行動させるのは誰にいたしましょうか?」
リーからの質問に、中央の絶対者はすぐに答えた。
この時点で、リー達三人の考えは一致していた。
任命はリー以外あり得ない。
バラドラルはどうにも子供は好かない。否、好かないわけではないのだが、あの独特の幼く無邪気な無知に対してどう接すればいいのかがわからないのだ。結果、いかつい見た目で何をされても沈黙を貫き、中級、上級階層の子供達を怖がらせる事もしばしばである。
バクスはその粗暴な見た目と態度から考えるまでもなく論外。子供はおろか大人でさえ好き嫌いの激しい性格の彼には到底勤まる任務ではない。
……だからこそ。
その一言に虚を突かれるのは仕方のないことであった。
「ーーバクソート・ノーヴェルに一任する」
「……ええ?」
その言葉に、はじめてバクスが声をあげた。
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「なんで俺なん?」
謁見が終わっても、バクスはなおもそう言い続けた。
上級階層の綺麗に整備された石畳を三人で並んで歩きながら、リーは肩を竦める。
「もう諦めろって……お上の命令が意味不明だったことなんていくらでもあるだろう」
肩を叩いて宥めてくる二人に、それでもバクスは納得がいかなかった。
バクスの抗議は凄まじく長引いた。
かつて謁見であれほど喋るバクスはおよそ見たことがないと、リーとバラドラルが驚いたほどのものであった。
それでも、覆ることはなく。
結局、「ならぬ」の一言で現在に至るというわけであった。
とはいえ、リーとバラドラルも釈然としなかった。
「お上の話しぶりからすると、事情聴取を担当し、万が一に一番戦闘に特化したバグのお前が適任だって話だが……それもいろいろとちぐはぐな理由だよな」
「うむ。相手を丁重に扱うというのは、バクスでは荷が重い」
「癪な言い回しだなおい」
悩ましげに腕を組むバラドラルの巨躯に、不機嫌にバクスが裏拳気味のツッコミを入れた。
入れたものの、本人にも自覚はあるらしい。「……否定はしねえけど」と小声で付け足した事が、そのことを如実に語っている。
と、その会話でバクスは徐々に現実が浸透してきたように、暗欝な表情になった。
「……お二人さんよ。俺ガキのお守とかしたことねんだけど……具体的になにすんの?」
その暗い声に、なんとなく言いづらくなり、訊かれた二人は押し黙る。
その後、ためらいがちに答えられたものは、ひどく、バクスの心に追い打ちをかけた。
「……まぁ、まずは機嫌を損ねないように、ってことだし。適度にいろんな話をしたり、都市のいいところに連れて行ったり、だな」
「他にも、バグの発現を促せとも言っていたな。あらゆる状況でバグを見せ、思い出したら少女自身から自発的に発現させるよう細心の」
「ああ、いい。もう、いい」
すぐに、待ったがかかってきた。
「もう、充分だ」
その表情は、ひどく暗く、いっそ悲劇的なほどだった。
うなだれたバクスを見て、言うんじゃなかったと後悔する二人。
いたたまれなさに、リーはもう何度目ともわからぬ慰めを飛ばした。
「ま、まぁほら。俺たちも協力するさ。なぁ、旦那?」
「う、うむ。もちろんだ」
バラドラルは雑談が下手ではあるが、このような慰めの類は特に不得手である。
そんなバラドラルの、涙ぐましいまでの必死のフォローに、バクスは顔を両手で覆い、感涙と悲哀にむせび泣くことで応えた。
バクスにかける言葉も見つからず、黙って背中を叩いて慰め続ける。
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――そんなバラドラルの、独り言のようなこんな一言が。
すべての始まりであったと言える。
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「あの少女が、今すぐバグに目覚めて、その力でここから逃げ出すなりしてしまえば、こんなことで悩まずに済んだのであろうな」
……その後に続く「俺は」という言葉は、言えなかった。
バクスがむせび泣くことをやめたからであった。
バラドラルはとっさに、しまったと思った。
こんな事を言ってしまえば、バクスは次に盛大にバラドラルを言葉の大軍を以て襲うことだろう。
「任命されなかった奴はもしもの話で盛り上がれていいなあ旦那?」だとか、「面白い冗談だな、俺はセンスがいかれちまってるから一ミリも理解できねぇけど」だとか、そういった粘着質な嫌味と愚痴交じりの口撃を一斉に発射してくる事だろう。事実今までに一度、大変な仕事を非番の時に見ていたときに「大変だな」と言ったら、「そうだな。そっちも大変そうだな?かわってやろうか?」と散々言われ続けたものである。
その時の事を思い出し、冷や汗が垂れる。
……しかし、覚悟していたそれは来なかった。
代わりに、たった一言、返ってきた。
「――それだ」
「ぬ?」
訊き返しに、恐る恐る隣を見る。
と。
バクスが、いなくなっていた。
状況が飲み込めずに呆然としていると
「……バクス、行っちゃったぞ。旦那」
リーが代わりに答えてくれた。
成程、リーの言うとおり。前を見れば恐ろしい勢いで飛ぶように駆けて言ったのか、空気の流れが引きちぎれるように乱れていた。
そのことに、二人して呆然とバクスが消えたであろう方向を眺める。
遅れたように千切れた空気を埋めるべく吹いた突風が、彼を見送ったかのように所在なさげに霧散した。
最初に気づいたのはリーだった。
「……まさかあいつ、あの子を都市の外に放り出そうとか考えてるんじゃあないか?」
その言葉に、バラドラルの表情が青くなる。
そんな馬鹿なという思いが、先ほど何気なく自分に放ったつもりの独り言が重なった。
あの子が都市から逃げるなりすれば。
……すぐに追わなくては。
バラドラルはあわててリーに呼び掛ける。
「……先を急ぐぞ。何を血迷ったかは知らんが、それが本当ならば事だ」
そして駆けようとして……すぐに足を止めた。
振り返る。
リーが、動いていなかった。
「おい、どうした?このままではあの莫迦者が」
「旦那」
急くバラドラルを、リーは遮った。
そして、そのままバラドラルをまっすぐに見つめて、
「ある質問」をした。
……その質問にバラドラルが息を詰まらせたのは、その言葉に答えられないことよりも、自分の言葉が動かしたものの大きさを、知ったことが原因であった。




