第二体育館3
オレは本日二度目の激痛に思わず顔を歪めながら、自分の身体を持ちあげて、ミヤビを確認する。彼女は、呆けたようにただ、オレの顔を見あげるだけだった。
「このケダものおおおおおおおおおおお!」
甲高い掛け声と同時に、ミヤビに体を蹴り飛ばされた。それこそバスケットボールのように、床を転がり、体育館の壁に叩きつけられた。
「あ、ァ、ァァ、アンタぁああ、ど、どさくさ、紛れて、なに私の身体触ってんのよ。不潔、最低、キモイ、気持ち悪い! 超キモイ!」
「だ、だって、ボ、ボールが落ちてきたから――」
「私はバスケ部なんだから、慣れてるに決まってるでしょ!?」
「誤解だって!」
「黙れ確信犯!」
ミヤビが酸素を出しきったのか、ハァハァ、と浅い呼吸を繰り返した。そうして、ようやく落ちついたのか、彼女の紅潮した頬も元の色に戻っていた。
「……まぁ、とりあえず、誤解っていうことにしておいてあげる。一応、助けてもらったし。だいたい、男みたいな私に抱きついても面白くないだろうし。被害者意識強すぎた」
ミヤビの声はついさっきとはうって変わり、物静かな調子だった。そこになんとなく違和感を感じて、心配になったが数秒もしないうちに彼女の調子は元に戻った。
「とりあえず、助けてくれてありがとう。ガッツあるじゃん」
「ガッツなきゃ、こんなところに独りで来たりするもんか」
「ところでアンタ、こんな時間に一人で体育館に何しにきたの?」
「え、あぁ……それは」
思わず言葉を詰まらせた。だけど、ミヤビは不敵な笑みを浮かべながら、胸倉を掴みあげて、壁に勢いよく押しつける。ボールを受けた方の肩に再び激痛が走り、顔を歪めてしまう。
「言いなさい?」
「は、はぁい」
まるで女王様のような冷たい眼差しを浮かべる彼女に、あっさりと屈してしまった。これがサエカなら、きっと一生のご褒美のように喜んでいたに違いない。
そんな自分を想像すると、自分のことながら大変気分が悪くなった。
「顔色悪いけど大丈夫?」
「あ、あぁ……気遣ってくれてありがとう。それじゃぁ、オレはこれで失礼――」
「言いなさい?」
さりげなく、この場を去ろうとしたが、いとも容易くミヤビに見抜かれてしまった。もはや、ごまかすことはできない状態に追い込まれている。
……これはもう素直に打ち明けるしかないな。
ため息を混じらせながら、ミヤビに体育館にきた目的を打ち明けた。
この体育館には幽霊が出るという噂があるらしく、ノボルと一緒に最終下校時刻が過ぎた後、中を確認してみようということになったのだが、奴の、奴らの計略にまんまと嵌ることになり、体育館の中に一人閉じ込められ、体育館の奥の舞台から、全体を見渡すように写真を二枚撮ってこなければいけなくなった。
話しを聞いたミヤビは、なんのこっちゃ、と言わんばかりに呆けた表情をしていたが、次第に小刻みに震えだし、最終的には練習着が捲れて、くびれたウェストと、割れた腹筋が見えるくらいお腹を抱えて笑いだした。
「な、何、あんたもしかしてノボルの奴にはめられたわけ、だっさ、アッハハハハ、あ、そうかだからアンタ、体育館に入ってきたとき泣いてたのね?」
「!?」
「何、愕然とした表情してるのよ。もしかして、自覚なかった? 目から涙がポロポロ零れていたわよ?」
全く、覚えがなかった。
「もしかして、アンタって、怖いのだめなの?」
「人間、苦手なものっていくらでもあるだろ、いいじゃないか」
「それを克服するのが楽しいんじゃない。他人なんて関係ないって」
苦笑いをしていると、ミヤビに手を掴まれてグイグイと引っ張られた。その先にあるのは、舞台。彼女は「見て」と言って、全力疾走して舞台の上に飛び乗った。
「アンタ、できる?」
「無論だ」
全力疾走で舞台に向かって飛び上がり、肩足を舞台につける。
そのとき、もう肩方の足に何かが引っ掛かり、慌てて視線を向けた。
……黒いモヤのようなものが触手のように肩足に絡みついていた。
脳裏に、ノボルが見せてくれた写真が浮かぶ。
バドミントン部の女の子が活動している写真に映った、黒いモヤのようなもの――
「何やってんの!?」
ミヤビの声に我に返った瞬間、彼女に手を強く握られた。細長くて、普段の態度のように冷たそうな手をしているのに、実際は綿のような温もりがある。
そんな彼女の手に力強く引っ張られた後、とっさに、向き直る。
足をかけた舞台先端には、黒いモヤの姿はなかった。
「な、なぁ、ミヤビ、今変なのが見えなかった?」
「何? 変なのって、あ、まさかあんた、ハーフパンツの中、覗いたわね!? この変態!」
弁明の余地もなく、ミヤビに踏みつけにされた。
彼女には、さっきの黒いモヤのようなものが見えていなかったらしい。
ミヤビは、慌ててハーフパンツを抑えると、「もう」と苛立った様子を見せた。そして、何を血迷ったのか、彼女はソウマのポケットを弄り始めたのである。
女の割に無神経な奴で、ポケット越しにあらぬものを触れてしまっても、ウブな反応一つ見せる様子もなくポケットのカメラを取り出した。
「電源はこれかな……あぁ、ついた! ほら、ソウマ、どこ撮ればいいの?」
「え?」
「写真撮ることになったんでしょ? 私が撮ってあげる。怖いんでしょ?」
言葉を詰まらせて何も言いえなかった。
彼女の言う通り、写真を取ることが怖かった。今は、一人ではないけれど、それでもカメラ越しに、危ない物が映っていたとしたらと考えると、涙がでてきそうなほどに怖くなる。
そんな思考を数秒の沈黙で悟ったのか、彼女は許可を待つことなく、カメラを構えて、一回シャッターを押した。そして、楽しそうにディスプレイに映る、体育館を見せてくれた。
おかしなものは何も映っていなかった。
「ほら、何もいないじゃない、ソウマって男なのに本当に怖がりね」
「……悪かったな、男なのに怖がりで」
ミヤビの悪態には、いつも何も言い返すことができないのが悔しい。きっと、彼女はまた勝ち誇ったように、筋肉のついた胸を張って、誇らしげにしているのだろう。
そう思ったが、予想と違う反応が帰ってきた。
「別に、悪いなんて言ってないでしょ。ほら、アンタも撮ってみなさいよ」
合図もなくノボルのカメラが放り投げられ、床に落下しそうになる。
慌てて、飛び込んでカメラをキャッチすると、ミヤビが今までにないほどに楽しそうに笑って「さぁ」と、ソウマを立ち上がらせた。
本当ならここで逃げたかったが、ミヤビには軽蔑されたくなかったから、カメラを構えた。
とりあえず、写真を合計二枚とればいいだけ。後一枚とれば、この体育館には用済みだ。
体育館の全体が見えるようにシャッターを推す。あいかわらず静かなシャッターだ。
苦笑いしながら、撮影されたディスプレイを確認を始める。すると、すぐ横から、ミヤビが顔を出してディスプレイを覗きこんできた。
ディスプレイを確認した限りはおかしなものは映り込んでいなかった。
ミヤビと顔を合わせて笑った。二人の笑い声だけが、体育館に響き渡った。
ふと時計を見ると、学校に入ってからかなり時間が経っていることに気付いた。
「そろそろ行かなくちゃだ」
「そう……私はもうちょっと残るから」
「そうか、あれなら、途中まで送ってやっても良かったんだけどな」
「何いきなり、イケメンぶってるのよ。キモイんだけど」
でも、彼女の顔は笑っていた。
その笑顔に応えるように手を振りながら、体育館を出る。同時に、バスケットボールがバウンドする音が聞こえた。ふと、体育館の扉から覗きこむ。
ミヤビは、活き活きした表情をしながら練習していた。彼女からバスケを愛感じた。
……オレも、数年前までは、ミヤビと同じくらい打ち込むものがあったんだけどな。
ドン、ドン、ドン。
バスケットボールの刻みいいリズムと胸の鼓動が合わさる。その早まる感覚に押されるように、体育館を出た。
「おまたせ」
「ち、もうちょっと中にいても良かったんだぜ?」
「おそいよーソウちゃん」
ココネは、ちょっかいを出そうとするノボルの手首を掴む。何をやったのか、コキっという音がして、ノボルが苦痛に表情を歪めた。
「撮ったか?」
「あぁ。でも、何も映らなかったんだ」
カメラの中に保存された写真をノボルとココネに見せる。撮った写真は二枚。その中に、怪しい部分はない。長い時間、戻ってくるのを待っていたココネは不満気な表情を見せる。
ノボルも、腕を組みながら。考え込むように沈黙した。
「それじゃぁ、一端ここから出ようぜ」
先陣を切ったノボルに従うように、後につづいた。
最終下校時刻を過ぎた学校に入ったときは、廊下の人気の無さや薄暗さや早まる心臓の鼓動が気持ち悪かったのに、今は人気のなさも、薄暗さも、早まる心臓の鼓動も心地よかった。
まるで、誰も知らない秘密の場所を手に入れたような快感があった。