最低侯爵
「リリアとしての義務は一切押し付けないし、一生ここで暮らしてかまわないんじゃなかったっけ?」
「……事情が変わったのだ…。本当にすまない」
「……まさか、家計が苦しいとか?」
沈痛なお父様の言葉に、私はふっと思いついた事を口にした。
ここにきて、お父様は私に一切我慢をさせたことがなかった。欲しいなと言ったものは普通に買ってくれたし、欲しくもないドレスや靴を大量に押しつけてきた事もある。
ねだったものはそんなに高価ではないはずだけど、ドレスや靴はどう見ても安物ではない。
あれが家計を圧迫して…。
「いや、それは全然心配いらない」
「でも見栄っ張りのお父さんってギリギリまでそう言うもんだよね?本当はやばかったり…」
「いいえ、本当にそれは大丈夫です。私も一緒に管理しているのだから当然です」
「…お母様が言うなら信じるけど…。じゃあ、何で?」
その言葉にお父様だけでなく、お母様まで顔をしかめた。
え、何?ちょっとやめてよ。鉄面皮のお母様までそんな顔されると、話聞きたくなくなるじゃん。
そこでチラリとドアに視線を走らせると、お父様は狼狽して両手をつきだした。
「待て!早まるな!!先方から是非にと言われたのだ!」
「早まるなって、別に何もしてないじゃん。でもそれっておかしくない?」
今のところ逃げ出すつもりのない私はそれを示すためベッドに腰掛け、疑問をぶつけた。
まだここにきてすぐの頃、よくお父様と喧嘩し、メイドを跳ね除けドアから逃げ出したり、窓から飛び降りて脱走した事をお父様は忘れられないらしい。
「リリィって超病弱でさ、結婚なんてとてもじゃないけど出来ない子なんでしょ?」
「ええ、リリアはいつ死んでもおかしくないような子でしたから」
言葉通り14で死んでしまいましたしね、というお母様のブラックジョークは全然笑えない。
「じゃあ何で承諾したの?だって極端な話、結婚して1日で死んじゃうかもしれないんでしょ?」
「ええ、それを承知で申し込んできたのです」
「………」
ひきつった顔で状況を把握しようと頑張ってる私に返ってくるのは、容量の得ない言葉ばかりだった。
私がリリアになって3年、外の人には本当に一人も会ってないから一目惚れでとかは絶対ないし、病弱設定のリリィは子どもだって産めない。
百歩譲ってリリィに少しでも結婚生活を味あわせてあげたいとかいう篤志家ぶった人だったとしても、そんな上から目線の人のところになんかお嫁に行きたいと思わない。
お父様だってそんな人からの結婚を受けたりしないだろう。なんたって私はリリィじゃないんだから、そんなのハイリスク過ぎる。
「もー、腹割って話してよ。その人にとってリリィと結婚するメリットはなんなの?」
「その方はシェレンベルク様とおっしゃって、この間の戦で侯爵を賜ったお方だ。
見事なまでの采配で圧倒的不利な状況下から勝利をもぎ取り、彼の存在なくしては…」
「お母様、端的にお願いします」
「シェレンベルク侯爵は国王の側近として多忙な毎日を過ごされています。
……リリィは先の国王がいつ亡くなったか知っていますか?」
「…あーっと、えぇーっと、ちょっと前、なんかお父様が大騒ぎしていたような、していないような…」
なんせこっちは家の中だけで生活をしている身だ。
この家の中が世界なあたしにとって、国王の死はさほど重要なことじゃない。なーんかお父様がわあわあ言ってたような気がするけど、それが一週間前だったか、一か月前だったか、国王が死んだ事だったのかさえ曖昧な状態だ。
「先の国王が亡くなられて半年、第一王子が国王となり、この国はゆっくりながらも元の生活が戻ってきています」
「へー、そりゃすごい王子様だねぇ」
国王になってまだ半年という事は、やらなきゃいけないことは国の立て直しだけじゃないはずだ。
あんまり歴史に興味がなかったからよくは知らないけど、ほら、反対勢力とかからの嫌がらせとかさ、火事場泥棒ならぬ戦泥棒みたいに不正を働こうとする貴族のとりしまりとかさ。
「相変わらずお前は頭がいいのかバカなのかわからないが、その通りだ。
今が国王にとって一番大事な時期であろう。その大事な時期を支えている一人がシェレンベルク侯爵なのだ」
「…その人、今結婚してる場合なの?」
そんな大事な時期なんだ。普通なら結婚のけの字も考えずバリバリ働くべきだろう。
結婚なんて少し落ち着いてからいくらでもすればいい。
「…えっ!ちょっと待って、もしかしてそのセレンベルクって人、おじいちゃんだったり、ものすごく不細工だったりするの?!」
「シェレンベルク、だ!あと様か侯爵をつけろ!それにシェレンベルク様は今年20歳になられたばかりで、国王と並ぶほどの美丈夫だ」
「えー、じゃあ本当になんでリリィと結婚なんてしようと思ったの?そんな人ならより取り見取りでしょ」
「だから、なのだ。今国王には側室が3人ほどいるが上手くいってはおられない。
そんな中シェレンベルク様と第一王女との結婚の話が上がった」
「そりゃめでたい」
「めでたくないわ、バカもの!国王よりも先に王女が子を生した場合、国王が子を生すまでその子が王位継承者だ。
その上シェレンベルク様の御子が無能なわけがあるまい。余計な火種となるだろう」
「鷹がトンビを生むのだってよくある話だよ」
「は?何と?」
「いえいえ、それでそんな話が上がってるのに、どうしてシェレンベルク様は私と結婚しようと思ってるわけ?」
「お相手が決まってもいないのに王女との結婚を断るのは不敬に当たる。
だがさっきお前も言った通りシェレンベルク様は今結婚している場合ではない」
「ふむふむ」
「だから、リリィなのだ。リリィは結婚したとしても式も披露宴も行えるような体ではない。
結婚した後もリリィは床に臥せっているのだから時間を割く必要はない」
「はぁぁ?!最低だな!!」
「リリィ、言葉遣いが悪いですよ」
「だって、お母様!そいつ私を便利使いしようとしてるんだよ?!リリィだろうとリリィじゃなかろうとどうでもいい人に、リリィをお嫁にやってもいいの?!
……それとも、私だから、どうでも…いいの?」
「リリィ!!」
僻むように言ってしまった言葉を、お父様は大声で遮った。
そんな事、本当に思っているわけじゃない。たった3年ではあったけど、信頼関係を結ぶには十分な時間があった。
喧嘩しながら、お互いの常識に困惑しながら、私たちはお互いを認め合ってきたのだ。
だからお父様がシェレンベルクのように人格など無視して扱うような事はしないとは思う。だけど感情が追いつかない。
どうして真面目で融通のきかないお父様が一生面倒みるという約束を破って私に理不尽な要求をしてきたかもわからない。
「私たちが死んだ後もシェレンベルク侯爵は領地を治めて下さると約束してくれました」
これ以上ひどい事を言わないように押し黙って下を向いていると、お母様がいつも通りの凛とした声で言葉を発した。
領地?そんなの…。
「そんなの、私が治めるよ!私は元気だから早くに死んじゃう事もないだろうし!」
「領地というのはそんなに簡単に治められるものではない。知識も、経験も、信頼もいるものだ。それにリリアは病弱なのだ。視察にも簡単には行けないだろうし、それでは監視者として立ち行かない」
「だったら他に管理してくれる人を頼めばいいじゃん!」
「それが、シェレンベルク様だ」
その言葉に息を飲んだ。
お父様が死に、私が生きてる間に領地を継ぐという事は、私と結婚をするという事だ。
それは今、この状況と変わりないことだ。
「だったら…何で、一生面倒見るなんて…」
「すまない」
私に対して頭を下げたお父様に、誰も何も言えなく沈黙が落ちる。
それにとうとう白旗を上げた。
「わかった。結婚する」
「リリィ…」
「絶対逃げないから、ちょっと一人にして」
元々破格の取引だったし、その取引通りこの三年間不自由のない暮らしをさせてもらった。
最高に気に食わない奴だけど、向こうも放って置く気満々だろうし、今までとそう変わらない生活を送れるだろう。
一度やわらかい枕を思いっきり壁に叩きつけてやり場のない怒りをぶつけた後、気持ちを入れ替えて私は眠ることにした。