第6話 嫌いだから……
「ごめんな。へんな事に巻き込んで」
思ったよりも帰りが遅くなったので、雅臣は理佐を送っていた。途中までと宣言していたけれど。
「ううん。なんだか変な感じだけど、雅臣くんのお母さんに会えて嬉しかった。……すごくチャーミングな方だね」
随分遠慮の入った評価だと思ったが、それでも雅臣は、理佐に母親を受け入れてもらった事を素直に喜んでいた。
「まぁ……そうかな」
「ふふふ。照れてる」
「な、違うよ」
そんな冷やかしも嬉しかった。
「それで、お父さんの事、どうするの?」
その問いに、雅臣は思わずため息をついた。答えを保留にして出てきたのだが、正直どうしたらいいのか迷っている。そんな様子に理佐が心配して雅臣の顔を覗きこんできた。
「もしかして、お父さんと上手くいってない?」
図星なので何も答えられない。雅臣は思わず目を逸らした。
「そっか……。だから二の足踏んでるんだね」
雅臣はこれまで理佐に母親の話はしても、父親の話をした事がなかった。口にするのも嫌だったからだ。しかし、理佐は自分の伴侶にしたいと思っている相手だ。いつか話さなければと悩んではいた。
今がその時なんだろうな……。 そう思った雅臣は腹を括った。
「俺のオヤジ、医者なんだけど ……小さい頃からすごくニガテでさ。あんまいい思い出がないんだ」
雅臣は遠い昔を振り返った。
雅臣には、幼い頃から父に遊んでもらった記憶がない。父はいつでも忙しい人で、のんびりしている姿すら見た事がなかったのだ。家で小児内科を開院していた父だが、大学病院にも顔を出していたのでとにかく働き詰めだった。
しかも雅臣は、幸運にも病気ひとつしない丈夫な子供だった。だから父親の関心は、我が子ではなく、いつも患者の子供たちにあった。羨ましく思ってはいけない。子供心にそう理解はしていたけれど、心の奥底はいつも寂しさが降り積もっていた。一人っ子だったから余計にそう感じたのかもしれない。
その寂しさの雪を溶かしてくれるのが母親だった。温かい笑顔で包んでくれた母は、いたずらやサプライズなどと言って、雅臣を驚かしたり喜ばしたり、とにかく側で寄り添って雅臣を楽しませてくれていた。そのおかげで偏りがあっても幸せだと思えていた。
しかし中学に上がった頃から、自分に無関心だった父親が、何かと教育に口を出すようになった。雅臣と顔を合わすたびに勉強しろと口煩くなったのだ。
「キャッチボールひとつしてくれなかったくせに、勉強しろのセリフは一人前の父親みたいにうるさかったよ」
当時を振り返りながら雅臣がぼやく
高校進学の折には、明確に将来医学部を目指すようにとその目標を掲げられた。しかし、その頃にはすでに、雅臣にはそれだけの学力が自分に伴っていない事を自覚していた。とくに理数系が不得意で、努力云々の問題でない事が明らかだったのだ。
「あの人さ、医者じゃなかったら人間じゃないみたいな……なんていうか、極端な人なんだよ。だから、俺が医学部に行ける頭じゃないって知った時は、酷くがっかりされちゃってね……。ま、仕方ないんだけど」
雅臣のつぶやきが、夜の闇に溶けるように消える。理佐は頷く事しかできなかった。しばらくして、雅臣がまたひとつため息をもらす。過去の記憶が一番辛い時期に差し掛かったのだ。
それは、大学受験時に起こった。これまでの鬱積された不満が一気に爆発した年だ。その頃にはとっくに医学部受験を諦めていた雅臣は、密かに芸術系の大学に進学したいと思っていた。絵を描くことが好きな雅臣は、将来グラフィックデザインの仕事に就きたいと思ったからだった。しかしそんな事を言い出せる雰囲気では勿論無い。結局雅臣は、適当な私大の経済学部へ勝手に受験する事を決めた。自分の希望も通さないが父親の希望も聞かない。そういう気持ちで決めた事だった。
「もったいない……雅臣くん、絵、上手なのに……。あ、だから広告代理店なの?」
雅臣の今の勤め先だ。代理店と言うほど大きな会社ではないが、そこそこクライアントを抱えている。
「うん。まあ、営業だから直接関係ないんだけどね」
デザインの仕事は出来なくても、それに携わる事をしたかったのでそこに就職したのだ。
「お父さんに反対されたとか?」
就職については反対どころか言ってもいない。大学進学と同時に家を出た雅臣は、それ以降、余程の事がない限り実家に帰らなくなった。逃げるように家を出た雅臣は、父親と顔を合わせるのを極端に避けてきたのだ。
家を出た直接的理由は、進学時に父親の猛烈な反対を受けたからだ。当時、浪人しても医学部を望む父親に対し、それなら就職すると大喧嘩になった。結局、父親が折れた形になって、雅臣は合格した私大に進学する事になったが、その事で二人の間の溝は修復できないほど深くなってしまった。
それから雅臣の貧乏生活が始まった。学費はどうしようもなかったので親の世話になったが、生活費は自分でなんとかした。それで曰く付きの部屋に住むしかない状況になったのだ。
「なるほど、それでお化けの出る部屋に住んでたのね」
「まさか、母親だとは思わなかったけどね」
「ふふふ……そうね。びっくりだよね」
さっきまで一緒だった幽霊とのやりとりを思い出して、理佐が笑う。一呼吸置いて彼女が呟いた。
「そういう事だと……お母さんに協力してあげられない?」
「……うーん。……そう、なんだけど」
「やっぱり、してあげたい?」
「ん……」
黙りこむ雅臣。 簡単に頷けない。
「……ムリ……かな。 俺、オヤジが嫌いだから……」
理佐が悲しい顔をする。正直に言ってしまった事を後悔した。親を嫌うなんて、呆れられたかもしれない。そう思って雅臣も悲しくなった。
どうして、こんなにもこじれてしまったのかな……。
振り返ってみても、確執の原因がよくわからないでいる。 強いていうならお互い頑固と言うところだろうか……。 雅臣は、考えても結局答えが見つからないので、思考から無理やり追いやった。
とにかく、理佐に呆れられてしまったけれど、彼女に対して隠し事は何もなくなった。そういう意味で、雅臣は少しだけ気持ちが楽になった気がした。
読んで下さってありがとうございます。
今回はちょっと重い話でした。次はちょっとだけLoveな話です。